王女の決断
【オーランドの遺書より】
この文章は必ず同志『ルナール・エクスパルト』の立会いのもと運用されたし。
また魔法の発動に必要なキーワードは秘書の『スクレ』に伝えてあり、私の死後、ルナールに必要書類とともに持っていくよう指示した。ただし、彼女にはその手順のみしか指示しておらず、彼女はこの作戦のことを何も知らない。
故に、―――作戦を知らない以上ありえないことだと思うが―――仮に彼女に疑義がかかった場合など、危険が迫った場合は守ってくれるよう頼みたい。
さて、私の死後、以前から連絡を取っていたヴォールの『先行魔法騎士団』の彼に自動的に連絡が行くことになっている。彼と農民たちの組合と連携して作戦を進めてもらいたい。
以前から確認していたことだが、改めて、賛同してくれている大臣たちや兵士たちには私がなるべく『他殺』されたという流れに持って行かせるよう指示してある。
それを理由に城内に入り込み、準備を進めるように。
後のことは全て同志ルナールに任せる。
我が魂の火が、革命の灯とならんことを。
・・・
明らかにオーランドの筆跡で書かれた文章。
『遺書』という文章そのものと、そこに記された最後の一文が、最悪の結論を揺るがないものにしていた。
オーランドは殺されたのではなかった。
彼はこの革命のために、自ら命を絶ったのだ。
そして魔法で隠されていた遺書が、内容にも記されていたとおり、ヴォールとの繋がりも示していた。
つまり彼が、オーランドこそが……
「オーランドが……この事態の首謀者……そんな……」
呟くように言った後、アーニャはその答えが信じられなくて、頭を抱える。
「嘘……嘘よ……だってあのオーランドか……どこを探しても他にいないくらい優しい人だったのに……」
いつでも私の話を聞いてくれて、いつも笑っていて、もう一人のお父さんみたいに思ってたのに……
けれど目の前のその遺書は、まぎれもなくオーランドの字で書かれていた。
いつから……いったい、いつから彼は裏切っていたのか。
遺書には魔法が使われている。しかも事務の文書に紛れ込ませてバレないようにしていた。準備にはある程度時間がかかったはず。おそらくヴォールとも入念に打ち合わせしたことだろう。
加えて農民の協会ともつながりがあった。
これだけのつながりを築き上げるのは、一朝一夕では不可能だ。
遺体の発見も、机の下にあったことから、皆それを『誰かが隠した』と思ってしまった。その先入観が大きな間違いだった。
アーニャの誘いを受けたのも、彼女を第一発見者にしたかったからだろう。
アーニャはオーランドと親しいし、ゆえにオーランドが『自殺するような人じゃない』という先入観をすでに持っていた。
今思えば、何もかもが彼の計算通りだったのだ。
どこまでが当初の計画かは不明だが、革命のパズルのピースはすべてそろっていたのだ。
オーランドは、本当にいったいいつからこの考えを持っていたのだろう。
あんなに優しい人が、いったいどうしてこんなことを計画したのだろうか。
「そんな……誰かに言われてやらされてたんでしょ? じゃなきゃ、オーランドがこんなこと……」
力なく崩れ落ちたまま、独り言に近い口調で彼女はルナールやスクレに訊いた。
しかし、スクレは黙って申し訳なさそうに顔を俯かせ、ルナールは淡々と首を横に振った。
「いや、そうではない。これは正真正銘お前たちの国務大臣オーランドが計画したものだ」
ルナールの声は静かで落ち着いていたが、どこか遠くの誰かを憐れむようにも聞こえた。
「……この革命の計画自体は、確かに私が組み上げたものだ。だがその段階では、あくまでの兵士たちや大臣たちのみを戦力として考えていた。そこにオーランドが農民たちを引き入れ、より具体的な計画肉付けを行ったのだ」
「そんな……そんな……」
アーニャは首を横に振り、再び涙を流し始めた。
嘘よ。そんなの嘘。到底信じられない。
そう思いながら、頭の片隅ではそれが現実であると理解していた。
オーランドの字で書かれた遺書。
それが誰にも分らないように隠されていたという事実から、それが明らかに彼の本心であるということが生々しく伝わってきた。
その遺書と同様に、彼は皆に自分の本心を隠し続けていた。
---オーランド、どうしてこんなことをしたの?
いったい何が、あなたをそこまで追い詰めたの?
