姫様、始動
国務大臣『オーランド』の死。
それは瞬く間に城内を駆け巡り、やがて城下まで広がることとなった。
平和な国で起こった大臣の死。
国王バーリーは即座に全大臣を招集し、事態の把握、および解決へと動き出した。
その間、アーニャは部屋でずっと缶詰状態となっていた。
危ないから必要最低限のこと以外は部屋から出るなときつく言われたのである。
そして誰が犯人か分からない以上、家庭教師もしばらく休みとなった。
本当に、完全にやることが無くなったアーニャは、開けた窓のところで頬杖を突き、ため息を吐く。
それを見て、アイリスもため息を吐く。
「ため息ばかり吐かれると、こっちも憂鬱な気分になるんだけど?」
「うん。ごめん」
「勉強でもしたら?」
「うん」
「暇なら寝ろよ」
「うん」
「……」
「……」
「カナちゃんが100円のパンを買いました。お会計で900円のお釣りを受け取りました。店員はいくらカナちゃんに支払ったでしょう?」
「0円。お釣りは店員のお金じゃないか。そしてそもそもうちの国に『円』って単位は存在しない」
「しっかり話聞いてんじゃねえか!」
まったく、とアイリスは呆れつつ、テーブルのところにある椅子に腰を下ろし、テーブルに頬杖を突く。
「恋する乙女じゃあるまいし、いつまでため息ばかり吐いてるんだ?」
「……なら他にどうしろっていうのよ?」
アーニャは振り向いてやや睨むようにアイリスを見る。
それにアイリスは「なんでもあるだろ?」と部屋を見回す。
「例えば本を読むとか、勉強するとか筋トレするとか」
「あなたみたいにクライマーじゃないから筋トレはしないわ」
「誰がクライマーだ! ったく、いつまで落ち込んでるんだよ」
「……」
アイリスが呆れ顔でそう言うと、アーニャは窓から離れ、今度はベッドの方に向かった。
そしてうつ伏せにベッドに倒れ込んで動かなくなった。
「ったく……」
アイリスはそう言ってため息を吐いた。
結局、アーニャにため息ばかり吐くなと言っておきながら、アイリスもまたため息を吐く以外にできることがなかった。
アーニャが昼ごはんと食べに行っている間。
アイリスは、部屋の掃除に来たメリッサに聞いた。
死んだ『オーランド』という大臣。アーニャとは幼い頃から仲が良かったらしい。
もともとは執事長としており、子供好きの温厚な男性で、血は繋がってなかったがまるで親戚のおじさんのようにアーニャは懐いていたという。
もとからの高い指揮能力に加えてアーニャとの関係があってか、国王バーリーからの信頼も厚く、貴族の出ではなかったが国務大臣に任命されたのである。
「ただ、そのせいで一部の大臣から良く思われてなかったんですよね……」
話の最後にメリッサはそう零した。
――――さて、私はどうするか……
アイリスは、頬杖を突いたまま窓辺のアーニャをチラリとみた後、視線をクローゼットに移す。
そこにはアーニャの頼みでメリッサが用意したアイリス用のメイド服が入っている。
黒髪のショートカットに見えるカツラも入っているので、それを着て歩いていればバレることはまずない。
しかし、さすがに召使いだけが掃除でもないのに重要書類などがある場所に居るというのは違和感があり過ぎる。それどころか不必要に城内を歩き回っているだけで目に付くだろう。
掃除という言い訳もあるが、それでも限度がある。
―――やはりアーニャに着いてきて欲しいのだが。
あの様子では、アーニャはしばらく動かないだろう。
昨日は何ともないように見えたが、それはおそらく死体を発見してショックのメーターが振り切っていたからだろう。
一晩寝て、今日になって現実感が彼女を蝕み始めた。
―――出直すべきか。
これ以上アーニャが動かないようであれば、とりあえず他の方法を探してできることはする。
しかしそれでも限度が来れば撤退も考えなければいけない。
