武道
空海は、現代日本で何をする?
武道
平成二十六年(2014)六月に入った。
爽やかな日が続いているが、これもいつまで保つか判らない。
空海は相変わらず毎夜ウォーキングに出て、二時間ほど掛けて、汗だくで帰って来る。まあ別に健康そうだし、本人が好きでやっているのだから、俺が何か言う事もないのだが。
ある日、俺はバイトが休みで、朝から部屋でゴロゴロしていた。貧乏暇なし、とは良く言ったもので、滅多にない暇な時間は貴重な休息期間である。
座布団を枕に床に寝転がって万〇目学の『鴨〇ホルモー』を読んでいた俺に、いつものように静かにあぐら(結跏趺坐)で座っていた空海が声を掛けて来た。
「なあ弘史、今日この後、買い物に付き合おてくれるか?」
「別にええけど。どこ行くん?」
「靴買いに行こう思て」
「靴て、ついこないだ買おたばっかちゃうん?」
「ああ、確かに百合と一緒に買いに行ったけどなぁ」
「家呑みした日やろ?あれ五月二十五日やで。まだ半月も経ってへんやん」
「せやかてなあ」空海は肩をすくめた。「もお壊れそうなんやから、しゃーないやろ」
「まあ、しゃーないわな」
そう言う事になった。
俺がバイトをしている「SE〇YU」が入っている、新〇田の東〇プラザには、他にも色々な専門店がある。
「お、『A〇C-MA〇T』。こんなんあったんやなあ」
空海は目を丸くして言った。
「いつも直接地下に降りて『SE〇YU』行ってるから、専門店来た事なかったやろ」
「そうやな。でも、化粧品や女性服が多いな」
「こういうトコの一階部分は、大概女性・主婦向きの店が中心やな」
「何でなん?」
「百貨店系のお店は、女性、しかも主婦がメインになるから、華やかでしかも消耗品の化粧品は、目につきやすい一階にするんやって、ネットで読んだコトあるわ」
俺はあやふやなにわか知識を披露した。
「なるほどな。家を守っている女性が買い物に来る機会が多いから、自然と女性に便利な配置になって行くんやな」
空海は何やら感心しながら頷いた。
「二階には文房具店とか本屋もあるで」
「ほんまか、全然知らんかったわ。世界は広いなあ」
「東〇プラザ一件の事で大袈裟やなあ」
俺は笑って言った。
空海はゴム底の平らな靴を何足か買った。ダン〇ップ製だ。
「なるほど、タイヤメーカーさんやな」
俺は大いに納得した。
意気揚々と店を出た空海と俺は、アキちゃんとばったり出くわした。手には小さな紙の手下げ袋を持っている。
「あ、空海さん、ヒロシくん、こんにちは。また靴買いに来たん?」
明るくそう言うアキちゃんの唇が、艶々のピンク色である。
「アキちゃんは口紅を購入ですか」空海が笑顔で言った。「その色、とても似合ってますけど、彼氏さんの好みですか?」
「ベ、別にそんな訳でもないんやけど、普段あまり化粧しいひんし、たまにはこんなんあってもええかなって」アキちゃんは首まで赤くなった。「いやや空海さん、そんな事聞かんといて。メッチャ恥ずいやん」
「恋する乙女はキレイになるんやなあ」
俺の心境としては、年頃の娘を持った父親である。
「やめてヒロシくん、オッサンのセクハラ発言」
アキちゃんは頬を染めたままツンと横を向いて、早足でアーケード側の出口へ向かった。
空海と俺の扱いの違いどうよ?
