家呑み
空海は、現代日本で何をする?
家呑み
平成二十六年(2014)の五月二十五日。日曜日。
朝八時。俺の部屋に、何故か百合がいる。
「何や百合、こんな朝っぱらから。〇京に帰らんでええんか?」
俺は、バイトに行く準備をしながら尋ねた。百合は、ノースリーブのニットにミニのラップスカートと、かなり気合いを入れた出で立ちである。
「今日は空海さんとデートなの」
百合が明るい声で言った。
「そうなんか、空海」
「ああ。靴買いに行こう思てたんやけど、百合さんが一緒に行ってくれるて」
「いやあん、『百合さん』なんて他人行儀。百合って呼んで」
「お前、どこ目指してんねん」
百合の様子に、俺は溜め息をついた。
「いいじゃん別に。ヒロシには関係ないし」
百合は一人で浮かれている。こいつは誰かを気に入るといつもこうなのだ。まあ、まだ健全な方か。
「じゃあ、百合の事頼んだで、空海」
俺はワンショルダーバッグを肩に掛けながら言った。
「大丈夫や。色々と案内して貰うわ」
空海は穏やかな顔で言った。
『SE〇YU』バイトを終え、俺が帰って来た所へ、丁度二人も帰って来た。手に大量の荷物を持っている。
「おお、お帰り、お二人さん」俺は鍵を開けながら声を掛けた。「買い物は首尾良く行ったんか?」
「うん。めっちゃ楽しかった!」
百合は相変わらずテンションが高い。
「お陰でええ靴も買えたで」
空海も笑顔で言った。
「で、その荷物は何なんや?」
「あのね、どっか呑みに行こうかって話ししてたら、空海さんがおつまみ作ってくれるって」
「家呑みなら安く済むし、何より気ィ抜いてゆっくり出来るやろ」
空海は荷物を台所でさばきながら言った。
「ああ、あのピザみたいのやな」
その材料を見ながら、俺は言った。
「何ヒロシ、空海さんの手料理食べた事あるの?」
「そりゃまあ、自炊が基本やからな。俺三空海七くらいか」
「何よ、ほとんど空海さんにして貰ってんじゃん」
「俺の方がバイト多いんやからしょうがないやろ」
「ヒロシ受けなんでしょ?ちゃんとお嫁さんしないと」
「ちょっと待て。どこをどう理解したらそうなんねん?」
「ところでヒロシ」百合はばっさりと話題を変えた。「何か着替え貸して。このカッコじゃあ、空海さんのお手伝いが出来ないし」
「ああ。俺のスウェットかジャージ、テキトーに使たらええわ」
「ん、判った」
百合は和室の方へ行くと、押し入れの衣装ケースを物色して、スウェットの上着とジャージのハーフパンツに着替えた。華奢な百合にはぶかぶかである。
「空海さん、何か手伝う事ある?」
百合はいそいそと台所の空海に近寄って声を掛けた。
「ありがとう百合。丁度手が欲しかったんですよ」
空海は優しく言いつつ、百合に細々と指示をして、何やら料理を作って行く。
「なあ空海、グ〇ラベ足りるか?」
手持ち無沙汰な俺は聞いてみた。
「ワインとスパークリングあるから、大丈夫やと思うで」
空海の返事で、俺はすぐに仕事を失った。
ローストビーフが出来るまでの待ち時間で百合がシャワーを浴びている間に、空海と俺とで「家呑み」の用意をした。まあ俺は食器を出すくらいしかしていないが。
百合がすっぴんになって出て来た所で用意が整ったので、とりあえずグ〇ラベで家呑みがスタートした。
「そう言えば空海さん」二杯目からはスパークリングになった百合が尋ねた。「バイトって言ってたけど、空海さんは何のバイトしてるの?」
「私はお寺にお手伝いに行っているんですよ。須〇寺という所です」
「須〇寺って、真言宗の十八本山のひとつよね?」
「そうですね」
「あるんだバイトって」
「一応『助法』と表現するんですけどね」
「ジョホー?」
「法務、或いは法要を助けるって意味ですかね」
「そう言えば、駒大でも七月頃には、在家のお坊さんが棚経の手伝いに行くって話してる」
「まあそんなようなものです」
「私、ふと思ったんだけど」頬を紅く染めた百合が、空海に向かって身を乗り出した。「お坊さんって、本来『無所有』、つまり自分の財産は持たないんだよね?バイトしてお金貰ってもいいの?」
「確かに、僧侶は所有する事によって生まれる欲、つまり執着を無くす為に、なるべく個人の財産は持たないように、と戒律で定められています」
「三衣一鉢って言うんだっけ?」
「はい。僧侶の持つ最小の道具です。安陀会、鬱多羅僧、僧伽梨の下上大三衣と托鉢ですね」
「よお知っとんなそんな事」
何も知らない俺は、素直に感心した。
「そりゃそうよ、あたし仏教学科なんだから、馬鹿にしないでよ」百合は酔いが回って来たのか、口調がぞんざいである。「本当は、畑仕事とか、そういうお仕事もしないんだよね?ご飯も作らないから托鉢で貰って来るみたいな」
「ええ。出家はひたすら覚りを得る為の修行に専念する、という事ですね。ただ、今は背に腹は替えられないですから、自分の食い扶持ぐらいは稼がないと」
