執務室
「……なるほど、事情は分かりました」
アイリスを縄を解き、アーニャから事情を聞いたメリッサは、ベッドに腰掛け腕を組んで「ふむふむ」と頷く。
そして床で胡坐をかいているアイリスを指さす。
「って、結局この人めっちゃ怪しいじゃないですか!!」
「まあそうなんだけど」
叫ぶメリッサに隣に座っているアーニャは苦笑する。
指を刺されたアイリスは「指をさすな」と指を払い、ため息を吐く。
「だからそこのお姫様は試したんじゃない。私がきちんと待ってるかどうか。それで信用できるかどうか」
「そんなことで信用できるわけないでしょ!?」
「まあそうだな。私も立場が逆だったら絶対信用しない」
そうアイリスは肩を竦める。
その小馬鹿にした様子にメリッサは「きいいぃッ!!」と怒りを顕わにするが、アーニャがそこで彼女を宥める。
「どうどうどう」
「アーニャ様。私、馬じゃないんですけど……」
「顎撫でてあげるから機嫌直しなさい」
「アーニャ様。私、猫じゃないんですけどあ~ゴロゴロゴロ~」
顎を撫でられて顔がふやけるメリッサ。
よしよし、とついでに頭を撫でてあげながら、アーニャはアイリスに視線を向ける。
「さっきの話だけど、勘違いしないでほしいの」
「勘違い?」
「ええ。別に私は、あなたを試すためだけにベッドの下に隠れるように言ったわけじゃない」
「……」
「信用してるから言ったのよ」
「「……はい?」」
アーニャの言葉に、アイリスだけでなく、メリッサも素っ頓狂な声を出した。
しかしアーニャは構わず話を続ける。
「別に逃げても良かったのよ。逃げなかったなら一緒に協力すれば良いし、逃げたとしてもとりあえずあなたから話は聞けたから、その真偽は私自身で確かめればいい」
どっちに転んでも良かったのよ、とアーニャは得意げな顔をする。
それにメリッサは「出た、アーニャ様のどや顔!」と小さく拍手を送る。
しかしアイリスは笑うこともなく、。
―――本当にこの女、何を考えているか読めない。
何も考えていないのか、それともそう見せかけているだけなのか。
「馬鹿と天才は紙一重。なんて言ったら怒るかしら?」
アイリスがそう愛想気味に口角を上げる。
それにアーニャは「いいえ」と首を横に振り、
「君主とは時に馬鹿であるべきだと、私は思っているから。だって常に肩肘張ってるなんて辛いじゃない?」
なんて、また得意げにクスリと微笑む。
そしてアイリスはまたその顔に、仄かに顔をしかめる。
「さて!」
そうアーニャはパンッと手を叩き、話を一区切りすると、ベッドを立ち、部屋の出入口の方に歩いていく。
「ここでいがみ合ってても話は進まないし、そろそろ行きましょう」
もし裏切るなら、調査の過程で裏切るでしょ、と振り返ってウインクした。
・・・
廊下に出た三人は、誰も居ないことを確認しながらバーリーの執務室に向かう。
その際、もし誰かに発見されてしまっても大丈夫なように、アイリスにはメリッサのメイド服を着せた。
「なんで私がこんな服を……」
「こんな服って言わないでください。私の仕事服ですよ、失礼な」
動きづらそうにため息を吐くアイリスに、メリッサは頬を膨らませて不満げである。
そんな二人のやり取りを見て、アーニャはクスリと笑う。
廊下はアーニャが先頭になって進んでいき、曲がり角があっても彼女が確認してくれる。
そうして安全を確保された道を、召使いのメリッサとアイリスが進んでいく。
「……召使い、だよね?」
アイリスは怪訝な目をメリッサに向ける。
それにメリッサはフンとそっぽを向きつつ、
「アーニャ様は何でもできるのよ。私たちに頼り過ぎず、課題はご自身で解決したいのよ」
なんて、まるで自分のことのように得意げに話す。
そんな彼女をアイリスは鼻で笑う。
「どの地位からもの言ってるの? メイドでしょ?」
すると、そう小馬鹿にしてきたアイリスに対し、メリッサはムッと睨みを返す。