「------そうか」
泣き崩れるアーニャの横で、バーリーは天井を仰ぎ、ただ静かにそう零した。
そしてそれ以上、彼はオーランドについて何も口にしなかった。
ただ、ルナールと同じく遠くを見るような眼だけが、言葉にならない言葉を語っていた。
今更何を言おうがもう遅い。
革命は起こってしまったし、オーランドは死んでしまった。
真実は分かっても、その心はもはや誰にもわからないのだか。
ルナールは咳ばらいをして、「さて」とバーリーに向き直る。
「どうする、バーリー・ナールング? おとなしくするなら手荒なことするつもりはない」
「……処刑するまでの間は、か?」
ルナールの言葉に、バーリーは失笑する。
それについてルナール明言を避け、ただ淡々と、事前に用意していた文章をしゃべるように口を動かす。
「すぐに決断はしない。例え『王』という称号が外れても、あなたにはまだ利用価値がある。我々もこの国を立て直すのにある程度の後ろ盾は必要だからな。領内の弱国やほかの強国との関係を築くのに一役買ってもらおうと考えている」
そう言いつつ、彼の瞳の奥では結論が出ているようだった。
自ら革命を起こしたルナールだからこそわかる。バーリーを残しておくということは、いわば残り火をずっと残しておくということだ。
今は燻って消えてしまいそうなか弱い火でも、いずれはそれが誰かの心に燃え移り、今度は自分が革命を起こされるかもしれない。
火の始末だけはキッチリしなければならない。
バーリーもそれをわかっており、変わらず力ない失笑を返す。
「さあ、もういいだろう。連れて行くぞ」
ルナールはそう言って兵士たち数人にバーリーをとらえるように促す。
彼の指示に従い、三人の兵士たちがバーリーのほうに歩いていく。
その様子を、先ほどまでバーリーを守ってくれていた兵士は、苦しそうな顔で見ていた。
今までの理由を聞いて……革命の理由や各々の思想、そしてオーランドの死の真相を聞いて、何が正しいのか、わからなくなっている様子だった。
それはアーニャも同じだった。
彼女は泣き腫らした目で、ただ兵士たちが父親に迫っていくのを見ているできなかった。
体が思うように動かせなかった。
頭の中では様々な考えや過去の出来事の映像、感情などが嵐のように乱れ、そのせいで脳から体にうまく信号が伝わっていないような感覚だった。
---何が正しくて、
何が間違っているのか。
乱れる思考の中心には、その問いが重く居座っている。
国益と民意
維持と発展
人と魔族
怨恨と協定
バーリーとルナール、そしてオーランド。
―――誰が最も正しいことを言っているの?
私には分からない。
だって、皆正しいことを言っているようにも思えたし、
皆間違っているようにも聞こえたから。
これまでの戦争で積もりに積もった恨みがある。
けれど国の利益のためには、怨恨も思想も捨てて行動しなければならない時がある。
国が間違った方向に行ってしまったときは、命を賭して止めなければならない。
国益、裏切り、革命……
分からない。
分からない。
この事態の中心にいる三人の男たちは、私なんかよりもずっと先の未来を見ていた。
それぞれの信念を持って。
私なんかが想像するよりも、遥か先の未来を。
そんな人たちの争いに、私が入る余地なんてない。
「---なんでお前は、そこに突っ立ってるんだ?」
絶望の中、背後の階段から声がした。
聞き覚えのある声。
それに私だけでなく、全員の視線が向けられた。
急いで駆けつけたのだろう、アイリスは「ふぅ~」と大きく息を吐き、呼吸を整えた後、周囲を見渡す。
「俺の登場だが、これは最悪のタイミングか? それとも最高のタイミングか?」
そう鼻で笑う彼女に、ルナールは淡々と返す。
「どちらでもない。幕引きに少し間に合ったというだけの話だ」
「なるほどな」
アイリスは力なく床に崩れているバーリーを見て、目を細める。
と、そこでルナールは思い出したように前に出て、頭を下げる。
「ああ。そういえばまだ謝罪をしていなかったな。エントランスでは申し訳なかった。オーランド殺害の濡れ衣を着せてしまって」
「その件は別にいいよ。この状況を見てたいだいの予想はついたし。良くも悪くも、もう犯人扱いされなくて済むしな」
「そう言ってもらえると助かる」
ルナールは顔を上げる。次いで彼は「しかし……」と目を細める。
「ほかにも何か言いたげな顔に見えるが?」
「別に。まあ、俺もお前たちの目的に気付くのが遅かったからな。何も言わねえよ」
アイリスは呆れたようにため息をつき、腕を組む。
