月下の騒動
空海は、現代日本で何をする?
月下の騒動
平成二十六年(2014)の五月に入った。
体調もほぼ元通りになった空海は、また夜のウォーキングを始めた。ところが、以前は一時間ほどで帰って来ていたのが、再開してからは二時間を越すようになった。しかも、結構汗だくで戻って来る。二日に一度はそんな感じである。
一体何をやっているのか?
気にはなるが、まあいい大人である。俺がそこまで心配する程の事でもない。
そんな呑気な俺だったが、とうとう毎日汗だくになって帰って来る空海が気になって、黙っていられなくなった。
十三日は、空海が晩ご飯を作る、という事でウォーキングを休んだので、俺は思い切って空海に尋ねてみた。
「なあ空海。最近、ウォーキングでやたら汗だくになってへんか?」
「ああ、そやな」
「大丈夫なんか?何か無理してへんか?」
「そんな心配されるような事はしてへんで」
「そんならええんやけどな。病み上がりやし、やっぱり心配やで」
「悪いな、気ぃ使わせて」空海は薄く笑った。「変な事はしてへんから、大丈夫や。さて、ご飯出来たで。食べよか」
空海は話題を変えるように晩ご飯の用意を始めたので、結局ウォーキングの話はうやむやで終わってしまった。
次の日、俺がバイトに行っている「SE〇YU」で事件が起こった。ナカさん(76歳女性)が、数名の半グレに絡まれたのだ。
連中は一度弁当を買って売り場から出て行ったのだが、すぐに戻って来て、弁当のラップが外れていて、汁がこぼれて服が汚れたなどと言い出した。六人ほどの半グレどもは、服のクリーニング代を寄こせ、と大声を出した。
「なあおばちゃん、この店、商品管理がなってないんちゃうか?」
リーダー格らしい男が、ナカさんに凄んで見せた。ただナカさんも〇田のおばちゃんである。負けてない。
「でも、お客さんの買った弁当、汁が垂れるようなおかず、ありませんけどねぇ」
「じゃあこの汚れは何やねん?」
「何か別のモンこぼしたんとちゃいます?」
「ふざけんなよババア!」
ナカさんののらりくらりとした態度に、男は大声で怒鳴った。別の場所にいた小林さんが走って来て、何とかなだめようとしたが、半グレどもは返ってエキサイトして来た。
小林さんが切れそうになった時、店内の野次馬の中から一人の男が出て来た。背はそれほど高くないが、全身の筋肉が太い。顔はLU〇A SEAの河〇隆一に似てなくもないか。
「おいチンピラ、俺は早く買い物を済ませたいんや。ええ加減に終わらせえや」
その男は買い物カゴを床に置いて言った。中味はプリンとカフェオレ。意外と甘ったるい内容だ。
「うるさいわ。大事な話しとんねん。どっか去んどけや」
リーダーは取り合わない。
「他の客も迷惑しとんねん。インネンつけんなら奥でやれや。俺は早くプリンが食いたいねん」
男はリーダーに近付いた。横から別の半グレが男を止めようと、肩に手を掛けた。
次の瞬間、半グレは悲鳴を上げて床に膝を着いた。掛けた手の手首を押さえて呻いている。
「何やテメエは?」
また別の半グレが後ろから肩を掴んで来た。男はその手を逆の手で自分の肩に押さえ付け、相手の腕を肩を支点に巻き込んだ。
半グレは肩と肘を同時に極められ、爪先立ちになった。
「イテッ!イテテテッ!」
その悲鳴が痛さを物語っていた。
「もう十分や。お前らの遠吠えにも飽きたわ。とっとと帰れや」
男は言いつつ、腕をほどきながら押さえていた手で相手の顔を押さえた。体が反り返っていた半グレは、そのまま後ろに崩折れて、床に後頭部を打ち付けた。
「何やお前、本気かいや?」
