黒猫(後日談)
空海は、現代日本で何をする?
黒猫(後日談)
平成二十五年、晩秋のある日。
俺の所に転がり込んできた黒猫は、空海によって「リュウ」と名付けられた。理由は特に無いらしい。
リュウは賢い猫で、部屋にもすぐ馴染み、トイレもすぐ覚えた。空海には良くなついて、さして広くは無い部屋の中で、空海が動くたびに跳ねるように走って後を追い掛けた。
食べて、寝て、暴れてを操り返して元気一杯だったが、夜になると急に寂しくなるらしく、空海を見失うとニーニー鳴いた。それを空海がつまみ上げて抱きかかえてやると、ゴロゴロとのどを鳴らしながら丸まって眠ってしまう。
「なあ、弘史」
「なんや、空海」
「可愛いな、リュウ」
「うん。可愛いな」
俺は笑いながら言った。
「このまま手元に置いときたいな」
空海はポツリと呟いた。
「さすがにそれはなぁ…」俺は肩をすくめた。「気持ちは判るけどな」
一週間が過ぎたが、里親探しは難行していた。「猫は可愛いけど、飼うのはちょっと…」という反応がほとんどである。
「まあ確かに、生き物を飼うと、行動が制限されるもんなあ」
空海は、リュウを撫でながら言った。
「家を空けられへんしなあ。誰かずっと家におったら別やけど」
俺も横からリュウの背中を撫でる。ゴロゴロ鳴らすのどの音が、震動として掌に伝わって来る。ふわふわで温かい。
「なんか、おもちゃみたいやな」
俺は思わず呟いた。
「こんな可愛いのに、捨てたりする奴がおんねんな?」空海は首をかしげた。「せっかく一緒におって仲良うなったのに、放り出してしまうて、訳判らんわ」
「『大きくなったから飼われへん』とか言うらしいわ」
「何やそれ?生きとるんやから、大きなって当たり前やんか」
「俺に怒られてもどないしようも無いけどな」
俺は肩をすくめた。リュウの首筋をつまんで頭を持ち上げ、手を放す。脱力し切った頭がコロンと落ちる。完全に熟睡している。
「無防備やなあ」
空海が笑って呟いた時、ドアがせわしなく叩かれた。
「誰やろ、こんな時間に」
俺は壁の掛時計を見ながら言った。午後十時を回っている。
ドアを開けると、アキちゃんが転がり込んで来た。
「もー、ヒロシくんL〇NE見てへんの?」
アキちゃんは一方的に言って、部屋をキョロキョロと見回している。
「こんな男やもめ二人の部屋に、妙齢のお嬢さんがこんな時間に大丈夫ですか?」
空海は優しい声で尋ねた。
「大丈夫やて。人畜無害のヒロシくんなら、誰も心配しいひんし」アキちゃんは失礼な事をサラッと言う。「まあ、空海さんなら、ちょっとアレやけど…」
アキちゃんは少し頬を赤らめた。ますます失礼である。
「もう、そんな事より、『モフモフ』は?」
「『モフモフ』?」
「ヒロシくん、L〇NEで言うてたやん、里親探し」
「ああ、子猫の事ね」
俺はようやく合点がいった。中々里親が見つからないので、アキちゃんにも尋ねていたのだ。
「どこ?とりあえず見して」
もの凄い勢いのアキちゃんに押され、俺は空海を掌で指し示した。空海は、自分のあぐら(結跏趺坐)の間で丸くなっているリュウを見せる。
「ホンマや!ちっちゃい子猫!」
アキちゃんは歓声を上げると、両手をついてリュウを覗き込んだ。美少女のアキちゃんが、空海の股関に四つん這いで顔を突っ込んでいる様子は、見ようによってはかなりエロい。
「ヒロシくん、今へンな事想像したやろ?」
そう言うアキちゃんに、空海はつまみ上げたリュウを差し出した。リュウはまだ熟睡しており、首筋をつままれて、ブラーンと脱力している。アキちゃんは、それを両手で大事そうに受け取った。
「いやや、ホンマにモフモフや。それに凄い熱っついな」
「子猫は体温が高いですからね」
空海は微笑んだ。
「なんかゴリゴリ言うてはる」
「お母さんに甘えてる夢でも見てるんでしょうかね」
「かわいいなぁ。うちでお世話したいなぁ」
リュウの背中に鼻をうずめて、アキちゃんが呟いた。
「アキちゃんとこもマンションやもんな」
俺の言葉に、アキちゃんはリュウを吸いながら頷いた。
「でもな、心当たりはあんねんや。私の幼馴染みで、泰子ちゃんゆうて、〇田の子で実家が八百屋なんやけど、めっちゃ猫好きやねん」
「ほうか。貰ってくれるやろか?」
「そこ、既に猫ふたつおるからなあ。ちょっと訊いてみるわ」
アキちゃんはそう言うと、リュウを片手に持ち替えて、スマホを取り出した。猛スピードでメッセージを打ち込む。途中で、リュウをパチリと撮影する。
「とりあえずL〇NEで写メ送っといた。あの子、寝るの早いから、返事は明日やと思う」
アキちゃんはそう言うと、リュウを空海に返した。結局、リュウは一度も目を覚まさなかった。
「じゃあ、子猫堪能したし、帰るわ」
アキちゃんは満足そうな顔で立ち上がった。
「何のお構いもせず」
俺の言葉に、アキちゃんは笑って答えた。
「ホンマや。お茶の一杯も無かったな」
アキちゃんは、掌をヒラヒラ振りながら出て行った。
「凄い勢いやったな」
空海は笑って言った。俺も笑って、呑みかけだったグ〇ラベに口をつけた。もうすっかりぬるくなっていた。
翌日、バイトに行くと、アキちゃんが、
「泰子ちゃん、もろてくれるて!」
と、嬉しそうに報告してくれた。
20190109