出会い
長くなってしまいました
申し訳ありません
「あなた、何してるの?」
「え……」
いきなりの出来事に、カリオスは固まってしまう。
目の前に少女はそれを不思議そうに見てくる。
「ねえ?」
反応が返ってこなかったため、少女はもう一度声を掛ける。
それで我に返り、カリオスは慌てて返事をする。
「あ、ああ、何?」
「あなた魔族ね!」
「え……」
意味の分からない質問をされ、返答に困ってしまう。と、よく見ると少女の頭には角がない。肌も雪のように白く、髪もガラスのように透き通っている。
「漆黒の肌と闇色の髪。そしてその角……」
彼女は手を合わせ、嬉しそうに笑う。
「お勉強で習った通りだわ! 本物なの?」
「う、うん」
カリオスが肯定すると、少女は目を輝かせる。その様子に警戒の色は全くない。
「君は……?」
「あ、ごめんなさい」
カリオスの質問に、少女は覗き込んでいた体制から立ち上がり、
「私は『ヴォール王国』第二王女『アニス・ヴォール』といいます」
アニスと名乗った少女はドレスを摘み、軽く腰を落とす。
カリオスの頭は一瞬空白になる。
ヴォール……ヴォール……『ヴォール王国』『王女』?!
数秒の空白ののち、彼の脳はやっとその二つ単語の意味を処理する。
「ヴォール……第二王女……じゃあ君は……」
カリオスの驚いた顔を見て、アニスは表情を曇らせる。
「ええ……お父様は『リューゲ・ヴォール』。今あなたたち魔族軍が戦っている、国家連合軍を率いている主権者よ」
彼女は少し心苦しそうに顔を逸らす。
カリオスは自分の背筋に冷たいものが走るのを感じた。そして理解した。
彼女は人間。
そして現在、人間のトップといってもいい国のお姫様なのだと。
カリオスの警戒心は一気に膨れ上がる。それは彼女に対してもそうだが、この場所に対してもだ。
王女。そんな階級の者がいるのは城内しかありえない。
(ど、どうしよう……)
今更勢いで来てしまったことに後悔する。
扉を閉めて帰ろうにも、もう彼女に発見されてしまっている。
(ど、どどどどうしよう‼)
目は泳ぎ、頭から滝のように冷や汗が流れる。
それを見てアニスは不思議そうに首を傾げ、
「具合が悪いの?」
心配そうに覗き込んでくる。しかし彼はそれどころではなく、頭が真っ白で返答することができなかった。
すると彼女は何かに気づいたらしく、突然慌てた顔になり、
「こっちに来て!」
カリオスの手を少々手荒く引っ張る。何の打開策も浮かばず、カリオスはその手に従って、まるで蕪のように穴から引っこ抜かれた。
「急いで靴を脱いでそこに隠れて!」
「!?!?」
言われるがままに靴を脱ぎ、灰を踏まないように暖炉から出る。思ったより小さな部屋だ。アニスの一人部屋なのだろう。
カリオスはそのまま靴ごとベッドの下に押し込まれる。しばらくして入り口のドアが開く音が聞こえる。
「姫様、お勉強の調子はいかがですかああッ!?」
最初は優しい包み込むような声だったものが、瞬間悲鳴にも似た叫び声に変わった。
声は女性のもので、少し皺枯れている。
「んな、姫様! 何てまあまたッ! そのようなことを!」
使用人のようだ。声音からは怒りと呆れが聞き取れる。かなりうんざりしているようだ。
とりあえずカリオスは、『自分のことではない』ということに安堵し、会話に聞き耳を立てる。すると、アニスの方からはガサゴソと、何かをガサゴソする音が聞こえる。
「ひーめーさーまッ‼ おやめください‼ 灰をかき混ぜるなど、そのような不潔な行為はおやめくださいまし‼」
灰をかき混ぜる。その言葉から暖炉の扉を隠してくれているということが分かった。
女性は部屋に入ってきて、アニスのところまで来ると、
「おやめください!」
「あ~ん、放して!」
どうやら強制終了させられたらしい。カリオスは腕を持たれて宙ぶらりんになっている姿を想像する。
女性は深いため息を吐き、
「まったく。またこんなに汚してしまって。お洋服も部屋も灰だらけ。――――っはあぁ。活発なのは大変うれしいですが、少しはお掃除する者の気持ちにもなってください」
「いいじゃない。少しくらい汚れてたほうが美しい部分が引立つものよ。それに異国の童話で『灰かぶり』というのを聞いたことがあるわ。灰を被るほどに綺麗になるお話よ」
「また減らず口を! それにそんなお話聞いたこともありません! まったく絨毯の灰なんて濡れ雑巾だけでは取れないんですよ? 前の泥まみれになったときも……」
と女性はクドクドとお説教を言いながら、タンスから新しい服を取り出し、着替えさせ始める。
カリオスは壁の方を向き、アニスの方には背を向けていた。そういうことは少し興味を持ち始めたくらいの年だが、彼の心は覗こうという余裕を持ち合わせておらず、ただひたすらに「見つからないよう祈っていた。
そして、
「はあぁ。もう何回目になるか……。半分諦めていますが、言いますね。もう二度とこのようなことを」
「分かったわ」
「……はあぁ」
ドアを開け、出ていくときの女性の足音は入ってきた時より重たくなっていたように感じられた。足音は徐々に遠くなっていき、
「……もういいわよ」
アニスはベッドの下を覗き込む。カリオスは恐る恐る下から出る。彼女以外に人影はない。
