獅子吼(ししく)
空海は、現代日本で何をする?
獅子吼
平成二十五年、師走。冷たい風が身にしみる。
俺がバイトから帰ると、空海はこたつでぬくぬくと読書をしていた。しかもみかんを食べながら。
「何やねんその冬の定版スタイルは?」
「そうなんか?」
「コタツでみかんで読書て、三種の神器やで」
「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫か?」
「それは昭和家電の神器やろ?どこで覚えたん?」
俺の言葉には取り合わず、空海は読書を再開した。
と、外からけたたましい叫び声と、甲高い笑い声が聞こえて来た。マンションのすぐ裏にある、金〇公園からである。阪神淡路大震災の教訓から、火除けと避難場所の確保として、まちづくりの中に「多目的公園」の整備が取り入れられた。
住宅街の中にある公園は子供達の格好の遊び場となったが、それによる副作用も出て来た。子供達の遊ぶ声の騒音、いわゆる「ご近所トラブル」である。
ドンドンと、ドアがせわしなくノックされた。開けると、二つ隣のワタルくんがふくれっ面で入って来た。ワタルくんは、来年高校受験を控えた受験生である。この所、よく俺達の所へやって来る。
「なあ、もうカンベンしてくれや」
ワタルくんは、ズカズカと入って来ると、コタツに入り、みかんをむき始めた。
「あれか」俺は窓の方に目をやった。「ちょっと気になるな」
「ちょっとちゃうて」ワタルくんは俺を睨みつけた。「四時くらいからワーワーキャーキャー、フルパワーで叫びながら遊びやがって。うるさくて勉強どころちゃうて」
「子供が外で遊ぶのは仕方ないけどな」
「空海さん、おかんと同じ事言わんといて。そら確かに仕方ないかも知れんけど、ジョーシキってもんがあるやろ?もう六時やで。外まっ暗やで。何で外で遊んどんねん」
空海の言葉に、ワタルくんは食って掛かった。
「だいたい、周り家ばっかりの所で、学校のグランドと同じように遊んだら、うるさいに決まってるやん。なのに、親も知らんぷりで」
「親もおるんか」
「そやで、ヒロシ。おかんが何人か横におるけど、そいつらもおかん同士でペちゃくちゃ喋って、子供の事なんか放ったらかしや」
なぜかワタルくんも、俺の事は呼び捨てである。
「親が近くにおるのに、子供の管理をせんのは、ちょっとアカンな」空海は右の眉を上げた。「子供は無明やから、大人が然るべき道を示してやらんと、どこへ行くか判らんまま成長してまうで」
「ムミョーって何や?」
知らない言葉が出て来たので、俺は空海に訊いた。
「道理が判ってへん事の喩えや。暗闇で明かりの無い状態やな」
「それは道に迷うな」
「子供は、叱ってでも叩いてでも正しい道に導かなあかんねん」
「今なら虐待とか、何とかハラスメントとか言われそうやな」
「あかん事はあかん、と教えてあげな。明王がそれに当たる仏尊や」
「なるほど。だからお不動さんてあんな恐い顔しとんのやな」
「まあそんな所や。さて、ちょっと注意してこよか」
空海はそう言うと立ち上がった。ジャージにドテラを羽織った突っ掛け姿には、それほど追力は無い。
空海と俺は、金〇公園に出て来た。子供達はまだ奇声を発しながら遊び回っている。確かに親が近くにいるが、子供達の様子を見ている風では無い。
「直接だと、かなりうるさいな」
俺は思わず呟いた。学校の校庭と比べて、狭い分だけ声がよく響く。外の周りの家はよく我慢しているものだ。
空海は、少しの間その様子を見ていたが、やがて一歩進み出ると、大きく息を吸い込んだ。
「コラッ!何時だと思ってるんや!早く家に帰らんか!」
もの凄い音量の声に、俺は思わず耳を塞いだ。公園にいる子供達とその母親達は一勢にこちらを見た。しかし、これ程の声にも関わらず、周りの家からの反応は全く無い。
空海の声は、耳を塞いだ手を通り抜けて頭に響いた。
「周りの家は、夕餉の団欒を楽しむ時だ。その時間の邪魔をしてはいけない、そうは思わんか?公園とは、当に『公共の場所』だ。そこを使うのには、それなりの約束事があるはずだ。それを守れないのなら、この場を利用する資格は無い!」
その言葉に、意外にも子供達の方が先に反応した。お互いに「帰ろう、帰ろう」と言い出し、親が近くにいない子供達は、一勢に散り散りばらばらになった。
それを見た親達が、「みんなー、帰るでー」などと声を掛け始め、子供達を集めると逃げるように公園から出て行った。
「何や、自分達も後ろめたい所があるんやな」俺は肩をすくめた。「まあ、こんな真っ暗な中で子供を遊ばせてるんは、非常識やからな」
「京の都といえど、街路に灯りなど無かった。夜の闇は悪事の温床やった。それは今も変わらんはずや」
「子供にとっても、晩飯が遅くなれば寝る時間も遅くなる。睡眠不足は成長にも良うない思うけどな」
「まあこれで、暫くは大人しいやろ」
空海はそう言って、きびすを返した。
「それにしても、凄い声やったなあ」
俺は空海に言った。空海は、それに笑って答えた。
「大きな声は出してヘんで」
「そうなん?」
「関係者にしか聞こえてへんはずや」空海は澄ましたものだ。「仏尊の声は、獅子の声が他の動物の声を圧倒して響くように、全ての雑音を押さえて聞かせたい相手に届くんや。だから、確信犯的に遊んでいた連中には、殊更大きく聞こえたはずや」
「俺に聞こえたのは?」
「とばっちりやな」
空海はしれっと答えた。
俺達が部屋に戻ると、ワタルくんはテレビを見て爆笑していた。
「お前さんも早く家に戻って勉強しいや」
俺は苦笑しながら言った。
20190215