王と雷光 -3
あちらこちらで剣撃の音が響く。
夜の丘にて展開される、魔族と人間の戦い。
その中心に居るのは二組の猛者たち。
ブリッツとストレングス・ソルダート。
クレマシオンとライン。
猛者たちは松明の光しかない、暗闇で、剣の舞を繰り広げる。
ブリッツは『疾風の雷光』で身体強化し、周囲を飛び回って攻撃するというヒット&アウェイを繰り返し、
ストレングスはそれを防ぎ、時にはいなして反撃する。
構図としては先ほど何も変わらない。
が、先ほどに比べて、ストレングスの攻撃は掠る気配すらなくなっていた。
「ッ、」
口の端に滲んだ悔し気な表情。
ブリッツの攻撃をいなした後、すぐに反撃に転じても、攻撃が当たる前にブリッツは次の場所に移動する。
―――速度が上がっている。
あれがマックスではなかった。
そして今もなお、彼の速度は上がり続けている。
それは移動速度だけではない。攻撃速度も上がり続けている。
もっとも、
「速度は上がっても攻撃の荒々しさと愚直具合は変わらないな。余裕で防ぐことができる」
「んだと! ハッ、その割に防戦一方じゃねえか! お前だって一撃も当たってねえだろうが!」
「ハエを叩くは案外難しいものだ」
「は……お前ぜってえ殺す!」
そうしてより激しさを増していくブリッツとストレングスの戦闘。
もっとも、激しさを増しているのはブリッツだけだが。
・・・
対して、少し離れたで構えているクレマシオンとラインは、数度打ち合った後、再び距離を取っていた。
そして微動だにせず、お互い構えて動かない。
刀の先を一寸たりとも動かさず、身震い一つせず、互いに静かに見つめ合っている。
「……」
「……」
ブリッツとストレングスの戦闘とは明らかに対極的。
まるで二人を取り囲む空気ごと硬直してしまったかのような、異空間的なまでの静寂。
数度の打ち合いで、互いの力量はおおむね把握した。
故に、
二人にはおそらく、裁縫糸の如きか弱く細い緊張の糸の群れが、刃を中心に身体の周辺に張り巡らされているように見えているのだろう。
赤外線センサーのようなもの。少しでも無駄な動きをしてしまえば、たちまち糸は切れて、相手に隙を見せることになる。
故に、さきに動いた方が負ける。
その緊張感は、むしろブリッツとストレングスの戦闘の比にならないほど濃密で重厚なものだった。
―――が、
「……睨み合っていても始まらんのう」
そう言ってクレマシオンは構えを解いて刀を下ろした。
そして肩を竦めて、
「お前さんは相当の手練れだ。分かる。故に中々わしも踏み込めん」
「それはどうも……とでもいえばいいか?」
「つれないのう、敵から称賛されることなぞ普通はないぞ?」
「そうだろうな。お前ら魔族は異常だからな」
「どうしてそう差別したがるのじゃ……まあ、今に始まった事でもなし、わしは別によいが……」
そう、クレマシオンがため息を吐いたときだった。
刹那、クレマシオンの背後から矢が飛び出し、ラインに迫った。
「ッ!!」
彼は慌ててそれを避ける。
しかし不意打ちだったため必要以上に大きく避けてしまい、隙を生む。
そこに、
「――――勝てばいいんじゃよ」
踏み込み、振るわれるクレマシオンの刀。
刃は無駄のない動きで下段から弧を描き、ラインの顔面を両断せんと迫る。
それをラインは強引に腕を振るい、剣で弾く。
「ほ! やるのう!」
「ッ、卑怯者!」
「それを言うのはまだ早いのう」
間髪入れず、再びどこからともなく矢が飛んでくる。
ラインはそれをも弾き、今度は自ら踏み込む。
しかし、
「雑な攻撃じゃ。動揺が切っ先にまで伝わっておるぞ」
そう嘲笑を浮かべ、クレマシオンは全身の力を抜く。
――――歩法の弐『気霧散々』
ラインは剣を振るった。
クレマシオンはそれを刀で防いだ。
ガギンッ、と金属の衝突音が響いた。
―――が、次の瞬間、
「なっ!?」
クレマシオンの姿が目の前から消えた。
刀が衝突した、一瞬前までその手ごたえはあった。
しかしその直後、即座に手ごたえは消失し、クレマシオンの姿も消えていた。