「あなたこそ不法侵入者のくせに何様よ! 入った部屋がアーニャ様の部屋じゃなかったら今頃地下牢行きよ! そして縛り上げられて拷問されて泣き叫ぶことになってたのよ! もっとアーニャ様に感謝しなさい!」
「そのアーニャ様とお前のせいで私さっき縛りあげられたんだけど!?」
「あんなのちょっと縛っただけじゃない!」
「亀甲縛りはちょっとじゃないよ!? え、いつも何してるの!? ホントにメイド!?」
「な! 変な言い方しないでよ! まるで私が変人で変態みたいじゃない! 縛りの練習はいつも書類を縛ってゴミ出しする時にしてるの! それだけよ!」
「いやそれも十分変人だろ!」
二人が声が徐々にヒートアップしていく。
と、そこでアーニャは振り返り、「しー!」と口元に指をあてて静かにするように促す。
次いで、ボソッと小さな声で、
「……次騒いだら二人とも縛って吊るすから」
という囁きが聞こえたので、二人とも……特にメリッサは背筋を伸ばして口をきつく閉じる。
その緊張した様子にアイリスは不思議そうに首を傾げる。
「なんでそこまで緊張してるんだ?」
「……やられた人見たことあるから。全裸で公園に逆さづりにされてた」
「暴君じゃん!」
「いや滅多にないから! やられたのアーニャ様の下着盗んだ最低な執事だったし」
「おいどうなってんだナールング王国!? 国自体に問題がなかったとしても城内に問題あり過ぎだろ!」
「だから滅多にないって! 激レア中の激レアケース! ていうかうるさい! アーニャ様に黙るように言われたでしょ!」
「いやお前の声の方がうるさい!」
「メリッサ、アイリス。静かにして」
「「はい」」
アーニャが、今度はピシャリと言うと、二人は今度こそ口を噤む。
そうして、ようやく黙って静かに廊下歩くこと数分。
「……ここよ」
アーニャが足を止めた。
それに合わせて後ろの二人も足を止め、目の前にあるドアを見る。
重厚な木造の扉。
幾何学的な模様が彫られ、取っ手は蔓植物をイメージしたものとなっている。
明らかに他の部屋とは違う、立派な造りの扉。その一枚だけで、この部屋の特別性が伝わってくる。
「いかにも王様の執務室って扉だな」
アイリスは素直に感慨深そうに呟く。
が、アーニャは鍵を開け、扉の取っ手を掴んでため息を吐く。
「まったく。いつも思うけど……確かに王様が使う部屋だけど、重要書類があるんだからもっとバレないようにしなさいよね」
私が女王になったら全部質素なものに変えるわ、と零して、彼女は扉を開いた。
一見重厚で、重そうな扉だが、少し力を籠めるだけでそれは簡単に開いた。
中には巨大な空間が広がっていた。
二階分ほどある高い天井。そして部屋の左右には壁に沿って所狭しと並べられた巨大な本棚。
そんな空間の奥に扉以上に品質の良い木で作られた国王のデスクがある。
「毎回お掃除のときに思いますけど、執務室って言うより書斎ですよね」
部屋を見渡しながら、メリッサはアーニャに言う。
それにアーニャは「確かに」と同意し、部屋を一瞥した後、振り返る。
「さて、それじゃあ宝探しと行きましょうかね。アイリス」
彼女はどこか楽しむような表情をアイリスに向けた後、デスクの方に歩いていく。
その後ろを、やや不満げな表情でアイリスは付いていく。
「……そこに何か情報があるの?」
「たぶんね。やっぱり大事なものは机の中に保存するでしょ?」
フフンと鼻を鳴らすアーニャ。
それにメリッサが「はい!」と挙手をする。
「私もそう思います! うちのお父さんもへそくり机の引き出しの中とか国語辞典入れる箱の中とかに隠してました!」
「メリッサ、それはある意味王国の秘密以上にマズい情報だから秘密にしておきなさい」
「エロ本は机の引き出しを二重底に改造してしまってありました!」
「分かったわメリッサ。ここの次はあなたのお父さんの部屋を漁りましょ」
「一般人の秘密を王女様の権限で漁るなよ。この国にプライバシーはないのかよ……」
