企て
「「……あ」」
足を枠にかけて入ってこようとしていた少年は、ススキと目が合うと硬直する。
その姿を見た瞬間、ススキの時間も止まった。
漆黒の肌。
闇色の髪。
そして捻じれた角。
どこからどう見ても人間ではないその姿に、ススキは一つ思い当たる単語がある。
「ま、まぞ……く?」
「え、え~っとぉ……」
少年は困っているようで、目を泳がせ、大量の冷や汗を吹いている。
「そうよ」
その空気を一蹴するようにアニスは言い放った。その言葉に目を見開いたのは、
「えええッ!」
「それ言ってもいいの!?」
カリオスとススキの両者だった。
そしてアニスは二人の「え……」と逆に驚き、一瞬言葉を失ってしまう。
「だ、だからススキを森に行かせたのよ? 気が付かなかったの?」
「う、薄々は……でもそんなバッサリ言ってもよかったの?」
「た、たぶん……」
と、自信がなさそうな顔でゆっくりとススキの方を見る。案の定彼女は口を開け硬直していた。そしてゆっくりと二人を見て、次に素早くもう一度見て、
「ま、まさか……カリオス君?」
「そう……です。あの~……大丈夫?」
「……も……もう嫌……」
「ダメっぽいかなぁ……」
ススキは頭を抱えてその場にへたり込んでしまう。
「いやよ。もう嫌! わけわかんない……何なのあなたたち!?」
その様子に、アニスは「ん~」と腕を組んで悩み、「こっちに来て」と小声で手招きする。その落ち着いた様子にススキもほんの少し正気を取り戻し、
「……うん」
と向かう。
「カリオスはそこにいて」
「こ、この体制でずっとは……」
「場所はそこでいいってことよ! 崩してもいいに決まっているじゃない」
ふぅ、とカリオスはその場に座る。
そのやり取りの様子を、ススキは不思議そうに見ていた。
「さて、何から話しましょうか」
アニスはまた「ん~」と考える。そしてポンと手を叩き、
「まずは名前からね」
とススキに向き直り、コホンと一つ咳払いをすると、
「私はヴォール王国の第二王女、アニス・ヴォール。ぃよろしくぅ!」
と手を出す。しかし彼女はその名前を聞いた瞬間、目を見開く。
ヴォール。
その単語が頭の中で反響し、後ろのドアの方を振り返る。外にいる兵士たち。彼らもヴォールではなかったか?
ヴォール。
ヴォールの……王女。
ススキは再びアニスの方を向く。
その目に徐々に怒りが宿っていく。
ススキはアニスの手を掴まず、胸倉を掴む。
「よくも……よくも私たちの村を!」
「お、落ち着いてって!」
見ていたカリオスは間に入って離そうとする。が、ススキの怒りは凄まじく、手を離そうとしない。
そして、それに対してアニスは何も言わない。
「あれだけ奪ってまだ足りないか! 魔族ともつるんで何がお国のためだ! お前らのせいで、私たちがどれだけ……どれだけッ‼」
「やめてって!」
「その上こんな同情を引くようなことまでして、どこまで私たちを弄べば気が!」
「相手は……あいつらはヴォールじゃない!!」
ススキの言葉を遮って放った言葉に、彼女は口を止め、カリオスの方を向く。
「……どういうこと?」
ススキはアニスから手を離す。
カリオスは彼女を落ち着けるようにゆっくり話す。
「彼らの方には紋章があったよね。最初僕もあれを見てヴォールだと思ったんだ」
でも、とそこで一拍置き、
「違ったんだ」
「何が?」
「十字架が逆だったんだ、紋章の向きが。わざわざ外して、逆に付けたんだと思う」
十字は『聖なるもの』を表す象徴。神聖さ、調和のシンボル。
それを逆にするということは、そのまま意味を反対にするということ。
魔性、不和、邪なるものの象徴。
「彼ら、皮肉ってるんだと思うわ」
