88.One Way Or Another
88話目です。
よろしくお願いします。
「ご機嫌麗しゅう。女王陛下」
「お堅い挨拶は不要ですわ、オリガさん」
数名の侍従を引き連れて王城を訪れたオリガの衣装は、戦闘要員も兼ねて一二三の侍従として付き従っていた頃とは違い、貴族の女性が着るようなドレスに似た、少し袖のサイズに余裕がある高価な生地を使った青い装束だった。
手には鉄扇を持ち、背筋を伸ばして楚々とした雰囲気を醸し出すオリガは、王城内でも注目の的だった。
その美貌に声をかけようとした貴族も居たが、同僚から彼女の立場を知らされ青ざめた。
そして今、女王イメラリアの執務室にて面会をしている。
本来であれば貴族の妻になっただけの平民でしかないオリガが許される状況ではないのだが、彼女の夫が特別過ぎたのと、何を目的としているかわからない以上は、他の貴族たちの目に入る可能性が高い謁見の形式よりも、私的な会合とすることを選んだという理由もある。
「まずは、ご結婚おめでとうございます。貴族としての生活には慣れましたか? 元々冒険者をなさっていたということですから、今までとは勝手が違いますでしょう」
「そうですね。フォカロルでは貴族だからとか平民だからとかはあまり関係ありませんので、然程気にもしておりません。どちらかといえば、夫に擦り寄ってくる方へ“対応”する方が大変です」
「あら。今や一二三様はオーソングランデ内でも指折りの広い領地と高い名声を誇る大貴族の一人なのです。一人でも優秀な人員を囲っておくのも、大切なことですわ」
「そうですね。小姑のように口出しをしてくる方もいらっしゃいますから、対応のための人員は必要ですね。いちいち相手していたら、神経が磨り減ってしまいますから」
オリガはあえてイメラリアと距離を置くつもりであり、自分を除けば最も近しい女性は彼女であると認識しているのも手伝っての言葉だが、イメラリアの方は意図しないうちに刺のある台詞が口をついて出ていた。オリガが妻で良いのだろうか、という不安があるのは自覚しているが、それが“国内の貴族”に対してなのか“一二三という人物”に対してなのかは、結論は出せない。
ひとしきり口撃し合ってから、お互い紅茶に口を付ける。
オリガもイメラリアも、微笑みを浮かべたままなので、傍目から見れば和やかなお茶会という雰囲気だろう。
同席している宰相アドルは、あらゆる方面への心配事で胃に穴が開きそうな思いで、飲んだ紅茶も味がしなかった。
「そ、それでトオノ夫人。今回、イメラリア様だけでなく私にも同席をというご連絡をいただいたのだが、一体どのような要件なのかね?」
早くこの場から開放されたい一心で、アドルは早々に本題を切り出した。
「……アドル様、最近資料室で色々とお調べのようですね」
「な、何を……」
「調べはついておりますので、否定は意味がありません。……そこで、古代魔法について資料をお探しされているそうですね。目的はなんでしょうか?」
オリガが淡々と話すうちに、アドルはびっしょりと汗をかいている。膝の上に置いた拳を握り、良い言い訳は無いかと頭をひねるが、何も浮かんでこない事にさらに焦る。
「宰相、貴方……」
その様子に、イメラリアも不審に思った。
「熱心に調べ物をしていたのは知っていました。宰相には以前より苦労をかけていましたし、その知識や経験に助けられたことは一度や二度ではありません。ですが、古代魔法を調べていたとはどういうことでしょう。宰相には、魔法は使えないとわたくしは聞いておりましたが?」
イメラリアからも質問を浴びせられ、観念したアドルは、一二三を元の世界へと戻す“送還魔法”を探している事を正直に話した。
武力では、たとえ大人数でも騙し討ちでも難しいことは既に証明済みなので、謝罪として元の世界へ戻す手があると提案しようと考えている、と宰相は初めて自分の考えを人に話すことになった。
「一二三様を元の世界へ……そんなことが、可能なのでしょうか?」
謝罪の方法だと聞いて一瞬、明るい表情を見せたイメラリアだが、何か思うところがあるらしく、少し暗い顔で問うた。
その事も不安なアドルは、つい口から出た言葉を引っ込めることができなかった。
「……実は、その魔法の記録は発見いたしました。ここから先は、魔法使いでなければわからない部分が多いので、解析を進めなければなんとも言えませんが」
「そうなのですか。では、わたくしもそれに協力いたしましょう。一二三様には色々と思うところもありますが、お戻りいただくのが一番……」
イメラリアは、はっとしてオリガの顔を見た。
