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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

研修旅行の夜に

作者: 栗堂

「ハァ、ハァ、、、」


 息切れが激しい。研修旅行最終日の夜はとんでもない夜になった。これまでの人生で最悪の夜だろう。だが、決して諦めるつもりはない。ここで諦めたらこの夜の出来事は誰が伝えるのか?

 夜にしては奇妙に明るい。しかし、そこかしこに暗い物陰があり、決して安心はできない。

 今いる場所は遊具が多数設置された森の中、研修施設の敷地内にあるアトラクション施設で昼間に遊んでいた場所であるが、今は誰もいない。

 ザーッ、ザーッ、ザーッ!

 遊具の一つで木と木の間に渡されたロープを移動する滑車付ロープの音がする。自分のすぐ後ろに終端となる場所があった事に気づき、何が滑車付ロープを動かしているのか手に持った懐中電灯で見極めようとすると丸く限定された懐中電灯の光にナニカが照らされる。


ダズン!

「!、ア゛ァ、ウブゥッ、、、」


 大声で叫びそうになり、自分の手で口を抑え、悲鳴となる声を必死にノドの奥へと押し戻す。


「ブフゥ、ブフゥ、、、」


 両手で口を抑え、荒い鼻息を吹き出しながら、今見たモノを改めて見る。口を抑えながら向けた懐中電灯の光はカタカタと震え、しっかりと光が当たってはいないが、そこにあるモノが見覚えのあるモノである事は教えてくれる。つい先程まで、いっしょにいたクラスメイトの変わり果てた姿。滑車付ロープに血で濡れた足がくくりつけられており身体は逆さまになっている。本来腕で掴むロープに足をくくりつけられているため腕と頭は下にあり、地面にひきづられていた。土まみれの腕と頭、とくに頭についた土は赤黒く変色しており、首のあたりからダラダラと流れ出る血が水たまりを作るようないきおいだ。開いたままの瞳には『彼』の意志を感じさせるモノはなく。明らかに『元クラスメイトの死体』というモノになっていた。


「?!」


 そして気づく、この遊具の先には『彼』をくくりつけた『ナニカ』がいる事に。懐中電灯でまわりを見回し、近くにあった物置に入り込み、開けられないように中から扉に細工する。


「ハァ、と、とりあえずこれで、、、」


 懐中電灯の光を消し、最近機種変更したばかりのスマホをポケットからとりだすが、相変わらず電波の受信ができない状態だった。しかもバッテリーの残量は30%を切っている。


「#$%&~」

「!!!」


 物置の外を意味不明のうめき声を発する『ナニカ』が通り過ぎていく。あわててスマホの画面を消し、かすかな足音が聞こえなくなるまでじっと息を殺して扉を押さえ続ける。うめき声が消え、足音が消えてもしばらく硬直し続け、ゆっくりと息を吐き出し再びスマホをとりだす。 メモ用のアプリを立ち上げ、この夜にあった出来事を書き込んでいく。疲れから考えがまとらず、文書は乱れまくっていたが。 もう少し様子をみて、研修施設の管理事務所に行ってみよう。そこなら電気が通っていてスマホの充電ができるところがあるかもしれない。いざという時に連絡手段としてのスマホは確実に使えるようにしておきたい。メモの内容を追加しながら、徐々に減っていくバッテリー残量を気にしていた。

 それにしてもスマホの反応が悪い、汚れたままの手で触っているからだろうか?

 それとも画面が汚れ過ぎているのか?

 防水仕様のスマホであるため、一度キレイに水洗いをした方がいいかもしれない。じっとりと湿度の高い空気に不快な汗が身体中にまとわりつき、スマホだけでなく自分もシャワーを浴びてサッパリとしたい。

 疲労感が身体を重くしているが、恐怖心と不安感が休むことを拒否している。

 暗い物置の中、明るく光るスマホにメモを書き込みながら、夜が明けることを、ただただ、願い続けていた。


 ■■■■■


 本格的な夏を思わせる強い日差しの中、一台の貸し切りバスが走っていた。右手に海、左手に山が隣接する道路を目的地に向かって走っている。道路沿いにはいくつかの温泉旅館、有名な観光地というわけではない、温泉と風光明媚な自然のある山と海を観光資源としながらも赤字にあえぐ片田舎の観光地である。ガヤガヤと私語が行き交う車内。


「あ〜、まもなく目的地の研修センターに到着する。到着したら予定通り班ごとに集まり点呼をとって班長は先生に報告すること。それが終わったら入所式をやるので全員整列するんだぞ。並ぶ順番は研修のしおりに書いてあるからそれのとおりにな。」


 これから始まる宿泊研修の諸注意を担任教師が説明していく間、私語は少しやんだが、これから行われる普段とは違う授業に浮かれた生徒たちは再び私語に興じる。担任教師はうるさく言っても無駄と悟っているのか、適当に注意事項を伝達するとすぐに席に座り、副担任とこれからの予定を確認しあっていた。

 そんな車内で小浜和雄は隣の対馬仁太と最近観たホラー映画のことで盛り上がっていた。黒いマントに白い仮面という異様な恰好の殺人鬼が登場するその作品は、ホラー映画特有のお約束的な展開を否定し、非常にリアルな対応をする登場人物たちが罠にかかって死んでいくという斬新な手法で話題となった作品だ。

 古い作品だが、夏に向けたホラー映画特集ということでレンタル店のおススメとして貸し出されており、それを映画同好会(部員三名)の集まりで見た二人はその見事さに感銘を受け、これからいく場所の近くにハリウッド製ホラー映画の定番といえるキャンプ場があるというシュチエーションに興奮し、自分ならどうやって逃げるのかを話していた。


「なぁ、なぁ、うちらの班の部屋は何号室だ?」


 盛り上がる会話を断ち切るように後ろの席から馴れ馴れしい声がかかり、班長である和雄は自分の役割を思い出した。


「エーっと、四〇四号室だな。」


 研修のしおりを確認し、自分たちの班の部屋を確認して答えると。


「ええっ?!四階だってイヤなのに、よりによって四号室かよ?!担任にいって別の部屋に替えてもらえよ!」


 そういって大声で不満をぶちまけた。


「いまさら替えられるワケないだろ?部屋割りなんて俺らが決められるモノじゃないんだから。」


 とりあえず、班長として正論を述べてなだめる。


「そんなん班長なんだからどうにかしろよ?」


 理屈もなにもあったもんではなく不満げに言う。もちろん、その声はさして広くもない車内なので担任にも聞こえているはずであるが、どうやら助けてはくれないらしい。こういうのをなだめるのも班長の仕事ということなのだろう。面倒に思いながら逆に質問をしてみる。


「ナンか問題あるのか?四階とか、四号室とかに?」


 特に意味はないが不満に感じる事の根本を聞けば、なんとかなだめる材料があるかもしれないと思い、返した質問だったが、あからさまに「しまった」という顔をして、「い、いや大した事じゃないけど、、、」と口ごもる。

 そんな態度に我慢ならなかったのは隣に座っていた仁太だった。


「おいおい、あんだけデカイ声で文句たれたんだから、理由ぐらい話せよ、八景島ぁ〜。まさか『四』って数字が縁起悪いなんてジジ臭いこと言わないだろ?」


 挑発気味なその言葉にカチンときたのか、馬鹿にされた八景島はむきになってしゃべりだす。


「わぁーったよ、教えてやるから聞いてビビんじゃねーゾ?いいか?」


 なぜか恩着せがましく、そう前置きし、一瞬まわりを見てから一言。


「あそこの研修センターな、出るんだよ、ユーレイが!」

「「はぁ?」」


 和雄と仁太の間抜けな返事がハモってしまった。


「センパイから聞いた話なんだけどよ、四階の部屋には確実にデるってウワサがあるんだよ!詳しい話は知らないけどな!」


 もったいぶって話したわりには薄っぺらで胡散臭い噂話が披露されるとシラけた空気が一気に広まる。


「んったく、中学二年にもなってユーレイが怖いってなんだよソレ?小学生みたいな作り話鵜呑みにしてビビってんじゃねーよ。」


 仁太が呆れて小馬鹿にしていると、意外なことに反論が別のところからあがる。


「いや、その話、オレも聞いた、、、」


 バスケット部に所属する彼は、部活の先輩から聞いた話と前置きし、順序だってしっかりと話してくれた。 

 これから向かう研修センターはずっと以前から二学年の夏の宿泊研修に使われてきた。

 主に自然の中でテーマにそったが集団学習 おこなわれ、研修日程の中で学習したことを元に最後に意見発表をすることになる。この宿泊研修は修学旅行の予行練習的な意味合いも持ち、一学期最後の学校行事でもあった。

 毎年の学校行事であるため、代々の先輩から後輩へと語り継がれていく話も多く怪談もその一つ、いくつもの怪談の中でもっとも有名な話が『四階の幽霊』、深夜遅く消灯時間も過ぎ誰もいないはずの廊下から足音が聞こえ、姿の見えない徘徊者が部屋の扉を叩いていく。ちゃんと返事をして誰が来たのかを詰問し扉を開けるのならよいが、不用意に扉を開けると廊下に引きずり出され、そのまま、この世ではないどこかへ連れ去られるという。 

 夏の日差しに照らされている明るい車内なのに、話を聞いていた全員が暗い表情となり、涙を浮かべる女子までいるのはバスケット部員の話が巧みだったからだろう。もしかしたら先輩から話を聞いて、ひそかに練習してきたのかもしれない。


「だからぁ、その話に出てくる一番扉を叩かれやすい部屋が四〇四号室だって話だよ!実際に何年か前に行方不明になった生徒もいるって聞いたしな!」


 せっかくの雰囲気がその一言でぶち壊されてしまった。

 一通りの事を説明してもらいながら、最後の最後だけは自分で締めくくり、さも自分の話であるように自慢げな顔をする。一番のお手柄であるはずのバスケット部員がすっぱいモノを食べたときのような微妙な顔をしていると、ようやく担任が口をはさんできた、面倒そうにではあったが。


「八景島、そういう怪談を夜にやるもんだぞ、噂話の舞台に入る前にそんな話をしてイマイチだろうが。それに行方不明が出るような施設で学校行事なんかできるはずもないだろ?」


 面倒そうにしていう担任教師にばっさりと切られ、八景島はムキになって反論する。


「だから、行方不明になったヤツを誰も知らないことになったんだって、同じ班のヤツも!引率の先生も!知っているやつがいなかったから、サワギになんなかったんだって!」


 行方不明者を元々誰も知らないということになってしまった。


「いや、それこそ変だろ、誰も知らないなら、そもそも誰かがいなくなったって話自体が成立しないだろ?」

「・・・」


 もっともな正論をかえされ、反論できなくなり黙り込んでしまった八景島はおいといて、担任教師は話を続ける。


「あ〜、先ほどの諸注意に追加補足ってわけでもないが、消灯時間にキッチリ寝ろとは言わん。同級生と泊まりで出かけるなんて、お前らの年頃なら珍しい事で騒ぎたくなると思うからな。」


 一瞬、生徒たちが喜色の雰囲気に包まれる。


「ただ、これからいく研修センターはウチの貸し切りというわけではなく、他にも宿泊している人達がいるのを忘れるな。そういった人達に迷惑かけると教師からの説教程度ではすまなくなることもある。下手すりゃここに親を呼んだり、学校に帰ってからなんらかの処分がされることにもなる。」


 神妙な顔で聞き入る生徒たちを見わたして一息入れ。


「消灯時間には各部屋の点呼に行くが、その後、持参の懐中電灯で怪談話に興じるぐらいだったら全然問題ないぞ。ただ、残念な事に八景島が怪談のネタを一つすでに披露してくれたがな。」


 冗談めかしたその言葉で車内の空気がやわらぐ、そのタイミングで海沿いの温泉旅館が並ぶ道を走っていたバスが、山を登る道にハンドルをきった。


 「お、ちょうど怪談のネタと今回の宿泊研修のテーマにもなるところが見えてくるな。バスの進行方向の左側に注意してみろ、途中で祠が見えてくる。ここに小さな石像が七つ並んでいるんだが、昔、この地域の荒れた海を鎮めるために人身御供となった人達を祀る祠でな、この地域で数十年ぶりに催される祭りの大事な本尊でもある。詳しくは研修センターでやるが実物をちょっとでも見といたほうがいいだろう。左側に注意して見とけよ〜。」


