フェルスにて
ラケナリアのところを後にし、一行は出発の準備をしていた。
馬車に荷物を積み終えると、ヌルデが手綱を取り、
「目的地は『フェルス』だね」
「「「え?」」」
ヌルデの一言に全員が反応する。
彼女は荷台の方に振り向き、ニッと笑う。
「なんだか楽しそうじゃん! 私も混ぜて貰おうかなと思って。それに山を越えたらその先は『ケーラ』だし。珍しい本があるかも」
馬車が発進する。
地理的にフェルスは、ケーラとヴーレンの中間に位置している。ここからケーラまで行くには迂回しなければならない。が、今回は直進するので大幅な時間の短縮になる。
そして彼女がそこに行きたい理由はもう一つあった。
「それにあの山には面白い噂があるし」
「噂?」
カリオスがその言葉に反応する。アニスは横になって青い顔をしている。
彼女はニシシと笑う。
「あそこにはね……『変な霧』が出るって噂があるんだ」
「霧……ですか?」
そう、と言って彼女は笑みを深める。楽しげに、怪しげに、まるで蝋燭一本を車座で囲んで怪談を話し始めるような。
ゴクリとカリオスは唾を飲む。
「ある商人が居た……」
そして彼女は話し始める。
ヴーレンにある商人が居た。
商人はケーラに急ぎの用事があったが、山を回っていてはそれまでに間に合わないと思った。
考えた商人は山を登って行こうと考えました。
が、それを聞いた人たちは口々に止めました。
「やめておけ! 商人のような欲深い人間は『山の精』に騙されて食われてしまうぞ!」
しかしその商人は耳を傾けず、山を登り始めました。
すると辺りに段々と霧が立ち込めてきて、晴れると商人の姿はありませんでした。
しばらくして心配になった人が探してみると……茂みの中から笑い声が聞こえてきました。
見ると、首だけになった男が甲高い笑い声をあげていた。
「……と、簡単にするとこういった話だ。まさに急がば回れってね」
「な、中々ひどい話ですね。ていうか今からその場所に行くんですよね!」
カリオスは顔の少し青ざめた顔に、ヌルデはにこりと微笑み。
「そうだよ☆」
「鬼畜だ!」
「ちなみに首のところは私のアレンジです☆」
「やった! 死なないのか! でも霧にさらわれるじゃないですか」
アハハ、とヌルデは笑う。
町を出てしばらく。馬車は徐々に森の方に入っていく。
それに伴い、空気も冷え、湿度も上がっているように感じる。
日が暮れ、今日は森の中で野宿となる。
レオンは薪を、カリオスは夕ご飯の素を手に、戻って来ると、復活したアニスが荷台から顔を出していた。
「ヴーレンに行くときも思ったけど、こういう馬車があると便利よね」
「そうだね。寝床に困らないし」
カリオスは魚の腸を抜き、串に刺しながら応対する。アニスは内臓を取らないと食べられないようだ。その抜いた腸は調理の際に彼がおいしくいただいている。
アニスの魔法で火をお越し、それを囲って晩御飯とする一行。
レオンは焼けた魚を食べながらヌルデを見る。
「さっき霧の話があったが、」
その単語を聞いてカリオスとアニスはビクッと痙攣するが、レオンは構わず話を続ける。
「この時期の山は大丈夫なのか?」
「それなら問題ないよ。町の人の話だったら魔族も今は北の方の弱国に攻撃してまわってるみたいだし。季節的にも暖かいし問題ないと思うよ。たださすがに雨とかは分からないねぇ」
「土砂崩れとかは?」
「ここら辺は聞かないね」
ヌルデは魚を食べきり、串を楊枝代わりにする。
「おやじくさ」
そういう彼女も同じく串で口内の清掃活動に勤しんでいた。
「アニスもね」
カリオスが呆れ気味に言うと、彼女はフフンと鼻を鳴らして胸を張り、
「王女の嗜みよ」
「せめて見えないところでやりなよ」
ということで今日を終えた。
・・・
翌日。
昼下がり。
一行は山を目の前にしていた。
と言ってもまだ距離はある。鬱蒼と茂る緑は昨日の話のせいか、何かを隠しているような印象を受ける。
カリオスは顔を少し青くする。
「……なんだか、誰に見られているような気がする……」
「『山の精』じゃない?」
それにヌルデが反応し、いたずら気に笑う。
レオンは顔を出して辺りを見回す。そして何も居ないのを確認すると、
「多分昨日の話のせいだ。気にするな。でたらこいつをエサにしてケーラまで行けばいい」
「ひどいなあ。なら私は夜な夜なアニスの枕元に爆笑しながら現れるとしよう」
「ちょ、ちょっとやめてよね! なら私はカリオスを……」
そこまで言って彼女は視線を逸らす。
「ひどい!」
「ああごめんなさいって……うう」
ショックを受けたカリオスは馬車の隅で蹲ってしまう。それに声を掛けようとしたアニスは体制を変えたせいで吐き気を催す。踏んだり蹴ったりである。
なんてことをやっているうちに山道が見えてくる。『霧に注意!』や『遭難注意!』の看板はとうに通り過ぎてしまった。
「お、見えてきたよ」
そのヌルデの声で全員が馬車から顔を出す。アニスは例の如く這い出るように。
カリオスはその山を見て話を思い出し、ゾッと何かが走る。
馬車を一端三道前に止め、アニスの回復も含めて小休憩を取る。
フェルス
あまり整備の行き届いていない山道は草が伸び放題になっており、森がぱっくりと口を開けているような印象を受ける。
