後部座席の女
この話は、私の後輩から聞いた「実話」が素になっております。
空海は、現代日本で何をする?
後部座席の女
平成二十六年(2014)の七月に入った。
今日は空海も俺もバイトがあり、二人とも部屋に帰って来たのは午後七時を過ぎた頃だった。晩ごはんを作る気力は無かったので、シャワーを浴びてから、『SE〇YU』で期限切れ間近でもらって来たポテトサラダと鶏の唐揚げを肴にグ〇ラベを開けた。
明日はバイトは無いので、J.C〇MオンデマンドのB級映画を観ながらスナック菓子を食べ、虎の子のサントリー角瓶でハイボールを作り、まったりと時間を過ごしている間に、いつしか時計は午前二時を回っていた。テレビ画面には、いつもの『ほ〇呪』が流れている。特に何も観る物がなく、さりとて画面に何も映っていないと何だか寂しい、という時には、この『ほ〇呪』は重宝する。観ても観なくても気にならないからだ。ただ、この中に出ている川〇尚美は好きなので、そのパートは観るようにしている。横では、空海が苦笑したり首をひねったりしながら件の『心霊動画』を観ている。
と、テーブルの上のスマホが鳴った。といってもマナーモードなので、ブーンと震えているだけだが。
画面を見ると、「伊藤雅志」の名が出ていた。雅志とは小学生の頃からの腐れ縁である。
「何やあいつ、今日はデートやったんちゃうんか」
俺は小さく呟いた。雅志からは数日前にL〇NEがあり、中古車を安値で手に入れたから、新しい彼女を連れてドライブに行く、とドヤ顔メッセージが来ていたのだ。
「別にイチャラブ報告はいらんねんけどなぁ」
俺はそう言いつつ、受信のボタンをタップした。
「どないしたん雅やん…」
言いかけた俺の耳に、雅志の焦った声が飛び込んで来た。
『ああようやく出たわ。何やってんねん遅いやないか』
雅志のイラついた声に、俺は目を丸くして空海を見た。空海は、俺が電話を取った時から険しい表情をしている。俺は受信をスピーカーに切り替えた。
「どないしたん、今日は楽しいドライブデートやったんちゃうんかい?」
「どうしたもこうしたも無いで」
雅志は声を荒げたが、すぐに小声になった。
「すまん、お前が悪い訳ちゃうんやけどな」
「お前今どこおんねん?何か後ろでヘンな女の笑い声しよるけど」
「やっぱ聞こえるんや」
雅志は絶望的な声で呟いた。
俺は何か嫌な予感がした。
「その笑い声、彼女さんのやないよな?」
「後ろの席に、何や女がおってな、ずーっと笑いよんねん」
雅志の声に被さって「イヤやこっち見てる」と女の子の声がした。こちらが彼女さんだろう。
「ごめん。そちらの状況が掴めへんのやけど、どないなっとお?」
「今日夕方からイタ飯屋で飯食うてな」
「そこからかい?」
「で、車走らせてポーアイ行って、神〇空港で飛行機見てたんや。〇宮の夜景も見えるし。で、1000万ドルの夜景見よ、て事になって、六〇山に来たんやけど、有料道路入ってしばらくしたら、後ろの席に何か人の気配がすんねん。最初は俺も彼女も気のせいやと思いよったんやけど、だんだん甲高い笑い声まで聞こえて来てん」
俺は思わず空海の顔を見た。空海はさっきより渋い表情になっている。
「しばらくは笑い声と気配だけやったんやけど、さっきルームミラー見たら、フツーに座ってる姿まで見えるようになってん。で、もう耐えられんくて車停めたんや」
雅志が話している間も、その女の笑い声は聞こえている。くぐもった「クククク…」という気味の悪い含み笑いが続いていて、明らかに常軌を逸している。
「なあ、弘史、空海そこにおるんやろ?何とかならヘんか聞いてくれるか?」
雅志の言葉に、空海は遠くの声を聞き取るような仕草をしながら俺のスマホに顔を近付けた。
「雅志、聞こえるか?少し状況を整理するで。その、後部座席の女性は、六〇山に登り始めてから出て来たんか?」
「そやねん、ポーアイでは気付かんかってん」
雅志が早口に答える。
「その、黒っぽい花柄のワンピースの女性は、彼女さん寄りに座ってるやろ。何かされた、とかはあったか?」
「別に。ずーっと気味悪く笑ってるだけや。…てか、何でワンピースって分かんねん?」
「何もされてへんのなら、まだ間に合うで」雅志の問いを無視する形で、空海は言葉を続けた。「エンジンを切って、今すぐ車を降りなさい。荷物も持って」
「降りて大丈夫なんか?」
「大丈夫や。彼女は降りて来いへんて」
空海のその言葉に、雅志と彼女さんが慌てて車を降りた。
「こっち見てるで空海」
「イヤやー」
スピーカーの向こうから、雅志達の震える声が聞こえて来る。気持ち悪い笑い声もマイクが拾っている。
「ところで雅志」空海はあくまで落ち着いた声で言った。「その車、私には真っ黒に見えてるんやけど、それ買うた時、どこかにお札が貼ってへんかったか?」
「トランクとボンネットの裏にあった。気味悪かったから剥がしてもうたんやけど。車は赤色やで」
「実際の色の話ちゃうねん。はっきりとは分からへんけど、相当訳有りの車らしいで。そのお札は、絶対に剥がしたらあかん奴やったんやわ」
「俺はどないしたらええんや?」
「安値で手に入れたとはいえ、車は高い買い物やし言い難いけど、もうその車は手放した方がエエで」
「えーっ、そんなぁ」
雅志は悲しげな声を上げた。
「もう乗ってもダメや。タクシー呼ぶなり何なりして、車は捨てて帰んなさい」
「マジで?買ったばっかやで?」
「おい雅やん、命あっての物種やぞ」俺は思わず横から言った。「空海がそこまで言うんや、多分尋常やない事になってるんやと思うで」
しばし沈黙があったが、すぐに雅志の返事が返って来た。
「分かった。言う通りするわ」
その後ろで、彼女さんがタクシーを呼んでいる声が聞こえた。
「しゃーないで。でもそんな車、もう乗りたないやろ。捨てたったらええねん」
俺は敢えて軽く言った。
「けど、あの女、車の中からメッチャこっち見てるんやけど、ホンマに大丈夫やろか?」
雅志が弱々しい声で尋ねて来た。
「今の段階ならまだ大丈夫や。そういう存在は、こちらが気にするほど近付こうとして来るし。知らんぷりして放っておくのが一番やで」
「でもなかなか無視出来ヘんで」
「向こうは構って欲しいんやて。こちらが構ってくれヘんと分かったら、無闇に寄っては来いひんやろ」
「ならええけど」
「一応、家に帰ったら、まず風呂に水を溜めて、粗塩を一掴み入れて、その水に浸かんなさい。彼女さんにもしてもらってな。一応、用心の為に」
空海は最後にそう付け足した。
数時間後、雅志からL〇NEメッセージと写メが届いた。
「なんやこれ」というタイトルに、雅志の体を写した写真が添付されていた。
水風呂に入ったらしい濡れた体中に、無数のひっかき傷のような跡が浮かび上がっていた。
「良かった。ギリギリ間に合ったみたいやな」
その写真を見て、空海は安心の表情を見せた。
20211005