 そういって大仕事を終えたような息を吐き、座席へと座る。

 車内の生徒たちが左側を見ようとそれぞれ立ち上がったり、窓に顔をよせたりしていると、地域の人達が祭りに向けて清掃している小さな祠がバス進行方向左側に見えてきた。

 祭りの主役とは思えないこじんまりとした祠が道路沿いのちょっとした広場のような場所に鎮座している。海の方向を望むように建てられているのは、海を鎮めるためか、海に捧げられた人のためか……


 ■■■■■


 初日は研修施設への移動の後、入所式があり、研修施設の様々な施設と注意点の説明が行われた。入所式が終わると各班に分かれて荷物を部屋に置き、昼食となる。昼食が行われたのは研修施設一階にある大きな食堂。研修施設の利用者のための食堂であるため200人ほどが同時に食事ができるほどの規模で、壁の一面がガラス張りで非常に解放感溢れる食堂であった。研修施設は山の上の方にあるため、ガラスの向こうには山の斜面が下に伸び、その終端に温泉街、そして、海へとつながっていく。海の沖合には石油備蓄のための巨大タンカーが数隻浮かんでおり独特の景観ともなっていた。


「そういや、あのタンカーの数に関する怪談があったよなぁ~。」

「オイ、それは夜にとっておけ!」


 そんな言葉が交わされながらも、外からの光をいっぱいに浴びた明るい食堂で生徒達は昼食を楽しんでいた。

 そうした騒がしい昼食が済むとオリエンテーリングが行われ、地図とコンパスを頼りに自然の中を歩きまわる事となる。オリエンテーリングをまわる事で研修施設の敷地内に設置された様々な施設も見て回る事となった。研修施設の宿泊棟を使用するため、彼らは使う事は無いが、テントを使って寝泊りするキャンプ場、簡素な丸太小屋であるログケビン、それらの利用者のための屋外炊飯場と食事をするためのテーブル。様々なアスレチックもあり、別の団体に所属する少年少女が遊んでいた。それらを横目に見ながら、木々の間に通る細い獣道をたどり、チェックポイントを見つけ出して、ゴールを目指す。

 山中を歩き回るコースの設定は約2時間となっているため、すべての班がゴールするとすでに夕方となっており、夕食前のわずかな間の自由時間にはオリエンテーリング中に気になった場所で遊ぶ生徒達が続出した。そうして、昼食もとった食堂で再び騒がしい夕食が終了した後、研修旅行一日目のレポート作成が待っている。

 レポート作成には大した時間はとられなかった。終了した者から順次部屋に戻り、入浴をすませていく。そうして、ほとんどの生徒達が入浴をすませる頃には消灯時間が迫っていたが、彼らの楽しみはこれからだ。消灯前の点呼が終了すると部屋を抜け出し、他の部屋へと集まる者たちが続出した。同じクラスの特定グループや、クラスに関係なく集まった部屋などもあったが、それぞれの部屋で話が盛り上がる。最終的には日付が変わる直前での再度の点呼により強制終了。興奮して寝付けないと愚痴をこぼす者が多数いたが昼間の自然の中を歩きまわったオリエンテーリングの疲れから眠りにつく者が続出し、結局深夜1時を回る頃には生徒全員が静かになっていたのだった。

 そして、翌朝、ラジオ体操から始まる二日目の研修日程は温泉街も含めたこの地域の事を知るためのフィールドワークが予定されていた。


 ■■■■■


 ピィ~ヒャ~ラララ~、タンドン、タンドン、、、

 こじんまりとした七つの祠のある広場。さほど高くもない山頂への途中にある、その場所からは巨大なタンカーが浮かぶ海が見える。そこでは十数年ぶりの復活となる神楽「海鳴りの鎮め」が行われていた。

 

「「「「「ソーイヤサ、ハッ!」」」」」


 この夏祭りため、一か月前から練習を重ねた小中学生達の威勢のいい掛け声がこだまし、揃いの衣装で舞い踊る。大人たちは神事を執り行う子供たちの姿を暖かく見守っていた。

 海の神への祈願。海からの恩恵を受ける、この地の安寧と発展を願い。また、もたらされた恩恵への感謝を述べる神楽の調べは天高く、響き、海を渡っていった。


 ■■■■■



 和雄と仁太の二人が地図を広げながら相談をしている。


「こっちか?」

「イヤ、コッチの道じゃね?」


 研修の二日目、研修施設から海沿いまで降りて、地元の人たちが祭りの準備をする中を班員たちと歩いていた。

 街の歴史を学ぶという事で古くから続く神社に行く途中である。街のはじまり頃からある古い神社で、そこの宮司さんに話を聞く予定だ。


「なぁ、メンドーだからスマホのマップ使おうって、ソッチが早いって。」


 最新のスマホをかざしながら八景島が言う。紙の地図を見ながらの移動に手間取っている状況にイラついているようだ。


「コレも一応課題だからな?リアルの地図を見る能力を身につけるための。」


 GPS機能を利用したスマホの地図は正確で確実性がある。しかし、基本的な地図の見方を学ぶための課題であるため使用禁止になっている。なによりも機種変更したばかりの最新スマホを自慢したげな八景島の意図が読めるため、あえて却下するようにしているのもあるが。そうこうしているうちに分かれ道で迷っているのを見かねた地元のおばさんが神社の方向を教えてくれ、お礼を述べて神社への道を歩いていると、同じように神社へと歩いている女子生徒の班に追いついた。


「あれ?小浜くんの班もコッチの神社にいくの?」

「多比良さんの班もコッチか?」


 どうやら、同じ場所に行く班が他にもいたようだ。行く先が同じならいっしょに行こうとなり、男女二班の計8名で神社へと向かう。


「よくおいでくださいました。学校の方から連絡は受けてますよ。というか、毎年の事で恒例のことなんですけどね。」


 人の好さそうな宮司さんは神社と同じ境内にある小さな社務所にて話をしてくれる事となった。ここの社務所は人が住んでいることはなく、必要なときに別の場所に住んでいる宮司さんがやってくるという事で、今日は夏祭りの準備と彼らに話をするために宮司さんがいたそうである。


「熱い中歩いてきてノドも乾いたでしょう。」


 そう言いいながらよく冷えた麦茶が全員にふるまわれ、全員がお礼をしつつ飲み干した後、一息ついて汗も落ち着いた頃に本来の目的である街の話を聞くこととなった。それぞれが話をメモするための筆記用具を取り出す中、八景島は一人だけスマホをイジっている。


「オイ、八景島、宮司さんに失礼だから今はスマホをイジるな。」


 和雄は班長として一応の注意をしたが、性格的に素直に応じるはずはないだろうとは思っていた。


「アプリでメモるから問題ないって、こんな時にスマホで遊ぶワケないだろ。」


 一応、筋は通っているようであるが、話を聞いた内容をまとめたノートの提出があるのである。研修中の課題であるのだが、これ以上注意したところで結局別の理由をつけて自分の正当性を主張するだけで無駄である事はわかっている。


「最近の子はハイテクなんですね~。スマホなんて使ってメモするとか、私の子供の頃は携帯電話もなかったですからスゴイもんです。」


 どうしたものかと思っていると、宮司さんが感心していた。人が好いのかいきなりスマホを触りはじめた事への不快感もなく、それを使いこなしている事を素直に関心している。


「本当にすいません。」

「いえいえ、大丈夫ですよ。」


 和雄は申し訳ない気持ちで謝罪したが、宮司さんは大したことないと返す。子供のやる事と気にもとめない大人としての余裕が宮司という職を任されている器なのかもしれない。


「え~っと、それで宮司さん、まずはもうすぐ夏祭りの歴史から教えてもらえますか?」


 恐縮している和雄を見かねたのか、女子たちの班のリーダーである睦美が宮司さんに話を促す。


「そうですね。今年の夏祭りは例年と少々違ってまして、そのあたりの歴史から話していきましょうか。」


 そうして宮司さんの話は初日に見かけた祠とそこの祀られている石仏の話からはじまる。古い言い伝えから海の神様を祀る儀式はあったそうであるが、それがどのくらいの昔かははっきりとしないらしい。この街がまだ小さな漁村であった頃から続いていて、この神社よりも古い土着の信仰なのだそうだ。そうした話をノートにまとめながら八景島を見ると、その指の動きはメモをしているにはあまり動いていないように見える。宮司さんの方もほとんど見る事もなく、聞いている雰囲気があまりないので、もしかしたらスマホでまったく関係のない事をやっているのかもしれない。宮司さんはそんな事にはまったく頓着せず、女子の班員や、仁太や三郎の質問に答えていた。とにかく、しっかりと宮司さんの話を聞いた方がいいだろう、八景島の事はこの際無視して、課題の提出のためにノートへの書き込みに集中していった。


 その夜、消灯時間の点呼の後、初日の夜に続き自分たちの部屋から別の部屋で集まり話込んでいた和雄、仁太、三郎の三人は部屋に帰る前に食堂にある自販機で飲み物を買っていた。各自が持ち寄った怪談話や異性との話など、同世代が集まると定番の話題で盛り上がり、二日目の夜であるのに尽きない話がさきほどまで続いていたのだ。さすがに日付が変わろうかというタイミングで強制終了を告げにきた担任教師に促され、しぶしぶながら部屋に帰るところである。


 ガコン! プシュッ! ゴクゴクゴク、、、


 和雄は自販機から出てきた缶ジュースを取り出し、プルトップを開けて中身をノドに流しいれる。しゃべりすぎてカラカラになっていたノドに冷たい炭酸飲料の刺激が心地よかった。


「いやー、吾妻の話は面白かったなぁー。」


 先に買って飲んでいたスポーツドリンクの空き缶を自販機横の空き缶入れに突っ込みながら仁太が言う。吾妻とは行きのバスの中でも怪談を披露していたバスケ部所属の男子生徒である。


「ウン、あれは相当練習したんだろうね。」


 三郎もそれに同意する。確かに吾妻という男子生徒の怪談は上手かった。バスケ部の伝統として語り継いでいる怪談話なのかバリエーションも多く、練習のおかげかしゃべり方も堂々としており惹きこませるモノがあった。あまりにも上手すぎたため、恐怖に駆られて別の部屋へと逃げ出す生徒がいたほどである。ちなみに別の部屋へと逃げたした生徒たちは研修施設の女子風呂が覗けるという話で盛り上がっていたが、彼らにはまったく関係のない話。


「特に七人ミサキの話は怖かったなぁ、、、」


 和雄がしみじみと言うと他の二人も同意する。七人ミサキは七人組の怨霊が成仏のために次々と生きている人を襲う怪談だ。彼の話では七人殺すまで延々と殺し続けるという恐ろしい話で、海や湖といった水辺の近くに出てくるらしい。そんな感想をつぶやきながらも和雄が缶の中身を飲み干し食堂を出ようとしたところ、女子生徒二人 が食堂に入ってくる。


「ン?多比良さんも飲み物でも買いにきたのか?」

「そっちも?」


 昼間、神社に行く際にいっしょになった女生徒の二人だった。どうやら、女子達のところにも担任が来て強制終了を告げられたらしい。


「朝早くの予定がシンドいから、さすがに女子の方もお開きになったわ。」


 女子生徒二人は彼らが飲んでいたものよりも小さい紙パックのジュースを購入し、部屋に持ち帰って飲むらしく。すぐさま食堂の入口までもどってきた。


「んじゃ、もどりますかね。」


 軽い挨拶を交わし食堂を後のしようとしたところ、


 ピロリン。


 フラッシュと共にカメラの撮影音が静かな廊下から聞こえてきた。


「ハァ?」


 仁太が怪訝そうな顔で食堂入口から廊下の方を見ると八景島がスマホを構えて撮影していた。


「イヤー、これは先生に報告しないとなぁ~、夜の食堂で男子と女子がいったいナニをしてたのやら、、、」


 ニヤニヤと笑いながら言う八景島。怪談の途中から集まっていた部屋にはいなかったので自分の部屋に戻っていると思っていたが、まだ施設内をウロウロとしていたらしく、食堂付近にいる男女という事でパパラッチよろしくカメラで撮影したらしい。


「テメェ、あんだけ人の話ジャマしといて、今度はヘンなデマ流そうってのかよ?!」


 八景島は先程までの集まりで人の話の途中で口を挟み、散々混ぜっ返した事で反感をかい無理やり黙らされていた。その復讐とでもいうのか、消灯後の食堂にいる男女ということで教師によからぬ報告をしようとしているのだろう。それを察した仁太が怒りスマホをと取り上げようと詰め寄る。


「おいおい、人のモノを勝手に触ろうとするなよ!リッパな犯罪だぞ!後で先生に言うからな!」


 八景島と仁太との間で押し問答がはじまり、他の4人は頭痛がするような状況だった。


「オマエラ、何してんの?」


 そこへさらに二人の男子生徒が現れる。彼らも自分たちの部屋にもどる前に飲み物を買いにやってきたのだろう。

 仕方なく和雄が事情を説明しようとした時だった。


「いや、実は、、、」


 ボオォォォー、ボオォォォー!!


