85.Eye Of The Tiger
調子に乗って連日更新。
85話目です。
よろしくお願いします。
馬の背にうつぶせの格好で乗せられ、ゆらゆらと運ばれているうちにヘレンはぼんやりと目を覚ました。
兎耳をピコピコと揺らし、目の前を地面が通り過ぎていくのを見つめて、少しずつ覚醒する。
「あ……あれ?」
それなりの時間、同じ体勢だったのか、鞍に当たっているお腹が痛い。
頭を上げて横を見ると、ブルルといななく馬の向こうに、人間の男とレニが並んで歩いているのが見えて、仰天して馬から転げ落ちた。
「れ、レニ!?」
「あっ! 目が覚めたんだね、ヘレン!」
ニコニコと駆け寄ってくるレニを抱き寄せ、ヘレンは一二三を睨みつけた。
「わたしたちをどこへ連れて行くつもり!?」
「知らん。道はそいつに聞いているだけだ」
あっさりと答え、レニを指差した一二三を見て、ヘレンはレニに振り返った。
「一二三さんの話は本当だよ。気絶しちゃったヘレンを運んでもらったの」
「一二三?」
「俺の名前だ。それより、気が付いたなら自分で帰れるな。それじゃ、これで終わりだな」
「はい。ここまでありがとうございました」
レニは深々と頭を下げて、ヘレンは状況がわからずにとにかく一二三を警戒していた。
こちらも道中で充分な話が聞けた、と一二三は焼き菓子をいくつかレニに手渡すと、馬に飛び乗った。
「ああ、ついでにもう二つ教えてくれ」
「なんですか?」
「さっき俺に襲いかかってきた虎の奴らがいただろう。あいつらの集落の場所は知っているか?」
一二三の質問に、レニとヘレンは顔を見合わせた。
「あ、あんたね! 二、三人に勝てたからって調子に乗りすぎよ! 集落といっても虎獣人たちが何十人もいるのよ? 荒野に一人で来るだけでもおかしいっていうのに、死にに行くつもりなの!?」
ヘレンがまくし立てるのを、一二三は涼しい顔で聞いている。
「そうだな。正確に言えば、俺を殺せそうな奴を探しているってところだな」
一二三の答えに、ヘレンは絶句した。
だが、レニは一歩前に出る。
「ウチ、知ってます」
「レニ?!」
「あの三人が出てきたところから、北東にずっと進んだ大きな泉の近くです」
なるほど、と一二三が頷いたのを見て、レニは嬉しそうに笑った。
「どうして教えたの?」
「一二三さんは、多分虎の人たちよりずっとずっと強いよ。お父さんが言ってたよ。本当に強い人は、とても優しいんだって」
だから、こんなに美味しいお菓子をくれる優しい一二三さんは、誰にも負けないくらい強いはずだよ、と無邪気に笑うレニを見て、ヘレンは肩を落とした。
「仕方ないわね……。あんた、怪我をしたらこの辺まで逃げて来なさい。わたしたちはいつもこの辺りで木ノ実や薬草を集めているから、お礼に怪我くらいは治療してあげる」
「そりゃどうも。で、もう一つの質問だが」
なんですか、とレニが首をかしげた。
「この荒野でしか食えない美味い物とかあるのか?」
こいつは本格的に観光気分なのか、とヘレンは呆れて声も出なかった。
☺☻☺
馬にまたがり林を抜けて、一二三はレニに聞いた方角へと向かっている。
目印にした虎獣人の脇を通る。動物たちの仕業だろうか、三体とも早々に食い荒らされて無残な屍を晒していた。
「ふむふむ、目的地が一緒だと、楽でいいな」
腰の刀を指先でトントンと叩きながら、上機嫌で馬を進める。
レニが教えてくれた“美味い物”は、大きな蔦が絡まりあって伸びている特徴的な木にできる果物で、一口かじると爽やかな甘味がなんとも言えない美味さだと言う。
