魔を統べる王
出陣したソルダート軍が孤立し、
地下でレーエンたちがフライデーと衝突し、
カリオスがケトニスの死に怒り、嘆いていた頃。
魔法の国ヴォールで、動きがあった。
ソルダートの大軍が出撃したという話は国王『リューゲ・ヴォール』の耳にも入っており、彼は執務室で机に着き、次の手を考えていた。
この結果は、大方想像はできていた。
あの魔族の軍団。小規模ながらも質の良い戦士が揃っている。
特にリーダーとなっている者。これまでの戦いや、行動から考えてかなり頭が切れる。
無策に数だけで攻めようとすれば、返り討ちにされるのは目に見えていた。
多少知能があり、狩りを主にして生活している生き物は、弱っているとみるとすぐに獲物に飛び付く。人間も大元は狩りで生活していた。故にその気質がまだ残っているのだろう。
ただ、『食料調達』が『領土調達』に進化しただけ。
個々人間の争いが、集団同士の争いに進化しただけ。
それが戦争だ。
そして自分もまた、その人間のはしくれだ。
故にソルダートの失敗を理解できない訳ではない。
しかし、と瞼を閉じ、気持ちを整理するとともに、自分自身にも言い聞かせる。
王というものは誰よりも上にいなければならない。人民を統治し、領土を統治し、国を栄光へと導かなければならない。
王とは、人間でありながら、その人間の上に立つ者。
そんな当たり前のことを、かの国の王は忘れていたのだろう。
人間としては、ソルダートの気持ちは理解できる。
しかし王として、同感は持てない。
「傲りすぎたな、ソルダート」
そう、ため息とともに心境と吐露したときだった。
「まるで他人事だな、リューゲ・ヴォール」
声がすると同時に、人影が現れた。
それは文字通り、執務室の何もない空間に出現した。
明かりのない、闇が充満した新月の夜を思わせるマントを羽織り、それに塗りつぶされないほど漆黒の肌。
頭部には、捻れ、禍った、奇形な角が3本。
小柄の若い男性の姿だが、年齢は七百を越えている。故にその佇まいから表情、言動一つに至るまで、そのすべてに王を思わせる重みが宿っている。
漆黒の王。
魔族の王。
「魔王、『ヘルツォーク』か」
突如現れた侵入者、しかもそれが魔王だと知りながも、リューゲの声音に怯えや狼狽はなかった。
むしろ、呆れたといったようすだ。
それもそのはず。
「『瞬間移動』ではない。幻だな」
ヘルツォークの姿は実体のない幻影。しかし熟練された魔法の知識がなければ、見破ることはできなかっただろう。
それをあっさり看破されたヘルツォークだか、「バレたか、流石だな」と肩をすくめるだけで、気にする様子もなく悠然とリューゲの前に立つ。
そして、問う。
「まだ、こんな狂った戦争を続ける気か?」
魔王の言葉に、リューゲは淡々と返す。
「今更だ。戦争はもう誰にも止められん」
彼は椅子に深く凭れ、深くため息を吐く。
「一度燃え広がった火は、野を焼き切るまで消えはしない。攻撃対象、憎悪する相手がいなくなるまで戦争は続く」
「野を焼き払うまで、か。火も良いが、どちらかといえば感染症だろう」
感染症。戦禍という名の感染症。
「平和な時代には正常だった者も、戦の火に焼かれ、心に深い傷を負い、思考は復讐、または正義・大義のためと謳いだし剣をとる。そして血が流れる。それの繰り返しだ」
ヘルツォークは足を進め、執務机を回り込んで、
「世界感染は時間が経ち、感染対象がいなくなるまで拡大し続ける。つまり、皆が戦争を、または戦争を始めた頃の昂りを忘れるまで続く」
リューゲの前に立ち、再度問う。
「それをわかった上で、お前はまだこの『戦争』という病に頼ろうと言うのか?」
ヘルツォークの視線は鋭いものになっていた。それは敵意や殺意の類ではなく、咎めるような眼光。
そして瞳の奥には哀れみが見える。