今、剣と振るった手に残っているのは、まるで霧でも切ったかのような空虚な感覚だけ。
「魔法か!」
「半分正解じゃ」
刹那、
ラインを背中を切りつけられた。
それは鎧によって防がれるが、切られた鎧の背中部分は剥がれて地面に落ちる。
「ッ!」
「ほう、上質な鎧じゃ。一撃では身体まで通らんかったか」
「くそ!」
ラインは剣を振るう。
しかしそれはまたも霧を切るようにクレマシオンの体を通り抜け、同時に彼の姿は霧散する。
―――幻覚か。
そう判断したラインは自らの舌を噛む。激痛が全身を駆け巡り、口の中に鉄の味が広がる。
しかし、
「それではいかんのう」
今度は右肩の鎧を切断され、剥がされる。
それに驚いている間に今度は左肩の鎧を剥される。
残っているのは腰から下と胸、それに小手。
そこでクレマシオンは姿を現して、
「お前さんには一生掴めんよ」
―――次で終いじゃ、と。
それだけ言って再び姿を消した。
歩法の弐『気霧散々』
これは幻覚ではなく、霧の魔法とクレマシオンの足運びを組合せた技だ。
クレマシオンが独特の緩急をつけた足運びで相手の意識をかく乱し、
更に霧の魔法で残像を残すことで霧のようにように消えたように錯覚させる。
そして相手は、
錯覚を理解する間もなく、
両断される。
―――――――理解はしている。
ラインは、既に分析を終えていた。
幻覚でないなら一種の技。その効果はこちらの意識をかく乱すること。
そしてその隙を突いて剣撃が襲ってくる。
……だが、それは裏を返せば、分身や分裂の類ではないということ。
つまり、攻撃が行われるのは一か所のみ。
刀は一本、敵は一人なのだから。
そう思って、ラインは気持ちを落ち着かせ、その場に跪き、居合抜きのように剣を静かに構える。
そして神経を、感覚を限界以上に研ぎ澄ませる。
闇の中に混じっている敵の呼吸、微かな足音、
気配、臭い、
刀を振る瞬間の空気の揺らぎ、敵意の動き、
何もかもを五感とそれ以上の感覚で感じ取る。
そして、それに対してカウンターを返す。
敵はこの足運びの技に絶対の自信を持っている。故にすぐに止めを刺さず鎧を剥いだのだ。
なら、それこそがこい隙。
――――打ちに来たところを打ち返す。来い……
ラインはクレマシオンの攻撃を待った。
唯一にして最大のチャンスを掴むために。
「……」
しかし、
「…………」
……何かがおかしい。
ラインは何も感じ取れなかった。
それはつまり、何も動いていないということ。
ラインの周囲では何物も動いていないということ。
「―――――ッ!!」
そこで彼の背中に悪寒が走った。
自分が取った愚かしい行動に、
そして自体が最悪の方向に動いてしまったことに気が付いたからだ。
ラインは慌てて立ち上がり、別の方を見て、叫んだ。
「王ッ!」
・・・
ブリッツとストレングスは変わらず激しい打ち合いをしていた。
しかし、ブリッツも正攻法では勝てないと悟ったのだろう、彼はストレングスから少し離れたところで足を大きく振りかぶり、
「これでも喰らえ!」
地面を蹴った。
そうして抉られた土がストレングスの方に飛んでくる。
さすがのストレングスも、目に土が入らないように腕で顔を守りつつ、横に飛んで躱す。
しかしそうしてできた微かな隙にブリッツは最速で突っ込む。
「そこだ!」
「浅い!」
しかしその跳び込んで来たブリッツすらも彼は紙一重で避け、その顔面にカウンターで拳を叩き込んだ。
「がはっ!」
ブリッツは大きく後方に跳び、地面に転がる。
その後、すぐに彼は立ち上がったが、
「があああ! 鼻が! いってええ!」
かなりの勢いで鼻血が出ている。おそらく鼻の骨も折れているだろう。
それを見てストレングスは鼻で笑い、
「砂遊びに鼻血か。やはり子供だな。子供はよく鼻血を出すものだ」
「いやお前のせいだろうが! 思いっきり殴りやがって!」
「加速が付いていた分、よく飛んだな」
「話聞けよ! このクソジジイ!」
ブリッツは「ふんっ」と力んで鼻血をすべて出しきると、袖で血を拭い、再び稲妻を纏う。
それを見てストレングスは呆れてため息を吐く。