 なにか、サイレンのような音が響き渡る。聞こえてくるのは外からだ。その音の感じは海に浮かんでいる巨大なタンカーが動き出すときの合図に鳴らされる警笛のようにも聞こえる。しかし、こんな深夜にワザワザ鳴らすようなものだろうか?

 彼らは疑問を覚え食堂の窓から見える海を確認しようとしたとき、廊下をぼんやり照らしていた常夜灯がいきなり消えた。


 バツン!


 非常灯だけはなんとかついているが、ところどころについていた常夜灯や、食堂内の自販機、窓から見える外灯など、そのすべてが消えている。


「いったい何が?、、、」


 三郎のつぶやきには誰も答える事ができない。真っ暗となった研修施設内では非常灯、そして、八景島のスマホだけが光を発していた。


 ■■■■■


 まず、彼らは状況を確認しようと教師が泊まっている部屋へと行ってみた。しかし、そこには誰もおらず、仕方なく研修施設の職員の部屋も訪ねる。しかし、そこにも誰もいない。

 ここで異常な事態を感じた彼らは研修施設内にある非常時の懐中電灯を使い施設内を見て回った。できるだけ固まって行動し、今いる研修施設の建物の中には自分たち以外に誰もいない事が確実になった。


「どうする?」


 食堂にもどってきた彼らは今後の行動方針を話合っていた。

 男子生徒が、小浜 和雄、対馬 仁太、長崎 三郎、八景島 芳雄、有馬 京士郎、有家 樹の6人。

 女子生徒が、多比良 睦美、串山 奈々子の2人で、計8人である。

 今、この場所にいるのは宿泊研修に来ていた彼ら中学生8人だけで大人は誰もいない。何が起きているのはまったく把握できていない。この状況では何が正しいかなどわかるはずもなく、どうすべきか彼らは迷っていた。


「こういう状況なんだから班長がなんとかしろよ?!」


 わけのわからない状況に苛立ち八景島が怒声を上げる。


「そうは言うが、何がナンだかわからない状況でナニやるってんだ?」

「そ、それをどうにするのが班長の仕事だろ、、、」


 仁太の反論に尻すぼみな答えしかだせない八景島、彼もこのような状況では中学生程度ができることがない事はわかっているのだ。


「街の方に行ってみるしかないんじゃないかな?」


 そう提案したのは三郎だった。ここに自分たち以外に誰もいないのがわかってるなら、ここ以外の場所に行ってみるしかないのは確かな事だった。幸いだが研修施設から街の方までは昼間にも歩いている。問題はもし街にも誰もいなかった時にどうするのかという事と、全員で行くのかという点だ。


「ケータイが通じてないから全員で行くほうが安全だと思うけど、どう?」


 奇妙な事に携帯電話はまったく通じない。壊れたという事ではなく電波の受信を示すアンテナが一つも表示されず圏外を示していたからだ。 八景島の最新スマホでも同様で、研修施設内で提供されていた無線通信の回線すらも接続できなくなっていた。携帯電話が通じないという事は連絡手段がないという事であり、何かがあった時のためにもいっしょに行動した方が良いと考えての和雄の発言であるが、よくわからない状況で外に出る事に反対意見も出てくる。


「もし、誰かがココにもどってきた時のためにココにも人が居た方が私はいいと思うんだけど、それに体力的に私と奈々子は男子達についてくのはつらいし。」


 睦美はそう言って奈々子の手を取る。確かに女子の体力にあわせるより体力のある男子だけで街まで行ってきた方が早いかもしれない。


「でもさ、こういう時ってバラバラになったヤツから殺されてくのがホラー物の定番だよね、、、」


 と言ったのは樹だった。状況が状況だけにそれはシャレになっていない。となりに立っていた京士郎が樹の頭を軽く叩いて突っ込みをいれる。


「そういうのは今シャレにならんって!まぁ、あれだ、コッチに残るのは女子だけじゃ心細いだろうから、オレら二人も残るわ。」


 そう言って京士郎と樹は残留する事が決まった。


「んで、八景島はどうすんの?」


 和雄、仁太、三郎は最初から街に行く事を表明していた。あとは八景島だけである。


「お、オレは、まぁ、お前らがナントカしてくれんなら、メンドウなんで街まで行きたくないんで、、、」


 この状況で面倒だという理由が出てくるあたり彼の性根がよくないと感じられるが、ここで下手に街まで行くと言われても、街に行く三人にとってはいらぬ負担になるので、ここはスルーしていた。


「じゃ、俺達三人で街まで行こう。」


 正面の玄関は電源が入っていないため自動扉が開かず、その脇の非常口を使って外へと出た。当然、何かがあっては困るので3人が外に出ると非常口の鍵を京士郎が内側からかける。外に出ると初日に入所式を行った広場を通り、ちょっと離れた場所にある駐車場を目指す。初日にバスに乗って通ってきた道の途中に、夏祭りのために地元の人たちが夜通しで番をしている祠があるはずだった。まずはそこを目指す事にして三人は歩きはじめる。


「すごいジメっとするな?」


 それぞれの手に握られた懐中電灯がゆれる中、気分を紛らわせるために会話をしようとして仁太がそんな事をいってくる。


「確かに霧が出てるせいか湿度がすごい高いね。深夜なのに妙に明るいし、なんか気持ち悪い。」


 それに三郎が答える。湿度が異様に高く蒸し暑い、月が出ているわけでもないのに奇妙に明るい夜だった。すでに日付が回るほどの深夜でありながら。ただし、霧のせいで遠くまでみることはできず、ほんの十数メートル先がわかる程度である。手にした懐中電灯の光は霧に吸い込まれるように消えてしまい、どこまで照らしているのかわからないぐらいである。


「いつの間にか夜が明けたみたいだな、、、」


 時間的にはありえないことであるが、すでにありえないホラー映画の世界へと紛れ込んでいるような状況に不安だけが募っていく。

 駐車場にはバスどころか、職員用の駐車スペースにすら一台の車もない。ガランとした駐車場を横切り、街に続く道路を歩いていく。


「こういうシチュエーションってホラー映画そのものだけど、ナゾの怪物に襲われるって事はないか?怪物はないにしても殺人犯とかの異常者とか?」


 和雄の言葉は現状を分析するというより、これから起こりうる事を予想する部分が大きい。異様な事態に巻き込まれているのは確実で最悪のケースまで考えないていないと対処法を間違えるからだ。


「実話系だと幽霊だかに襲われたとかしても、助かったなんてのが多いけどね。」


 三郎は実体験を元にしたホラー作品を引き合いに出して、少しでも不安感を和らげようとする。


「助かったと思って話を広めたら、後日不幸に見舞われるなんてのも実話系ではよくある話だから油断大敵だぞ。」


 それでも和雄は慎重だった。ホラー映画で原因を解明し助かるなんてのは娯楽作品としてのご都合主義だからだ。現実では後になって原因がわかるなんて事が多くて、その時に事件の被害者が真相に気が付くこと無いことがほとんどだろう。ホラー映画さながらの状況で怖いモノ知らずの若者そのまんまな行動をとって、何かしらの事件や事故に巻き込まれるのはイヤだった。怖い思いをした全員が無事にもどり、実体験した恐怖体験談としてどこかのオカルトサイトに書き込むネタにするぐらいでちょうどいい。誰かがケガをするとか、最悪死んでしまうとか、そういった恐怖体験はフィクションの中だけで十分だ。

 そうして、七つの石仏が祀られた祠がある広場に到着した。しかし、そこでは夜通しでいるはずの地元の人達は誰もおらず、祭りのために設営されていた様々なものも無かった。昼間にはここで神楽が行われていて、舞台のようなものから神楽で使われる楽器類などが置かれていたはずだった。

 それが最初からなかったかのように何もない。むしろ、祭りの前、普段の祠前の広場の姿はなのだろうか?


「誰もいないね、、、」


 誰もいない、そう判断して間違いないようだ。研修施設だけでなく、この場所にも誰もいないとなると街に行っても人がいないのだろうか?

 そう思って祠の中の方を見ると中にあるはずの石仏が一体もなかった。昼間に訪ねた宮司さんから祭りの話を聞いた時には石仏をどこかに運ぶなんて事は聞いていない。どこにいったのだろう?


「お、人がいるじゃんか。スイマセーン!」


 いくつかの疑問を頭の中に思い浮かべていると祠の裏手に居たらしい人を見つけた仁太が声をかけて近づいていく。こちらに近づいてくる農家の女性らしき人に目を向けた和雄は全身に鳥肌が立ち仁太を止めようとする。


「ジンタ、ちょっと待、、」

「キィヤァァ!!」


 農家の女性がいきなりか奇声をあげ草を刈る鎌を振り回して仁太に襲いかかってきた。


「な!」

ザリッ!


 とっさに出した左手を鎌が切り裂き、その痛みで後ろに下がった仁太は足をもつれさせて尻餅ついてしまう。


「キィア゛ア゛ァ゛」

「っと、ザッケンナ!」


 倒れた仁太にさらに鎌を突き立てようとする女性、その手を抑えて必死で抵抗する仁太。

 束の間の力比べであったが、和雄が仁太に馬乗りになり鎌を突き立てようとしていた女性の身体をサッカーボールのように蹴り飛ばす。


「サンキュ、カズ!」


 痛みに顔を顰めながらも礼を言う仁太は三郎に手を貸してもらいながら立ち上がっていた。


「ア゛ア゛ア゛ァ、、、」

「! 走れ!」


 やり過ぎたと思っていたが、なんとも無いように立ち上がり鎌を振り上げる女性から逃げるように広場から道路に向かって走り出す。3人を追いかけて女性が道路に出てきた瞬間、霧の中から強烈なヘッドライトの光と共にパトカーが現れ、女性を跳ね飛ばした。


 ドン! ガガガガッ・・・


 女性を跳ね飛ばしたパトカーは道路脇に突っ込み、上り斜面へ少し乗り上げるようにして止まった。自分たちが走り抜けた後をパトカーはブレーキもかけずに通り抜けたので、ほんの少しタイミングが遅かっただけで自分たちも巻き込まれた事にゾッとしたが、今はとりあえず仁太の傷が気になった。


「イッテェー。」

「・・・」


 鎌はあまり切れ味がよくなかったのか、傷口はスパっとキレイに切れたものではなく、少しひっかいたような傷口で鎌が汚れていたのか黒いサビのような、泥のような物が傷に残っている。きれいな水で洗浄しないと化膿したら厄介だ。とりあえず、風呂上りに首に巻いたままだったタオルで傷口を覆うように縛り、パトカーを見にいった三郎の方を見ようとすると跳ね飛ばされた女性が起き上がろうとしていた。


「サブロー!」


パン!