レニだけでなく、隣で聞いていたヘレンも口の端から糸を垂らしていたあたり、本当なのだろう。
ところが、ここ数年はその木が群生する泉の周辺を虎獣人が占拠してしまい、林の恵みの中でも特にそれを楽しみにしていた羊と兎の獣人たちはがっかりしているという。
丁度いいので、虎と会ってからその果物も話のタネに食べてみよう、と一二三は止めようとするヘレンを無視してやって来た。
林に入り、しばらく進んだところで陽が傾き始め、馬も疲れた様子を見せ始めたので、一際大きな木を見つけた一二三は、ここで一夜を明かす事に決めた。
馬からおりて適当な木に手綱を結ぶと、餌と水をやり、自分は焼き菓子を三つほど頬張って水を飲む。
この焼き菓子、実はカイムの手作りだったりする。料理や掃除も得意で妙に女子力の高い男だが、菓子作りはストレス発散らしい。規定事項通りに物事を進められない奴と仕事をしてストレスが溜まると、きっちり分量計算をした菓子を大量生産するらしい、と一二三は他の文官に聞いたことがある。
執務室に入って甘い香りがすると、カイムが不機嫌な証拠なので緊張するとか。
丁度いい間食になると思った一二三が持っていく分にいくつか作ってくれと依頼すると、どこかの商店の仕入れかと思う量が用意されていた。配って回っても減った気がしないほどだ。
「寝床はこんなもんか」
毛布を敷いただけの寝床に横になる。枕は丁度地面にせり出していた太い根だ。少しゴロゴロとするが、熟睡するのも危険なので丁度いい。
刀を左手に触れさせたまま、一二三は静かに目を閉じた。
☺☻☺
猫獣人のジャレドが一二三の姿を見かけたのは本当に偶然だった。
人間が荒野の、しかもこんなに人里から離れたエリアにいるのは珍しいし、まして一人でいるなど初めてのことだったからだ。
最初は純粋な興味で、しかしそっと追いかけていくうちに何かの儲け話に繋がらないかと舌をペロリと動かしたのは、彼の生来の欲によるものだった。
動物相手にせよ植物にせよ、狩りによって生活の糧を得ている獣人たちにとって、物欲と言ってもせいぜい美味い物が食べたいとか、頑丈な皮で服が作りたいと言った程度だ。当然、通貨など存在しない。
だが、ジャレドは生まれつき珍しい物を集めたがる妙な癖があった。あまり帰らない粗末な家の中には、綺麗な石や珍しい植物の種、人間が落とした物や死体から盗んだ使い方もわからない道具など、狭い室内を足の踏み場もないほどに埋め尽くしている。
(あの人間の持っている武器は初めて見た)
興味本位であとをつけているうちに、刀に引き込まれるように視線を注いでいたジャレドは、人間が寝ている間に頂いてしまおうと決めた。
そして今、そのチャンスが訪れた。
夜の帳がおりた林の中は、曇の覆い空模様も手伝い真っ暗で、夜目が効くジャレドでも何とか見えるという程度だ。
(起きるなよ。命が惜しければな)
ジャレドは獣人としての戦闘力は低いが、人間相手なら力も速度も上回っているという自信はある。それに、彼は獣人としては少数派だが武器を使う事に抵抗がない。
今も、抵抗された時のために骨を削って作ったナイフを握りしめているし、人間が持つ武器を手に入れたら、それも持ち歩いて使おうと思っている。
だが、必死に抵抗されたら思わぬ怪我をするかもしれない。だからそっと盗みとる事を選んだ。
そろりそろりと近づいたジャレドは、めいっぱいに見開いた目をキョロキョロと動かし、周囲に他の人間や獣人が隠れていたりしないかを警戒した。
(この辺りは虎獣人の集落も近いからな。あいつらに見つかったら面倒だ)
