咖喱(カリー)
空海は、現代日本で何をする?
咖喱
平成二十五年、十一月末頃。
俺がバイトから帰ると、ドアを開けた瞬間、強烈なにおいが鼻をついた。人の心を鷲掴みにする、魅惑の香りだ。
「空海、カレーか?」
「寒くなって来たやろ?ビシッと辛いの、行ってみよか思て」
空海は笑いながら言った。最近では、空海のエプロン姿も見慣れて来た。
「カレーて、インドの料理やんな?」
「これは、長安の西明寺におった時に、梵語を教えてくれた般若三蔵に教わったんや。あの先生、天竺の人やからな」
「天竺?ああ、インド人な」
「先生のところで学んでいる間は、昼ご飯は今回カリーやマサラやったで」
「そうか。そら期待出来るな」
「それにしても、便利やな今は」
「何がいな?」
「長安の頃は、マサラは全部自分で揃えて調合したもんやが、ここでは『カレー粉』なんてのが売ってんねんな。エスビーとかいい感じやわ」
「においがちゃうな。インド料理屋のにおいがするわ」
「まず最初にクミンの香りを油に移すからや。他で何度かカリー食べたけど、ちょっとちゃうな思てな。今日たまたま入った店で、香辛料がたくさんあったんで、買うて来てしもたんや」
「で、作ってみたと」
「そうや。ただ、先生のは精進やったから、肉系の具は入ってなかったな。多分、俺のカリーの方が美味いと思うで」
空海は笑って言った。俺は、コンロの上の鍋に顔を近付けた。
「ええにおいや。具は何や?」
「玉葱、大根、人参、茄子、いんげん、それに鶏肉や」
「美味そうやな」
「ご飯も炊いたで。あ、あと冷蔵庫にチャパティ用のタネがあるで」
「チャパティ?」
「パンみたいなもんや」
「色々知ったあるなあ」
「長安には何でもあったで」
空海はそう言いながら、鍋に蓋をした。
「あと二十分もすれば完成や。弘史、皿とスプーン用意してくれるか。俺はチャパティ焼くわ」
結局俺はご飯をおかわりして、チャパティも二枚食べた。食べ過ぎだ。かなり辛口で、だいぶ汗をかいた。
「美味かったわ~。普段のカレーとちゃうから、ついつい食べ過ぎたわ」
「気に入ってもろて良かったわ」
「長安てホンマに何でもあったんやな」
「ああ。あの頃の世界の全てが集まってた感じや。何か、夢のような場所やった。密厳浄土に一番近いところちゃうか」
「そこまで言うか」
「俺のアナザースカイや」
「この間日テレでやってたな」
俺は思わず笑ってしまった。空海は、新しいものを次々と取り込んで、自分のものにしてしまう。
「弘史はアナザースカイ、あるか?」
空海にそう尋ねられて、俺は首をひねった。
「俺、海外も行った事無いしなあ。引っ越しとか長期の旅行とかも無いし。あんまおもんない人生やなあ」
俺はそこまで言ってから、ハタと気付いた。
「そう言えば、アナザースカイは無いけど、今が一番おもろい時かも」
「今か」
「ああ。こうやって空海と一緒に過ごしてるのが、刺激的で楽しいわ」
「ほうか」
空海は、優しい表情を見せた。
「実は、BLは守備範囲外やで」
「だから、ちゃうて」
20190209