 和雄の呼びかけにパトカーの運転席を覗き込もうとしていた三郎が振り返ろうとした瞬間、パトカーの窓から銃を持った手が出てきて、三郎の頭に銃口を突きつけるとそのまま引き金を引いた。

 かけていたメガネが飛び、糸の切れた人形のようにばったりと倒れる三郎。パトカーのドアが開き三郎の横に降り立った警官は銃に残ったすべての弾を三郎の身体に撃ち込み、空になった薬莢を道路に捨てる。そして、新しい銃弾をポケットから取り出して装填し、起き上がったばかりの女性に向けて再度発砲、全弾撃ち込むがまだ動きを止めない女性に向けて再度銃弾を込め直して発砲する。


 パン!パン!パン!パン!パン! カチャッ


 三郎が倒れる姿に一瞬呆然としたが続く発砲音にハッと気づき仁太の腕を取って研修施設に向けて走り出す。


「ちょ、ちょっ、待て、サブローが、、、」


 仁太は足を止めようとしたが和雄が強引にでもひっぱると全力でついてくる。彼もダメだとはわかっているのだ。確実に動けなくなるまで拳銃で撃たれた。あれで生きているのはあの女性同様まともではない。今のうちに研修施設に逃げる。再度響いてくる発砲音に追い立てられるように、研修施設へ全力で走り続けた。


 ■■■■■


 研修施設に残った5人は食堂に集まっていた。昼間であれば空と海が視界いっぱいに広がる窓ガラスの向こうは、今は夜で霧まで出ているためまったく見えず、沖合いに浮かぶ巨大なタンカーも安全対策の警告灯が発する赤い灯りがぼんやりと存在を主張するだけだった。夜であるのに微妙に明るい事も、山の斜面の下にある温泉街の灯りは見えないのに沖合の巨大タンカーの赤い警告灯がボンヤリとわかる事も奇妙に感じてはいたが。


「非常灯ってどれぐらいついてるんだっけ?」

「ん?入所式では3時間とか言ってたか?」


 京士郎と樹の会話である。広い食堂の非常灯は数少ないが今も点いている。非常誘導灯とは別に研修施設の非常用設備としての非常灯は停電時の緊急電源により点灯し、長時間の停電には発電機を使用するらしい事は入所式の諸注意の中にあった。しかし、職員が居らず発電機がある場所も使い方もわからない現状では、今ついている非常灯だけが頼りだ。京士郎と樹、睦美、奈々子の4人は非常灯の下にテーブルの1つを移動させ、イスに座って雑談で気を紛らわしていた。外に出た3人がもどってくるにはそれなりの時間が必要だろう。状況的に眠る事もできないため、一まとまりになっていたのだ。ちなみに八景島も食堂にはいるが、別のテーブルにいて1人スマホを操作している。


「アンテナもないのに八景島君はナニしてんだか、、、」


 こんな状況でも一人スマホをイジり続けている八景島に対して呆れたような睦美の言葉である。


「ネットもつながらない状況でスマホは意味無いかもしれないけど、気休めにはなるんじゃない?」


 一応のフォローのような発言は奈々子である。いつもは口数少なく友人たちのおしゃべりを眺めていることの多い奈々子であるが、この状況に不安が大きいのであろう、珍しく自分から発言をしようとしている。


ピピッ、パシャッ!


 そんな雑談をしている4人を一瞬のフラッシュが照らす。一人スマホをイジっていた八景島の仕業だった。


「ハァ、オマエ、この状況でいきなり撮るかぁ~、、、?」


 状況をわきまえない八景島の行動に心底呆れたようなタメ息をつきながら京士郎が顔を向けると、スマホをカメラを向けたまま固まっている八景島の姿があった。

彼の視線は4人を捉えていない、その視線の先は4人の後ろにそそがれていた。


「「「「???」」」」


 不審に思った4人は驚愕に見開かれた視線の先を追った。そして、その先に見たモノとは、、、


バリン!


 鉈が窓ガラスを叩き割る光景だった。


「キャァァ!」


 幸い、窓ガラスと彼らが座っていたテーブルとは多少の距離があったため割れたガラスが彼らに当たる事はなかった。しかし、窓ガラスを割った『ナニモノ』かは非常灯の光りに照らされる。その姿は一言で表すなら農家の中年男性であるが、それがまともな人間であるとは思えない。長年太陽の下で使い古したような服装はボロボロに擦り切れ、帽子の下からのぞく眼は血走っており、その目じりには赤黒い血のようなモノがにじんでいた。剥き出した歯は黄色く変色し、歯茎からは、やはり赤黒い血のようなモノがにじんでいる。

 意味不明の言葉を発して、本当に人なんだろうか?

 映画やゲームに出てくるゾンビとでも言われたほうが納得できるような存在としか言いようがなかった。そんなナゾの存在はガラスの割れた窓から強引に食堂の中へと入ってこようとしているが、窓枠まで高さがあるため身体を中に入れることができない。諦めて食堂への食材の搬入口を見つけ、その扉を外側から強引に開けようとしている。当然のことながら中から鍵をかけているので扉が開くことはない。鉄製の扉は頑丈で鉈を叩きつける音は聞こえるが、壊すことはできないでいる。


「な、な、なんなんだ、なんなんだよ!あの農家のおっさん!」


 ガンガンと扉に鉈が叩きつけられる音を食堂内で聞きながらパニック寸前の京士郎が叫ぶ。


「なんか、明らかにホラー映画の怪物登場みたいな雰囲気でヤバいよねぇ~。」

「んな他人事みたいにコメントしてんじゃねぇーヨ!」


 間延びした語尾で場違いな感想を言うあたり樹も混乱しているのだろう。逆に京士郎は反射的にツッコミをいれた事で冷静さを取り戻す。


「…京ちゃん、イタイって。とりあえず、なんか武器になりそうな物でも探そう。」


 ツッコミを受けたことで樹も冷静さを取り戻し、とりあえず、武器になりそうなモップなどを食堂の掃除用具入れから持ち出して搬入口の前に陣取る。食堂の調理場には包丁などの刃物もあったがリーチが短いため柄の長いモップを用意したのだ。女子二人には消火器を構えてもらっている。なんというか映画によくある煙幕替わりで、直接殴るよりはマシだろうと思ったからだ。

 やがて、扉を叩いていた音は止み、扉の前から移動していく。その人影は食堂横から建物を回り込み施設の正面へと走っていくように思えた。


「正面玄関の方にいったか?」


 京士郎の言葉に他の3人はうなずく。


「し、正面玄関はさっき閉めたよね?」


 正面玄関はガラス張りではあるが、防犯の意味合いもあり、かなり頑丈で簡単に割れることはないだろう。しかし、先程閉めたはずの非常口を奈々子が気にする。その確認をしようと誰かが提案しようとした矢先。


ギュァアァァ、キィィ!ガッ、ドガガガァッ!


 正面玄関の方から大きな衝突音が聞こえてきて、食堂を飛び出す。そこには、正面玄関を突き破り、その先にあった事務室へと突っ込んだ軽トラックがあった。ガラス製ではあるが頑丈な自動ドアはひび割れながらも完全に砕けてはいなかったが、設置されていた基部からはずれ軽トラックごと事務室に突き刺さっており、ブルドーザーの前にある鉄の板のよう状態で正面玄関から事務室までの間にあったものを根こそぎ押しつぶしていた。よほどの衝撃だったのか軽トラックの運転席も歪みまくっているが、ヘッドライトは点いたままで、自らが作り出した瓦礫と埃を照らしている。


「む、ムチャクチャだ、、、」

「こ、こういうのでも生きてるのがホラー物の定番なんだけどさ、、、」


 樹のその言葉がフラグになったのか、点いたままのヘッドライトが反射する光の中で運転席に動いている農夫を見つけてしまった。歪んだドアはなかなか開かないようで、中から必死に開けようとして鉈を振り回したり、足で蹴ったりしている。


「ま、マズ、逃げろ!」


 そう叫んだ京士郎は女子の持っていた消火器を奪い必死に運転席から出ようとしている農夫に噴きかけ、消火剤まみれで顔を押さえる農夫の頭を消火器本体で殴りつけた。頭を押さえて動きを止める農夫を無視し、軽トラックがぶち破った正面玄関から研修施設を飛び出す。


「京ちゃん、コッチ!」


 駐車場までくると、京士郎を待っていた樹が車で入れない小道を指さし走り出す。


「多比良さんと串山さんは?」

「霧が濃すぎて駐車場に来た時にはもうはぐれてた!」


 女子の二人はすでに街への道を走り出していて声をかけたが霧が声も吸い込んでるようで、まったく止まる事なく霧の中に消えていったのだ。


「ち、チックショウ!」


 ほとんど獣道のようでキチンと整備されていない小道を駆け下りはじめる。この時、最初に農夫を見つけた八景島がドコに行ったのか誰も気づいていなかった。


 ■■■■■


 暗い夜の森の中を走る。駐車場では霧があるのにぼんやりとわかるぐらいの明るさがあって気味が悪かったが、森の中はとにかく暗くてやっかいだった。足元はよく見えないので懐中電灯の光を頼りに駆け下りる。木の根や大き目の石を足で踏んてしまうと転倒しそうになるが、今は慎重になっていられない。無理だとか無茶とかではなく、とにかく、前に進むしかない。このペースで走りづければ15分ほどで街まで降りられるだろう。街まで降りたら先に出た3人と合流して、誰か大人達に助けを求めよう。


 ガチン!


 そんな事を考えながら走っていた京士郎の身体は急停止して駆け下りていた獣道へと叩きつけられる。京士郎が感じたのは足がもつれた感触ではない。今まで経験した事のない衝撃が右足にかかり、そこに意識がいった一瞬後には駆け下りていた勢いのまま、地面に叩きつけられていた。


「ウッ!!!」


 表現のしようがない痛み、衝撃の大きさから身体全身が痛くて、具体的に痛みの原因がわからない。一瞬止まった息を吐き出し吸い込んだ瞬間、明確になる痛む場所。経験した事のない痛みの大きさに再び息が止まってしまう。

 奥歯を噛み締め、必死になって痛みを噛み殺し、なんとか自分の右足の見ると、ソコには金属製のワナに挟まりダラダラと血を流す右足があった。


「京ちゃん!」


 転倒した京士郎を避けようとして道を横にそれていた樹が戻ってきて懐中電灯で照らす。そうすると右足を挟んでいる金属製のワナがはっきりとわかるようになる。鉄の環が半分しかないようなモノだが、足を挟み込んでいる部分はギザギザの歯のようになっており、それが右足のスネとふくらはぎをガッチリと噛み、皮膚どころか、その下の肉が抉れ骨にまで達するような深さだった。ゲームやマンガの中でしか見た事のないような凶悪な形のワナが、足で踏んだ瞬間に下から噛みつくように足を挟みこんだのだろう。凶悪なワナは金属製の太いワイヤーで近くの木にくくりつけられており、このせいで無理やりに止められたのだ。


「グ、ウ、グゥ、、、」


 傷口を見ると叫びたいほどだが、痛みが強すぎて逆に歯を食いしばってしまい、うめき声が漏れるだけになってしまう。痛みを感じる場所もワナが挟まっている場所ではなく、膝の少し上、太ももあたりから下全体が痛いとしか分からず、痛みで感覚がおかしくなっているのだろう。


「ま、待っててよ、こういうのってハズし方がちゃんとあるハズだから、、、」


 そういってワナを探りだす樹。しかし、ゲームやマンガでしか見た事のないワナは簡単な形状に見えて複雑で開く方法はつかめず、手をワナの間に入れて強引に開けようとしだす。そんなやり方では中学生程度の力では無理なのか、それとも人間の力では強引に開けることができない作りなのか、まったく緩む気配がない。それでも諦めず、ワナの間に石をはめて、それ以上閉まらないようにしたり、木の枝を使いこじ開けようとするも、多少の緩みができる程度で足を抜き出す事はできなかった。


「と、とりあえず、痛みはなんとかガマンできるぐらいになったから、ちょっと別の方法を考えよう。つーか、樹、おまえの手、手ケガしてる。」

「エ?」


 痛みが引いたわけではないが、あまりに強い痛みにさらされ、それをごまかすために痛覚がマヒしてきたのだろう。多少なりとも会話できるほどになった京士郎は樹の方を心配する。樹の手はワナを無理やり開けようとしたせいか血だらけになっていた。京士郎の足のケガから流れ出た血でワナは濡れていたが、その血だけではなく、ギザギザしたワナで手が切れてしまい、自分の血も混ざっている。


「どうにもヌルヌルすると思ったら、、、」


 そう言って無理やり笑おうとする樹だったが、ひきつった表情しか作れず、焦りの色が濃い。そんな事をワナによる激痛の中で考える余裕が生まれている事を京士郎は不思議に感じながらも、なかばマヒし始めている頭の中から今考えつく最善策を樹に提案しようとして。


「なぁ、コレどうしようもないから、先に行って助けを呼ん、、、」


 樹の後ろに立つ人物に気がついた。先程の研修施設を襲ってきた農夫が鉈を振り上げていたのだ。


「!」


 叫ぶ暇もなかった。驚いた表情を見た樹は何かを感じたかもしれないが、それを行動に移す前に鉈は振り下ろされ、樹の首の後ろへと消える。


ゴスッ!


