少女
空海は、現代日本で何をする?
少女
平成二十五年、秋の彼岸明け。
まだ夏日の続く、そんな気候の中、俺と空海は地下鉄海〇線に乗って、ハー〇ーランドへやって来た。JR神〇駅の地下街、デュオ神〇にある「北〇ラーメン」へ行く為だ。ここは以前から良く通っていた店で、最近はなかなか行けてなかったので、今日は久々に食べに行く事にしたのだ。
海〇線を降りると、デュオドームという天井がガラスドームになっている地下の広場を右手に見る通路に出る。よくここでイベントをやっているのだが、今日は特に何も無く、ガランとしている。
「北〇ラーメン」へ行くにはその広場は通らないので、そのまま左手通路へ行きかけた俺だったが、空海が広場の方へ行く途中で立ち止まり、ある柱を見つめていたので、俺もそこへ引き返した。
「どしたん、空海」
俺は尋ねたが、空海は答えずにその柱に歩み寄った。その柱の前には、少さな女の子が立っていた。まだまだ真夏のような暑さの日としては少々厚手のワンピースを着て、困り顔で立っている。服も髪形も、少々古くさい感じがする。
近付いて来た俺達を見て、少女は怯えたように背中を柱に押し付ける。
「お嬢さん、何かお困りですか?」
空海が優しく尋ねた。その穏やかな声と表情に、少しだけ少女の緊張が緩む。
「私は空海といいます。こちらは弘史。あなたのお名前は?」
「…サチコ…」
「サチコさん。何か困っている事があったら、お手伝いしますよ」
あくまで優しい空海の態度に、サチコは遠慮がちに口を開いた。
「楠公さん行きたいの」
「ナンコウさん?」
「ああ、楠公さんね」俺は横から声を掛けた。「それなら、ここからもうすぐやで」
「軟膏散って何や?」
空海は小声で俺に尋ねた。
「薬ちゃうで。楠公さんは、楠木正成が祀られてる神社や。このすぐ北にあるわ」
俺も小声で答えた。
「お母ちゃんがな、はぐれたら楠公さんで待てってゆうたから」
サチコが消え入りそうな声で言う。
「判った。楠公さん行ったら、お母さんがおんねんな?じゃあ、一緒に行こか。もうすぐそこやし」
俺はそう言って手を差し出した。サチコはおずおずとその手を握った。サチコの手はこの暑い気候の中で、氷のように冷たかった。
地下街を通って、バスターミナルの北側の階段で地上に出ると、猛烈な暑さが全身を包んだ。普段は平然と暑さをやり過ごしている空海も、思わず顔をしかめる。
俺は、足元の覚束ないサチコの手を引いたまま、大〇通の信号まで来た。もう楠公さんは目の前である。
信号の向こうに、すぐにでも母親が迎えに来るかのような錯覚があったが、楠公さんこと湊〇神社には、それらしい人はいなかった。ただ、空海は目を細め、しきりに頷いていた。
「あっ」
何かを見つけたのか、サチコが小さく声を上げた。俺の手の中の小さな掌に少し力がこもった。
「お母ちゃん、いた」
サチコはそう言うと、俺の手を離した。鳥居へ向かってヨロヨロと駆け出す。ただ、俺には誰の姿も見えない。
「空海、誰かおるのか?」
俺は、思わず空海を振り返った。
空海は黙ったまま頷いた。
サチコは、鳥居をくぐる直前にこちらに振り向くと、小さく手を振った。そして、そのまま透けるように消えてしまった。その時、鳥居の方からもの凄い熱さの風が吹きつけて来た。
その状況を俺が理解するのには、少々時間が必要だった。
「何やったんや、今の?」
俺は空海に尋ねた。
「お前、サチコしか見えてへんかったんやな。良かったわ」
「どういう事や?」
「焼夷弾って何や?」
逆に空海が尋ねて来た。
「油が入った爆弾や。太平洋戦争中、神〇も大空襲を受けたんや」
「地下から出た時、俺達の周り、火の海やったで」
「それであんなに熱かったんや」
「サチコは、避難途中で母親とはぐれたらしいな。そのまま空襲で死んでしまったようや」
「それで、お母ちゃんを探しとったんか」
「でもどうやら、お母ちゃんには会えたようや」
「そうか」
「骨まで焼けた人影が、鳥居の向こうで待っとった」
「そうやったんか」
「鳥居は異界の入り口やからな。ここまで出迎えに来とったんやろ」
「それでも、会えて良かったな」俺は本気でそう思った。「空海があの子を見つけてへんかったら、まだお母ちゃんと会えなかったかも知れへんもんな。さすがは空海、彼岸明けに良い供養してくれたな」
そんな俺を見て、空海は真面目な顔で言った。
「お前は良い漢やな」
「空海には負けるわ」
俺は肩をすくめた。
20190217