彼女が一二三を狂信的に愛している事はイメラリアも知っているので、自分の発言がオリガの逆鱗に触れるのではないかと遅まきながら気づいたのだ。
だが、オリガはニコニコとした笑みを崩さない。
「オリガさん、この件は……」
「私も、その計画に協力させていただきます」
慌てて声をかけたイメラリアに、オリガはきっぱりと言い切った。
「オーソングランデを救い、戦闘だけでなく世界の技術を一気に進めた異世界からの勇者様は、その役目を終えて異世界へと帰っていった……素晴らしい英雄譚の完成ですね」
「よ、よろしいのですか?」
声を震わせてイメラリアが尋ねるのを、当然です、と紅茶を一口飲んでオリガは答えた。
「私の夫である一二三様はこの世界だけで終わるような小さな存在ではありません。私も魔法を使えますから、その研究には最大限協力させていただきます。ただし……」
カップを置いたイメラリアは、アドルを見据える。
「送還と称して一二三様を害するような素振りを見せるようでしたら、フォカロルは直ちに独立し、オーソングランデ全土に対して戦争を開始いたします」
「そ、それは女王陛下へ対する脅しとも取れる発言だ! それに、いくらフォカロルの兵が強くとも、国中の兵士を相手取るなど……」
「全ての兵を相手にする必要などありません。私たちにとっては、城に忍び込んで重要な人物のみを始末するなど、容易いことです」
「ですが、一二三様は……」
「女王陛下。あまり私の夫の名前を親しく呼ばれるのは良い気分ではありません」
王の言葉を遮ってまでの言葉がそれか、とイメラリアは流石に苛立った。
「一二三様は、敵対しなければわたくちたちへ攻撃する事はなさいません。是非ご協力をお願いいたします。それで、オリガさんはなぜ協力いただけるのですか?」
あえて呼び方を変えなかったイメラリアに、オリガは目を見開いた。思っているよりも、一二三に対するイメラリアの気持ちは強いのかもしれない、と心の中で注意対象のランクを上げる。
「私が願っているのは、あの方がこの世界から去っていくその時も、共にあることです。ですから、送還する時のお手伝いもできます」
ほら、役に立つでしょう、とオリガは言った。
☺☻☺
「人間の国が見てみたいです」
と、唐突にレニが言い出したのは、朝食を摂っている時の事だった。
「な、何を言い出すのよ」
食後のデザートであるボダンを齧っていたヘレンは、驚いて真っ赤な果汁を口の端からこぼした。
一二三は黙って話を聞いている。
「昨日の一二三さんのお話で、人間にも戦う人ばかりじゃなくて、違う暮らしをしている人がいるんだと思いました。それに、ウチは一二三さんみたいに強くないし、ヘレンみたいに音で色々聞き分けられるような技術も経験も無いから、もっと色々知らないといけないと思うんです」
レニの表情は真剣だ。眠る前によくよく考えた結果だといい、ヘレンにも頭を下げて、わかって欲しいと言った。
「一二三さん、足手まといなのは承知の上です。人間の街に入るのに、ウチも連れて行ってもらえませんか?」
「無茶だよレニ! 人間の国で獣人が見つかったら、殺されるか奴隷にされちゃうよ!」
「一二三さんが一緒なら大丈夫。だから、これが最初で最後の機会だと思うんだ」
腕を組んで黙っていた一二三は、レニに向かって無表情に言い放った。
「それで、人間の生活を見てどうするつもりだ?」
「それは、ウチにもまだわかりません。……でも、このままいつ殺されるかわからない荒野で何も知らずにコソコソと生きていくよりも、もっと違う何かがあるんじゃないかと思ったんです」
「俺は行き先の国の事を何も知らん。案内はできないし、争いに巻き込まれる可能性もあるぞ」
「これまで荒野で逃げて隠れて生きてきました。戦いのときは、何とか殺されないように頑張って隠れます。国の案内はいりません。人間がどんな生活をしているのか、この目で見たいと思ったんです」
しばらく視線を交わしていた一二三とレニ。
ハラハラと心配そうに見ていたヘレンの前で、一二三はレニの頭に手を置いた。
「わかった。子供が色々と見て勉強するのは良いことだ。その上で、自分がどうしたいか判断するといい。ただし、ソードランテではお前は俺の奴隷という扱いにしておくぞ」
「わかりました。よろしくお願いします」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 奴隷扱いって……」
心配するな、と一二三はヘレンに向かって誇らしげに言う。
「奴隷の扱いなら慣れたもんだぞ。それに、単なる見せかけだけのことだ」