 最初は鈍く、その先に固い物に当たり、砕くような音を響かせて樹は身体は前に倒れこむ。手で受け身をとる事もなく顔から地面へと倒れこみピクリとも動かない。「なるほど、このワナはこのオッサンが仕掛けたんだな」と完全に思考がマヒした京士郎は足の痛みも忘れ、今一度鉈を振り上げた農夫を見上げながら思った。そして、最後に掠れた「生き残るのはオレだ、、、」と言う声を聴いた気がした。


 ■■■■■


 ナンダ?!、なんだったんだアレは!?

オカシイ、絶対にこんなコトはアリエナイ!

 食堂から海の方を見ていて気づいた事がある。タンカーが出しているハズの赤い警告灯。その数が昼間見た数とは違っていた。

 確か怪談の中でタンカーの数が本来より多くなる話があったハズ。なんて言っていたか?ワダツミサマだったか?デカイ鯨のようなバケモノがタンカーに紛れ込んでいると言う話のハズ。そうして、研修施設に泊まってる人間をさらいにくると言ったか?どうやって海にいるバケモノが山の上にある研修施設の人間をさらうのかフシギだったが、あんなゾンビみたいなのにさらいに来させたのだろう。

 最初はよくワカラナカッタ。だから、スマホのカメラを使うトキのフラッシュを使って確認してみた。窓の外にいてカメラに写ったのは、確実に人間じゃなかった。死んだ人間が復活したゾンビだと言われても納得できるほどのワケのわからないバケモノだった。

 振り返ると直ぐ後ろにあのバケモノが居そうで必死で逃げた。いっしょに食堂に居た奴らがどうなったのかなんて、知ったことではない。無我夢中で走り続けて、いつの間にか山の中へと入り込み、自分がドコいるかもわからなくなっていたが、パトカーのサイレンが聞こえ、そちらに方へと降りていくと幸いな事に舗装された道路へと出る事ができた。

 息を整えながなら聞こえた方へと歩いていると、7体の石仏が並ぶ祠がある場所へと辿り着く。

 祭りの準備で誰かしらいるハズの場所だが、そこには誰もいない。それどころか、祠の中は空っぽだ。石仏が一体もナイ!?

 あんな重い物をワザワザ持っていくとは考えられない。それも7体も。この奇妙なできごとに関係するのだろうか?

 だとしたらどういう関係が?

 考えれば考えるほどワケがワカラナイ。とにかくこの状況から抜け出すための行動を。

 そうして、ふと目につく。広場の前にある道路、その研修施設に近い方の脇の方に倒れている誰かがいる。Tシャツ姿の自分と同じぐらいの少年か? さらに先の方には研修施設を襲ったバケモノと似たような農家の格好した女性が倒れているようだが、とりあえず、近くの少年をしっかり見ようと近付くと。


「ヒッ!?」


 死んでいた。頭に穴が開き、かけていたメガネは壊れて、Tシャツのアチコチにも穴があり、そこから出た血でTシャツが赤く染まっている。テレビドラマやネットのアングラサイトでしか見たことのない、どうしようもないぐらいに死体という状態だった。


 ピロリン!


 そんな状況でもスマホを取りだし撮影したのは自分でもどうかと思ったが、これも自分がトンデモない目にあったという証拠になると思い、仕方のないコトだと納得する。さらに先の方に倒れてる農家の格好をした女性も撮影し、震える指先で苦労しながら保存先を指定していると、倒れていた女性がモゾモゾと動き始めた。


「ウ、ウソだろ、ウソだろ!」


 意味不明な言葉しか口から出てこないが、身体はそこから逃げ出す行動をとっている。無意識に研修施設の方へと走り出してから気づく、先ほど聞こえたサイレンを出しているパトカーも研修施設の方へと行った気がする。そして、研修施設はバケモノに襲われたコトを。

 サイレンを出していたパトカーがまともな人間が乗っているか?

 アレを運転しているのはバケモノではないのか?

 研修施設を襲ったバケモノは軽トラックを運転していた。

 研修施設に突っ込んでいくのを正面玄関から出た後に見ている。

 アレと同じバケモノがパトカーを使っていてもおかしくないんじゃないか?

 そこまで考え、戸惑った八景島の目の端には街へと降りる道が引っ掛かり、躊躇する事なく駆け下りていく。

 コンクリートで舗装されてはいるが急な坂道を駆け下りていくのは足が痛くなってくる。途中の階段は踏み外しそうになりながらも必死で足を運び、なんとか街まで辿り着くコトを必死で考えていた。


 ■■■■■


 ゼェゼェとノドが鳴り、足があまり前へと出なくなっていた。早歩き程度まで進むスピードは落ちている。


「ハァ、ハァ、ちょっと休憩するか、ハァ、ゆっくり歩くかに、ハァ、し、しよう。」


 和雄の提案に無言でうなづき返事とする仁太、息が乱れ酷い顔色だが、ケガだけが原因ではないだろう。時々仁太を支えながら走ってきた和雄も同様だ。血の気が引いた青い顔色をしている。


「ハァ、ウプッ、サブローは、、、」

「・・・」


 それ以上は言わなくても二人ともわかっていた。頭を撃たれ、さらに拳銃の弾が無くなるまで身体を撃たれたのだ。アレで生きていられるとは思えない。

 足を引きずるほどペースを落としながら、無言で研修施設を目指して歩いていると、懐中電灯の光が近づいてくる事に気付く。

 一瞬身構える二人であるが、研修施設に残った女子生徒二人である事に気づくとゆっくりと息を吐き出して安心した。


「どうしたの?研修施設で待ってるはずじゃ?」


 青い顔色からは何かがあった事はわかっていたが、詳細を聞くために尋ねた。


「施設が襲われたの、農家の格好をした人に。」


 襲われたという言葉に驚きはあったが、同時にそれもあり得るかもしれないと思ってしまった。


「アレは人なんかじゃなかったよ。」


 ボソリと呟いた奈々子の言葉に不穏な雰囲気を感じる。


「まともな人なんかじゃなかった。血走った目をしてて、口から汚ない血が染みだしていて、絶対に人間じゃないナニカだった。」


 カタカタと身体を小刻みに震わせながら、ポツリポツリと話す奈々子は怯えきっていた。


「そういうのにコッチも会った。格好は違うけど、人間じゃないナニカってのは一緒。」

「え?」

「だから信じる、ソッチもヤバい事になったって。」


 俯いていた奈々子の顔があがると真剣な表情と声で見つめる和雄がいた。となりに立つ睦美をにぎる手がわずかに弛む。


「ったく、別れた途端に襲われるって、ホラー映画の定番すぎるだろ。」


 イラだたしげに吐き出す仁太のセリフにビクリとしてしまうが、すぐに思い出す。彼らは3人いたハズだ。それが今は2人、嫌な予感というよりも確信に近いものがあるが聞く事ができない。


「サブローがヤラれた、完全にイカレた警官に」


 その事に気づいているようで、あえて自分に言い聞かせるように応える和雄。痛い沈黙がおりてしまうが長くは続かない。車が近付いてくる音がしてきたのだ。それもパトカーのサイレンと共に。


「あのパトカー、まだ動いたのか?!」


 道路脇に乗り上げてしまい、動けなくなっていると思ったパトカーが走ってくる事と、先ほどは使っていなかったサイレンの音に驚く。


「道路の上にいるとマズイ!そっちの木の影に!」


 皆でガードレールの下にある森の中へ、この辺りなら急な斜面ではないので、まだ降りる事ができる。そうして、急ぎ木の影に隠れるとサイレンと赤色のランプの光が山頂の研修施設に向かっていく。


「これで研修施設にはもどれないね。」

「ああ、街に皆で行く以外ないね。」


 一度道路にもどり、祠のある広場の方に歩きだす。幸い祠のある広場の手前で街に降りる事ができる小道があるはずだった。研修施設の駐車場からも降りる道があるが、こちらの方が近いし、パトカーが向かった方に行きたくはない。何より駐車場近くの道は獣道のような未舗装であるが、こちらの道は車が通れないほど狭いとは言え、ちゃんとコンクリートで舗装されているため歩きやすいはずだった。


「街に行けばコンビニがあるから、最悪誰も居なくてもジンタの応急措置するぐらいはできるはずだ。」


 和雄の言葉が今後のとりあえずの目標となり、移動を開始する。


「「「「・・・・・・」」」」


 全員無言で歩き続けるが、車の音には注意をはらい、何事もなく街に降りる道までたどり着いた。ほっとした雰囲気が4人の中に流れるが、すぐに気持ちを切り替えて互いの顔を確認しあい、和雄が先頭に立ち街へと降りる道を進み始めた。


 ■■■■■


「どこだココ?」


 仁太の呆然としたつぶやきに他の3人はうなづく事もできなかった。昼間来た街とは雰囲気の違う街、いや、雰囲気だけではない全体に古くなったような街並みだ。

 建物が全般的に古い作りに感じられる。自分たちの住んでいる町でも古い家はたくさんある。それこそ彼らのうち祖父や祖母が同居する家は古く1970年代ぐらいからある家もあるぐらいだ。

 しかし、この観光地でもある温泉街では古くて歴史を感じさせる旅館やホテルとは別に、最新とまではいかずとも、キレイで新しい建物が多くあったはずだった。古くからあった海の家の代わりにコンビニがあるように。

 海水浴客に向けて数年前に整備されたはずのキレイな更衣室やシャワー設備をも備えた駐車場はなく。その傍らにあった全国チェーンのコンビニもない。観光客目当てで建て直されたホテルや旅館、洒落た海の家よりも、昔から漁業や農業をしているような普通の民家や、昔ながらの食堂のような海の家。そして、数少ないながらもあるコンクリートの壁面が特徴的なホテルも古臭い作りの建物ばかりだった。

 さらに目につく建物は黒くカビたように汚ない。長く掃除をしてないように、眼に見える建物すべてが壁全体に黒いカビのような汚れがあり、普通の民家の軒先にある干しっぱなしの洗濯物なんかも、ジメジメとした空気に毒されたのか黒くカビてしまったものばかりだ。

 道は基本的に同じようであるが、歩道と車道の境界はあいまいで道路全体の幅もひどく狭く感じる。道路の標識も黒く汚れていたり、錆びていたりと、まともな物は一つもない。

 今どきLEDを使ってない信号は赤い点滅を繰り返しているだけで、なんの役にもたっていない。

 街全体の作りも雰囲気も、何十年も前のような状態だ。彼らの両親が子供の頃のアルバムにあった古い街並みに近くて、それが何年も放置されたらなるであろう。汚れて朽ちかけている、そんな街の様子だ。


「ダメか、、、」


 信号の点滅で電気がきている事に気づいた和雄は、道路脇にある今時は滅多に見る事のない電話ボックスに入り、ジュースを買うために持っていたサイフから十円玉を取り出して公衆電話を試してみる。しかし、通話音が流れることもなく、110番に119番と緊急通報も通じない状態だった。カシャンと音をたてて出てきた十円玉をサイフにもどしながら電話ボックスを閉めると落胆した3人の顔が眼にはいる。


「とりあえず、コンビニはなくなってるから、病院かなんか探すか?」


 公衆電話が通じないことを伝えながら、これからの事を提案。観光地だとはいえ、病院の一つや二つはあるはずだ。傷の痛みがひどくなってきたのか、顔色がずっと悪い仁太の様子を気にしながらの提案で、誰からも反対意見は出ない。むしろ、この状況では明確な目標を考える事もできず、最優先でやるべきと考える事は仁太のケガの治療以外にはなかった。

 状況の変化に精神的な余裕がドンドンなくなっていたが、電柱に貼られた広告や、田舎街特有の無駄に大きく場所を取る看板を頼りに病院を探す。見つけたのは、こんな田舎では珍しく3階建てのコンクリート造りで入院もできるらしい病院であった。一応、看板には内科と外科の表記あり当然ながら診療時間外で、全体が黒いカビの汚れで見づらくなっている。


「・・・、この病院って宮司さんが閉院したって言っていた病院じゃない?」


 睦美の言葉に一緒に宮司さんの話を聞いていた他の3人はうなずいて同意する。十数年ほど前に院長の高齢を理由に閉院された病院、残念な事に院長に子供がおらず閉院したのだそうだ。こんな田舎としては珍しく入院施設もそなえた病院であったために地域の人達は存続を訴えたのであるが、他に後継者もいなかったため、やむなく閉院されてしまう。前回の神楽が行われた時期と一致するために宮司さんとしてもよく覚えていた出来事らしく、その事がキッカケで祠に祀られる石仏が増える事にもなったそうだった。