話によると、この山道は山を東側からぐるりと回るようにできているようだ。霧の件もあり、利用する人は少ないようだ。
「まあ最近は霧と言ってもそんな幻みたいなものじゃなくて、濃霧で方向感覚が分からなくなるみたいなのだけどね」
「それで霧に注意や遭難注意って書いてあったのね」
「……もしかして昨日の話ってそれで狂った人がいるよって話なじゃ」
「鋭い! カリオスくん中々やるね」
カリオスはその事実を聞き、安堵する。何か得体のしれないものというのが一番怖い。
だが気を抜けるわけではない。遭難者が出て、注意がされるほど危険な場所だということは肝に銘じておかなくてはならない。
「さて、そろそろ登山と行きましょうか?」
ヌルデは深呼吸をして山の空気を味わうと、全員の方を見る。それに皆頷き、馬車に乗る。
「また乗らなくちゃいけないのね……」
アニスは一人げんなりとしながら乗り込む。
馬車が発進する。
ここまでの道とは違い、石などが露出しているので荷台が余計に揺れる。
よって、
「〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰ッッッ‼」
「大丈夫アニス! 頑張って!」
「……」
どうやら話す余裕もないようだ。アイコンタクトでカリオスに必死に助けを求めるが、彼に何かをしてやることはできない。
とりあえず自分の持っている知識を総動員し、彼女の状態の改善を試みる。
「僕の呼吸に合わせて! 行くよ。ヒッヒッフゥ~」
「それ外に出すやつ! しかもう……口じゃ、ない……」
「アニス! しっかりしてアニス‼」
「背中でも擦ってやれ。気持ち的に楽になるだろ」
レオンは落ち着いて状況を見て判断する。カリオスも今はそれしかできることがないと感じ、彼女の背中を擦る。
そんな感じで小休憩を挟み、山道で夜を迎える。
アニスはすっかりまいってしまい、馬車の中でぐったりしている。
カリオスなど動ける者たちは野宿の準備を整える。
今日は兎の肉を手に入れ、それを焼いて食べる。足りないものは買ってきた食料で補う。
というわけでアニスを呼んできて食事を終える。
そこでカリオスは少し催してきて、
「ごめん。ちょっと行ってくる」
と席を立ち、木陰に移動する。
皆に迷惑が掛からない程度に移動し、辺りの安全を確認すると、用を足す。
そんなときにふと故郷のことを思い出す。
(みんなは大丈夫かな……)
公にはまだ自分が魔族だとはバレていないようだ。
(知られたらきっと魔郷のみんなにも迷惑が)
そこまで考えて新たな考えが浮かぶ。
この前の魔族たち。
彼らがネーベルに攻め込んだのはヴォールにとって予想外だったのではないか。ならば今頃魔郷にも何らかの影響があるかもしれない。
カリオスの背筋に冷たいものが走る。これが終わったらみんなで話あってみよう。
と、ズボンを上げ、少し焦り気味にきびすを返す。
「ねえ、そこの君」
その瞬間、見知らぬ声が飛んでくる。
視線を向けたところ、ついさっき通ってきたそこには何もなかったはず。あったとしても草木程度だ。
が、そこには人が立っていた。
女の子。自分より年上だろうか。が、成人しているようには見えない。
薄い桜色の長い髪が印象的な彼女はカリオスの方を見て、
「ここら辺に何か落ちてなかったか?」
「え……」
驚きから解放されたカリオスは、いきなり現れた彼女にようやく警戒心を持ち、ナイフに手をかける。
それを見た彼女は特に警戒する様子もなく、ただ彼のナイフを見て、
「刃物を扱うのかい? どれどれ見せて欲しいな」
近づいてくる。カリオスは彼女の様子をくまなく見る。武装はしてないようだ。しかし只者ではないことは確かだ。油断はできない。
彼女はカリオスのそばまでやってくると、
「……あーあ。もう見つかったか」
彼女は誰にでもなく、そう呟く。それと同時に、辺りに濃い霧が満ちる。
山の天気は変わりやすい。が、この霧は一瞬で視界を奪う。明らかに異常だ。
あっという間に視界の中にはカリオスと少女の二人だけになる。霧は生物的にしかし操作されるように蠢き、二人の周りを渦巻くと、まるで何もなかったかのように消えてなくなってしまう。
そして次の瞬間その目に映ったものを見て、カリオスは、
「え……」
言葉を失った。
カリオスが消えた。
昨日の夜、濃い霧がかかり、カリオスの無事を確認しに行ったら消えていた。
夜通しで辺りを探したが、まったく見つからなかった。
「カリオス……」
アニスは馬車の、昨日カリオスが蹲っていたところに酔いも忘れて蹲る。
カリオスが消え、一行は下山していた。半信半疑が確信に変わり、少なからず全員が困惑している。真偽を確かめたがっていたヌルデは思わぬ形で叶い、責任を感じていた。昨日のようなおちゃらけた様子はなく、柄にもなく落ち込んでいた。
「ごめん」
「ヌルデが謝ることじゃないわ。私たちだって行きたがってたもの」
「そうそう。今はカリオスの安否確認が先だ」
レオンは深呼吸をして気持ちを切り替える。そしてヌルデの方を見る。
「その霧について何か他に知らないか?」
「ごめん。実はあんまり。ラケナリアなら何か知ってるかもしれないけど」
「とりあえず、一端ヴーレンに戻ろう。話はそっからだ」
ヌルデは馬を急かし、道を戻った。