「で、でも……」
「いいんだよ」
レニは、ヘレンにそっと抱きついた。
「わがまま言って、本当にゴメンネ。色々と見てきたら、ヘレンにもどんな人がいたか教えてあげるね。ひょっとしたらウチ、集落を変えるような大発見とかしちゃうかもしれないよ」
「集落というと、羊や兎が集まっているお前らの村か……」
指先で膝をトントンと叩きながら、一二三は何かを思いついたようで、頭の中を整理する。
「お前らの集落を変えるような事な。あってもおかしくないな」
一二三がニヤリと笑ったのを見て、ヘレンは慌てて立ち上がった。
「わ、わたしも付いて行く!」
ヘレンの申し出も了承され、三人は予定を変更し、別れずにそのままソードランテを目指して進む事となった。
☺☻☺
騎士の国と呼ばれるソードランテ当代の王は名をブエルと言った。
初代王の生き写しとも言われる筋骨隆々の騎士でもある彼は、政務もそこそこに鍛錬に打ち込み、国内の騎士の誰よりも強いと言われている。
「獣人狩りに出た騎士が戻っていない、だと?」
短く刈り込んだ金髪を揺らし、城の裏庭にて剣の素振りをしながら、報告に対して「原因はわからんのか」と問いただした。
「はっ! 出入りの記録では、あまり荒野の奥へは行っていないと見られておりますが、目下、捜索中であります」
「捨て置け」
「はっ?」
剣を置いたブエルは、流れる汗を拭った。
「捨て置けと言ったのだ。そいつが我が国の誇りある騎士ならば、何日かかっても戻ってくるだろうから、その時は迎え入れてやればいい。だが、獣人ごときにやられてしまうようなら、そんな騎士はこの国には必要ない」
「しかし……」
反論は許されず、報告に来た騎士は王の手振りだけで庭を追い出された。
代わりに王の近くへと進み出たのは、王に常に付き従っている侍従の一人だった。
侍従は王が汗を拭った布を受け取り、冷たい水を差し出した。
「獣人の準備ができております」
「なら、すぐに連れてこい」
「かしこまりました」
一礼してその場をさった侍従が戻ってきたとき、彼の後ろには兵士二人によって鎖でがんじがらめにされた豹の獣人が引き出されていた。
「ふむ。今日は豹が相手か」
剣を掴み、豹獣人の前に立ったブエルは、剣を突きつけて言う。
「薄汚い獣人だが、お前は強いのか?」
顔を上げた豹の獣人は、王を無言で睨みつける。
「王よ。この者はうるさく叫ぶので、喉を焼き潰しております。声は出せません」
「なんだそうか。おい獣人。今からお前を縛る鎖を解いてやる。そして俺に傷一つでも付けられたなら、荒野に放ってやろう」
王が指示すると、兵たちは鎖の留め具を外し、素早く獣人から離れた。
突然拘束から解放された獣人は、一瞬膝を付きはしたものの、素早く後ろに飛び下がり、爪をむき出しにして構えた。
ギラギラした目を向けてくる豹の獣人に対し、王は不敵に笑う。
「そうだ。そうやって必死に生きるためにもがくといい。だが」
両手に掴んだ剣を斜め上に突き出すような独特の構えをとる。
「所詮は獣人だ。騎士の剣技によって死ぬ事を光栄に思うがいい」
声にならない叫びを上げて、豹が猛然と迫る。
地面に這うようにして足元から潜り込んできた豹獣人は、身体を起こすと同時に両手を突き出して王の首を狙った。
「甘い」
剣を引き、柄を振って突き出された指を叩き落とすと、猛然と横なぎに振り抜く。
再び身を低くして、辛うじて避けることに成功したと豹獣人が判断した瞬間、王は身をひねり、独楽のように回ると再び剣を振るう。
「ふんっ!」
斬るというより叩きつけるに近い音がして、豹の頭が上下に断ち割られた。
脳漿を撒き散らして倒れた豹の獣人に目もくれず、王は侍従に剣を突き出し、刀身を拭わせる。
「最初の動きは良かったが、とっさの対応ができておらんな」
「お見事でございました、王よ」
侍従の褒め言葉に、王は鼻を鳴らして不機嫌を表した。
「この程度の奴に手こずるようでは、騎士の国の王とは言えん。始祖のように強くあらねばならん。すぐにもっと強い獣人を探して連れて来い」
「はっ! 了解いたしました!」
獣人を連れてきた兵士たちが王へ敬礼し、死体を引きずって離れていく。
「王よ。そろそろ城へ戻る時間でございます」
侍従の言葉を聞いた王は、首を横に振った。
「誰かに任せておけ。俺はメスの部屋に行ってくる。戦いの後は滾るからな」
「かしこまりました」
城内地下にある、獣人の女性を監禁した部屋へと向かう王を、侍従たちは頭を下げて見送った。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。