 しかし、今、彼らの前にある病院は弱々しいながらも光を発している。正面の玄関には内側から待合室の椅子らしき物が積み上げてあり、最初は入れないかと思っていたが、一階の窓を確認しながら病院のまわりを見て回っていると鍵のかかっていない窓を見つけて、そこから入り込み、診察室あたりにあるであろう薬を探す事になった。正面玄関の場所はわかっているので、その方向に進み、いくつかの部屋を抜けて受付の前を横切り、診察室へとたどり着く。そして、そのとなりに治療室らしき場所を見つけだした。そこには一応治療のための薬があったのであるが、ひどく古くて製造年月日を確認するとどれも10年以上前の物ばかり。そこまでくるとこの病院が閉鎖された時のまま、時間が止まっているのではないか?と思うようになってきた。


「こりゃまた、ホラーでは定番の時間の止まった場所かよ?どうあってもホラー映画のパターンにハメコミたいらしいな。」


 仁太が強がるように言ってみせるが、先程から顔色は悪くなる一方で、その声には本来の力がない。


「とりあえず水は使えそうだし、キレイなガーゼと包帯を見つけたから応急の手当てだけはやろう。ジンタ、手を出せ。」


 そう言って手を覆っていたタオルをはずし、傷口をキレイに洗っていく。黒い粉のような汚れは取れたが傷口からでる血の流れは止まっていなかった。カーゼをあてキツメに包帯を巻いて止血されるのを祈るしかない。そうして、とりあえずの治療が終わり一息つくと、一階以外の場所が気になり始める。


「他の場所も確認しとくか?」

「そうだな、全員で固まってバケモノいないか確認だけはしといたがいいな。」


 バラバラに行動するのはまさに狙ってくださいと言っているようなものなので4人で病院内を見てまわることにした。

 建物は東西に伸びているようで、東西の両端に階段があり防火扉も完備されていた。上下階への移動は階段以外にもエレベーターがあるが今は動いていない。一階は受付や診察室、治療室とレントゲンなどの特殊な検査を行う場所がある。二階は入院患者の病室となっており、一度に4人が入る大部屋がいくつか並んでいる。三階も基本的には二階と同様に病室ばかりだったが、一番東側の陽当りの良い部屋は院長室となっており、そこで4人は奇妙な物を見つける。


「この写真って誰だろう?」


 全員の困惑は院長の写真にあった。高齢の病院長の写真があるのはわかる。宮司さんの言っていた人物だろう。しかし、そのとなりに40代ぐらいの冷たい印象をもつ人物の写真が理解できない。

 一応、写真の下には二代目の病院長と記されているが、そのような人物がいるなら、この病院は今も存続していたはずだ。二代目がいなかったから閉院した病院の院長室に飾られた二代目の写真。ホラー映画であれば重要な謎解きのヒントであろうが、彼らにとっては正しく判断のできない情報でしかない。


「時間の止まった場所ではなくて、パラレルワールドだっていうのか?」


 困惑してはいたが、彼らはこの状況を打破する決定的なヒントとなりそうな物が、この場所にあるような気がして、院長室の中をいろいろと調べ始める。そして、それは簡単に見つかってしまう。


 カサリ


 院長の机の引き出しにあった手帳。年間スケジュールも書き込めるタイプのシステム手帳で、日付は十数年前。一年の前半部分、つまり、夏までの間は普通に診察の予定や医療関係者との打ち合わせの予定などが書き込まれていたが、夏のある日を境に内容が一変する。その日から延々と続く夜に囚われた状況が綴られていたのだ、彼らの未来を暗示するように。


 ■■■■■


0×年7月19日

 一日の診察が終わり、一通りの事務仕事を終えた時、アレが聞こえた。沖合に浮かぶタンカーの警笛のようでもあったが、微妙に違う何かの咆哮のような物だった。

 それからすぐに病院内の灯りのほとんどが消え、非常用電源による灯りだけが弱々し光を出している。外は月明かりで冷たく明るい夜のようだったが霧で覆われているので、病院の敷地内がかろうじて見渡せるぐらいだ。

 そして、これが肝心な事であるが、病院内に自分以外の人間が誰もいない。夜勤の予定がある看護師どころか、ベットに寝たきりのはずの入院患者までいない。

 これはどういう事だろうか?

 理由はまったくわからないが、電話も通じなくなっており、警察や消防への連絡もまったくできない。異常事態だというのに警察も消防も動いている様子もないのは無能は無能という事か。

 いつまでかかるかわからないが、霧がある程度晴れたら外の様子を見にいくべきだろう。


0×年7月20日

 時計の多くが止まってしまい正確な時間がわからない。一眠りして感覚的な物で日付が変わったと認識するしかなさそうだ。

 ひとまず、病院内の施設の点検をしてみたが、メインのブレーカーが落ちたというようなレベルの話ではない事を確認。

 地下には一応の備蓄はあるため霧の中で孤立した状態が多少続いたところで問題ない事も確認できた。入院患者に向けた食料品がかなりの量あるため、自分で調理するのは面倒であるが食料品と水の心配はいらない。エレベーターが使用できないのは少々痛いところであるが、概ね問題はないと判断してよいだろう。

 霧は今日も濃く、外を出歩くにはじめじめとした天気がじゃまでしょうがない。



0×年7月21日

 アレはいったいなんだったのだ!

 霧が晴れることはないため、やむなく外に出てみた。交番までいってこの状況をどうするのか訊ねようとしたが、交番にいたのは狂った警官だった。

 血走った眼をして、いきなり発砲してきた。口元に赤黒い血液を付着していて、尋常じゃない様子であった。

 なんとか逃れたものの、その先にあったのはすでに建て直されたはずのAホテルだ。このAホテルは自分の病院を建て替える時と同じ頃にボヤ騒ぎを起こし、新しく建て替えられた曰くつきのホテルだったはず。

 ホテルの従業員の男女が中を清掃しているようであったが、壊れた機械のように同じ事を延々と繰り返している。彼らもまともに見える様子はない。

 しかも、先程の狂った警官が私を追いかけてきたのかAホテルまでやってきて、従業員達に拳銃を撃ちはじめた。

 女の従業員はなんとか逃げたようだが、 男の従業員は撃ち殺されホテルの前で物言わぬ死体となる。警官は女従業員を追いかけてどこかへと行ってしまった。

 男従業員の死体を調べてみると完全に呼吸もとまり、心音も確認できない、完全な死体である事は確認でした。

 しかし、持ち物を調べていると、止まった心臓は動きはじめ、身体が動きだした、信じられない!

 これは人の姿をした別の何か、バケモノだ。

 今、この街にはバケモノがいる。するとあの狂った警官もこの男と共にいた女も同類だという事だろう。

 街の探索としては3匹のバケモノが街にいるというわかっただけでもよしとして病院に戻ってきた。

 ヤツラが入ってこれないように病院にバリケードを作った方がよいだろう。


 ・・・


0×年7月24日

 先日見たバケモノに対抗する手段を考えなければ。まずは街に何匹のバケモノがいるのか把握する事にする。

 その結果、ホテルに男女の従業員、警官、海の家の店員、農家の男女と全部で6匹いる事を確認できた。

 次にヤツラを倒す事はできるのか?

 倒すだけならできるだろう、昨日見たように警官に撃たれて男従業員は倒れていた。しかし、それも一時的なもので起き上がってきた。

 確実に殺す方法はあるのか?

 それを知るためにはいろいろと試す必要があるだろう。そのためには一匹捕らえてくるのが手っ取り早い。

 警官に簡単に撃たれていた男従業員あたりがよさそうだ。他のバケモノに比べてトロい上に、病院からも近いホテルにいる。拘束するための道具は面倒な入院患者に使っていた物を使えばいいだろう。

 準備をしっかりと整えて明日の備えるとしよう。


0×年7月25日

 バケモノの捕獲に成功した。

 いろいろと試すのには手術室を使うのが便利だろう。器具もそろっているし、汚れたとしてもキレイに洗い流す方法もある。いや、洗浄に使う水は貴重だから、それは要考慮としておこう。

 とにかく、バケモノを殺す方法を試すのだ。


 ・・・


0×年8月3日

 いろいろと判明した事がある。まず結論から言うと、あのバケモノを殺す方法はない事が確定した。

 肉体を徹底的に破壊したところで、ある瞬間に回復する事がわかったのだ。

 その瞬間を見逃すまいと監視していたのだが、どうしても私の意識が途絶える瞬間があり、その瞬間、細切れの肉片にまで切り刻んだ肉体は消滅し、ホテルで業務を続ける男を見る事になる。

 ビデオカメラによる撮影ができればよいのだが、あいにく今の病院にはそういった物がなかった。

 そのため、何度もその瞬間をとらえるべく、同じ部屋で監視していたのだが、どうしても途絶える意識に抵抗できずに時間だけが過ぎてしまい結論を出すのに時間がかかってしまった。

 明確な理屈はわからずとも、その法則性だけでもわかれば、バケモノをどうにかする方法が見つかるかもしれない。

 しかし、時間がたつにつれ、意識が落ちる瞬間が長くなっているように感じる。疲労がたまってきているのか?

 思考が濁ったようになる事も多く、結論が出るのに時間がかかったのも、鈍った頭が原因かもしれない。



0×年8月

 日付がわからなくなってきた。頭の奥から鈍い痛みが常におそってくる。頭痛に効く薬を使うもまったく効果がない。薬効は一番良い物を使ってみたのだが、多少痛みがボンヤリするぐらいで効果がない。

 とりあえず、頭痛は無視して今日もバケモノ退治にでかける。農家の男はワナ猟をやっているらしく、山道に仕掛けられたワナに右足がハマり動けなくなるが、どうにか抜け出し病院で治療する事にした。

 ワナをはずすのに手間取ったので足の骨が見えているが、傷を縫い合わせておくぐらいの処置しかないだろう。

 どうせ明日の朝になれば治っているのだし、多少無茶をしたところで問題ないだろう。



0×年8月?

 眠い、ツラい、バケモノを誘導する方法を試してみる。いや、試したのか?

 自分がナニを書いているのか思考がまとまらない。


8月?日

 肉をエグる。そうして、確実にコロす。それしか方法がない。

 いや、細かく切り裂いても無駄だったはずだ。ならば、切り裂いた肉をワタシが食えば、復活する肉はなくなるはず、待て、アレを食えるのか?


8月?日

 肉がウマい、ただ、手に入れるのには手間がかかる。もっと効率良く狩ることができればヨイのだが、、、

 戦略を練るか?ワナ猟をやっている男のように?


?日

 切り裂くのはメンドウだ。そのまま食らいつく。以前よりも味が落ちたかもしれない。確実にコロす方法を模索し続けて、かなりの腕になった。

 ふと思う、ワタシは狩りをする前には医者ではなかったのだろうか?


?日

 ナニをこれに書いていたのだろう。考えるのもメンドウだ。書かないといけないギムが、、、


 ■■■■■


 はじまりは非常に理知的で異常事態に巻き込まれた事が綴られている。しかし、読み進めると内容は段々と狂気を帯び始めて、文章も乱雑になってきて、最終的には読み取れないほどのグシャグシャの文字になり、プッツリと書き込みがなくなってしまう。

 もしかしたらだが、この夜にずっといる事で自分達もバケモノへと変わっていくのだろうか?

 背筋を悪寒が這い上がってくる感触を全員が感じてしまい、お互いの顔色が非常に悪い事を認識するだけだった。


「とにかく、地下に何かありそうだから、探してみよう。」


 地下にある備蓄がバケモノの肉あたりだったら食べる事はできないが、何か使える物があれば、そういう思惑がある。

 そして、想像してしまったのだ、バケモノに変化したこの病院の院長が地下の部屋に潜んでいる事を。ここで地下を調べないという選択肢はない。一階から順番に調べてまわり、あとは地下を残すのみだ。鍵がかかっていて入れなかった部屋もあるが鍵が見つからないいじょう入る事はできない。調べられる場所を調べて、鍵が見つかってから開けていくぐらいしかないだろう。

 結果として、地下ではこれといった物は見つからなかった。半ば予想はしていが、食料品らしき物はあった、腐り果てて黒く変色してはいたが。地下はもっとホラー映画のラスボスがいるのにふさわしい荒れた雰囲気である事を覚悟していたが、そのような事もなく、整理された部屋の中で食料品だけが黒くなっていただけだった。

 そうして、空振りになった地下の探索を終え、一階にもどってきた時だった。


 ガシャン!


