ソルダートへの夜襲 -2
――――――嘘だろ?
民衆も、城門前を警備していた兵士も含め、その場に居た誰もがそう思った。
目の前の閉められた城門。
別にゾンビがすぐそこまで来たわけでも、ましてや避難が完了したわけでもない。
それなのに、城門が閉められたのだ。
目の前で巨大な門がしまっていったそのさまは、まるで人生そのものの門を閉められているような絶望感を抱かせた。
数拍の間の後、皆が騒ぎ始める。
「う、嘘だろ……嘘だろ……」
放心し、そう繰り返す者も居れば、
「ふざけんじゃねぇぞ!! あいつら、俺たちを見捨てやがった!! クズめ!」
そう激昂する者も現れる。
混乱の波は瞬く間に拡大し、収集がつけられなくなる。
残された兵士たちは、何とかその場を納めようと呼び掛ける。
しかし目の前で城門を閉められたというショックと、時間帯的に酒気帯びの人間が多いため、民衆たちの怒りと絶望はより大きくなっていく。
「落ち着け! 屍体は東から発生している。対して西門とはちゃんと連絡がとれている。今他国に応援を要請し、西から安全な場所に避難できるよう我々も動いて」
「適当なことをいうな! ならなんで大臣らは城に閉じ籠ってんだよ!」
「俺たちを囮か、生け贄にしようってんだろ! 冗談じゃねえ!」
「この悪魔どもめ! 魔族もお前らも変わらねえよ! おらぁ死にたくねぇ!」
様々な言葉が飛び交い、民衆のなかで憶測だけが膨らんでいく。もちろん生け贄にしようなんて、兵士たちは考えていない。
やがて場の空気は、城に入りたい民衆と門前払いする兵士たちという構図に変わっていく。
前線で言い争っている者たちの頭には、もはや『ゾンビ、屍体』といった言葉はないだろう。
「さっさと開けやがれ! 殺すぞクソ役立たず!」
など、罵詈雑言が飛び交っている。
そこから離れたところでは、冷静に情報を聞いていた何人かの住民が、
「おい、西は安全らしいぞ」
「西だって、避難したらいいのは」
「ここにいてもしょうがないわ。私たちだけでも逃げましょう」
徐々に徐々に西へと移動していき、民衆は大まかに『抗議隊』と『避難隊』の二つに別れる。
それに合わせて兵士たちも密かに、避難者らを警護する班と、抗議隊に避難を促す班の二班に分かれる。
――――――その様子を、城下町の教会の鐘楼の屋根からフライデーは眺めていた。
問題が起こっている城門前まではおよそ10km。
その距離を、彼女は視覚強化系の魔法すら使わず視認する。
城門前は後から避難してきた住民も混じって、抗議が激しさを増している。あとから来た者たちは『城門を閉められた。見捨てられた』という情報しか得られないからだ。故に続々と無駄な抗議に加わっていく。
『何が何だかわからないけど、とりあえず皆並んでいるから行列に並ぶ』、その心理にそっくりだ。
人は一人では生きられない。故に群れるのだ。
それが良い時もあれば悪い時もある。
「これは悪い事例ですね」
次いでフライデーは町の状況を見る。
ゾンビは東の城門から侵入させたため、騒ぎはまだそこにとどまっている。
しかし徐々に住民同士が情報を伝達しあい、あちらこちらで避難や家のドアを閉めたり、在り合わせのバリケードを作るなどの動きが活発化してきている。
しかし西門辺りは酷い。『兵士たちが何とかしてくれるだろう』と逃げることすらせずバカ騒ぎを続けているところもある。故に城門前から避難してきた人間とその場の人間で酷く温度差があり、より混乱を招いている。
そして何より兵士たちがそれらをまとめられていない。何とか見かけだけはしっかりしようとしているが、実際オロオロしているだけの者が大半だ。
住民も兵士も滑稽極まりない。
危機感の欠如。自己判断力の欠如。責任感の欠如。
まさに平和という病に侵された滑稽な人間、その模範事例だ。
「……愚かな」
それらの行動を見て、彼女は嘆息を零さずにはいられなかった。
何のためにスピードの鈍いゾンビに襲わせたと思っているのか。
「『被害を最小限に』で、ございますか……」
フライデーは作戦前の魔王の言葉を思い出し、額を抑える。
避難しない住民。避難したくてもどこに逃げればいいか分からない住民。訳も分からず行列に並ぶ住民。
自分の役割を果たせない兵士。役割を放棄して逃げる兵士。自分の持ち場ではないから関係ないと無関心を決め込む兵士。リーダーがいないと何の判断もできない兵士。
おそらくこのソルダートという国始まって以来の大事件のはずなのに、一致団結できない人間たち。
彼女はリューゲ・ヴォールの言葉を思い出し、嘲笑が零れた。
「『共通の敵を持つことで団結できる』ですか。確かに、素晴らしい団結力です」
――――――まあ、もっとも、魔族も他人事ではないのですが。