「君はいつもあんなことをやっているの? ずいぶん飽きられていたようだけど」
「楽しいからいいのよ」
否定せず彼女はフフと笑う。その表情はとても無邪気だ。
カリオスは暖炉の方を見る。扉は灰できれいに隠され、パッと見ても分からないようになっている。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
お礼を言われ、彼女はかなりご満悦のようだ。
「これでも王女よ。これが見つかればまずいことくらい分かるわ」
「すごいね。僕なんて全然わからなかった」
「フフ、やましいことをもみ消すなんて朝飯前よ!」
なんて言って得意げに胸を張るアニス。それにカリオスは笑いを返すだけにとどめる。
(それは……自慢してもいいことなんだろうか……)
とりあえず辺りを見回し、危険がないことを確認し、カリオスはホッと胸を撫で下ろす。これで少し、心を落ち着かせることができる。
と、思ったがそれもつかの間。
「ねえねえ!」
アニスはカリオスの前に跪き、瞳を輝かせて迫る。まだこの子という問題が残っていた。
彼女は顔がくっ付きそうな距離まで迫ってきて、
「私は自己紹介をしたわ。今度はあなたのことが聞きたいわ!」
興奮を抑えられないといった様子である。カリオスは戸惑いながらも自己紹介をすることにする。
「ぼ、僕はカリオス。魔郷の村の出身……」
「歳は?」
「さ、三十三歳」
「三十三歳!?」
「え?! な、なに?」
「ふ~ん。やっぱり魔族って成長が遅いのね」
「どういうこと?」
「カリオス。私がいくつに見える?」
カリオスからしてみれば、意味の分からない質問だ。彼は腕を組みしばらく黙ってから、
「同じくらいの年にだから……三十三か四?」
「フフ、少し年上に見えるってことね。とてもうれしいわ。でも残念。はずれよ。私は今年で十一歳になるわ」
その答えにカリオスは驚きを隠せなかった。思わず「えッ!!」と叫んでしまう。とっさに自分で口を押えたが、一番焦ったのはアニスの方だった。
「ちょ、ちょっと!」
彼女はアタフタしながらも口に人差し指を当て沈黙を促すと、ドアからそっと廊下の様子を見る。どうやら誰にも聞かれていなかったようだ。
静かにドアを閉めて、ホッと安堵の息を吐きつつ「静かにして」と伝えると、座りなおす。
「まあ仕方ないわよね。あなたたちから見た十歳というのはまだ赤ちゃん見たいな感じかしら? 人間はあなたたちに比べると約三倍の早さで年を取るの」
「三倍……」
その老化の早さに、カリオスは驚きを隠せなかった。
「まあ分かったわ。ありがとう自己紹介してくれて」
一通り話終わったようで、彼女は力を抜くように一息吐く。そして瞼を閉じて大きく呼吸する。それは何かを決心しているように思えた。
「カリオス……」
目を開けたとき、その瞳には今までよりも力強い光が宿っていた。そしてその口から飛び出た言葉は、
「私と一緒に外を見に行かない?」
「……どういうこと?」
「私のお供になって、お城から脱出して、外の世界を見て回るの!」
一国のお姫様が言うような言葉ではなかった。自分が何を言っているのか、自覚があるのかを疑ってしまう。
カリオスは首を横に激しく振る。
「ぼ、僕、帰らないと……」
もう好奇心だけではどうしようもなかった。理性が驚愕と恐怖に飲まれかけていた。
ここが人間の世界なら魔族の扱われ方ひどいはずだ。少なくてもアニスはそのつもりがないように思えるが、これ以上外に出るのは正直ごめんだった。
カリオスは立ち上がると暖炉の方に歩き出し、
「帰るから!」
と灰の上で靴を履き始める。
「いや! お願い!」
アニスはカリオスを引き留めようと抱き着く。それはまるで縋るようだ。
「な、なに!」
いきなり組み付かれて驚き、彼女の顔を見る。その目には薄ら涙が溜まっていた。
「お願い!」
「放してって!」
「お~ね~が~い~!!」
彼女は放すまいと必死だ。カリオスは体を振って抵抗するが、相手は女の子。手荒くできるほどカリオスは冷徹になれなかった。
「分かった。分かったから!」
そして折れた。
アニスは「本当?」と念押しし、カリオスは渋々首を縦に振った。
「でも話を聞くだけだよ」
「え~、……ケチ」
「け、ケチって……王女様、だよね?」
暖炉で靴を脱ぎ、再び向き合う二人。
「で、何で君はそんなに外に出たいの?」
これを聞かないことには何も始まらない。
カリオスの質問にアニスは涙を袖で拭って、
「もう、何も知らないのは嫌なの……」
そういうと彼女は、どこか悔しそうに口を引き結ぶ。しばらく沈黙が続き、アニスは口を開く。
「お城から外に出してもらえず、テラスから手を振るだけ。そんな王女でどうして民の上に立てるというの!」
その言葉には今まで以上に強い力が宿っていた。これはきっと彼女の本心からの声なのだろう。カリオスには上辺だけで言っているようには思えなかった。
「それに私は……お父様を止めたいの!」
「え!?」
この言葉にはカリオスは驚いた。
「き、君は何を言っているのか分かっているの?」
思わず訪ね返してしまったが、彼女の目は本気だった。
ゆっくりと、自分の覚悟を込めるように彼女は言葉を出す。
「分かっているわ。……お父様がこの戦争の発端だということは」