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空海なら、現代日本で何をする?  作者: 宝蔵院胤舜
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続 聖と俗

空海は、現代日本で何をする?



続 聖と俗



平成二十六年(2014)の五月二十三日。

インド帰りの伊藤雅志の体験記は止まる所を知らず、俺達は場所を変えて続きを聞く事にした。

『〇前』から一本北の北〇狭通に出て、〇門街のすぐ前の生〇新道ビル一階にある、エイヴ〇リーズアイリッシュパブへやって来た。憲吾は仕事の相手と良く来るらしい。

「ヘー、アイリッシュパブって初めて来た」

俺は露骨にキョロキョロと店内を見回した。

「洒落た感じやろ?外国人の客も多いし、ちょっと雰囲気 (ちご)て楽しいで」

憲吾は言いつつ、樽をそのままテーブル替わりにしている席についた。

バーテンに声を掛け、憲吾と俺はギ〇スビール、雅志はオールドスペク〇ドヘンという琥珀色のビール、空海はインディア ペールエールのフ〇ーズというビールを頼んだ。つまみはフィッシュ&チップスとチリビーンズナチョス。注文毎に料金を渡すキャッシュオンデリバリー式も新鮮で楽しい。

「じゃあ改めて、カンパイ」

俺の音頭で、宴会が再開された。

「ホンマに、インド人てテキトーやで」

スタートから雅志はフルスロットルである。

「何がいね」

「インド着いた翌日に、ベナレスに移動したんや。そこで、お釈迦さんが悟りを開いてから最初に説法した所に行ったんや」

鹿野苑(ろくやおん)、サールナートやな」

空海かポツリと言った。

「そうそれ、サールナート。バスを少し離れた所にある駐車場に停めて、そこからリキシャで移動て事になったんやが」

「リキシャって何や?人力車か?」

俺は良く知らなかったので、ボケのつもりで訊いてみた。

「人力車をチャリンコで曳くやつや」

憲吾にフツーに返された。

「で、その現地のリキシャの車夫が、道を間違えやがってな。一台が間違えたら、その後ろ二台が付いて行きよって、別の場所に行ってしもたんや。結局、一時間くらい遅れてようやく集合出来たけどな、一時はコーディネーターと警察呼ぶか相談したで。そもそも、駐車場から現場に行くまでに地元の奴が道間違えるとか、あり得ヘんで」

雅志はそう言って大きく息をついた。

「インドで迷い子になったら恐いやろな」

憲吾は二杯目の、スコッチのハイボールを呑みながら言った。

「恐いで。何しろ英語が通じへんからな」雅志は肩をすくめた。「場所によっては、ヒンディー語ですら通じヘん事あるからな」

「何でやねん」と俺。

「インドはな、地域によって言語がちゃうらしいんや。そやから、お札にも、二十五の言語が書かれてるんやて」

雅志はそう言うと、財布の中からしわくちゃの札を取り出した。インドの十ルピー札だ。

「うわー、ホンマや。字が一杯や」

「これで主要な言語らしいで。今回でも、コーディネーターと原地人との間に通訳が入った事もあったしな」

「恐るべしインド」

「それにな」

「まだあるんかい」

「バスの移動中に、運転手の休憩で寄ったドライブインでな」

「そんなもんがあるんか」

「バスとかトラックの運ちゃんご用達なんやろうな。だだっ広い空き地に小屋が二つほど建ってるだけなんやけど、ひとつは一応キッチンで、もうひとつは売店で、お菓子やカセットテープが山積みやったわ」

「"一応キッチン"の意味は?」

一応、俺は確認しておいた。

「キッチンって言っても、プロパンガスのコンロがひとつと薪のかまどがふたつあるだけなんやけどな。そこでカレーとチャパティを食べたんやけど、俺が今まで食べた中で一番旨いカレーやったわ。かなり辛かったけどな」

