喧嘩
空海は、現代日本で何をする?
喧嘩
平成二十五年秋、十一月の終わり頃。
俺と空海、二人ともにバイト代が入った。お財布に少しだけ余裕が出来たので、子猫のお礼を兼ねて、アキちゃんと泰子ちゃんを誘って〇宮へ繰り出した。元〇の〇R高架の道向かいに、「〇政」という串揚げ屋がある。ここは「二度漬け禁止」とあるような安価な串カツの店とは違い、結構なセレブもやって来る高級店である。
店内に入ると、カウンター席に通された。俺がマス夕ーと顔見知りなので、マスターともお喋り出来る方が良いと思って、事前に席を押さえてもらっていたのだ。
「すごーい!串揚げって聞いたから、こ汚いお店想像してたのに、メッチャお洒落やん」
アキちゃんが露骨にキョロキョロ見回しながら言った。
「まあここも、最初は小林さんに連れて来られたんやけどね」
俺は笑って答えた。
「小林くん、二三日前に来てはったよ」
マスターが笑いながら教えてくれた。
俺は、店の奥にあるサイン色紙を見ながら言った。
「俺、まだ長〇川穂積さんに逢った事無いんですけど」
「穂積くんなら昨日来とったで」
「ホンマですか?残念やなあ」
「ねえヒロシくん、ハ〇ガワホズミって誰?」
アキちゃんが首をかしげながら尋ねた。
「知らへんか。三階級制覇した、すっごいボクサーやで。マスターの友達やねん」
「階級って何や?」
空海がごく基本的な質問をして来た。
「スポーツ格闘技は、やはり体格の大きい方が有利ですからね」マスターが説明してくれた。「競技人口の多いボクシングは、なるべく体格差が無いよう細かく体重別で分けてるんですわ」
「"小良く大を制す"やないんですか?」
「それが理想ですけど」空海の言葉に、マスターは肩をすくめた。「中々そう上手くは行かんのですよ」
「まあとりあえず、今日は"リュウを貰ってくれてありがとう会"という事で」俺は、出て来たビールジョッキを差し挙げた。「リュウちゃんの健やかな成長を祈念して、カンパイ!」
「カンパーイ!」
皆も続いてジョッキを差し挙げた。
串揚げとはいえ、秋鮭から始まり、かしわやレンコン、アスパラに牛肉、貝柱にきのこなど、手の込んだ一品料理のように次々と供される。それぞれソースやポン酢などで頂くバラエティに富んだメニューで、ワイワイと喋りながら呑み食いしているうちに、コースが終わる頃にはお腹一杯になっていた。
「ヒロシくん、今日は大丈夫やで」アキちゃんがいたずらっぽく笑った。「今日は奢ってとか言わへんし」
気嫌良く店を出ると、外の空気はだいぶ冷たくなっていた。
こんな日は、猫カイロが一番だ、などと他愛ない話をしていると、正面から四人の男達が歩いて来るのが見えた。こちらと同じようにお酒で良い調子で、大声で喋りながら歩道一杯に広がっている。
メンド臭いのは嫌いなので、何とかやり過ごせないか、と考えていたのだが、空海とアキちゃんはどんどん前へ進んで行く。
やがて、四人組に通せんぼをされる形になった。
「通してくれへんか」
空海は穏やかに言ったが、四人組はそれをシカトした。
「ねぇ、おねえさん達、こんなにいさん達放っといて、俺達と遊びに行かへん?」
ニット帽を被ったジャニーズ系が、ニヤニヤしながら言った。もう一人もアイドルの失敗作みたいだが、後ろの二人は明らかにマッチョなコワモテである。
「お・こ・と・わ・り・です」
アキちゃんは、はっきりと言い放った。
「そんな事言わないでさあ、一緒に行こうや」
矢敗作が、馴れ馴れしくアキちゃんの腕を掴んだ。
「離して!」
