三月二十一日(中編)
空海は、現代日本で何をする?
三月二十一日(中編)
一晩経って、熱は少し下がったものの、やはり空海はしんどそうに眠っていた。俺は心配ながらも、今日のバイトは人数的に手薄だったので休む訳にも行かず、後ろ髪を引かれる思いで部屋を出た。
今日はシフト的に厳しい日で、それをカバーする為にバイトもパートも職員もベテラン揃いだった。
「今日はみなさん、よろしく頼んますよ」
小林さんが珍しく真面目な表情で言った。
こんな時に、俺は気もそぞろな状態だった。
「ヒロシくんどしたん?」
アキちゃんが、俺に囁きかけた。
「何が?」
「超集中力無いカンジ」
「鋭いなあ。その通りやねん」
「どしたん?」
「空海が寝込んでんねん」
「ホンマに?空海さんいつもメッチャ元気やのに」
「あんな空海見た事ないし、結構心配してんねん」
「大変やね。でもとりあえず、仕事乗り切ららな」
アキちゃんは、そう言って笑顔を見せた。
「ホンマやな。ゴメンな余計な心配掛けて」
「んーん。心配なのは良う判るで」
アキちゃんと俺はそこでこの話題を終わらせた。今は、仕事に集中しないと。
仕事が終わると、俺は飯に行こうという小林さんの誘いを振り切って、急いで部屋に帰った。空海は、熱は落ち着いたようだが、かなり衰弱して見えた。
レンジの中のシチューもそのままで、どうやら一度も起き上がらなかったようだが、蒟蒻畑だけは食べたようだ。
「どうや空海、具合は」
「何か、体中から力が抜けてもたようや」
空海は蚊の鳴くような声で答えた。
「何かの病気なんかな?」
そう言う俺に、空海は弱々しい笑顔を向けて言った。
「俺な、この体調には覚えがあんねん」
「前にもこんな事あったんかいな」
その時、マンションの廊下を勢い良く走る足音がして、うちのドアが引かれた。チェーンが引っ掛かってガチャーンと大きな音がする。
「何でチェーン掛けてんの、ヒロシくん、早よ開けてよ」
ドアの向こうで、キレ気味のアキちゃんの声がした。
俺が慌ててチェーンを外すと、手に手に買い物袋を持ったアキちゃん、泰子ちゃん、そして見知らぬ女性が一人、ドカドカと上がり込んで来ると、台所を占拠して荷物を広げ始めた。
俺は女性達の勢いに押されて、空海が寝ている布団の横まで追いやられた。
アキちゃんと泰子ちゃんが台所でワイワイやっている間に、初見の女性が空海の枕元で正座をしている俺の所までやって来た。
「ヒロシさんですね。初めまして、私、アキちゃんの同級生で、野澤美穂と申します。現在看護学校に通ってますので、少しはお手伝い出来ると思います」
美穂さんはそう言って頭を下げた。俺も思わず頭を下げる。
「空海の事、よろしくお願いします」
「空海さん、聞こえますか?」
美穂さんの呼び掛けに、空海は微かに頷いた。
「お熱計りますね」
彼女は言いつつカバンから体温計を取り出し、それを空海の耳の穴に当てた。十秒も経たずにピッと音がする。
「35度3分。ちょっと低いですね。失礼します」
美穂さんは流れるような仕草で空海の首筋に指を当てる。腕時計に目を走らせ、しばらく脈を取る。
「少し弱いですね。数も少ないですよ。寒くないですか?」
「少し寒いです」
美穂さんの問いに、空海は微かな声で答えた。
「ヒロシさん、毛布をもう一枚出して貰えますか?」
美穂さんに言われて、俺は押し入れから毛布を取り出した。
「ヒロシくん、何よシチューて。しんどい時にこんな重たいの食べれへんやん。もうちょっと考えてよ」
レンジの中を見たアキちゃんから強烈なダメ出しが来た。
「いやそれ作ったの空海やし」
俺は抵抗を試みた。
「体調悪い空海さんに料理させたん?ヒロシくん、鬼やな」
逆に返り打ちにあってしまった。
アキちゃんが、お椀にお粥を入れてやって来た。
「あんまり食べてへんのやろ?重湯多めに入れたから、少しずつでもお腹に入れて、元気出してな」
美穂さんがゆっくりと空海を助け起こし、お粥を口に運んだ。空海は少し食べたが、すぐに「もう十分です」と囁くように言って、また横になった。
「寝かしといてあげよか」
美穂さんがそう言うと、アキちゃんと泰子ちゃんは頷いてコタツに陣取った。美穂さんも追ってコタツに入る。
俺は空海の枕元で正座したままだったが、アキちゃんに手招きをされたので、コタツのすぐ横、丁度アキちゃんの真正面に正座した。
アキちゃんは、両肘をコタツの天板につき、指を伸ばしたままで組んだ。顔の前で指と掌で三角形が出来上がる。まるで洋ドラの刑事のようだ。
「で、これはどういう事なん?ヒロシくん」
アキちゃんは眼光鋭く質問して来た。
「空海の具合が悪い事かい?」俺は首をかしげた。「俺にも良く判らへんねん」
「何でやの?ひとつ屋根の下で暮らしとって、BL的なシチュやのに、パートナーの体調の変化が判らへんなんて、あり得へんやん」
「そやから、BLちゃうし。大体、二日ほど前から急に寝込んでしもたんや。それまではいつも通り元気やったんやで」
「どうして病院へ行かへんのですか?」
美穂さんが当然の質問をして来た。
「空海、保険証とか持ってへんし」
俺は肩をすくめた。
「何でです?紛失なら再発行出来ますよ?」
「ああ、ミポリン、そこはちょっとデリケートな部分なんや」アキちゃんが、そこは助け舟を出してくれた。「空海さんな、ちょっと特殊な感じやねん。そやからミポリンに来てもろたんや」
「まあ、とりあえず今は空海さんも眠ってはるし、私達も一ぺん落ち置こう」
泰子ちゃんはそう言って立ち上がると、台所から両手鍋を持って来た。中身は筑前煮だった。アキちゃんと美穂さんも立ち上がると、ご飯と味噌汁を用意し始めた。
「私達も、『腹が減っては何とやら』やし、ご飯食べて力付けよか。ああ、ヒロシくんの分もちゃんとあるから大丈夫やで」
アキちゃんはそう言ってニカッと笑った。
20191205




