一日目 1
季節は十月に入り、秋風がそろそろ冷たくなり始めていた。
その日。
いつものように新聞記事にふとした疑問を抱き、山田さんはS村というところへ向かった。
その記事は、S村のT山で連続して起きている遭難事故であった。記事の内容だけからすると、どの地方にもある登山中の遭難となんら変わるところはない。
ただ不思議なことは――。
ここ五年間、七人もの登山者が消息不明のままになっている。どの遭難者も、一人として遺体が発見されていないのだ。しかもその遭難事故は、厳冬に限らず四季をとおして発生していた。
山田さんは何本かの電車を乗り継ぎ、半日ほどかけて目的地のS村に到着した。
S村は周囲を大小の山々にかこまれた、いわゆる標高の高い盆地に位置している。まわりの山などを含めると、村域はかなり広範になるが、村の人口はわずか三千人ほどであった。
おもな産業は農業と観光業である。
うち農業は、高地という特性を活かした野菜作りをしている。生産された野菜の多くは、近郊の都市にまで出荷されていた。
観光の仕事にたずさわる者も多い。
なかでも温泉関連。村内のいくつかの場所にいくつもの源泉があり、温泉の湧き出る一帯には旅館やホテルが立ち並んでいた。
観光客は四季をとおして訪れる。
とりわけ春と秋の登山シーズンには多くの山の愛好家たちが集まり、村は観光客が一気に増える。初心者でも気軽に登れるよう整備された、T山があったからだ。
山田さんはS村駅に降り立つと、そこからT山の登山口に向かう路線バスに乗りかえた。
真っ先に登山管理事務所を目ざす。
スリバチの底にはりついたような町並みを抜け、やがてバスは東に向かって走るようになった。この道路は東側に隣接する町に抜ける唯一の道でもあり、その標高のもっとも高い位置にT山はある。
バスは山の間をぬうようにして走った。
標高が徐々により高くなる。それにつれ遠くながめていたT山もしだいに山影を広げていき、その山の頂きは車窓から見上げる位置に変わっていった。
バスにゆられること、三十分ほど。
バスがT山のふもとに到着する。
山田さんはT山登山口という名の停留所で降りた。
暖房のきいたバスを降りたとたん、吹き降ろす山風の冷たさにおもわず身ぶるいをする。まだふもとだとはいえ、気温は平地に比べかなり低いのである。
T山が、今は眼前にある。
それが気軽に登れる山だといっても、こうしてま近で見上げるとさすがに迫力があった。天空にそびえ立つといった風格があり、この雄大さが多くの登山者たちをひきつけるのだろう。
T山の案内板が、目につきやすいよう停留所のそばに立てられていた。
まずはもって登山管理事務所の位置を確かめる。
管理事務所はすぐにわかった。現在地から専用道をさらに百メートルほど進んだ位置に、ひときわ目立つよう赤い〇印がつけられている。
もう一度、T山の頂上をあおぎ見てから、山田さんは登山専用道に足を踏み入れたのだった。