「所詮俺は部外者だ。というか、自分の国だったとしても、政治に関心なんてなかったよ。だいたい人間なんてそんなもんだろ? 住んでる場所の居心地が良ければ何も言わねえし、居心地が悪けりゃ変えようとする。『政治』だの『国益』だの『国の発展』だの『革命』だのと考えて生きてる人間なんて一握りだろう」
次いで彼女は兵士たちを一瞥する。
「そこの兵士はどうかわからないが、あの農民どもについては根本にある考えは同じだ。自分たちにとって快適な国にするためにお前に従っているに過ぎない。極端にかみ砕いた言い方をすれば、『自分たちにとってルナール・エクスパルトが便利だから従っている』だけだ。大層な信念や思想なんてない。逆に言えば、それが彼らの人生において最も強い思想ともいえるがな」
「ふん。何も言わないと言った割には随分としゃべるな」
「別にこの国の行く末については何も言わねえよ。俺はただ自分の考えをしゃべってるだけだ。手出しはしねえ分、このくらいは許せよ」
そうして最後に、アイリスはアーニャのほうに視線を向ける。
「で、俺は手出ししねえが、お前はどうするんだ?」
「……え?」
アーニャは突然自分に話を振られ、力の抜けた声をこぼす。
どうして今自分にそんなことを聞くのか、分かっていない様子だ。
それにアイリスは「ったく」とため息を吐きつつ言う。
「『え?』じゃねえよ。さっきも言ったが俺は部外者だ。俺もまた俺の利益になればそれでいい。けどな、お前は違うだろ? お前はこの国の王族だろ? お前にとってこのナールングという国は自分の家みたいなものじゃないのか?」
「い、いや……家って……国は家じゃない」
「おいおいどうしたアーニャ・ナールング? いつものあの調子はどこにいった? ハッ、たかがちょっと革命が起こったくらいで腑抜けすぎだろ」
「なっ------」
アイリスは終始あざ笑うような態度をとり続けた。その中で、「革命が起こったくらい」という言葉がアーニャの堪忍袋を突いたようで、彼女は今までの力ない顔から歯を食いしばり、キッとアイリスをにらみつける。
「たかが革命って、あなたに何がわかるのよ! 所詮部外者でしかないあなたなんかに!」
その怒りのこもった声に対し、アイリスは鼻で笑って返す。
「革命なんてどこの国でもあるだろ。単に王さまが入れ替わるだけの話だ。特に俺みたいな部外者には本当にどうでもいい話なんだよ。だから『たかが革命』だ」
「だとしても『たかが』なんて言わないで! 国の王が変われば国政はガラリと変わる! 国の頂点が変わるっていうのは、お役所みたいにただ単に役職に就く人間が変わるだけじゃないのよ? 人だけじゃない。国の在り方そのものが変わるのよ!」
「それは言い過ぎだ王女様。王が変わろうが大臣が死のうがそんなものは国民には関係ない。というより国民が必要だと思ったからこそこの革命は起きたんだろ? 王女様がいう話と逆だ。革命というのは『国民の考えが変わったからこそ王が変わるべき』という流れの話だ」
「そんな……何も分かってない。そんなの何もわかってない!」
悔しさか、苦しさか、悲しさか、アーニャの目には怒りとともに涙が浮かんでいた。
そんな彼女のどうしようもない顔を、アイリスは鼻で笑った。
「そうか。なら、お前は全部わかってるんだな」
「っ------」
その笑いながらも落ち着いた一言は、アーニャの内心に冷や水をかぶせたような冷たさをもたらした。
アイリスの言葉が理解できないわけではない。「わかっていない!」と叫びながら、この現状において彼女の言っていることはむしろ的を射ていると、アーニャは理解していた。
『国民の考えが変わったからこそ王が変わるべき』
革命とは、国民が行う一つの意思表現。
わかっている。
本当はわかっている。
けれど、それは簡単に飲み込めるものではない。
国民が悪いとか、国王が悪いとかそういう話ではない。
善悪の話でもない。
ただ単純に、国王が国民の理解を得られなかった、それだけの話なのだ。
「わかっているわよ。あなたにいわれなくても、全部わかっている」
さっきまでの怒りはとうに霧散していた。
アーニャは自嘲的で、暗く乾いた笑みとともにポツリポツリと言葉をこぼす。
「どちらが正しいかなんてもう必要ない。革命は起こってしまった。そして国王はとらえられてしまった。この時点でもう、議論の余地なんてないじゃない」
……いや、そもそも革命なんてものが起こった時点で、善悪ではなく、『用済み』という結論が出てしまっているのだ。
革命が起こった時点で、国として終わっていたのだ。
それも国務大臣が革命に加担し、命を落とすなんて、前代未聞だ。
そして国が終わったなら、王族なんてものに価値はない。
むしろ、居てはならない邪魔者でしかないのだ。