東〇プラザビル西側の若〇公園は、阪〇〇路大震災後に地域復興のシンボルとして整備された。『鉄〇広場』と呼ばれ、新〇田にゆかりのある横〇光輝の『鉄〇28号』の当身大(18m)のモニュメントが立っている。そこからアーケード街「大〇筋商店街」が南へ伸びている。
一足先に出たアキちゃんを追う形で広場に出た俺達の目に、彼女の背後から一人の男が歩み寄る姿が見えた。
その筋肉ダルマには見覚えがあった。空海はそれを見るなり俺に靴を押しつけて、足を早めてアキちゃんに近付いた。
男がアキちゃんのすぐ後ろまで来て、声を掛けた。
「おい、ねえちゃん、久し振りやな。ちょっと付き合ってくれや」
「あなたとはお付き合いしない、と前にも言ったでしょうタカジさん」
全く気付いていなかったアキちゃんが飛び上がるのと、空海が答えたのはほぼ同時だった。アキちゃんは慌てて空海の背中に隠れた。
空海の言葉で、俺はようやく思い出した。昨年11月の終わり頃に絡んで来た奴らの親分だ。第11話『喧嘩』を参照の事。
「何なんやお前、何でお前がおんねん。お前、この女のオトコか?」
勢い込んで噛み付いて来るタカジに対して、空海は嫌味な程に冷静だ。
「いいえ、友人ですよ」
「何でもええわ。お前には借りがあるからな、返させてもらうで」
そう言い放ってタカジは構えた。自信満々な表情である。生々しい拳ダコがその自信を裏付けているようである。
物騒な様子に気付いて、広場にいた通行人達が遠巻きに俺達を取り囲んだ。
空海は、構えもせずに立っているだけだ。
タカジは踏み込んで、左右の直突きを出した。空海は少し退く。タカジは一歩踏み出して右追い突きで空海の顔面を突いた。空海はその突きを身を低くして避けつつ踏み込み、前腕をタカジの腹に叩きつけた。
空海は、その衝激に思わず腰を折って俯いたタカジの右足を払いながら返す腕で背中を叩いた。タカジは両手をついて地面に叩きつけられるのを防がなければならなかった。
「鳳凰展翔から二郎坦山。呉氏開門八極拳の技や」
空海がちょっと得意気な感じで言った。
「いつ覚えたんやそんな技」
「最近、夜のサッカー場で練習してた人に教わったんや」
「五月の騒動の時の先生やな?」
「第四十二話の『月下の騒動』を参照してや」
「どこ見とんねん?」
空海と俺は、地面に這いつくばったタカジの頭の上で、他愛のない話をした。タカジは相当傷ついたのだろう、膝をついたままもの凄い形相で空海の足を掴みに来たが、空海はあっさりとかわした。タカジはその間にに立ち上がり、体勢を整えた。
「お前だけには負けられねえ!」
タカジは吠えながら左で空海の顔面を突いた。空海は頭を傾けてかわした。タカジは突いた手を引かず、空海のシャツを掴んだ。右でも掴んで首相撲からの膝を狙う。
次の瞬間、空海はタカジに掴まれたまま弾けるように動き、その直後にはタカジは悶絶しながらその場に踞ってしまった。息が出来ないようで、喉がヒューヒュー音を立てている。
空海は肘打ちをしたポーズのままで止まっていた。
「八極拳の両儀肘を寸勁で使ってみたんやけど、思ったより効いたみたいや」
「やり過ぎたらあかんで」
俺らが頭の上で喋っていても、タカジは今度は立ち上がれないようだった。
「タカジさん、彼女があなたの好みなのは判りましたが、彼女にも相手を選ぶ権利がありますよ」
空海がそう言うと、アキちゃんは俺の背中に隠れたままで大きく頷いた。
「残念ですが、今のあなたには一分の目もありません。何が駄目なのか、よく考えて下さい」
空海はそう言うと、タカジを残して歩き出した。俺とアキちゃんも続く。
「ねえ空海さん、あの人、また来たりしいひんよね?」
少し不安げな表情で、アキちゃんが尋ねた。
「まあ彼も、前回私に負けた事で、かなり空手の修行を積んだようですね。以前よりも眼が澄んでました。このまま武道の修行を続けていけば、今よりもっと心が洗われて行くでしょう。今度会う時には、爽やかな好青年になってるかも知れへんですよ」
空海はそんな事を平然と笑いながら言った。
「タイプやないし、もういらんねんけど」
アキちゃんはバッサリと斬り捨てた。
「そうか。この所、ずっと八極拳を習てはったんやな。それでいっつも汗だくやったんや」
俺はようやく合点がいった。
「八極拳は震脚や歩法が強くてな、すぐ靴が傷んでまうねん」
そう言った空海の表情がやけに明るい。
「どしたの空海さん、何かゴキゲンやね」
アキちゃんが首をかしげた。
「いや、この間のサッカー場の時は、思うように八極拳の技が使えへんかったんで、ちょっとこうモヤモヤしたものがあったんですよ。今日はちゃんと出来ましたから」
空海はあくまで爽やかな笑顔である。
「その発言、聞きようによってはかなり剣呑やで」
俺は半笑いで言った。
「まあこんな技、本来なら使わないに越した事はないんやけどな。イザという時に使えるように、常に磨いておかな、大事なモンを守れへんしな」
空海はそう言って、少し肉厚の掌を握り込んだ。
20201207
この話の「タカジ目線」のものを、エブリスタに挙げています。