――――馬鹿の一つ覚えか。
剣を構えるが、その様子はやや渋々といったところ。
もはやどれだけ速度が上がろうと、単調な攻撃故全て分かってしまう。
戦いの体をなしていない。
それをブリッツはわかっておらず、やはり同じように跳躍し、ストレングスに襲いかかる。
―――子供ゆえ、穏便に済ませようと思っていたが………これ以上は時間の無駄だ。
そう自身の内で結論が出たストレングスは、剣を構え直す。
いや、正しくは心を構え直したのだ。
相手が「敵わない」と諦めるのを待つ構えから、
殺す構えに。
「――――――――」
その殺気の変化には、ブリッツも気がついていた。
研ぎ澄まされたギロチンのごとき殺気。
しかしそれでもなお、彼は前に進む。敵に挑む。
―――二度と負けねえ。絶対に。
彼はそう、自分に強く誓っていたから。
戦いの最中、ずっと脳裏にちらついていた。
ドルンの森での、あの無様な敗北が。
意識を失っていた間は、あの魔法使いに吹き飛ばされた瞬間が永遠のようにループしていた。
それを今夜、払拭する。
悪夢を切り裂く。
その覚悟でブリッツはこの一戦に身を投じているのだ。
故に止まらない。
諦めない。
絶対に負けない!
「行くぞ馬鹿の王さまあっ!!」
今度はその意気込みをストレングスが感じとり、自然と口角が興奮気にあがる。
「来い! 若造が!!」
そしてブリッツは跳び回った後、助走をつけ、今までのかで最大速度でストレングスに突っ込んだ。
しかも正面突破。
ストレングスの目の前に、もはや雷光と化したブリッツが踏み込み、刃を振るう。
しかしそのタイミングに合わせて、ストレングスは剣を振り下ろす。
力か技か。
速度か経験か。
互いの切っ先が、互いの体に触れようとした。
その瞬間だった。
「甘いのう」
ストレングスだけではない、ブリッツにとっても不意だった。
まったく意識の外、ストレングスの背後から、まるで霧が突然形を持ったかのように刀が現れた。
クレマシオンだ。
「「ッッ!!」」
二人にとって、完全に予想外だった。そのため二人の剣は体の硬直とともに止まった、が。
クレマシオンの刀は止まらない。
鋭く、静かに、躊躇いなく振るわれる。
そして、―――――――
「王ッ!!」
刀が届くよりも一瞬早く、ラインがストレングスを突き飛ばした。
そしておはじきのようにラインはその場にとどまり、
斬られた。
庇った時にクレマシオンの方に背中を向けてしまい、
逆袈裟に、横腹の下を辺りから肩にかけて、綺麗に両断された。
「あぁ……お、う……」
二つに分断された肉塊は、それでも最後まで自らの王のことを案じていた。
その姿を見て、呻きのような声を聞いて、
ストレングスの剣を握る手に力が入る。それこそ、剣の柄が壊れてしまいそうなほどに。
そして闇から姿を現したクレマシオンをキッと睨む。
彼は剣を構えて、踏み込むために両脚に力を籠める。
しかし、
「何してんだてめえっ!」
彼よりも先に切り込んだのは、ブリッツだった。
ブリッツは『疾風の雷光』を発動し、クレマシオンに跳びかかる。
しかも手加減のない、ストレングスに使ったのと同様、本気の速度で。
放たれる飛び蹴り。
が、
「……うるさいのう」
クレマシオンはそれをいとも容易く躱し、刀の峰で撃ち落とした。
腹を峰打ちされ、背中から地面に叩きつけられるブリッツ。
「ッかはっ!」
地面で悶える彼を見下ろし、クレマシオンはため息を吐きつつ言う。
「言ったじゃろう。これは大事ないう戦の一つじゃと」
次いで諭すような口調になる。
「戦とは、すなわち交渉の『手段』じゃ。戦そのものに対した意味はない。大切なのはわしらの要求、目的、信念。それを忘れるでない、馬鹿者」
そして、とクレマシオンはストレングスの方を見る。
「その要求故に、そこの王様には死んでもらう」
「……なるほど、戦とは手段か。確かに、当たり前すぎて忘れていた」
そう答えたストレングスの瞳は今なお怒りの炎が燃えたぎっている。しかし同時に冷静さも取り戻していた。
まるでバーナーの火のように、鋭く、揺らぎなく、静かに、それでいて一層激しく燃える炎。
