出航!
夜。
雨は上がり、海からは穏やかな波の音。
荒れ模様が嘘のように空には月が煌々と顔を出している。
カリオスは埠頭で海を眺めていた。
地面にはまだ濡れており、歩くとぺちゃぺちゃと音がする。
「黄昏てるね。まあもう夜だけど」
「……あ、リュトさん」
振り向いた彼に、リュトは「やあ」と返す。
「散歩ですか?」
「ん~、まあちょっとね」
彼女はカリオスの隣に来ると舫い杭の上の水を払い、海を背にして腰を下ろす。
「ん、まだちょっと濡れてたね。まあいい」
「アハハ……何か、僕に用事ですか?」
「ん~……まあ、君と話がしたかったってだけかな。暇つぶしだよ」
そうリュトはクスリと笑う。
それにカリオスもクスリと笑い、再び海を見る。
「……眠れないのかい?」
リュトはカリオスの方を見る。
それに彼は少し落ち込んだような表情をする。
「……不安で」
そう、ぽつりと漏らすように口にした。
それにリュトはしばらくして、またクスッと笑う。
「わ、笑うんですか!?」
「いやあごめんごめん」
カリオスの言葉に笑いながらも謝るリュト。
彼は信じられないといった表情をしたあと、呆れてため息を吐く。
「相談した自分が愚かでした」
「そんなこと言わないでくれよ」
落ち込むカリオスにリュトは少し申し訳なさそうに笑いかけ、
「私の中で、君はもっと勇敢なイメージがあったんだ」
そう言って彼女は少しカリオスから視線をそらし、ケーラでのことを思い出す。
「……あのとき、私の心は潰れかけていた。アダーをあんなのにしてしまったのは自分だっていうね」
アダーとアジトで会って……
村に帰って牢に閉じ込められて……
もう一度対峙して彼と剣を交えて……
その度に彼女の心は擦り減っていった。
その度に壊れそうになった。
「自分が罰を受けるべきなのか。死ぬのが一番なのかってね」
でも、とその瞬間、彼女の表情が明るくなる。
「私の心が潰れそうになったとき、君の言葉が救ってくれたんだ」
「そ、そんな大そうなことしてませんよ!」
カリオスは慌ててそう言う。
それにリュトは少し間を置いた後に、
「……はぁ」
深くため息を吐き、
「まったく、謙虚なのはいいことだけどね……」
「え……?」
「こういう時に口を挟まない。これは大事だよ?」
「え、あ、えっと……ごめんなさい」
よく分からないが、とりあえず謝るカリオスに、リュトはもう一度ため息を吐き、
「本当に分かった?」
じと~、と訝しんだ目を向ける。
それにカリオスは慌てて何度も頷く。
「……ならばよろしい」
未だ不安はあるが、仕方なしと許すリュト。
戦闘時の感性はいいはずなのだが、どうも彼はこういう場面に弱いらしい。
(アニスは苦労してるのかなぁ……)
なんて思ってみたり。
さて、と彼女は立ち上がり、濡れた部分を見て嫌な顔をした後、
「私は戻るけど、君はどうするんだい?」
カリオスの方を見て尋ねる。
彼は少し悩むように黙り、
「……僕はもう少しここに居ます。戻っても眠れなそうなんで」
アハハ、と少し硬い表情で笑うカリオス。
そんな彼にリュトは「そうかい……」と返すと、トンッ、と彼に向って一歩踏み出し、彼の頬に唇を当てる。
「え……リュト、さん……?」
その柔らかな感触を彼が理解したとき、リュトはすでに元の場所に戻り、ニヤッとハニカンでいた。
「緊張、少し解けたかな?」
彼女は「じゃあね」とくるりと身を翻すと、宿の方に戻っていってしまった。
残されたカリオスは、未だ柔らかく、甘い感触の残る頬に触れ、そして腰にあるナイフに触れ、思う。
自分は彼女から助けてもらってばかりだ。
そしてここまで後押ししてもらった以上、成果を挙げなければと。
「戦争を止める。
もう誰も傷つけさせない……」
今一度、彼はそれを強く心に刻んだ。
・・・
翌日。
天気は昨日の雨が嘘のように快晴で、海同様空にも気持ちのいい水色が広がっている。
一行は朝ごはんを皆でとり、少し間をおいて出航の時間を迎えた。
ケーラに頼んだ船は大きなもので、側面からは大砲の筒が何本も出ていた。
「ううう~、ぎぼじわるい……」
「だからあんなに飲むなって言っただろうが……」
レオンはため息を吐き、ひん死寸前ヌルデに付き添う。
その前でカリオスはアニスとリュトに挟まれ、
「え、えーっと……」
「むっ……」
「……どうしたんだいアニス? そんな不機嫌そうな顔をして」
カリオスを挟んで二人、アニスとリュトの視線が彼の前でぶつかっていた。
「なんでもないわよ!」
フンッ! と彼女はそっぽを向く。が、片手はカリオスの右手を握っている。
それを見てリュトはクスッと悪意に満ちた笑いを浮かべ、
「ま、これ以上はちょっとかわいそうかな」
そしてカリオスの方を見、
「ね、私の唇を奪ったカリオス君☆」
「……はあッ!?」
最後の一言にバッと反応して振り向くアニス。そして彼女の視線は嫌味たらしく笑うリュトに向けられ、そのあとに名前の挙がった、
「どういうこと?」
カリオスを突き刺す。
殺気じみたものを帯びた彼女にカリオスは「え……」と一瞬固まり、
「き、昨日されたんだよほっぺに!」
「何の抵抗もしなかったけどね~♪」
「リュトさん!!」
それは誤解だと言おうとした瞬間、悪寒が走った。
その理由は、右手の先からくる潰されるような痛みとともに、背中に向けられた……、
(殺……気?)