アキちゃんは言いながら、掴まれた腕を少し上げ、合気で相手の体を固めておいて、空いた手で固まった肘を取り、クルンと巻き上げた。掴まれた腕を切り落とすと、きれいに仰向けになった失敗作は、頭から地面に落ちた。
言うのを忘れていたが、アキちゃんは小学生の頃から合気道を修行している。今は確か初段だったか。
「おーおー、やってくれるやん、お嬢さん」
細マッチョが前に出て来た。左まぶたの上に大きな切り傷がある。明らかにボクサーだ。
パンッと大きな音がした。手を打ち合わせた音だ。
男は歩く動作のまま、左ジャブを出した。それを空海が左掌で受けたのだ。アキちゃんの数センチ手前である。俺には、どちらの動きも全く見えなかった。アキちゃんも同じだったのだろう。少し遅れて大きく退いた。
「何やにいさん、やるやないか」
「女人に手を挙げるのは如何かと」
「うるせえよ」
「どうしたヤス、何手こずってんねん」
もう一人の太マッチョがあざ笑う。首元の十字架がキラめいている。
「おめえもうるせえ、タカジ」
ヤスはタカジを睨み付ける。空海は、そのまま涼しい顔をして立っている。
「ヤスさん、まだやりますか?」
空海の言葉は、明らかに上から目線だった。
「悪りぃな。まだ何もやってねえよ」
ヤスは構えた。意外にピーカブーである。
「ヘー、アウトボクシングかと思ったのに」
泰子ちゃんが言う。意外とボクシングに詳しいらしい。
ヤスが踏み込み、ジャブを連打した。空海はそれを全てへッドスリップでかわすと、左足で踏み込み、パンチを右手で払って右足でヤスの左(前)足を刈り上げつつ、左手でヤスの顎を押し込んだ。ヤスは真後ろに引っくり返った。
「少林七星拳の鶏行歩の用法や」
空海は澄ました顔で言った。
ヤスは顔を真っ赤にさせて立ち上がった。さっきからの大立ち回りで、段々とギャラリーが集まって来ていた。
ヤスはピーカブーで構えたまま、頭を振り始めた。それを見つつも、空海は力まずに立ったままでいた。
一気に間合いを詰めたヤスは、空海の懐に飛び込み、左の肘を開いた。デンプシーロールの初弾は顔面狙いと見えた。
ヤスは顔面狙いのフェイントをかけると、肝臓目掛けて左拳を放った。
空海は明らかにそれを読んでいた。
空海は右手を下に伸ばしつつ身を低くして右足を踏み込み(震脚)、その勢いでヤスの左拳を弾き飛ばすと、膝を伸ばしながら両掌でヤスの胸を打った。ヤスはもの凄い勢いで飛び、タカジの足元に倒れた。
「今のは斬手穿喉下劈掌で受けて、托塔双推山で返した。羅漢十八手の技や」
空海はやはり淡々と言った。ギャラリーから拍手が起こった。ヤスは立ち上がれない。
「勁が通ったんで、多分一人では立てないやろ」
そう言う空海に、タカジが殺気を膨らませた。
空海はそんなタカジに微笑みを向けると、不意に八歩分くらいあった間を一気に詰めた。空海は掌でタカジの十字架を押さえた。
「いてっ」
肌に十字架がめり込んだ痛みに顔をしかめたタカジに、空海は静かに尋ねた。
「どうします?まだやりますか?」
タカジは静かに首を振った。
「ありがとう。ヤスさんは、三日も経てば元に戻りますから、ご心配無く」
すっかり戦意を喪失したタカジは、仲間をつれて去って行った。そんな空海に対し、ギャラリーからまた拍手が起こった。
そんなギャラリーに小さく手を振っている空海に、俺は尋ねた。
「なあ空海、今の技、どこで覚えたん?」
「長安にいたとき、近所にいた少林僧に教えてもろた」
俺の問いに、空海は笑って答えた。
20190126