 大きな音をたてて階段の防火扉が閉まる。階段部分に和雄と睦美が残され、一階の方に仁太と奈々子が出されてしまった。そして、防火扉を閉めた何者かが仁太へと襲い掛かる。


「ウァー!!」

「ジンタ!」


 防火扉を開けようとするが階段側からは開ける事ができない。


「二階から回り込もう!」


 一度二階へと上がり、もう一つの階段を使って防火扉の向こうへと行こうとしたのだ。和雄と睦美の二人は全力疾走で階段の駆け上りはじめる。


 ■■■■■


 防火扉が後ろでしまった瞬間、仁太を襲ってきたのは白衣を着た男だった。


 ガツン!


 振り下ろされたゴルフクラブは頭をこするようにして病院の廊下に当たる。頭にはほんの少しだけ当たっただけだが、衝撃で視界がグラグラする。


「串山さんは逃げろ!」


 大声で叫び、白衣の注意を自分で向ける。非常口に向かって走る奈々子に気づくとそちらに向かおうとする白衣だが、その腰にヒザをガクガクとさせながら仁太が飛びつく。

 仁太と白衣が絡まり合って廊下を転がり、その隙に奈々子は非常口に手をかけ開けようとするが扉はビクともしない。


「ダメ、開かない!」

「ま、窓からでもいいから、とにかく逃げろ!」


 大人である白衣との体格差で不利ながらも必死に抵抗する仁太、奈々子が窓を開け最後に振り返ると白衣が大きなナイフを取り出していた。


「行けー!」

「!」


 ナイフを持つ腕にしがみつきながら叫ぶ仁太の声に押され、窓の外へと飛び出していく奈々子。涙を流しながら病院の外へと逃げ出していった。


 ■■■■■


 和雄と睦美は病院の外を建物に沿って走っていた。二階からも回り込んだのだが、そこの防火扉も閉まっており仁太たちのいるところには行く事ができなかった。そこで病院の外に一度出て、仁太たちのいるところの近くにある非常口から入る事にしたのだ。しかし、建物の外を回り込んでいる最中、窓を挟んで仁太を見つける。その時、奈々子はすでに逃げており、仁太は動かなくなっていた。その傍らに立つ白衣の手には大きなナイフがあり、血に塗れている。白衣は窓の外にいる和雄と睦美に気が付くとニヤリと笑い、防火扉のすぐ隣にある部屋へと入っていく。


 カチャン


 鍵を閉める音が聞こえた。あの部屋は最初に一階を調べてまわった時に入れなかった部屋だ。あの白衣は自分たちを殺す機会をうかがっていて、防火扉を使ったワナをつかったのだろう。鍵のかかった部屋の危険性はわかっていたのに、何もできなかった。

 非常口までいくと外から抑える仕掛けがしてあり、それを外して中に入る。白衣が入っていった部屋に注意しながら睦美に手伝ってもらい仁太を背負い病院を後に。このまま仁太を残していくと手帳に書いてあった事が仁太の身体にされるかもしれない。それだけは許せなくて、とにかく、この病院から仁太を出してやりたかった。

 そうやって病院を出てしばらくして、民家の一つに仁太の身体を隠す。必ずこの夜を抜け出したら迎えにくると約束して、先に病院から出たと思われる奈々子を探して街の中への探索を始めた。


 ■■■■■


 街まで降りて、とにかく海岸近くにあったコンビニを目指してみる。とにかく、誰かいないのか?というのがあり、全国チェーンで24時間営業を基本としているコンビニであるなら、誰かしらいるはずだからだ。

 しかし、降りてすぐに間違いに気付く。コンビニどころか昼間に見た街とまったく別の街になっていたからだ。

 古く汚い家や建物ばかりで、まともな所は一つもない。それでも人を探して歩いていると、イカレたバケモノだけはいる。

 古いホテルで掃除をしている男女を見つけた。まったくキレイにできていないのに延々と掃除しているのはバカみたいだ。

 交番には誰もいなくて日誌のような物が残されてた。中身を少し読んだが、イカレた内容で、さっきのサイレンを鳴らしていたパトカーに乗っていたのが書いたのなら警官もダメだろう。

 そこから近い海の家のような食堂に行くとオッサンが料理をしてる。鍋で何かを煮込んでいるようだが調理場から流れてくる臭いは強烈でマトモな食い物とは考えられない。

 研修施設と山の途中で見た2匹のバケモノ、街に降りて見つけたのが4匹、全部で6匹だが、まだ見ていないだけであと1匹はいるだろうから、それを合わせると7匹になる。石仏と同じ数だ。そして七人ミサキとも。

 これで間違いないだろう。自分達は8人いて、七人ミサキの犠牲には7人必要で、生き残るには最後の一人になるコト。希望が見えたかもしれない。


 ■■■■■


ガチャン


 鉄の玄関扉に内側から鍵をかける。玄関チェーンをかける所はついているが肝心のチェーンが無いので、そこは諦め部屋の中へと上がりこむ。

 偶然目についたのはコンクリートで出来た簡素なアパート。

 ほとんどの街灯が点いていない中、たまたま点いていた街灯が入口を照らしていたのだ。3階建てでそんなに大きな建物ではないが、一つの階に5つの部屋があり一つ一つの部屋は小さい。中に入ると玄関横に小さな流し台がある台所、その奥に六畳間一つという造りだ。一応、トイレとフロが一体となったユニットバスにクローゼットもあり、古い作りながらも一人暮らしには充分な部屋だった。

 この部屋の荷物は少ない。真ん中に折り畳み式のテーブルが一つあり、窓際には一組の布団が畳んである。窓にはカーテンがつけられ、元はベージュ色だと思われるが黄ばんでおり、ところどころ黒ずんでいる。シンプルな物のない部屋であったが、シンプルだからこそ部屋全体が黒ずんでいるのがはっきりとわかった。

 乱雑さもなく、ゴミも落ちてない。埃もない。本来であれば、キレイに整理整頓された部屋。だからこそ、部屋の異様さが浮き彫りになる。畳が、壁紙が、カーテンが、じめじめとした空気に毒されるように黒ずんでいるのだ。

 今いる部屋は3階の一番端にある部屋で、この部屋の窓からはアパートの入口にある街灯が見える。もし誰かがこのアパートに入ってくるならすぐにわかるのでこの部屋を選んだのだ。

 閉まったままのカーテンを少しだけ開ける。その時、手に黒いカビがつくようだったがほんの少しだけガマンした。手を洗おうにも、台所の水道からは茶色いサビ混じりの水しか出てこない。ノドも渇いていたが、それもガマンする。

 じっとアパートの入口を見張っていると不安感だけが募っていく。


 病院ではぐれてしまった多比良さんと小浜君は大丈夫だろうか?


 研修施設で別れてしまった有馬君と有家君はどこにいったのだろう?


 病院で自分を先に逃がしてくれた対馬君、彼は大丈夫だろうか?


 自分を逃がしてくれた時の状況は絶望的で、信じたくなくて、現実逃避するように彼の無事を祈らずにはいられない。

 募る不安から息苦しさを覚えるも、じっと外を見続け、誰か知っている人が来てくれないだろうか?という叶うはずもない願いを祈る。

 そして、アパートの入り口に知らない人影が現れる。ホテル従業員の制服を着た女性だ。迷う事なくアパートに入ってくる。

 しばらくして、3階まで上がってきたのか、扉の向こうから足音が聞こえてくる。ヒタリヒタリとわずかに足を引き摺りながら、台所の曇りガラスの向こうを通ると、玄関扉の前で立ち止まった。


 ガチャガチャ。


 ドアノブを回し玄関扉を開けようとするが、内側から鍵をしているので当然開く事はない。しかし、鍵が差し込まれる音がして開かないはずの扉が開く。


 ズズ、ガチャン。


 彼女はこの部屋の住人なのか!信じられない事だったが、とっさにクローゼットに隠れる事はできた。横にスライドする扉に少し隙間を開けて部屋の中を見ていると、帰ってきた住人は慣れた感じで電気を点け荷物を置き台所に立っている。

 ブツブツとつぶやきながら、台所で料理をしているようだが、水道からは茶色い水しかでなかったはずだ。


 カチャカチャ


 食器を運ぶ音がし、六畳間のテーブルに置かれ食事がはじまる。


「ヒッ」


 あまり明るくない光に照らされた食事は人が口にできる物とは思えなかった。ドロドロの黒いヘドロのような物で、あまりの気持ち悪さに出そうになった悲鳴を必死で抑え込む。


「ああ、マズイ、マズイわ、こんなの食べたくないけど、こんな夜は仕方ない。生き延びるためには食べないと、、、」


 生き延びるため?あの人はバケモノじゃないのだろうか?いや、あんな物は人が食べれる物ではない、それだけでもバケモノだと思える。さっきから顔の表情がよく見えず今まで会ったバケモノと同じか判断がしずらい。


「ワタシは悪くないわ、だって、施設が古いから出火したのよ。ワタシが点検をサボっていたからではないわ。なのに、なのに女将も社長もワタシの責任だって、、、」

「そりゃ、客室清掃のとき、吸い殻をキチンと水で処理しなかったけどね、だからってね、そこから出火するなんて思わないでしょ?ゴミは他にもたくさんあったんだし、まだ掃除しなきゃいけない客室はたくさんあったんだし、、、そうよ、客も客よ、タバコなんて吸って気取っちゃって、タバコの臭いが部屋に残ると臭くなっちゃうってわからないのかしら?そんなことも知らないでプカプカとタバコなんて吸っちゃって、、、」

「それにもじめじめとした夜がずっと続いて気が滅入る。いつになったら朝になるのかしら?」

「アラ、いつから夜のままだったかしら?時間をみるの忘れてたけど、もう一週間ぐらいたってるのかしら?一度も朝がきてないから、まだ一晩もたってないかしら?」


 上司への不満、異常な夜に閉じ込められた理不尽、それらを責めるようにグチグチとしゃべり続けている。しっかりとしゃべり続けている姿を見ると人間のように見える。

 どうすべきか迷っていると愚痴を言い終わったのか食器を台所に片方け、クローゼットに近づいてくる。どうすべきか迷いに結論がでないまま逃げ場のないクローゼットが開けられた。


「・・・」


 女性の表情がはっきりと見えた瞬間、彼女は諦めた。今まで襲ってきたバケモノ同様に血走った目に見つめられ、身動き一つとれず、黒く汚れた手が近づいてくるのをゆっくりと感じながら意識が途切れていった。


 ■■■■■


 奈々子を探して街を歩き回っていた和雄と睦美は鍵が空いていた家の一つにもぐり込み休息をとっていた。


「とりあえず、ここで少し休息しよう。」

「・・・」

「内側から鍵をしたからたぶん大丈夫だと思うけど、まわりを気にするぐらいはしないとね。」

「・・・」

「多比良さんはケガしてない?」

「・・・」


 状況の悪さに心が折れそうになる。和雄はあえて明るい口調で話し、自分達の事だけに話題を集中する事で、いなくなった友人達の事を考えないようにしていた。友人達の事は全て終わってから考えればいい。今は彼女の事が最優先だ。


「小浜君」

「・・・」

「小浜君」

「・・・」

「小浜君!」

「!ご、ゴメン多比良さん、つい考え事を、、、」


 彼女が最優先といいながら、考えに沈んでいたようだ。手をとって強く呼び掛けられて、ハッと気付く。


「小浜君に多比良さんか、、、」


 彼女は苦笑しながら続ける。


「宿泊研修を楽しんでたと思ったら最後の夜はサイアクだね。」

「おフロ入った後なのに汗かくほど走るし。」

「じめじめした空気は気持ち悪いし。」


 グチグチとこの夜の不満を訴えてくるが、女の子らしい不満が混ざっているのに驚く。追い詰められた状況では女性が強いというが、そんな強さが感じられる。


「そして、ちょっと距離ができてた幼馴染みと、久しぶりに二人きりになれたと思ったら、こんな場所でぴったりくっついて、、、私、汗臭かったりしない?」

「え?!」


 正直、今の状況でこんな質問がとんでくるとは思っていなかった。


「いつぐらいからかな?名字で君づけさんづけし始めたの。」

「・・・中学に入ってすぐぐらいだと思う。」


 正確には入学して一週間ぐらいは昔のままだったと思う。中学になり他の小学校出身のクラスメイトにからかわれたぐらいから、意識して名字で呼ぶようになったはずだ。これは自分達だけではなく、中学生になって男女間の意識が出始めると似たような事があちこちでおきていた。