恐る恐る振り返ると、そこには……
「あとでゆっくりお話ししましょう?」
とても……とてもきれいな笑顔を浮かべたアニスが。
嫌な予感がした……
桟橋のところで一行は三人と二人に別れる。
「さて、ここで一端お別れね。短い間だったけど、二人とも本当にありがとう!」
アニスはヌルデとリュトに頭を下げる。
それに二人ともクスッと笑い、
「私はとくに何もしてないんだけど……むしろケーラを救ってくれてありがとうね!」
「私は完全に救われた方だしね。本当にありがとう」
二人とも頭を下げる。
いやいやこちらこそ! とアニスはそれに下げ返す。
それに二人も「いやいや」と下げ返す。
「いやいや」
「「いやいや」」
「いやいや」
「「いやいや」」
「いやい」
「いつまでそのお約束をやるんだ?」
後ろでレオンが呆れてため息を吐く。ちなみにカリオスはその横で苦笑いを浮かべている。
それにヌルデがレオンの方を見て、
「レオン! 戦いが終わったら結婚だからねー☆」
「「「……は?」」」
「んなっ! ……チッ」
舌打ちの後に少し赤くなって大きくため息を吐くレオンに、全員の視線が集まる。
そして、
「レオンが真っ先に……いや、これ以上はよそう……」
「レオン……大丈夫……だよね?」
「レオンは誓って私が守る! 守ってみせるわ!」
「人を勝手に殺すな! ってお前ら黙祷してんじゃねえよ! その祈りの構えを解け!」
と、ぐだぐだとした感じでアニスらは別れ、
『出航!!』
海の男の頼もしい声ととも、船は海へ繰り出した。
地上ではなく海の上。
穏やかと言っても揺れることは揺れる。
そんな中……
「はぁ……」
「船は大丈夫なんだな。あのお姫様」
甲板の後ろで小さくなった港を眺めていたレオンの隣で、カリオスはため息を吐く。
「思えばヴォール城からの脱出も船だったから……慣れてるんだと思う」
「で、その様子だと、こってり絞られたようだな」
うん、とカリオスは早くも疲労の色を見せながら頷く。
「なんか、途中で自分でも墓穴を掘ったりしてたみたいで……女の子って難しいんだね……」
「女は気難しいぞ。人生の先輩からのアドバイスだ」
アハハ、とカリオスは笑う。
「気難しくて悪かったわね」
「「あ……」」
背後から飛んできた聞き馴染んだ高い声に、二人は反応する。
しかしアニスは「まったく……」とため息を吐き、二人の間に入って……もう一度だけチラリとカリオスを見る。
彼はもう、苦笑いを浮かべるしかなかった。
しかし、気はもう済んでいるみたいで、それ以上の追撃は来ず、彼女は小さくため息を吐き、今度は二人を見る。
「二人とも……本当に来てよかったの?」
その表情は少し不安げである。
桟橋ではレオンにふざけてあんなことを言ったが、実際にはあれが現実になってしまうかもしれない。自分だって本心を言うと行きたくない。
そんなところに仲間を連れていく。その行為はアニスとって頼もしくもあり、不安でもあるのだ。
それに二人は一瞬間を置き、
「アニス。その質問はずいぶんと遅いだろ」
「言うなら船に乗る前だね」
二人はあっけらかんとして、そう言う。
「ま、答えは変わらないけどな」
「僕も同じだよ。ここまで来たんだ。最後まで一緒だよ、アニス!」
「カリオス……レオン……」
彼らの言葉に、アニスは袖で顔を拭うと、
「分かった。私、もう前しか見ないから! 後ろは二人に任せたわ!」
私は、もう迷わない。
そう自分に言い聞かせ、言葉を放った。
二人が付いてきてくれる。
なら私は自分の我儘を、最後まで通さなくてはいけないのだ。
その言葉に、レオンは「仕方ないな」とため息を吐き、カリオスは「うん」と力強く頷いた。
こうして一行は戦地『ドルン』に向けて、意気込みを新たにした。