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イタチ憑きの娘  作者: ヒデヲ
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小夜子が生まれた時の話

「あなたが生まれたときね、すっごく大変だったのよ。お医者さんから命が危ないって」


 小夜子が母から生まれた時の話を聞いたのは、七歳の頃だった。きっかけは出産エピソードを聞いてくるという宿題が学校から出されたからだ。

 その日のことを小夜子は妙にはっきりと覚えていて、和室に置かれたコタツに茶色い座椅子に腰掛けながら、縁側の方を向いて話す母の顔を今でも簡単に思い出すことが出来た。

 

 母は優しい人であった。

 小夜子にとって、母が唯一家族の中で甘えられる存在であった。

 父は厳格で恐ろしいし、長女の星羅は妹の小夜子に対して何故だが厳しく、双子である陽子に対しては小夜子はコンプレックスを抱いていて甘えにくい、小夜子にとって一番素直に甘えられるのが母だったのだ。

 

「あの日はね、本当に色んなことがあったの。もうすぐ出産ということになってね、破水って分かるかしら? まあ、とにかくもうすぐ生まれるってことになって、病院で待機してたんだけど、びっくりしたことにいきなり帝王切開で取り出すことになったの。なんでそんなことになったのか、説明受けたんだけどね、妙に難しい単語出たりして正直お母さん、ちっとも分からなかったわ。あの頃の医者って、患者に説明する時、専門用語をばんばん使うのよね。まるでそれが共通語だと言わんばかりに。最近はそういうことはなくて、難しい用語も患者が理解できるように丁寧に説明しなくちゃいけないらしんだけどね。でも、あの時のお医者さんを責めるのは酷かしら、本当に切羽詰ってた様子だったし、きっと丁寧に説明してる余裕がなかったのかもしれないわね。少し話が脱線しちゃったかしら、どこまで話したっけ? ああそうそう、手術ね」

 

 母は肩をすくめて、苦笑を浮かべた。それからコタツの上に置いてあった湯呑みを口につけて話の続きをする。

 

「それでまあ、手術することになって、ああ、たしかその時だったかしら、お父さんが慌てた様子でやってきたんだけど・・・・・・お父さんには悪いけどちょっと面白かったわね、普段は厳つい表情してるくせに、手術するって話したらすごく不安そうな顔するのよ。それがなんだが可笑しくてね。えっ、手術は怖くなかったのかって? そうねえ、最初はあんまり現実味なかったんだけどね、いざ手術直前となったら看護婦さんから『この手術が終われば立派な双子のお母さんになりますよ』とか言って手を握ってくれたの。自覚なかったんだけどね、どうやら顔が少し青くなって震えていたみたいなの。その時、私はようやく、ああそうか私は怖いのかって気付いたの。ちょっとどうしようもないくらい鈍かったわね」


 恥ずかしそうに笑う母は、照れ隠しに湯呑みを手に取り、ぐいっと口につけて傾けると、気管に入ってしまったのか、激しくむせた。心配になるほどむせ込みが続き、小夜子は母の背中を擦ってあげた。薄い背中で、硬い骨がくっきりと浮かんでいて、骨格の形がありありと分かった。昔はもっとふっくらとした体つきだったはずと、小夜子は記憶の中の母と現在の母の違いに驚きと悲しみを感じていた。


「ごめんさいね。ちょっと慌てすぎたみたい。ありがと、もう大丈夫だから。・・・・・・それで手術だけど、正直全然覚えてないのよね、麻酔のせいか記憶が朧気で、いつの間にか二人の赤ん坊が看護婦さんに抱かれてたの。ああでも、看護婦さんに抱かれてたあなたたちの様子ははっきり覚えてるわ。陽子の方はびっくりするぐらい大声で泣いていてね、驚くぐらい元気な赤ちゃんだったわね。でも、反面あなたはすごい大人しかったわ。赤ん坊ってね、生まれた時泣かないといけないの。今までお母さんのおなかの中で、お母さんの息を吸って生きてたけど、生まれたら自力で呼吸しなくちゃいけなくなるから、息を吸うために赤ん坊は泣くのよ。産声ってやつね。ああ、そうだったわ、帝王切開ってことになったのも、片方の赤ちゃんの様子が危ないからって説明されたからだったけ。はっきり言って、実際見るまではそんなことないって心の中で思ってたの。私の赤ちゃんは二人ともちゃんと元気に生まれるって信じてた。だからこそショックだったわね、ちっとも泣かないあなたを見て。その後、あなたは看護婦さんに抱かれてどこかに連れてかれたの」


 小夜子は自分が生まれた時、命の危険があったなんて知らなかった。そのことに少なからず驚きを感じ、食い入るように母の口から語られる事実に聞き入っていた。

 母はふうっと息を吐いて、思案気な様子で顎に手を添える。当時の記憶を探っているのだろうか、少し難しい顔してうんうんと唸っていた。それがなんだが小夜子にはじれったくて、足をもじもじさせて目で続きを早くと訴えた。


「あの後、お医者さんから三日で山だって言われたわ。それから毎晩私は眠れなくてね、できることならずっと近くで見守ってあげたかったわ。でも、同時に見たくないって気持ちもあったの。だって一日経つたびにあなたが衰弱していくのが分かってしまって・・・・・・お母さんすっごく苦しかった。でも奇跡も信じてた。きっと良くなるって。そしたら本当に奇跡が起きたわ。医者から言われた三日目を超えて、あなたは少しずつ元気になっていったのよ。お母さんうれしくてうれし・・・・・・」


 母の声が鼻声になり、擦れていく。

 小夜子は母が突然泣き出したので、どうすればいいのか分からず茫然としてしまった。とにかくちり紙を持ってきて目の前に置いてあげた。

 しばらく母は顔を俯いて鼻をすすっていた。小夜子は泣いている姿を凝視するのも悪いと思い、縁側の方を向いていた。母の泣き声を聞いていると、なんだが小夜子は胸が暖かいものに満ちて、自分も泣きたくなってきた。


「ありがとね。ちょっと恥ずかしいところ見せちゃった。でも不思議ね、あなたが助かったって分かった時は本当にうれしかったの。だけど今みたいに泣かなかったわ。なのに、こうやってちゃんと成長してくれたあなたを見ながら話してたら、なんか込み上げるものがあって・・・・・・」


 また母は目に涙を浮かべ、指で涙を拭いた。

 

「ごめんね。今日はもう続き話せそうもないわ。また、今度ね」


 そうして小夜子の生まれた日の話は一旦終わりを告げた。

 しかし、小夜子がこの話の続きを母から再び聞くことはなかった。それはまた母が泣いてしまうのではないかと心配して続きをお願いしなかったからや、そのうち聞くこと自体忘れてしまっていたからなど、話を聞く機会を先延ばししているうちに、母が病気で亡くなってしまったからだ。

 

 

 

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