一日目夜 2
「雅夫ちゃんが遭難したの、たしか二月の中旬だったと思いますわ。で、その半年ほどあと、今度はミツエさんが追うように自殺したんです」
星野さんは遭難者の一人を知っていた。しかも母親とは深い縁があった。考えようによっては、あの管理人より個別の事情には通じている。
「自殺って、やはり息子さんをなくしたことで?」
「そうなんですの。ミツエさんのところ、ずっと二人きりの家族でしたから。それでミツエさん、生きる気力をすっかりなくしてしまって」
「つらい話ですね」
「ええ。生前のミツエさんとは、ずいぶん仲良くさせてもらっていただけに、とても他人事のように思えなくてですね」
ハンカチを目がしらに押しあて、星野さんが涙をぬぐう。つらい思い出をぬぐうように……。
「……」
山田さんは次の言葉を見つけられずにいた。つらい思い出をよみがえらせてしまったのは、ほかならぬ己なのである。
沈黙のあと。
星野さんがおもむろに口を開く。
「ゴメンなさいね。ただわたし、初心者の方だけじゃないって」
「でしたら、遭難の原因は何だと?」
「わたしにはわかりませんわ。ただ、雅夫ちゃんは初心者じゃなかったんです。ですから山登りの装備だって、いつも万全でしたわ」
雅夫は昨日今日のような登山者ではなく、山を甘く見るような者ではなかった。
星野さんはそう言いたいのであろう。
「それでも遭難してしまった」
「ですから、わたしにはわからないんですの」
「その雅夫君っていう人、いまだに遺体が発見されてないそうですね。それに、ほかの六人の遭難者も同じように」
山田さんは聞いた。
S村まで取材に来た目的はまさにそのことなのだ。
「ええ、いまだに。捜索隊の方たちも、手はつくしたようなんですけど」
「樹海に入られたら発見するのは困難だって。管理人さんからは、そのように聞きましたけど」
「そうかもしれませんわね。ただわたし、T山のことはそれほど知らないんです。自慢じゃないけど、いつも遠くからながめているだけで、一度も登ったことがないものですから」
星野さんに笑顔がもどる。
「T山には熊でもいるんですか?」
「そんなのいませんわ。でも、どうして熊なんて?」
「いえ、遺体が見つからないのは動物に荒らされたのではないか。そうも聞いたものですから」
「まあ、あんな山奥ですからね。キツネなんかはいるかもしれませんが……」
「たとえいたって、骨のカケラぐらい見つかってもいいと思いません? そこのところが、ボクにはどうしても納得いかなくて」
山田さんは疑問をぶつけた。
管理人から得られなかった答えを、宿の女将である星野さんに求めたのである。
「言われてみれば……。でも、見つからないということは、骨さえ発見できない場所まで、全員が迷い込んだんじゃないかしら」
星野さんの答えは、管理人のものをなぞらえるものでしかなかった。