アーニャとメリッサの会話を聞いて、ため息を吐くアイリス。
そんな会話をしながら二人はデスクにたどり着く。
そして椅子がある方に回り込みながら、
「確かいつも書類は一番上の引き出しに……」
なんて呟いていると、
―――――――突然、アーニャの足が止まった。
「? どうされたんですか、アーニャ様?」
それにメリッサは首を傾げる。
対して、
「……」
アイリスは黙って彼女の方を見ていた。
さっきまで口元に薄らと浮かんでいたアーニャの笑みが、消えたのが分かったからだ。
メリッサとアイリスは今、デスクを挟んでアーニャの反対側に立っている。
アーニャは二人に何も言わず、デスクの陰にしゃがむ。
そして数秒後、
ズルズル、と。
何かを引きずる音がし、アーニャがデスクの陰から出てくる。
―――何者かの足を掴んだ状態で。
「ひっ――――――!」
メリッサが引きつった悲鳴を漏らす。
アーニャはデスクの陰からその人を引っ張り出してくると、その人を抱き起すように持ち上げ、顔を確認する。
「……国務大臣の『オーランド』」
彼の胸には、一本のナイフが突き立てられていた。
血は乾いており、抱き起しても彼女の体に付着することはなかった。
さっきまでの楽し気な空気が一転。戦慄が全員の背筋を駆けあがった。
「そんな……」
あまりの光景に、メリッサはその場にへたり込んでしまう。
アイリスも顔をしかめる。
アーニャは蒼ざめ、
「……どういうことよ。何がどうなってるの」
声が震えていた。
しばらくの間、三人ともが状況を飲みこめずただ黙って硬直していた。
しかしメリッサが立ち上がり、
「と、と、とにかく、人を呼んできます!」
そう部屋から出て行こうときびすを返した。
が、
「待って!」
それをアーニャが止めた。
そしてオーランドの体を床に寝かせつつ、振り返ったメリッサに彼女のは落ち着いた声音で伝える。
「今この状況で人を呼べば、私たちが一番に疑われるわ」
「ッ!」
それにメリッサの顔面は蒼白となる。
そう。
この部屋はアーニャたちが入るまで鍵がかかっていた。
窓も他の出入口もない。
「密室状態だったってわけか」
アイリスが面倒気にそう言う。
それにメリッサがキッと睨む。あなたが犯人だ、と言いたげに。
しかしその彼女の視線を見て、アーニャは首を横に振る。
「彼女じゃないわ、メリッサ」
「でも!」
「鍵がかかってて他に入る場所はない。だからアイリスが侵入することは不可能よ」
「そんな……なら誰が」
「それが分からないから困ってるんだ」
腕を組んでため息を吐くアイリス。それにメリッサは再び鋭い視線を向けるが、
「二人ともやめなさい」
アーニャがそれを治める。
そして倒れているオーランドを見て、小さく深呼吸をし、
「……可哀想だけど、机の下にもう一度戻しておくしかないわね」
そう言って再びオーランドの体を引っ張ってデスクの陰に戻す。それをメリッサも手伝う。
アイリスはその様子を見て、アーニャに問う。
「それで、これからどうするんだ?」
「そうね……とりあえず資料探しはちょっと難しいわ。こんな状況だし」
そして戻し終えると、アイリスを見て微笑む。
「心配しないで。あなたのこと誰かに言ったりしないから。あなたはそれだけが心配なんでしょ?」
「……」
「私だってあなたと組んでたわけだし、執務室への侵入に関しては共犯よ。だから誰にも言わないわ。私だって無駄に疑われたくないから」
「……そうか。ならいい」
アイリスはそう短く返すと、それ以上何も言わなかった。
アーニャの微笑み。それが酷くギコチナク、無理をしていたのが分かったから。
その夜は、オーランドをデスクの下に隠してすぐさま執務室を去った。
しばらく身動きができないアイリスはアーニャの部屋で匿うことにし、メリッサだけがこれを知るところとなった。
そして翌朝。
オーランドの遺体が執務室で発見された。