直接口にはしないが、ヘルツォークはリューゲに問うている。
『お前の望む平和はそんなものか』と。
『そんなことでしか手に入れられないのか』と。
リューゲはその瞳を理解し、ため息を吐いた後、
「……魔王よ。人間とは競い、争う生き物なのだ。いや、正しくは、自分のために戦う生き物なのだよ」
静かに語る。
「領土、水、食料、資源などから愛や憎しみ、思想や宗教といった心の在り方や感じ方まで、様々な理由で人は争う」
リューゲは席を立ち、部屋の隅ある本棚に向かう。そしてその中から一冊の歴史書を開く。
彼はそれをめくり、とあるページで手を止める。
かつての魔族と人間の戦いが描かれたページだ。
突然魔族が現れ、世界を侵略し始めた。それらと人間は戦い勝利をおさめたという歴史。
しかし、
「この戦争も、差別から始まった」
それは
語られることのない
歴史の裏――――――――――
大陸の辺境にいた、角を持つ民族。彼らは主に地中に住処を持ち、食糧調達以外に地上に出てくることはほとんどなかった。故に人間との接点がなかった。
しかし大陸全体の人口が増え、各国が領土拡大に力を入れ始めた。
その拡大の過程で彼らは発見され、やがて奴隷として取引されるようになった。
それが太古の戦争の発端。
のちに『魔族』と呼ばれる彼らは『魔王』という地位を設けて結束し、戦争は開始された。
そして、その事実に心を痛めたかつてのヴォールの王によって戦争は終結した。
「差別も同じだ。『ああはなりたくない』『自分は彼らと同じではない』『自分の方が上だ』。そういった考えは、裏を返せば『自分は綺麗であり続けたい』という欲望だ。その欲望を満たすために人は差別し、それに反発した魔族に対しても『自分たちの方が上だ』ということを示したいがために戦った」
リューゲは本を閉じ、本棚に戻す。
「所詮、我ら人間は己の欲望を満たすためにしか生きられない。だから戦う。自分の優越感を満たすために競い、自分の要求を通すために争う」
「ハッ、とても平和を目指している男の言葉には思えないな。いや……」
彼の言葉を聞いて、ヘルツォークは鼻で笑う。
「その欲望を操作するのがお前の仕事ということか」
「誤解だ、魔王。私はただ各国が結束しやすい状況を作っただけだ。戦争を始めた時にも言っただろう。魔族という敵、脅威に対抗しようとする意志が人を結束させる、と。私が結束させるのではない。それでは意味がない。人々が自らの意思で結束する。それこそに意味がある」
他者から強要された結束など何年も持たない。それどころかより大きな争いを生むだけだ、とリューゲは魔王の前に戻る。
そうしてお互い立って対面すると、酷い体格差だ。魔王の身長は十代前半の少年ほどしかない。
しかしリューゲは、同じ王として魔王を見る。
「故に人間には戦争が必要なのだ。打ち倒すべき共通の敵がいる戦争がな」
「なるほど。お前の言い分は分かった。とうに理性など崩壊していたということもな」
「崩壊というのもまた正しくない。理性というものは言い訳でしかない。それもまた『理性的でいたい』という欲望でしかないのだから」
「フン、何にせよ。まだまだ戦争は続けるということか」
ヘルツォークは呆れて肩を竦めると、きびすを返す。
「最終警告は無駄だったということか」
「何?」
リューゲの表情に怪訝な色が浮かぶ。
それにヘルツォークは別れの挨拶をするように片手をあげ、
「かつての戦争の再来だ」
そして一度だけ振り返る。
「これより、この魔王は『魔族の王』ではなく、『魔という概念そのものの王』となろう」
覚悟しておけ、人間どもよ。
そう言い残し、幻影は霧散した。
残されたのは静寂。
不穏な静寂のみ。
「…………魔の、王だと」
リューゲの脳裏に不吉な予感が過った。