何度も侵入するというのは、城内に隠れるよりもリスキーだ。誰だって泥棒の侵入は警戒するが、まさか泥棒が家の中に潜んでいるなんて考えもしないだろう。
とにかく一番はアーニャに回復してもらうことである。
そうとりあえず思考がまとまったところで、アイリスは一つため息を吐き、語り始める。
「……遺体の発見は午後十一時ごろ。場所は王様の執務室の机の下。凶器はナイフ。心臓を一突き」
アイリスは昨日の現場の状況を一つずつ口に出していく。
突然そんなことをしゃべり出した彼女に、アーニャはゆっくりと視線を向ける。
そのアーニャの視線を確認しつつ、アイリスは続ける。
「部屋は密室。出入口の扉は鍵を閉っていて、他に出入口はなし。で、あの部屋の鍵を持っているのは誰だ?」
「……私と父さん。それとオーランドよ」
「そのオーランドの鍵は?」
「彼の自室から見つかったそうよ」
「なら誰かがその鍵を使って鍵を閉めたか、他の方法を使ったか。何にしても鍵を閉めたということだ」
「その鍵を閉めたのが犯人、と」
「まあ当然そうだろうな」
「オーランドの部屋からあの執務室までは歩いて五分くらいよ」
「そのオーランドの部屋の鍵は閉まってたのか?」
「それは確認してないわ。けど彼の性格だったら閉めてた可能性が高いと思う。確認しないとだけど」
なんて、アイリスと事件の話をしていると、徐々にアーニャの瞳に光が戻っていく。
話題は殺人事件、しかもアーニャの身近な人の殺人についての話だが、しかしそれでも彼女の思考を紛らわせるためのきっかけ程度にはなったようだ。
その様子の変化を見て、アイリスはアーニャにバレないように仄かに口角を上げる。
―――思考は残酷だ。
どんなに落ち込んでいるときも、どんなに心から感動しているときも、
他に脳が反応する話題が現れれば、まるでオハジキのようにコツンと入れ替わる。
それがおそらく、人間が……いや、思考を行う全ての生物が生き残るために設定された脳の機能なのだろう。
喜び過ぎず、怒り過ぎず、哀しみ過ぎず、楽しみ過ぎず。
その機能が生き残るために必要だったから、進化の過程で獲得した。
中でも人間は、霊長類の中で最も知能が発達した。それだけ思考能力が発達した。
欲望よりも、感情よりも、思考が発達した。
だからこそ、余計なことばかり考え、それだけ残酷になったのだ。
しかしその思考の残酷性のおかげで、アイリスは立ち直ろうとしている。
だからアイリスは心に浮かんだ皮肉を口にはしなかった。
切り捨てるというのは大切なことだ。断捨離しなければゴミだらけになってしまう。
―――彼女さえ立ち直ってくれれば、どうとでもなる。
「とりあえず今分かっていることは『現場は密室』『凶器はナイフ』『オーランド用の執務室の鍵は彼の自室』ってことくらいだな」
「そうね。あともう一つ。事実というか気になった点だけど」
「ん?」
アイリスが首を傾げると、アーニャは体をアイリスの方に向けて、ピンとひとさし指を立てる。
「オーランドがどうして執務室に居たか、よ」
「なるほど。確かに」
盲点だった、と彼女は頷き、席を立つ。そしてクローゼットを開いて、服を脱ぎだす。
「私露出狂匿うの嫌なんだけど? さすがに王女様でもそこまで懐大きくないわよ?」
「着替えるんだよ! 見れば分かるだろ!」
と露出狂ではないことを訴えながら、メリッサからもらったメイド服を取り出し、着替える。
そして髪をまとめて結うと、それが収まるようにカツラを被って完成。
「これ絶対蒸れるよなぁ……」
「文句言わない」
「まあそうね」
そうしてアイリスは「さて」とアーニャの方を見る。
「敵討ちの犯人探しと行きましょうか。王女様」
その妙に得意げな顔に、アーニャは顔をしかめる。そして少しだけ俯き、
「…………癪だけど、それしか私にできること、無いしね」
ポツリとそう呟き、「そうね」とアイリスに同意し、二人は部屋を出た。
「……退屈退屈言ってた罰なのかな。重たすぎるよ、神様」