専業農家制度
ナールング王国は壁に囲まれて、平和で資源豊かな国である。
そのため兵士が他強国に比べて少なく、その分昔から農業が盛んなのである。
そうして生み出された農業資源を用いて他国と貿易・交渉をし、他強国とは不可侵の条約を結んでいるのである。
要約すると、食料を渡すから侵略するなと各国と約束しているのである。
そしてその食料生産を支えているのが、遥か昔に制定された『専業農家制度』なのである。
ざっくり言うなら、『国が認めるくらい特別秀でた能力、または特別な事情などがない限り、国民は農業をしなければいけない』という内容のものである。
アーニャは脳内で学んだ歴史を振り返る。
「ナールング王国一代目国王『アウス・ナールング』が作った制度ね」
スクレは頷く。しかしその表情は暗い。どことなく申し訳なさそうに彼女は言葉を口にする。
「はい。制定当時は国もまだ小さく、飢えに苦しむ国民も多かったので喜ばれたのですが……」
「それに食料など、資源を用いた他国との平和的な関係を築くためにもと作られた制度よね。でも、それが今は……」
この制度のおかげで国は強国と呼ばれるほどに発展し、国民も国土も潤った。
しかし、言ってしまえばこの制度は、特定の基準に満たない能力の国民に、農業をするよう命令するもの。
そうして命令する代わりに国から手当金が支払われていた。
……のだが、
「一昨年に手当金の減額をしてから、国民の反発が強くなってるのよね」
「はい。人口がかなり増えてしまったので、手当金を減らすか税金を増やすか、どちらかをしなければいけなくなり……それで……」
「それでも一応みんなが問題なく暮らせる範囲で減らしたのよね?」
「はい。しかしそれを説明しても反発は残りました。小規模ながら、各地でデモも起こっています」
「そんな深刻な状況になってたなんて……」
「え、いえ。そこまで規模は大きくありません。各地の村々でポツリポツリと決起集会じみたものが行われているだけなので」
「そういう問題じゃないわよ」
慌てて誤魔化そうとするスクレに、アーニャはピシャリと言った。
「規模の大きさじゃないでしょ。それだけ国民が不満に思っている。なら真摯に対応しないといけないじゃない」
「……はい。おっしゃるとおりです。申し訳ありません」
言われたスクレは蒼ざめた顔で頭を垂れる。
その様子にアーニャはため息を吐き、顔を挙げるように言う。
「顔を挙げなさい。ちょっと書類どころじゃなくなってきたわね……とりあえず、ちゃんとこっちに向いて、今の話、最後まで聞かせて」
その彼女の柔らかな声音に、スクレはやや怯えた様子ではあったが、顔を上げ、話を再開する。
「……はい。そ、それで、その……各地での不満の声を聞いた農業関係の協会がそれぞれで意見書を提出してきました。手当金をもとの金額に戻してくれ、と」
「国が行ってる農業に関しては農業大臣だけど、制度全般に関しては国務大臣担当だからね。そっちに意見書が行ったのね」
「はい。そして、それに加えて専業農家制度の改定も要望してきました」
「制度改定?」
「はい。専業農家制度の基準を緩めて、もっと国民に職の自由を与えてほしいと」
「その話は私も聞いたことがあるわ。手当金減額の前からチラホラ出てた話よね」
専業農家制度。これによりナールング王国の食料自給率は80%以上となっており、国も発展してきた。
しかしこの制度があるために、国民は農家以外の職に就くことが困難になっているのである。
そのため、『国が認める特別な能力』の基準の緩和や、手当金だけを残して制度を作り変えてほしいなどの要望が国民から寄せられていたのだ。
「でも今のナールングは農業で支えられている状態。いわば大黒柱。基準を緩和して他の職に就かせるなんて、それは自ら大黒柱を削るよなもの」
「はい。それは手当金だけ残した場合も同じですし、手当金がより財政を圧迫します」
「でも国民はそれを求めてるわけだし……………難しい問題よね……」
「はい。それでオーランド様も何か良い解決案はないかと日々頭を悩ませておりました。それで、先月……」
「……先月に、何かあったの?」
「……ある協会の会長が直接オーランド様を訊ねてきました」
「え……」
「それで、農家側の意見を飲まないと、来年は不作になるだろう、と……」
「……」
それはつまり、食料を納めないということである。
協会はそこまで本気なのだ。そしてまた、それだけ強気に出てくることができるということは、かなりの数の農家の指示も得ているということである。