そこでようやくアニスが口を開く。
「自分たちはヴォールだぞって言って脅し、かつ、聖なる十字架を逆さにして、ヴォールに対しての不満を発信している」
まあ陰口程度だけど、とアニスは乱れた服を直し、一息吐く。
そして、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。ヴォールの領地内、しかもこんな城の近くの村で、盗賊被害を見逃してしまっていたなんて」
「え……」
それにススキは、驚いて言葉を失ってしまった。
アニスはヴォール王国の王女様だ。本来自分たちみたいなただの村民なんて会話すること自体おこがましい存在。ましてや自分は子供だ。
それなのに、彼女は何の躊躇いもなく、頭を下げた。
そのことに、少々頭が混乱するほどに驚いてしまった。
数秒後、ようやくススキは少し落ち着きを取り戻し、アニスに頭を上げるように言う。
「……それで、あいつらがヴォールの兵士じゃないなら何なの?」
「多分、盗賊だと思うわ」
そのアニスの回答を聞いて、カリオスは昨日の朝彼女が言っていたことを思い出す。どうやら噂は本当のようだ。
今度はアニスがススキに質問した。
「聞きたいんだけど、彼らはどんな鎧を着ていた?」
「え……どんなって……私、鎧について詳しくないし……」
ススキは申し訳なさそうに目を伏せる。
アニスは言う。
「ヴォールは重たい鎧を着ないの。主な攻撃は遠距離や中距離からの魔法だし、その陣地を守るときには魔法で壁を作るわ。だから鎧を着る必要があまりないの」
「え、でも魔郷に来た時はいつも鎧を着てたよ?」
それに反応したのはカリオスだった。
カリオスは魔郷で何回かヴォールの兵士を見ている。その時はいつも鎧を着ていたことを覚えている。
アニスはそれに「うん」と頷き、
「私たちにとって鎧は飾りなの。魔郷に行くときは大抵魔王に会いに行く時だし」
それに、と彼女は付け加える。
「ヴォールは食料の納品何て命令を出してないわ。そんな話、私はお父様から一回も聞いたことがないわ」
アニスはまっすぐにススキを見る。その目に嘘偽りはなかった。
そしてアニスは立ち上がり、
「と、言うわけで、私たちで盗賊を追い出しましょ!」
「言うと思ったよ」
カリオスはアハハと困ったように笑う。
「でも賛成。彼らは僕らの命の恩人だ。だから僕も恩返しがしたい」
「当然よね」
二人は目を合わせ、笑う。その様子は魔族と人間という種族の関係を全く感じさせない、暖かなものだった。
ススキは一度、視線を落として、考える。
何が正しいのか、
正解はどこにあるのか、
今あることを自分の小さな頭をめいっぱいに回転させ、思考を巡らす。
そして……
「……―――――〰〰〰〰〰〰んぁぁぁぁあああああッ‼」
頭を抱えて大きく仰け反り、そしてピタリと動きを止め、
「……分かんない」
と呟き、体を起こして再びアニスを見る。しかしその目からは迷いが消えていた。
「最近考えすぎてた様ね」
「こんな状況じゃ仕方ないわ」
ススキは大きく深呼吸し、
「私子供だもん。考えたって分からないに決まってる」
なら、と彼女は立ち上がる。そしてアニスの目をまっすぐに見返して、
「なら、自分のやりたいことをやるだけ!」
楽しげな笑みを浮かべる。
それを見てアニスも満足したようで、「うむ」と頷く。
「よし。なら行動は今日の夜にするわ。カリオスはまた監視に戻って」
分かった、とカリオスは窓からこっそりと出て、再び森に戻る。
「それとススキ」
アニスはもう一度ススキの方を見て、口に人差し指を当てて、
「このことは秘密ね」
「分かったわ」
ニシシ、と二人で笑いあう。
その顔は悪巧みをする子供の顔、そのものだった。