魔族もまた、人間と同じ社会的な生き物だ。
今はまだこのような状況になっていないだけ。そう思っていた方がいいだろう。
そういう点では、今回はいい経験になったと、フライデーは思考を締めくくり、
「…………さて、いつになったら避難は完了するのでしょうか」
気長に待たせていただきます、と。
今度はそう、退屈にため息を吐いた。
・・・
モーリスは会議室に入り、他の管理職の兵士たちにならって、壁を背にして整列していた。
「なぜ城門を閉めたのですか!!?」
会議室に怒声が響いた。
怒りを露にしているのは城下町内の見回り、取り締まりなどをしている『治安維持大臣』だ。
他にも、部屋の中央にある巨大で豪奢な長テーブルには9人の大臣が向かい合って着席している。
大臣は全部で10人。王を含めると11人となる。
会議や議会での決定は常に多数決だ。
したがって、速やかな進行のため、王と大臣を足した人数は必ず奇数になるよう法律で決められている。
しかし今日は王がいないため、偶数の10人。故に会議はやや難航気味となっていた。
「敵を城壁内に侵入させてしまった場合、民を城内に避難させ、その後に反撃に徹する。これが代々ソルダートで行われてきた非常時の決まりごとだったはず」
「それを無視して城門を閉めるなど……民を見捨てた。言い訳はできんぞ?」
治安維持大臣の発言を他の大臣数人が擁護する。
しかし、
「それはあくまでも、通常時の非常時の話だ」
それに総合的な統括をしている『内政大臣』が反論する。
「今回の場合は国王が不在という極めて異例の事態だ」
想定外のことだ、と。まるで、自分に一切責任がないかのように内政大臣は鼻を鳴らす。
その傲慢な態度に、他の大臣たちは苛立ちを隠しきれず、青筋を浮かべて声を荒げる。
「内政大臣、これは問題ですよ! 想定外では済まされない!」
「いくら想定外だったとしても、城門を閉める理由にはならないだろう!」
そう口々に怒鳴る大臣らに、内政大臣も怒りを返し、口論になる。
「何が最善か考えろ! 国王不在の今、誰がこの城を守るのだ!」
「その最善策が城門の閉鎖だと? ふざけるな!」
「城を守らねば、国王の場所がなくなる。それは確実に最悪の事態を招く! 仮に城下町が壊滅したとしても城が残っていれば国はまた再建される。が、城がなければ王の帰る場所がなくなる。そうなればソルダートそのものの歴史が終わることになるぞ!」
「大層なことを。本心を言ってみろ。所詮貴様の保身だろうが! 民は二の次としか考えていない!」
「なんとでもいえ! 私はこれが最善だと確信している! 国王ももう二三日でお戻りになられるばずだ。それまで耐えれば問題ない」
「もういい! そんな謝った判断をする者はこの場にふさわしくない! 今すぐ辞任すべきだ!」
なんて、構図は『内政大臣vsその他大臣』というものに変わっていき、会議の流れはいつの間にか内政大臣の辞任へと移ってく。
――――――まるで茶番劇だ。
モーリスを含め、壁沿いに立っている兵士全員が思ったに違いない。
目の前で大臣たちは熱心に話をしている。
しかしそれは城門を閉めたことの正誤についてばかり。
それどころか話はいつの間にか内政大臣の認否に刷り変わっている。
誰もこの後のことについて―――つまり、ゾンビへの対策について話をしようとしないのだ。
誰もが判断を恐れている。
権力、権限は欲しいが責任はいらない。
目の前で行われている討論のまがい物は、なおヒドイ、駄々っ子たちの口喧嘩になり果てていた。
―――いつになったら終わるのか。いつまで見せられなければならないのか。
いつになったら俺たちは動けるのか。
命令がないと動けないのが兵士の性。
発生源の東門には、ケーラの兵士たちも向かってくれたと聞いている。とりあえずひと安心だが、だとしても、本国の兵士がいつまでも応援に向かわないというのは面子がたたない。あまりにも情けない話だ。
二つの意味でも、一刻も早く動かなければならないのに……
兵士たちは苛立ちをこらえるのに必死だった。
・・・
東城門前。そこは既に、
「こらえろ! 何としてもここで撃退するのだっ!」
「ゾンビどもを城に近づけるんじゃない!」
緊縛した兵士たちの声と、肉が切り裂かれる湿った音が満ちる戦場と化していた。
ゾンビは動きが遅いうえに、『掴む』『噛む』程度の単純な行動しかないため、一体一体は容易く切り捨てることができる。
しかし兵力に対して数が多すぎる。
兵士が一体切り伏せる間に二体が襲いかかってくる。
二体処理する間に三体が、と。
切っても切っても切りがない。
「クソ! 最悪だ畜生!」
屍体を切り裂きつつ、兵士の一人がそう吐き捨てる。
その言葉の通り、現状は最悪だ。