「でもさーあ、それってどおなの?お坊さんがそこまでしないと覚れないんだったら、あたし達パンピーなんて一生掛かっても覚れる訳ないんじゃない?」
「確かに、覚りを得る、所謂『成仏』は難しい、と言われてますね。『三劫成仏』という言葉もあるくらいです」
「サンゴージョーブツ?」
俺には判らない。
「確か、凄い長い時間を掛けないと成仏出来ないって事だよね?」
百合が、俺を横目で見ながら言った。ちょっとドヤ顔だ。
「そうですね。大乗仏典である『二万五千頌般若経』を解説した、龍樹の『大智度論』という注釈書に書かれているんですが、一辺四百里の岩を百年に一度布で撫で、岩がすり減って完全になくなっても劫に満たない、そういう長い時間が一刧とされています。磐石劫などと言いますね」
「それを三回クリアしいひんかったら成仏出来へんって事か」
俺の呟きに、空海は頷いて言った。
「まあそれほどまでに、成仏は難しい。だから修行は大変だ、と言う訳なんですが、それでは確かに百合の言う通り、いつまで経っても覚りを開く、成仏する事なんて出来ないですね」
「だよね」
「だからこそ、修行者は在家の人々の分も修行に打ち込み、その智恵や功徳を在家の人々に分け与えようとするんですよ。例えば修行者の食事に関しては、あまり重視されていませんでした。命を繋げれば良い、くらいで。煩悩の一つという扱いだったのです」
「でも、だからって托鉢で食べ物を手に入れるって、在家の人が食べ物をくれる事が前提だよね。修行者だからって在家のお世話が当たり前なんて考え方、何だかズルい気がする」
「托鉢がズルいって、結構大胆な発言やな」
俺は思わず笑ってしまった。
「唐の人達も、同じような事を感じたんやと思いますよ」
空海も笑って言った。
「インドなら『乞食』は修行だけど、日本じゃあ『乞食』って言うとちょっと意味が違うもんね」
百合の大胆発言は続く。
「ええ。天竺では修行者、あるいは聖者は特別な存在ですが、唐でも日本でも『働かざる者食うべからず』という考え方の方が一般的ですからね。そこで唐の僧侶達は、『食事も修行の一環』と考えて、作物を栽培したり、自ら料理をするようになったのでしょう。特に唐に入って来たのは大乗仏教ですから、慈悲の思想と合わさって、『不殺生即ち肉食の否定』となっていったようです」
「それで精進料理って訳ね」
「でも、自給自足にも限界はあります。しかし僧侶が働いてお金を嫁ぐとなると、やはりそこは戒律に引っ掛かる訳で、在家の人々と同じような仕事は出来ない。そこで、我々僧侶が出来る事は…」
「社会事業」
百合が人差指を立てた。
「ご名察」空海は頷いた。「特に日本の例を挙げると、僧侶になるには国に認められなくてはいけない。国に認められるという事は、それなりにお金もいる。僧侶になれるのは、ある意味特権階級の者だけだったんですよ。つまりは知識人だった訳で、その知識を生かした仕事が、社会事業、即ち衆生救済活動なんです。そこで寄進や布施を戴く。それなら、大乗仏教の教えにも叶うでしょう」
「そうかー」百合が赤ら顔で言った。目がトロンとして来ている。「だからー、満濃池とかー、温泉とかーなんだー」
「そうです。それが仏教の教えの実践なんです。その為には縦横無尽に動き回らなければいけない。だから丈夫な靴が必要なんです」
「それで靴買ったって言うのー?何かー出来過ぎな感じー」
百合はかなり眠たそうだ。見ると、いつの間にかスパークリングは空になり、ワインも半分ほどなくなっている。どうやら一人でグイグイいったらしい。
「お前、呑み過ぎちゃうか?」
俺が半笑いで言うと、百合は俺をジト目で睨んだ。目の焦点が合っていない。
「そんらころらいもん。ねーくーかいしゃん。もっろのもーよー」
既に呂律が回っていない。空海に体を寄せようとして、バランスを崩した。
「おっと」
空海が素早く百合の手からグラスを取り上げた。百合はそのまま空海の膝に倒れ込み、瞬時に寝息を立て始めた。
「悪いな空海。ちょっと気ィ抜き過ぎやな、こいつ」
俺は笑いながら言った。
「大丈夫や。でも、後で布団に入れてやらなな」
空海も笑いながら言った。
「寝顔見たら、まだ子供なんやけどなぁ」
「今日はだいぶはしゃいでたからなぁ」
「それにしても」俺は百合の寝顔を見ながら言った。「成仏には、そんなにも遠いんか」
「いいや、"仏法遙かにあらず 心中にして即ち近し"や。本当はすぐにでも解るところにあるのが、見えてへんだけなんや」
「"近すぎて見えへん"か。そういうもんかもな」
俺は、気持ち良さそうに眠っている百合の顔を見た。普段は結構とんがって大人ぶってはいるが、こうやって見ると、普通のハタチ過ぎの女の子である。何の夢を見ているのか、楽しそうな寝顔だ。
「この子の中にも仏がおるんやな」
俺が呟くと、空海は笑って言った。
「お前の中にもおるんやで、弘史」
20200412