だから、オーランドは……
「私たちがいなくなったほうが、オーランドだって……」
そう。国の責任は王の責任でもある。
ゆえにオーランドを死に追いやったという罪は、王族の罪でもある。
そして、そんな状況下でアーニャは彼に身勝手なお願いをしてしまった。
国を憂いて自殺してしまうほどだ。
その時のオーランドの王族への絶望は、どれほどのものだっただろうか。
彼の心に対して、彼女は止めを刺してしまったかもしれないのだ。
悔やんでも悔やみきれない。
「はぁ……大馬鹿野郎。問題を混同するな」
「え?」
ため息交じりの呆れた声に、アーニャは驚きの声を漏らす。
アイリスは仕方なしといった様子で「一旦落ち着け」頭を掻き、アーニャに訊く。
「まずこの革命とオーランドが死んだのは別問題だろう。国の問題と個人の問題だ」
「何を言ってるの? ルナールが言ってたじゃない。それに文章もあった。オーランドが自ら命を絶つ、これが革命の合図だったのよ?」
「それはその男の死が合図だったという、『革命の計画の一つ』だったというだけの話だ。お前が気にしてるのは違うだろ?」
「それは……」
「俺が言っているのは、オーランドの気持ちの話は切り分けろということだ。それは国の問題じゃない。国の運営の中で起こった問題かもしれないが、もう起こってしまった、どうしようもないことだ」
そうじゃないだろう、とアイリスは言う。
「今お前が考えなければならないのは、そんなことじゃない。お前はどうしたいかということだ」
「私が……どうしたいか?」
「そうだ。大臣は死んだ。革命は起こった。人も大勢死んだ。兵士は寝返り、王妃は倒れ、国王は捕まった。わからないか? 革命は起こったが、別にこの国が滅んだわけじゃない。ナールングの国政に関することで、今、何かできるのはお前だけだぞ?」
「!!」
彼女のその言葉を聞いた瞬間、体内に冷たい重さが発生した。まるで内臓がすべて鉛に置き換わってしまったかのような。
重さの原因はわかっている。
何かできるのは自分だけ。
アイリスは言った。今この場で動けるのは、私しかいないと。
アーニャ・ナールング。ナールング国の王女である、自分しかいないのだと。
自分しかいない。
そう思った瞬間、冷たいものが背筋を伝い、手先や足先から体温が逃げていくのを感じた。
さっきまでは、この状況が苦しくて、悲しくて、ただ混乱して嘆くしかできなかった。
けれど今は、底知れない、溢れんばかりの不安が胸を満たしている。
何かできるのは自分だけ。
この場の権利の一端は自分にある。
それはつまり、自分の言葉一つですべてが決まるかもしれないということだ。
---そんなこと、急に言われても……
呼吸が仄かに浅く、早くなる。
その時だった。
「見るに堪えんな」
予想外の方向から声があった。
アーニャが声に振り替えると、今度はルナールがため息を吐いていた。
彼は憐れむような視線をアーニャに送り、
「これがあのエントランスでしゃべっていた者と同一人物だとは、到底思えんな」
次いでバーリーのほうを向く。
「どう思うバーリー・ナールング?」
「……」
「どうした? 娘の危機に、お前はだんまりか?」
「……」
「……なるほど。ふん。どこまでも甘い男だ」
それだけ言うとルナールは兵士たちに声をかけた。
「これ以上子供のお遊びに付き合っている暇はない。バーリー・ナールングをとらえろ」
淡々としたその言葉に、兵士たちは一瞬戸惑ったが、すぐに切り替え、バーリーを拘束する。
二人の兵士に両腕をつかまれるが、バーリーは一切抵抗せず、静かに従っていた。
どうして何もしないのか。その連れていかれそうになる後ろ姿に、アーニャは疑問を抱かずにはいられなかった。
「待って!」
気が付けば、無意識に声が出ていた。悲鳴のような声だった。
それを聞いた兵士たちは足を止め、アーニャのほうを振り向く。少し遅れてルナールもゆっくりと彼女のほうを向く。
「何を待つ? 我々の目的は達成した。革命はこれで幕引きとなる。もはや我らに何かを待つ必要などないと思うが?」
「それは……それでも、待って……」
今度は懇願するように、弱弱しい声で彼女は言った。
しかしルナールは首を横に振る。
「いや、連行する。もはやここに留まる意味がないからな」
「そんな……」
「時間は十分に与えた。それだけ助言ももらって答えを出せない自分を恨め」
それだけ言い、彼は立ち止まっている兵士に連れていくよう顎で指示する。
どうしたらいいのか。
連れていかれる父の背中を見ながら、アーニャは必死に考えを巡らせた。
「……お願い……お願いします」
そう言って、彼女は床に両膝をつけた。