聖と俗
今回は、少々汚い内容を含みます(笑)。
空海は、現代日本で何をする?
聖と俗
平成二十六年(2014)の五月二十三日。
昨日の夜、中学からの同級生で建築デザイナーの大道憲吾から呼び出しLINEを貰った。何でも、同じく同級生の伊藤雅志がツアーから帰って来たので、一緒に呑もう、という事らしい。伊藤雅志はJ〇Bにツアコンとして就職しており、今回初めてインドに行ったらしい。
インド帰りで日本食に飢えている、という事で、まずは〇急〇ノ宮駅山側の海鮮居酒屋『〇前』で集合した。憲吾がどうしても、というので、空海にも来て貰った。
インド帰りの雅志は、かなり日に焼けていた。
「おお、雅やん久し振り」
俺は片手を上げて挨拶をした。
「おお、弘史、ホンマ久し振りやな。会うの何時ぐらいからや?」
「お前さんが〇穂(あ〇う)の海岸で、海に向かって指輪を投げてからやから、一年振りくらいか?」
「マジで?結局あの娘とは別れたんかいな」
知らなかったらしく、憲吾が目を丸くした。
「それここで言うか?」
雅志が困り顔で言った。
「まあまあ。青春のいちページって事で」
俺は笑って言った。
「アラサーで青春も無いやろ」憲吾は半笑いである。「で、雅やん、こちらは弘史のルームメイトの空海や」
「初めまして。居候の空海です。よろしく」
空海は小さく頭を下げた。
「居候?」今度は雅志が目を丸くした。「それって、同棲って事か?あれ、弘史ってそっちの趣味やったっけ?」
「その言い方、俺よりも空海に失礼ちゃうか?」
俺は溜め息混じりに言った。
「空海は坊さんや。友人としては、珍しいカテゴリーやろ?」
憲吾はそんな事を言う。
「お前ら、空海の基本的人権無視してへんか?」
俺は首をかしげたが、空海は笑って言った。
「座が盛り上がるならええんちゃうか」
そんな事を言い合っている間に「とりあえず生」が出て来た。
「まあとりあえず、雅やんが初インドから無事生還した事を祝って、カンパイ!」
憲吾の仕切りで、宴会が始まった。
「インドはどういうツアーで行ったんやったっけ?」
憲吾が早速雅志に話を振った。
「〇庫大仏あるやろ、清〇塚の近くの。能〇寺いうんやけどな、そこの住職さんと檀家さんの団体で、インドの仏教遺跡を参拝するって奴やったんや」
「初めてにしては結構ハードなミッションやな」
「まあ、住職さんがインド何回も行ってはるから、勉強させて貰えいうてな、俺に大役が回って来たって訳や」
「で、どうやったインド?」
俺は興味津々で聞いた。
雅志は一気に生中を呑み干すと、次を注文してから口を開いた。
「あそこはヤベえ」
「ヤベえって何や?」
その場の全員が突っ込んだ。
「いやあ、インドって、このところ『二桁の掛け算が出来る』とか、『IT関係の人材を輩出している』とか良く聞くやろ?そこからの俺の勝手な思い込みで、もの凄く近代化が進んで、整備されたきれいな街やと思てたんや」
雅志はそう言って、もうひと口ビールを呑んだ。
「そう言うて事は、雅やんのイメージとは違てたんやな」
憲吾がつき出しの枝豆を食べながら相槌を打った。
「ああ。全然違たな」雅志は大きな吐息をついた。「むしろ先輩の教えてもろた通りやったよ。空港の通関を出た途端、昔テレビで観たインドそのままの雑多な世界に飛げ込まれたわ」
「人混みでゴチャッとした感じか?」
と俺。既に刺身の盛合わせに手を付けている。
「さながらN〇Kの『シルク〇ード』で観たオアシスの市場みたいやったわ」
「例えとしては微妙やな」
「とにかく、衛生観念が全く違うんや」
「どう違うねん」
「ちょっとアレな話やけど、トイレがな…」
「手で水つけて洗うて聞いた事あるで」
憲吾が左手で尻を拭く仕種をした。
「それもあるけどな。インド人、基本野グソやねん」
「はぁっ?」
「空港からバスでデリー市内を移動したんやけど、街中の大きい交差点は大概ロータリーなんやけどな、そのロータリーの真ん中で、女の人がサリーめくってウンコしてんねん」
「何やそれ?」
「現地のコーディネーターに聞いてみたら、『これが普通や』って」
「マジで?でも、それこそどうやってケツ拭くねん?」
「水入れた小さな壺持ってんねん」
「うわー。俺アカンわ」
結構神経質な憲吾は眉をしかめた。
「先輩から『トイレットペーパーはロールで持っていった方が良い』とは聞いとったけど、その通りやったわ。五つ星ホテルでも、トイレに小さい蛇口しか無いトコあんねん」
