プロローグ
空海なら、現代日本で何をする?
プロローグ
承和二年(835)、高野山に於いて、一人の偉大な高僧の命が尽きようとしていた。彼は、弟子達を前に、静かに語った。
「この世界から救うべき衆生が全て涅槃に入り、その涅槃もその役目を終え、この宇宙の寿命が尽きれば、私の願いも満たされるだろう。それまでは、再び生まれ変わって弥勒菩薩のお手伝いをさせて頂こう」
彼はそう言い残して、目を閉じて永遠の瞑想に入った。
彼の名は、空海という。
※
時は、平成三十年春。
「ええ日和やなあ。桜も満開で、散歩にはもってこいや」
空海は盛大に煙を吐き出した。キャビンのとんがったにおいだ。
「空海、ええんか、こんな所で油売ってて」
俺は何となく後ろめたい気持ちで彼に尋ねた。
「お前が、神戸に生まれ育ったのに須〇寺に来た事が無いて言うさかい、連れて来たんやないか。気にしないで堂々とお参りしたらええねん」
空海はそう言って笑った。今、空海と俺は、須〇寺に来ている。須〇寺は、神戸市須〇区にあり、八八六年創建の、真言宗須〇寺派大本山だ、とパンフレットに書いてある。空海はここで、事あるごとにバイトしては収入を得ている。
寺務所受付は、花見を兼ねたお参りの人々でけっこう忙しそうである。が、
「今日は、仕事や無いからな」
空海は至って淡々としている
客殿というお堂の前に小さな土蔵があり、その横が喫煙スペースになっている。そこから、右にも左にも桜の花が良く見える。
空海は、ビニール袋からサンドイッチを取り出して、食べ始めた。山陽電車の「須〇寺駅」から寺へ来るまでの「須〇寺商店街」にあるパン屋で買ったものだ。俺はカツサンドを買った。空海が「美味いから食うてみろ」と言うので、試しに買ってみた。
かぶり付いてみると、確かに美味い。カツの衣がサクサクで、ソースの相性も良い。
空海は缶コーヒーも開けた。これは、この寺の仁王門前の自販機で買った。
「あれから、もう五年も経つんやな」
コーヒーを飲みながら、空海はしみじみと言った。
そうか、こいつが俺の部屋に転がり込んでから、もう五年も経つんか。
俺、立花弘史は、目の前の男、アシックスの赤いジャージを着た空海と名乗る坊さんをまじまじと見返した。
「何や?俺の顔に何か付いてるか?」
空海が笑って問い掛けて来た。
「目ェと鼻と口と付いとおわ」
俺も笑って答えた。
「そらそうや。おんなじ人間やで」
空海はそう言うと、缶コーヒーを飲み干した。
20180330