リーダーはナカさんから男に向き直った。その振り向く動きとほぼ同時に左の裏拳を放つ。男はそれを左肘で受けた。次の瞬間にはリーダーは胸を押さえて踞っていた。男は、受けと同時に突きを放っていたらしい。
「もうええやろ。それとももっとやったろか?」
男はリーダーを見下ろして言った。リーダーは無言で首を振った。
男が無言のまま親指で出口を示すと、半グレ達はスゴスゴと店を出て行ったが、リーダーは出口付近で中指を立てた。しかし男が拳を挙げて見せると、黙って店を出て行った。
「助かりました。ありがとね」ナカさんが男に頭を下げた。「それにしても、あんたスゴいねえ。六人も相手にひるみもせんと」
「おばちゃんも大したモンやで」
「おばちゃん惚れてまいそうやわ。お名前は?」
「いやいや、名乗るほどの者やないですから」
ナカさんの想いはやんわりと拒否された。
俺のシフトは遅番だったので、普段なら午後九時四十五分の営業終了後に売り場周りの掃除と片付けをして、職員さんに託して店を出るのが大体午後十時半くらいになる。
だが今日は職員さんと昼間の活劇の件でウダウダ喋りながらの作業だったので、帰途についたのは午後十一時を回ったくらいだった。折しも満月が街並みを照らし、いつもの風景が何だか神秘的に見えた。地下鉄海〇線の〇崎公園駅で降りて階段を上がると、目の前の高〇線をパトカーがサイレンを鳴らしながら走り抜けて行った。走り去った方向を見ると、ノ〇ビアスタジアム(旧ウ〇ングスタジアム)辺りに何台分もの回転灯が見えた。パトカーだけではなく、救急車も来ているようだ。
「何やろ騒々しい。テロでもあったんかいな」
俺は呟きながらマンションの自分の部屋へ帰った。空海は案の上まだウォーキングから帰っていないらしかった。
あの騒ぎに巻き込まれてなければええけどな。
俺は一応スマホをチェックしてみた。Twi〇terやFaceb〇okなどではぽつぽつ現場の写真を挙げて、「テロか?」とか「山〇組の抗争か?」とか適当な憶測を書き込んでいるが、事実は良く判らない。
ただ誰かの書き込みの、
「半グレ集団が返り討ちに合い半殺しにされた」
という文章が少し気になった。
と、誰かが廊下を走って来て、俺の部屋に飛び込んで来た。
「何や何や!?」
飛び上がった俺の目の前には、汗だくで息を切らせた空海がいた。
「おお、お帰り弘史。お疲れさんやったな」
空海は笑いながら言った。
「汗だくで息切らせて飛び込んで来て、一発目の言葉がそれかい。何があったん?まさかあのパトカーと関係あるんか?」
「どうやろ?関係なくはないかもな」
「マジで?大丈夫なんか?シメーテハイとかされてへんやろな」
「大丈夫や。悪い奴らを懲らしめてやっただけやし」
「…もしかして、六人くらいのガラの悪い集団か?」
「何で判ったん?十人おったけど」
「やっぱりか。そいつら、もしかしたら今日『SE〇YU』で揉め事起こした奴らかも」
「先生に『昼間は世話になった』みたいな事言うてたな」
「誰や先生て?」
「今、拳法教わってんねん。ガッチリした、ちょっと男前の」
「あー。多分それ、昼間の人やわ」
「昼間、迷惑掛けてた奴らがおった言うてはったから、間違いないな」
「あんまり派出な事やったらあかんで」
俺は肩をすくめて言った。
「今日のは、相手が武器を持ってたから、正当防衛やで」
空海は、あくまで爽やかな笑顔で言った。
「十人で武器て、けっこうな修羅場やないか」
空海の話を聞いていたら、昼間の騒動など取るに足らない物に思えて来た。
20200122
このお話に関しては、「月下の拳士」もご参照下さい。




