地域(まち)猫
空海は、現代日本で何をする?
地域猫
平成二十五年十二月中ば頃。
うちの近所の「笠〇商店街」には、一匹の猫がいる。しましま、所謂サビ虎で、名前は「イチロー」という。あのイチローにあやかったのかは不明である。元々は商店街の魚屋の猫「タマ」なのだが、色々な家で色々な名前を付けられており、いつの頃からか、「イチロー」の通り名で呼ばれるようになった。今では商店街の番人として、日夜パトロールに勤しんでいる。
俺がバイトからの帰りに笠〇商店街のスーパー「セ〇ゴク」に行くと、丁度そこに空海が買物に来ていた。
「おお弘史、お帰り。お疲れさん」
空海は左腕に買物カゴを掛けている。何だかすっかり主婦の趣きである。
「何かええモンあったか?」
俺は言いつつ、空海のカゴにカップの「エース〇ックのワンタンメン」を二つ入れた。
「弘史、これ好きやな」空海は笑った。「ところでさっき、そこでイチローさんに会おたで」
「イチローさんか。元気してはったか?」
「相変わらず、のっしのっしと歩いてはったで」
「そら何よりや」
「まあここいらの親分やからな」
空海はそう言って笑った。
「今日は何を買いに来たん?」
俺はカゴを覗き込んだ。中には何やら野菜が入っている。
「とりあえず置き野菜やな。玉ねぎや白菜、じゃがいも人参なんか、あれば何かに使えるやろ。ここら辺では一番安いし」
何かフツーに主婦みたいな事を言っている。
「肉食べたいな」
「野菜多めの方が体にええで」
俺の肉リクエストは、一撃で却下された。
「グ〇ラベはパ〇クで買うさかい、帰りによろしくな」
空海はそう言いつつ、レジに並んだ。
結局マイバック一つでは納まらず、ビニール袋を一つ貰った。
二人で店の外に出ると、表は既に暗くなっていた。笠〇商店街の照明は早くもクリスマス仕様で、赤や緑の電球が賑やかにチカチカまたたいている。
「これ、何でチカチカしてるん?」
空海が俺に尋ねて来た。
「クリスマスのイルミネーションや」
「クリスマス?」
「キリストの誕生日やったかな」
「景教か」
「景教?」
今度は俺が尋ねてしまった。
「ネストリウス派のキリスト教やな」
二人でそんな話をしながら歩いていると、スナックのおばちゃんにおやつを貰ってご機嫌なイチローを見かけた。おいしい口をしながら道端に座り込むと、毛づくろいを始めた。
「堂々たるもんやな」
そんなイチローを見ていた俺達のすぐ横を、近くのパチンコ店「デ〇ジャン」から出て来たおっさんが通り過ぎた。食わえていた火の付いたままのタバコを路上に吐き捨てる。
「ちょっと待ちなさい」
空海がすかさず声を掛けた。チャリンコに乗ろうとしていたおっさんは、めんどくさげに振り向いた。近所のバネ工場で見た事のある、やからのおっさんである。
「何やねん。わし今イライラしとんねん。散々負けとおしな」
おっさんは超不気嫌な様子で答えた。それに対して空海は済ましたものだ。
「タバコのポイ捨てはやめなさい。見た目も悪いし、煙も毒や」
「うるさいわ。気に入らんならお前が拾えや」
「何であんたの尻拭いせなあかんねん。自分の始末は自分でせえや」
「何やとコラ」
おっさんと空海は、一触即発の状態になってしまった。
と、少し離れた所で毛づくろいをしていたイチローが立ち上がり、こちらへ向かって歩いて来た。イチローは、睨み合うおっさんと空海の間に割って入り、まずおっさんの顔を見上げて、ダミ声で「ナーッ」と啼いた。次いで空海の顔を見上げて、再び「ナーッ」と啼いた。
「何やイチロー、お前、仲裁に来てくれたんか」
おっさんは、イチローを見下ろして言った。
「イチローの方が、私達より大人なようですね」
空海も笑って言った。
「悪かったなニイちゃん。ちょっと虫の居所が悪うてな。カンニンやで」
おっさんは素直に謝ると、タバコを拾って自分の掲帯用灰皿に入れた。
「私も乱暴な物言いで、失礼しました」
空海も頭を下げた。
それを見届けると、イチローはまた悠々と歩いて元の位置に戻り、ドサリと横になった。何事も無かったように目を閉じる。
「さすが、笠〇商店街のボスやな」
俺は溜め息混じりで言った。
「俺も、イチローさんに人の道を教わったわ。まだまだ修行が足らんな」
空海はそう言って笑顔を見せた。
20190302