小説
空海なら、現代日本で何をする?
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平成二十五年の、秋も深まって来たある日。
俺がバイトから帰ると、空海は壁にもたれて、本を読んでいた。床にも本が積んである。ハードカバーだ。
「おお、お帰り弘史。あれ、早速 使こたで」
空海がにこやかに言った。「あれ」とは、昨日寝る前に話していた「図書館利用者カード」の事だ。
とにかく情報が欲しい、という空海に、俺は大〇山にある市立中央図書館のカードを渡したのだ。ここしばらく使っていなかったが、多分まだいけるハズだった。
「良かった。ちゃんと使えたんやな」
「一応住所と電話番号の確認はされたで。前は北区に住んどってんな?」
「そうや。震災の時に区画整理されて引っ越したんや。元々は浜〇町やったんやで」
「ホンマか。すぐそこやんか」
「ところで、空海」俺は、ふと彼の手にある本に目がいった。「本、何読んでんの?」
「ああ、これか?」
空海は笑いながら本を持ち上げて表紙をこちらに見せた。
表紙には、『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す』著・夢枕獏とあった。
「これ、ホンマに面白いなあ」
それを聞いて、俺は思わず笑ってしまった。
「それ、自分が主役やろ?」
「ええやん、カッコええやん空海。惚れてまうわ」
「俺もそれ読んだけど、確かに面白かったなぁ」
「ただ、この空海、ちょっとお澄ましし過ぎちゃうか?俺こんなんちゃう思うけどなぁ」
そこで、俺はふと気になった。
「ところで空海」
「なんや?」
「その本に書いてあるような事、ホンマにあったんか?」
「何て?」
「いや、例えば玄宗皇帝と楊貴妃の話とか」
「さあ。昔の話やからなあ」
空海は笑って言うと、また本に目を戻した。
「何なん、自分の事やろ?」
「舞台裏の詮索は反則ちゃうんか?」
「でもなあ、当事者が目の前におったら、やっぱり気になるやろそこは」
俺の言葉に、空海は本から目を上げずに、
「まあこういうのは、言わぬが花、という事や」
なんて事を言う。
俺は釈然としないまま、グリ〇ベを開けた。つまみはサッポ〇ポテト・バーべキュー味。
「作家って、凄いなぁ」
空海が、溜め息まじりに言った。
「どしたん?」
「この小説の中の、橘逸勢な、本人そっくりやねん」
「そうなん?」
「自信過剰なのに心配性、傲慢なのに卑屈、嫌な奴に見えて実は良い漢な所なんか、完璧に再現されていると言って良い。何だか懐かしささえ感じるわ」
「へえー、やっぱり凄いんや獏」
俺は素直に感心した。
「お前も良い漢だな、弘史」
空海は本を置いて、俺を見て言った。
「何や急に」
「だって、今のこの会話、俺が『本物の空海』って事が前提やで」
「そうやなあ」
「疑わへんのか?」
「特に疑う理由もないしな。まあ、あれや」
「何や?」
「教科書で見る絵より男前やと思うぐらいか」
俺は本気で言ったのだが、空海に笑っていなされた。
「何も出えへんで」
「まだ出すのはこっちからや」
俺は言いつつ、グリ〇ベを空海に差し出した。空海は受け取ると、片手でタブを開けた。
一気に半分ほど呑んで、大きく息をついた。
「美味いなあ。長安にも『ビール』は無かったで」
「やっぱり胡酒ばっかりやったん?」
「流行っとったな」
「坊さんが酒呑んでええんか?」
「ま、呑むも呑まんも方便や」
「そんな適当でええんか?」
「酒は薬やで」
「そんなもんか」
俺はなんとなく納得してしまった。
「やっぱり、お前は良い漢や」
空海は満面の笑顔で言った。
「誉められた思てええんか?」
俺も笑って答えた。
20180423