「でもどうして協会が? 農家が減ったら協会も困るでしょ?」
「いえ、協会は既にかなりの資金を溜め込んでいます。それを使って他分野にも事業の手を伸ばしたい思いがあるようで……」
つまり職の自由を求める農家と、新しく事業を起こしたい協会と目的が一致したというわけだ。
職が農家に縛られている現状では、新しく事業を起こせたとしても人手を確保することができない。そのため協会も制度廃止に賛成しているのだ。
「その話を聞いた後、相手の剣幕から、オーランド様は『兵士との衝突、最悪の場合内紛になるんじゃないか』と、酷く顔色を悪くされてしまって……私は秘書でありながら何もできず……」
一瞬スクレを安心させるため、安易に『紛争なんて起こらないわよ』と口にしそうになったアーニャ。しかし彼女はそれをグッと堪えた。
確かに国民は現在、金銭に関してはほとんど不自由なく暮らしている。しかしそれで満足しているわけではないのだ。
職の自由を縛るということは、人生を縛ることに等しい。故に問題は、想像以上に大きなものになっているのだと、アーニャは再認識した。
話している途中から、徐々にスクレの声は震え始め、終いには大粒の涙を流し、会話もままならなくなってしまった。
そんな自分を不甲斐ないと思ったようで、スクレは涙を拭いながら「申し訳ありません。申し訳ありません」とアーニャに謝り続ける。
「大丈夫よ。大丈夫だから」
アーニャは涙を流す彼女の肩にそっと手を置き、
「あなたは何も悪くないわ。誰も悪くないのよ。ただ国民と国との感覚が違っただけ」
「……アーニャ様」
顔を挙げたスクレの頭を、アーニャは優しく撫でる。
「いつの時代も起こってしまうことよ。個人の視点と国の視点は違うわ。それに国民はいつだって日々を生きている。けれど国はその日々の先を見て動いている。仕方がないこと……とは言えないけれど、それでも往々にして起こってしまうことなのよ、そういうことは。大切なのは迷わないこと」
「迷わない、こと……ですか?」
「うん。国が迷えば国民も迷い、不安になるわ。そして最後には切り捨てられてしまう。だから国は何が何でも迷ってはダメ。少なくても表向きは迷いがないよう振る舞わなければダメいけないの。不安は簡単に人の心の魔物を肥やすから……って、関係ない話になってしまったわね。とにかく、その圧力がオーランドの自殺に関係ありそうだと、あなたは思ったわけね」
話を切り上げ、最後にアーニャはスクレにそう訊いた。
スクレは泣くだけ泣いて呆けてしまったのか、一瞬ボーッとしていたが、すぐに我に返って背筋を伸ばし「は、はい! そうです!」と緊張した面持ちで答えた。どうやら感情に任せてしゃべっていたらしく、今まで王女様と話していることを忘れていたようだ。
そんな彼女の様子に、アーニャはクスリと笑い、
「だから気にしないって。大丈夫よ。っと、それじゃあ書類を探しましょっか。私のせいで遅くなってごめんね。すぐ探すから」
そう言って再び書類探しを始めようとした。
しかし、開始してすぐに、スクレが「あ!」と声を上げ一枚の書類をアーニャたちに見せた。
「ありました! この辺りの書類です! ここ一式あれば大丈夫です!」
「そう。見つかってよかったわね」
「はい! ありがとうございました!」
そう言って彼女は他の書類を棚に片付け、目的の書類の束を崩れないように抱えて、そそくさと部屋を出て行った。
残された二人は一息吐き、「「さて」」と顔を見合わせる。
アーニャが先に口を開く。
「どうだった?」
それにアイリスが呆れた様子で答える。
「正直に言えばいいか?」
「嘘を吐いてメリットがあるならどうぞ」
「……面倒くさいやつ」
ニコリと微笑むアーニャに彼女はそうため息を吐き、諦めて結論を伝える。
「嘘は吐いていない。だけど時々顔が曇ることがあった」
「つまり何か隠し事があるってことね」
「ま、その隠し事が今回の件に関わってくるかは別だけどね」
「確かにねー」
そうアーニャは伸びをした後、「さて」と立ち上がって部屋を見渡す。
「とりあえずこの部屋も一通り見て回りますか」
「そうだな」
「ところでどうでもいいけど、ほんと、あなたバレないわよね」
「それだけメイド服が似合ってるってことだろ」
「お帰りなさいませご主人様って一回言ってみて」
「お帰りなさいませナールング王国第一王女『アーニャ・ナールング』様。お風呂にします? ご飯にします? それともしゅ・う・し・ん?」
「ま、真顔の棒読みで言わないでくれる? 結構怖いんだけど。それと最後普通に寝てるじゃない」