「なんかさ、まわりがそうだから君づけしちゃってたけど、今考えるとナンだったんだろうって思う。」

「・・・」


 脈絡のない会話のようだったが、きっとこの状況では彼女にとって大事な事だと思い黙って聞いている。


「こんな状況になったからかな、もっと素直に幼馴染と仲良くしてればよかったって思う。カズちゃんって昔みたいに呼んでさ。」

「昔みたいに仲良くしたいってのは賛成だな。」


 追い詰められた状況だからか?後悔のないように昔の事を話すなんてのは死亡フラグのように思えるが、今はそんな事は大切ではなかった。


「やっぱさ、中学生だからって変にかっこつけてたのかもな。ちゃんとした大人からしたら大した差はないのに。」


 ちょっとからかわれたぐらいで仲の良かった友達と距離を置くのは、やはり子供なんだろう、それが異性の友達であってもだ。

 大切な友達の一人、いや、正直にいうと異性の友達として多少は意識していた友達と距離ができてしまったのは和雄にも後悔があった。


「男の子同士、女の子同士なら、普通に下の名前とかあだ名とかで呼び合ってるのにね。そういうトコが子供なのかな?」


 苦笑気味ではあったが、彼女の口元には確かな笑みが浮かぶようになっている。


「だからさ、昔にみたいに名前で呼ばない?カズちゃん。」


 いたずらっぽい表情で顔を覗き込んでくる彼女。


「さすがにちゃんづけは無理だから、この歳で同級生の女子にちゃんづけはハズかしすぎるから。せめて君づけで!」

 

 顔が熱をもってくるのを意識しながら、せめてものの妥協案を提示する。


「じゃぁ、カズくんって呼ぶね。だとしたら私もむーちゃんはちょっとなぁ~、なんかのんびりな響きだし、太った人のイメージだし。」


 名前の響きから太った人のイメージというのは女子特有の感性なのだろうか、和雄にとってはよくわからない。


「精一杯妥協して、睦美って呼び捨てでお願いしようかな?」


 それは妥協じゃないと思う。せめて『睦美さん』だと思う。女子の名前を呼び捨てするとは、みんなが呼ぶようなあだ名よりもハードルが高い。


「さて、カズくんにも私の事を名前で呼んでもらおうかしら。ささ、ぷりーず・こーる・みー?」

「・・・睦美」


 少しの間はできてしまったが、覚悟を決めて名前を呼ぶ。思った以上に恥ずかしいが、それは彼女も同じだったのだろう。


「あ、アハハハ、お父さんにも睦美って呼ばれてるけど、それとは違って聞こえるね。なんか慣れないとムズムズするかも。」


 手で顔を扇ぐしぐさをしてゴマかしているが、自分の方も照れくささから顔がアツい。


「「・・・」」


 気まずさのない、穏やかな沈黙。あのサイレンが鳴ってから張りつめていたものが、ほんの少しだけ弛んだ気がする。

 考えなくてはいけない事は多いが、まだ大丈夫、最後の最後まで頑張れそうだ。

 手をつないで、つないだ手から互いに伝わるぬくもりに勇気づけられていると、どこかから車のクラクションの音が鳴り響いてきた。


 ■■■■■


  民家の中を探して用意した道具の中からガムテープを使い、車のクラクションが鳴りっぱなしの状態で固定し、すぐに車から離れる。この音でバケモノ達が集まってくるはず、そして、自分の同級生達も。

 七人ミサキは七人の犠牲者がでるまで終わる事はない。終わらせるためには同級生に協力してもらうしかないだろう。そして、自分がこの世界から抜け出して彼らの事を先生に伝えればいい。証拠写真も撮っているから信じてもらえるし、なによりも自分が伝える事で彼らもここから出られるハズだ。

 じっと待とう、七人ミサキが終わる瞬間まで。


 ■■■■■


 鳴り続けるクラクション。その大きな音に引き寄せられるように警官と同じ年代の男が車をのぞき込んでいる。最初はホテルの従業員らしい男もいたが警官が拳銃で撃ち殺そうとすると逃げ出していった。

 その姿を、いっしょにいた男はゲラゲラと笑っており、その手には大きな中華包丁が握られて物騒極まりない。

 クラクションは道の脇にある軽自動車から鳴っており、ヘッドライトもつきっぱなしで、いかにもワナのような雰囲気だ。こういうのは病院に居た白衣が仕掛けているのか?

 しかし、軽自動車を警官と男がのぞき込んでも何も起きない。

 いったい誰がなんの目的でこんな事をしているのだろう?

 和雄と睦美は少し離れた場所からクラクションを鳴らしていた軽自動車の様子を見ていた。警官と男はクラクションを止めようと運転席に入って何かやっているが、まだクラクションは鳴り続けている。

 ここにいても意味はないのかと考えたが、自分たちと同じようにこのクラクションを聞いて、奈々子が近くにいるかもしれない。もしくは、研修施設ではぐれた有馬と有家の二人もどこかで聞いているのかもしれない。

 そう考え、警官と男に見つからないように回りを探してみようとした瞬間。


 ブゥン!


 風を切る音がして足に激痛が走る。後ろを向くと八景島が金属バットを持って立っており、その金属バットは和雄の足への叩き込まれていた。


「八景島君、何してんの?!」


 睦美が驚いて声を出すが、八景島は無言でふたたび金属バットをフルスウイングする。


 パキッ!


 足の痛みで完全ではなかったが、睦美を左手で押し出し、金属バットへ右手を出して睦美をかばう。その際右の手首から先がおかしな方向へと曲がってしまった。

 右手を押さえて身体を折り曲げる和雄の身体にふたたび金属バットが振り下ろされようとしたが、今度は睦美が八景島を止めようとする。

 男女の力の違いもあり、睦美を振り払った八景島は銀色の笛を取り出して思いっきり吹いた。


 ビュルルルル!


 体育の先生が使う笛と同じ鋭い笛の音がまわりに響き渡り、軽自動車のクラクションを止めようとしていた警官と男がこちらに気付く。


「八景島、オマエなんで、、、」

 ブン!


 和雄の質問には金属バットを投げつける事で答えて全力で逃げ出す八景島。とっさに頭をかばうために出した右手に当たった金属バットはそんなに威力はなかったが、さきのケガに響き動きが止まる。

 そして、動けるようになった時には遅かった。警官と男が二人のすぐ近くまで来ていたのだ。特に警官は拳銃をすでに取り出しており、確実に当てるために両手で構え引き金を引くところだ。


 パン!


 間に合わなかった。拳銃は睦美の足を打ち抜きその場に崩れ落ちる。まだ生きてる、なんとかする方法を!

 そう思いながらも咄嗟に睦美を抱きしめ自分の身体の下に隠す。その瞬間、ふたたび発砲音が。


 パン!パン!パン!


 背中と脇腹に二か所熱い衝撃を受けた。たぶん、拳銃の弾が当たったのだろう。傷をガマンして立ち上がろうにもさきほど八景島が殴った右足はシビレたままで力がほとんど入らない。睦美の方も拳銃で足を撃ち抜かれて無理だろう。


「ゴメン、ゴメンな、、、」

「大丈夫、大丈夫だから、、、」


 和雄の謝罪の言葉に大丈夫とかえす睦美、自分の血なのか彼女の血なのかわからないが、血だらけの手が頬をなでる。

 もう少し早く素直になりたかったな、と思った。ずっといっしょだった関係が、すれ違って距離ができて、また手をつなげるほど近くなったのに終わりだなんて、、、

 背中から中華包丁を持った男がやってきたのだろう足音が聞こえる。拳銃を撃ち尽くした警官が弾を込めなおしている音もする。

 絶体絶命な状況で涙に濡れた彼女だけを見ていた。彼女も自分だけを見つめている。


 そして、首の後ろに衝撃が走った時、意識は真っ暗に途絶えてしまった。


 ■■■■■


 ぼんやりとバスの中を見回す。さっきまで考えていた事がなんだったのかポッカリと抜け落ちていた。


「どうしたの?」


 となりから同級生女子の声が聞こえてくる。今は二泊三日の宿泊研修を終えて帰るバスの車内だった。

 宿泊研修もバスに乗り込む前の退所式で全て終了し、行きのバスでは班毎と決まっていた座席が、帰りのバスでは頻繁に移動しない限り自由になっている。行きではとなりに班員の仁太が座っていたが、今となりに座っているのは幼馴染でもある睦美だった。

 自分以外にも男女で並んで座っているのが結構いて、宿泊研修中にできた彼氏彼女の関係は一種の恒例行事で、その後夏休みで破局するまでがセットになっている。

 まぁ、昔からつきあいのある和雄には関係のない話ではある。彼氏彼女の関係になったのは最近であるが。


「カズくんも疲れた?」

「んー、そうだな、夜遅くまで騒いでたし、なんだかんだで昼間も動きまわったしなぁー、、、ツッ」


 あくびを噛み殺しながら答えていると、口に当てていた右手に痛みが走り顔をゆがめてしまう。


「まだ痛む?」

「大丈夫、大丈夫、急に動かしたからだって、ケガ自体は全然治ってるから。」


 眉をさげながらすまなそうに聞いてくる睦美に明るく笑いながら応えて安心させる。右手のケガは三か月ほど前にしたもので、睦美がかかわっていたりもする。しかし、それをきっかけに昔のようにつきあいがもどり彼氏彼女の関係にまでなった。決して悪い出来事ではなかったのではあるが、当事者としてケガをさせてしまった罪悪感があるのか、ときどき睦美は必要以上に心配する。

 その右手で乱暴にならないように睦美の頭をなでてやると。


「か、軽々しく女の子の頭をなでちゃだめだよ、セクハラになったりするからね。」


 口を少しとがらせながら軽い抗議をしてくる。


「右手は大丈夫だってアピールだよ。それにオレだって相手は選ぶって。」


 精一杯キザっぽく格好つけてアピールしてみる。顔が熱くなってくるが、これも彼氏の義務みたいなものと思いガマン、ガマン。


「あ゛あ゛、もう!リア充爆発しろ!」


 後ろの席に座る仁太が座席ごしの蹴りをお見舞いしてくる。もう一人の班員である三郎からも抗議の声が。


「そうだよ、僕なんかメガネ壊しちゃってヘコんでんのに。」


 三郎は昨夜のふざけ合いの中でメガネを壊してしまい、目を細めて見づらそうにしている。ファッション向けも含めて安くなってるメガネだけど、それなりの値段がするから母親にしかられるのが憂鬱なのだろう。


「そういうのは普段の行いの良さって事。」


 そうやって班員たちの抗議をスルーしていると通路を挟んだとなりの座席からお菓子の箱が差し出される。


「あの、対馬君?研修中に食べようとしてたお菓子がまだ残ってるんだけど、食べない?」


 睦美と同じ班の奈々子がおずおずと差し出していた。


「おお、アンガト!ウチの班長様と違って串山さんは優しいね~。」


 もらったお菓子をおいしそうに食べる仁太、後ろの方にある席では有有コンビともいわれてる有馬と有家が吾妻にさらなる怪談をねだっていた。

 ガヤガヤと騒がしいバスの車内、よくある青春の一コマを写真に撮りたいとは思ったが、今、自分の目で見ている事に価値があるんじゃないかと思った。


 バスは昨日までの夏祭りで神楽を披露されていた広場の前を通るところで、そこで祭りの後片付けが行われていた。街の人達がいろんな物を片付けていく中、祭りの主役であった『八体の石仏』には花や食べ物が供えられ、静かに佇んでいる。


 ■■■■■


 まだ夜が明けない。自分以外の生き残りがまだいるのだろうか?

 研修施設にもどってスマホの充電はしてきたが、アンテナはないのでネットも検索できない。この状況もネット検索できればすぐにでも脱出する方法はわかるだろうに。

 あぁ、また、画面が汚れてしまった。さっきから、いくらキレイにしても赤黒い汚れがついてしまい見づらくなってしまう。

 誰か助けに来てくれないかな?

 それか、自分の代わりにシンデクレナイカナ?


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