雅志は遠い目付きで言った。

「ええなあ。旨いカレー食いたいな」

憲吾が物欲しそうな顔で言う。

「ただな、そこで使ってる皿やスプーンを、すぐ横で子供が(あろ)てるんやけど、その洗てる水が、牛の水用の桶やねん」

「何で判ったんそれ?」

「何でて、牛が水飲んでる所にスプーンや皿を入れてるんや」

「あ、俺聞いただけで無理」

憲吾が両手を挙げて首を振った。

「牛って、インドでは神聖な動物やなかったっけ?」

俺は意地悪く言ってみた。

「お前、あの状況を見てヘんからそんな事言えるんや」

「どんなんや?」

「牛が口突っ込んでガポガポ水飲んでるその桶の水で洗ったスプーンを、子供が笑いながら差し出すんやで。『ほらキレイやで』とか言いながら」

「ある意味ホラーやな」

「まあ、『聖なる物』がきれいな物とも限らへんからな」

空海が微笑みながら言った。

「そうなん?何で?」

俺は首をひねった。

「『聖なる物』て、言い換えれば『純粋な物』なんや。純粋な物は、キレイとかキタナイとかの概念を超越してるんや」

「そう言うもんか」

「透明な水を湛えた池も、苔みどろの泥沼も、そこには生き物がいて、大きな生命の循環を支えるひとつの世界なんや。それをキレイとかキタナイとかの判断をするのは、外から見てる俺達の決め付けでしかないんや」

「そうは言ってもなあ」憲吾は肩をすくめた。「やっぱりキレイに越した事ないやろ」

「そらそうや」

空海は笑って頷いた。

「ところで」

憲吾が突然声を潜めたので、雅志と俺は身を乗り出した。

「何や、急に声低くして」

そう言う雅志に、憲吾は控え目な動きで自分の背中側を指し示した。そちらはカウンター席で、何人かが座って酒を呑んでいる。

「一番こっち側の女、めっちゃカワイイんやけどな、その()が何かこっちを意識しとんねん」

雅志がそれとなく彼女の方を窺ってから、小さく首を振った。

「んな訳あるかいや。あんなイイ女が俺らみたいなオッサン相手にせえへんわ。話題が『聖と俗』やったからって、無理矢理俗っぽい話を持ってこんでもええで」

「いやちゃうて。ホンマにこっち見たりしてるんやて」

大の大人が二人してそんな事を小声で言い合っているので、俺も何とはなしにその女性に目をやった。俺達の席からは右後方から彼女を見る事になる。

カウンターのシートに腰掛けた腰つきや、タイトなミニで強調されるボディライン、形の良い胸に持ち上げられたブラウスの裾から見え隠れする引き締まったウェスト、肩の下まで流れる茶色い髪、細いアゴのライン、しなやかな指先、どれを取っても艶やかな良いオンナである。

だが、やたらと盛り上がる雅志と憲吾に対して、俺はどんどんテンションが下がって行った。

そんな彼女が、シートの上で体を半分こちらに向けて、はっきりと俺達の方を見た。首を傾けて艶然と微笑む。そんな彼女と俺の目が合った。

あ、やっぱりそうや。

俺のHPとMPは1になった。完全にステータス異常である。

彼女は、シートから立ち上がると、グラスを片手に俺達の席に向かって来た。生足にヒールの高いミュール、パッションピンクのネイルが扇情的である。案の上、野郎二人はテンションが上がりっ放しである。

