ご飯粒がくっ付かないしゃもじがご飯粒がくっ付くようになったときの存在意義について語ろうか
ご飯粒がくっ付かないしゃもじがご飯粒がくっ付くようになったときの存在意義について語ろうか
ご飯粒がくっ付かないしゃもじよ今までありがとう。
ある日ふと気がつくと君にご飯粒が付くようになっていたね。
その日を持って君はその存在意義を失い、ただのしゃもじに成り下がった。
いや、ご飯粒がくっ付くようになったご飯粒がくっ付かないしゃもじはしゃもじ以下の存在だろう。
なぜならただのしゃもじにはある潔さが君には無い。その誇らしげだったご飯がくっ付かない凹凸は不要な装飾になったのだから。
例えるならば若気の至りの当時の彼女の名前のタトゥー、若き日の過ちという所か。
昔日の栄光程虚しい物は無いね。
しかし、安心して欲しいご飯粒がくっ付かないしゃもじよ。今日、僕は新しいしゃもじを買ってきたよ。
その名も立てるしゃもじだ。
彼はしゃもじ立てなどが無くとも一人で立てるすごい奴だ。いままでは炊飯器の上にごろ寝をしていた彼女と違ってピシッと常に直立だ。
僕は早速彼女をゴミ箱に放り込み、新しい彼をビシッと置いてみた。
あれ? 置き場所が斜めで直ぐさま倒れたよ。自立できるように柄が重くなっていて、いい音を立てて倒れやがった。我が家の炊飯器は古い鉄製の台に置かれ、その横も微かに湾曲しているようだ。
さて、自立できない立てるしゃもじの存在意義について語ろうか。以下略