「それってやっぱり?」
「その水でケツ洗うって事や」
「ヘー、凄いなインド」
俺はそう言わざるを得なかった。
「天竺は、昔から変わらへんねんな」空海が笑いながら言った。「俺の梵語の先生やった般若三蔵も、そんな事言ってはったわ。長安は紙が使えるから便利やって」
「いつの話やねん」
憲吾が笑いながら突っ込んだ。知らぬが仏である。
「それに、インドはどこ行ってもストリート・チルドレンが多いんや」
「ストリート・チルドレン?」
雅志の言葉に、空海が首をかしげた。
「要は子供の乞食(こ〇き)やな。俺のツアー客の一人は、走り寄って来た子供に、タオルで靴をなでられて『靴磨いたから金払え』と言われて、素直に十ルピー払ってしもてたで」
「押し売りもええトコやな」
憲吾が苦笑しつつ言った。
「しかも、スニーカーやで」
「靴磨きにすらなってへんやん」
「しかもな、お金渡してしもたから、他の子供も金くれ金くれって寄ってくんねん」
「かなりヤバイんちゃうん?」
「そんな所へ、年かさの少年が来てな、その子供達を蹴散らして助けてくれたんや」
「ええ奴もおるんや」
「そしたら今度はその少年が『助けてやったんやから、お礼代わりにハシシ買わんか?』とこう来る訳や」
「あかんやん」
「それを断るとな、『ハシシがあかんかったら、もっとええのが向こうにあるで』とか言いながら、近くの店の奥を指差すんや」
「何やもっとええもんって?」
「これやて」
雅志は注射をするゼスチャーをした。
「もっとアカン奴やん」
憲吾が天井を見上げた。
「おっかない所やなインドて」
俺も溜め息混じりに言った。
「まあその子達も、生き抜く為に必死なんやろな」
空海が静かな口調で言った。
「そうやな」雅志はひと呼吸置いた。「今回行った何か所かの仏教遺跡でも、ストリート・チルドレン的なのは一杯居たけどな、参拝団が読経してる時には、一緒に合掌してんねん。あいつらがそん時に何を考えてたかは良う判らんけど、何や一生懸命拝んでるように見えたんや」
「天竺の人々にとっては、聖なる物も俗なる物も、大した違いはないんやと思うで」
空海はそう言いながら、鯛の刺身を口に入れた。
「そういうもんか?」
俺は思わず尋ねていた。
「人は、一日一日生きて行く事を考えている時には、聖も俗も関係無い、『生きる』事が大事や。しかし、いつか聖と俗とを意識し区別する、『より良く生きる』事を考えるようになる。そして最後には、やっぱり聖も俗も同じ事なんや、と気付く。言ってみれば曼茶羅の世界やな。天竺の人々は多分経験的にそれを知ってるんやと思う」
空海は澄ました顔でそんな事を言う。
「何かムツカシイ事言うてはるなあ」憲吾が笑いながら言った。「お坊さんみたいやで」
「天竺の輪廻の思想は、人々がこの世界と共に生きて行く事を概念化したものやと、俺は考えてるんや。で、生きる為に競ったり奪ったりする、生存の連鎖から抜け出す事、これが解脱、涅槃という境地なんや、と」
空海は、憲吾の下らない突っ込みを豪快にスルーした。
「でもそうかもなー」
雅志は何やら納得した様子である。
「何か判ったんか?」
俺が尋ねると、雅志は大きく頷いて言った。
「インド人て、俺達日本人から見ると厳しい生活してるみたいやけど、みんな明るいねん。何て言うか、あっけらかんとしてるんや」
「何かしら悟ってるんやろか?」
憲吾がそう言うと、空海は笑って答えた。
「そうかも知れへんな。梵語でサティアという言葉は、唐で『諦』と訳されたんやが、日本語では『諦める』という否定的な意味で使われる事が多いけど、本来は『物事を明らかに見定める』という意味なんや。天竺の人々は、肯定的に『諦め』てるんやと思うで」
「つまりはどういう意味なんや?」
「『この世界をあるがままに受け入れる』いう事やと思うで」
「あるがままか」雅志は大きく息をついた。「せやからと言って、インド人のあのやり方を許せるもんでもないで」
「そんなあかんか、インド人」
俺は笑ってしまった。
「ちょっとな。そらまあ、全てのインド人があかん訳やないけどな。ホンマ許されん事も多いで」
酒で勢いがついたのか、雅志のインドへの文句は止まらない。
「聖と俗とが一体となる事が全て良い事に繋がるとは言い切れへん、て事か」
俺は、空海を見ながら言った。
「何や。俺の顔に何か付いとるか?」
空海はとぼけて言うと、ニヤリと笑った。
20200317




