黒猫
空海は、現代日本で何をする?
黒猫
平成二十五年の晩秋の頃。
このところ、空海は毎夜ウォーキングをしている。最初の三日ほどはまちまちの時間に帰って来たが、ルートが確定したのか、最近は午後十時に部屋を出て、ぴったり四十分で帰って来るようになっていた。
ところが、今日に限っては少し帰りが遅い。午後十一時を回っても戻らない。
どうしたのかな、と思っていたら、結構雑な足音が近付いて来た。ガチャンと音がして鍵が開く。
「どしたん、珍しく遅かったなあ」
俺がそう言うと、ナーと返事が返って来た。
「ナー?」
「弘史、大変や!子猫拾ってもおた!」
空海の切羽詰まった口調が、緊急事態を物語っていた。
「子猫?」
拾い物としては、かなりのレアケースである。
「いつも通り、ウォーキングしてたんや。でな、金〇町公園を通り抜けようとしたらな、どっかからニーニー声が聞こえんねん。近付いてみたらな、この子が、ヨタヨタと歩いて来たんや」
空海は言いつつ、子猫を持ち上げた。ちっちゃな黒猫である。二ヶ月くらいか。目をまんまるく見開いて、ナーと鳴いた。
「それで?」
「でな、この子が俺の足元まで来て、俺の足に体をすり寄せて、『ナー』とか言いはんねん」
「ほう」
「それを放っとけると思うか?」
「思わんな」
「そやろ?で、これやねん」
空海は改めて子猫を持ち上げた。子猫はまたナーと鳴いた。
「空海、その子…」
「何や、弘史」
「めっちゃ可愛いな」
「そやろ」空海は明るい表情になった。「この子、可愛いやろ?とても放っとけヘんやろ?」
「いや、その気持ちはよーく判るんやけどな」
「何か問題があるんか?」
「ここのマンションな、ぺット禁止やねん」
「…そうか。集合住宅やもんな。そんな決まりもあるわな」
空海はガックリと肩を落とした。
「しかし、また外に放すゆうのもなあ」俺は腕を組んだ。「せめて、里親が見つかるまで、ウチに置いとかして貰おう」
俺はそう言うと、時間は遅かったが、空海と子猫を連れて管理人の糸谷の部屋へ行き、直談判をした。いけ好かないおばはんなのだが、古くからの知り合いで、一応融通は利かせてくれる。おばはんは少し抵抗したが、子猫のつぶらな瞳に負け、しばらくの同居を許可してくれた。
近所のコンビニで買って来たモン〇チをもりもりと食べる子猫を、空海は優しい表情で見つめていた。
「俺な、空海て犬好きやと思っとった」
俺の言葉に、空海は猫を見たままで答えた。
「別に動物は何でも好きやで」
「でもほら、高野山登る時、白と黒の犬に案内してもらったって話し、あるやん」
「狩場明神な。でもあれ、俺の犬ちゃうで。狩人のおっちゃんのや」
「ああ、そうか」
「でもな」
空海はふと悪ガキのような表情をした。
「何や?」
「犬言うてる二匹、実はな」
「何や?」
「いや、やっぱりやめとこ」
「何でやねん」
「聞いたら、誰かに言いたなるやろ?」
「大丈夫、それは我慢出来るで」
俺は受け合った。口は堅い方である。
「じゃあ教えたるわ。実はな…」
空海は、俺の耳元で小さな声で言った。
空海の言葉に、俺は目を丸くした。
「うそやん!そうなん?」
「ホンマやて」
「えー、それは知らへんかったわ」
「あんまり言うたらあかんで」
「判った。言わんとくわ」
俺は、驚きを鎮める為に、グリ〇ベを開けた。
ふと見ると、モン〇チを食べ尽くした子猫は、空になったお皿に顔を突っ伏して眠っていた。
20181229