敵戦力は不明。自軍は消耗し始めており、援軍は期待できない。かといって退くわけにも行かない。
終わりの見えない状況と、立ち込める膨大な死臭で気がどうにかなってしまいそうだ‼️
兵士たちの何人かは背後を振り替える。そこには城へと続く道がある。さっきまで賑わっていた通りは、今はもう誰も居らず、閑散としている。
――――――この通りを全力で走り抜け、逃げてしまいたい。
そう考えていても、逃げることが許されないのが兵士である。
何としてもこの屍体どもを水際で止めなければならない。
その使命感が兵士たちの背後に見えない壁を作っていた。
「怯むな! 押し返すぞ!」
「相手は動きの鈍い屍体だ! 俺たちが負けるはずがない!」
兵士たちはそう互いに互いを奮い立たせ合う。が、その気力もいつまで持つか。
無限にも思えるゾンビの群れ。それを駆除駆逐するまで持つだろうか。
奮い立つ覇気の裏で、まるで足元から夜闇が染み込んできているかのごとき絶望が、微かな芽生え始めたときだった。
「え、援軍だ!!」
「「「ッッッ!!!??」」」
一人の叫びに、全員が反応した。
皆の視線の先。城門へと続く大通り。
その向こうから確かに、松明の光と共に多くの人影がやって来るのが見えた。
そして徐々に照らされたその肩、兜に刻まれている紋章が視認できるようになる。
「あれは……ケーラです!」
「支援に来てくれていたケーラの者たちか!」
全員の表情が一気に明るくなる。
その援軍の姿は、まるで神が遣わした天の使徒のように見えただろう。
ケーラの騎馬隊は巧みな馬術でゾンビとソルダート兵の間に割って入り、ゾンビどもを退ける。
「怪我はないか?」
ケーラの隊長は落ち着いた口調でソルダートの隊長に問う。
ソルダートの隊長は安堵し、そして多大な感謝を胸に抱えながら深く頷いた。
「ああ。援軍に来てくれて本当にありがとう」
「礼には及ばん」
そう返すと、ケーラの隊長は戦況を把握するように辺りを見回して、再びソルダートの隊長に問う。
「敵の数は不明か?」
「ああ。既に100体程倒しているが、切っても切っても湧いてくるような状況だ」
「なるほど。こちらの兵力はどのくらいか?」
「兵士の数は20人ですが、うち何人かは負傷している。実際に動けるのは15人」
「負傷した兵は安全な場所に?」
「ああ。先に西に避難させた。残っているのは我らだけだ」
「――――――なるほど」
「そちらの兵力はどれだけ………」
そう、ソルダートの隊長が問おうとした、刹那だった。
彼の首が飛んだのは。
「「「「「ッ!?!?!?」」」」
ソルダート部隊は、何が起こったのかわからなかった。
理解が追いつかず、一瞬、ゾンビが攻撃したのかとすら思った。
その思考停止状態の、止まった時間の中を、
「……殺せ」
ケーラの隊長の冷徹な声が抜けた。
その瞬間、今までゾンビと相対していたケーラの兵が一斉にきびすを返し、ソルダートの兵の方を向く。
そして、切りかかった。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
叫び声は、切りかかった側のものか、それとも逃げた側のものか。
蠢く死者を背景に、生者たちの殺し合いが展開する。
いや、殺し合いというよりは一方的な殺戮だ。
屍体の腐敗した肉が落ちる音に、飛沫が散る音が加わる。
「な、何がどうなってるんだ!!」
あまりの状況の変かに対応できず、逃げ惑うソルダートの兵たちを、まるでハエでも殺すかのように切っていくケーラの兵たち。
同時に、城からここが見られないよう灯りも消していく。
そうして、ソルダートの兵は最後の一人になり、
「う、裏切ったのか……」
震える声でそう訊かれ、ケーラの隊長は淡々と答えた。
「それ以外にどう見える?」
そして、最後の首をはねた。
その後、きちんと殺した兵士の数を数えると、
「死体を隠した後、手はず通り数人ソルダートの鎧を着ろ。それとゾンビどもにもソルダートの鎧を着せてやれ。この暗闇だ。城からの目はそれで十分誤魔化せる」
「隊長…………本当にゾンビは、我々を襲わないのですか?」
「ああ。そういう協定になっている」
恐る恐る訊く兵士に隊長は答え、
「大丈夫だ。魔族を信じろ」
ニヤリと笑った。
その言葉通り、本当にゾンビはケーラ兵を襲うことなく、また抵抗せず、鎧を着せることができた。
そして鎧を着たゾンビは、まるでスイッチを切り替えたように鎧を着ていないゾンビの方を向き、剣を構える。
相変わらずその立ち振舞いはヨロけていたが、城からはこれで十分兵士が戦っているように見えるだろう。
「さて、俺たちの仕事は終わった。後はあちらの仕事だ」
俺たちはゆっくりするとしよう、と。彼は城から死角になっている路地裏の、適当なところに腰をおろし、あくびをした。