その瞳でクレマシオンを見返し、ストレングスは問う。
「魔族よ。ならばお前たちのその『目的』というものは何だ? 俺を殺して何の意味がある?」
「なに、殺すのは保険じゃよ」
「保険、だと?」
「うむ。もう分かっておるじゃろ? 国王を狙ったのじゃ。そうなると狙いは一つしかないじゃろう」
「……やはり、ソルダートへの攻撃か」
「そのソルダートの壊滅じゃ。ドルン同様、木端微塵にしてやろうぞ」
「なるほど、やはりそう言う腹か……ッ」
そこでストレングスは踏み込んだ。
気づいたクレマシオンはやや慌てて刀を構え、攻撃を防ぐ。
ガギンッ、と金属同士の衝突音。
「最初から本命は俺の国だったと……そのための餌がドルンだったということか。ハッ、さながら俺は罠に跳び込んだ猪と言ったところか」
自嘲的に鼻で笑うストレングス。しかし剣に込めている力はゆるぎない。
その様子にクレマシオンも鼻で笑う。
「なんじゃ? まんまと乗せられたことに怒っておるのか?」
「ああ、全く持ってその通りだ。ホントに最低の気分だ」
ドルンで大量の仲間を失い、
この夜襲で更に被害を出し、近衛兵を一人失い、
揚句目の前で国を亡ぼすという宣言をされて、
そしてそれが全て自分が招いた、自分のうぬぼれが招いたことだと理解して、
――――本当に、腹を切りたくなるほど自分に怒り狂っている。
だが、
「――――それでも、俺は王だ」
ストレングスはクレマシオンの剣を弾く。
そして足元で呻いているブリッツを掴むと、それをクレマシオンに投げつけた。
クレマシオンはそれを受け止め……ず、避けて、
地面にブリッツは激突する。
「うげっ! お、お前……クソマシオン……」
「いやぁすまんのう。戦いの最中じゃから」
「ぜってえ殺す……」
なんて二人が会話している間に、ストレングスは……否、
「魔族如きが、片腹痛いわ! 貴様らは『王』というものを、『王国』というものを理解しておらん」
ソルダート王国国王『ストレングス・ソルダート』は叫ぶ。
「――――――『王』とは、国の未来の先頭に立ち、あらゆる人民・資源・財貨を束ね、統べる者のことを指すのだ! そして『王国』とは王が統治している領域を示す! 故に王国があるから王が在るのではない。王在る場所が王国なのだ!」
すなわち、と。
「このストレングス・ソルダートがいる場所、今、ここが我が王国である!! 王国を滅ぼす? 俺を殺すことが保険だと? 下劣な魔族どもが! この俺を殺さずして王国を滅ぼすなど、その時点で矛盾しておるわ!!」
その叫びは兵士たちの耳にも届いていた。
彼の声を聴き、兵士たちもまた叫び出し、勢いが増す。
その様子を見て、クレマシオンは呆れて首を横に振る。
「いやはや、ここまでやられると逆に可笑しくなってくるわい。まったく、舌の回る奴じゃ」
そう言い、クレマシオンはストレングスに切りかかる。
しかしその途中で彼は霧になって消え、刹那、ストレングスの背後に現れ、刀を振るう。
ガギンッ、――――――
それをストレングスは防ぎ、クレマシオンはなお笑う。
「おまけに剣の業も……いや、剣だけではないな。身のこなし全て、言うならば『戦の才』じゃな。それもまた一級品じゃ」
「ふん、敵からの賛美など、馬のクソほどの価値もない」
「賛美なぞしとらんよ」
そうして一度互いに距離をとり、
そして二人はまた互いに踏み込む。
「小競り合いはそこまで」
そこに女性の声が響いた。
ストレングスとクレマシオンは足を止め、そして目を見開いた。
二人の間、そこに空から一人の女性が降ってきたのだ。
女性はフワリと、音一つ立てず、重力を消したかのように着地した。
戦場には明らかに似つかわしくない、メイド服を着た、メイドとしか思えない魔族の女性。
『フライデー』はチラリと両者を見る。
「両軍、剣をお納めください。それ以上戦闘を行うというならば、この場に居る魔族、人間、もろともに私が排除させていただきます」
袖口から連なった刃の群れが出現させ、それぞれストレングスとクレマシオンの目の前に突きつけた。