彼女は、俺達の席のすぐ横までやって来た。

「えーっと、俺に何かご用かな、お嬢さん」

雅志が席を立ちながら尋ねた。身振りで席を勧める。彼女は微笑んでシートに座った。濃い色のルージュを舌の先で湿らせる。

「何やってんのヒロシ。こんなトコで男子会?むさ苦しいわね」

その唇から出た言葉は、失礼で辛辣なものだった。雅志と憲吾の表情が凍りつく。

「お前こそ、こんな所で何やってんねん百合。もう大学始まってるんちゃうんか?」

俺は溜め息混じりに返した。雅志と憲吾は百合と俺を交互に見るだけで、声も出ない。

「私はLJDなの。もう週に二回くらいしか講議ないし」

「何やLJDて」

「知らないの?Last Joshi Daisei。JDブランドも今年が最後なんだから」

「何やそれ。ブランドを安売りしてもええ事ないで」

「お生憎様。見ての通り、私は目一杯高額商品なの」

百合は鼻で笑った。

「ち、ちょっと待った!」凍りついていた雅志がようやく口を開いた。「おい弘史、お前、この()とどういう関係やねん?何で名前で呼び()おとんねん?」

「ホンマや。お前どこでこんな美人と知り合いになっとんねん」

憲吾も噛みついて来る。妻子持ちのくせに。

「目鼻立ちが似ていますね。従妹さんですか?」

今まで黙っていた空海が静かに言った。

「あん、良く判ったわね。今まで似てるなんて言われた事なかったのに」百合がくすくすと笑う。「あ、もしかして、あなたがヒロシのカレシ?」

「空海と言います。弘史の部屋で居候中ですが、恋愛対象とは少し違う関係ですね」

「『少し』て何やねん?」

俺は思わず突っ込んだ。

「どんな人かなーって思ってたけど、スッゴいイケメンなのね。で、もしかして、お坊さん?」

「良く判りましたね」

「私、駒〇大学仏教学科なの。何となく判っちゃうんだ。でも本物のお坊さんなら、お経唱えてみてよ」

「別にいいですけど、周りが引いてしまいますよ」

空海はやんわりと受け流した。

「ところで空海さん」百合が樽の上に身を乗り出して、空海に顔を近付けた。「お坊さんって、精力絶倫ってホントなの?」

「めっちゃガツガツしてんな」

「超肉食系やな」

雅志と憲吾が目を白黒させながら呟いた。まあ気持ちは判る。

「お坊さんは禁欲生活が長いですから、性愛に溺れてしまったら歯止めが効かなくなるかも知れませんが、絶倫とは限りませんよ。良くも悪くも同じ人間です」

「ふーん」百合は悪戯っぽい表情になった。「じゃあ、空海さんは?」

「私はどうでしょうね?」

空海は笑って肩をすくめた。

「あ、はぐらかした。もしかしてドーテー?」

「ご想像にお任せします」

「なーんだ、面白くないの。やっぱり不邪婬戒があるから?」

「よくご存知で。まあ男は、女性の誘惑に弱いので、修行の道場は女人禁制の所が多いんですよ」

「そうなんだ」百合は樽についた両肘をすぼめた。胸の谷間が強調される。「空海さんも、ユーワクに弱いの?」

「そうですね。ただ、性愛の感情は本能に根ざしたとても強いものなので、簡単には消す事が出来ない。ならばこれを菩薩行を行う源動力に変換しよう、というのが密教の考え方です。これを煩悩即菩提と表現します」

「あれ、もしかして、私遠回しに振られた?」

「私が我慢しているだけです」

「私、そんなに魅力無かった?」

「いいえ、十分魅力的ですよ。特にそのクレオパトララインの眼で見つめられたら、男なんてイチコロですよ」

空海は微笑みながら言った。

「キャットアイね。クレオパトララインは猫ちゃんの模様の事だから」

百合も微笑んで答えた。

「えーと、お二人さん。駆け引きはもう終わったかな?」

俺は二人の間に割って入った。

「ああ、無魔終了や」

空海はそう言って、スコッチをロックで頼んだ。

「やん、ヒロシ、まだ邪魔しないで」

百合が体をくねらせながら俺を見た。

「お前なあ、雅志や憲吾もいるんやぞ」

「私別におっさんチェリーズに興味ないもん」

「ヒドイ!」

おっさん二人はいたく傷付いたようだ。

「こんなキレイな顔してんのに、口めっちゃ悪いな」

憲吾が首を振りながら言った。

「キレイやからって聖女な訳や無いってよお判ったやろ?」

俺はそう言って、ギネスを呑み干した。




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