そっと刀へと手を伸ばしたとき、ふと足元辺りにある人間の顔を見た。
目が合った。
☺☻☺
全身傷だらけで、右腕の肘からしたをブラブラと揺らしながら猫獣人が虎獣人の集落に逃げ込んで来たのは、早朝の事だった。
「た、たしゅけて……」
最初に見つけた虎獣人の男に必死で懇願する猫獣人ジャレドに、すがりつかれた方は混乱せざるを得ない。
別に虎獣人と猫獣人は交流があるわけでも助け合っているわけでもない。むしろ虎たちは猫を見下しており、顔を合わせて女ならば攫って、男ならばなぶり殺しにする事もある。
「なんだよ、誰かこいつを痛めつけたのか?」
ジャレドの怪我を仲間のせいだと思い、虎獣人は周りにいた仲間に声をかけたが、誰も彼もが知らないと返事した。
「ガーファンたちじゃねぇか? 昨日から帰ってきてねぇしよ」
仲間の一人が言うと、近づいてきてジャレドを蹴り飛ばした。
「ひぃい……ち、違うんだ! 人間が、人間が……」
錯乱してわめき散らすジャレドを、虎たちは朝から変な奴が来た、と笑って真剣に考える者はいない。
「人間がこんな荒野の奥まで来るわけねぇだろ」
「そうでもないぞ?」
ガサガサと茂みをかき分けて顔を出した一二三は、やっと着いたか、と息を吐いた。
袴に貼り付いた草を丁寧につまみ上げて落とす一二三の姿を見て、ジャレドは悲鳴を上げた。
「本当に人間が出てくるとはな」
「だが、来た場所が悪かったな。ここは俺たち虎獣人のテリトリーだ。久しぶりのおもちゃだからな。簡単に死ぬなよ?」
ゾロゾロと集まってくる虎獣人の男たちは、全員が筋骨隆々で一二三と比べるとふた回りは大きい。
女も相当数いるうえ、彼女たちも戦う気らしく、スラリと伸びた腕の先には男達に見劣りしないほど鋭い爪が見える。
それでも一二三は意に介さず、ゆっくりとジャレドに向かって歩き出す。
「あ、あああ……」
もはや喉を震わせるしかできないジャレドは、尻餅を付いたまま後ずさるが、あっという間に追いつかれた。
「忘れ物だ」
硬い物がぶつかる音を立てて、ジャレドの脳天に骨で出来たナイフが突き立てられた。
ぐるりと白目を剥いて、ジャレドはしばらく痙攣していたが、ほどなく事切れた。
「で、だ」
ジャレドが死んだことを確認した一二三は、近くにいた虎獣人に声をかけた。
「泉はどこだ? 美味い果物があるそうじゃないか」
「はぁ?」
「聞こえなかったのか? 泉の場所だ」
小馬鹿にしたような一二三の態度に、虎獣人たちは素早く一二三を取り囲んだ。
「おお、なかなか素早いじゃないか。ガーファンだったか、あいつよりよっぽど速い」
あいつらよりは長持ちしてくれよ、と嘯いた一二三に、獣人たちはいよいよ怒り心頭となった。
「ほざくな!」
爪を振り下ろしてきたのを迎え撃つように、一二三は人差し指と中指の関節を立てた拳で手首を殴った。
「うあっ?」
ピンポイントに痛覚を打たれた獣人が腕を引くと、がら空きの顔に手を伸ばした一二三が、頭と顎の毛を掴んだ。
「こりゃ掴みやすいな」
笑いながら毛の抜ける音と骨が折れる音を響かせて、獣人の頭をぐるりと捻り折った。
声も出せずに死んだ獣人が崩れ落ちる。
「に、人間が……」
弱いとタカをくくっていた人間相手に、しかも素手で仲間が殺され、獣人たちは驚いていた。
「ぐ、偶然だ!」
「どこがだよ」
叫びながら飛びかかった獣人には、鎖鎌の分銅を投げつけ、足を絡め取ったまま横向きに引き倒した。
脇腹を強かに打ち付けた獣人は、悶絶する間もなく引き寄せられ、鎌で喉を裂かれた。
「もっと考えて動けよ」
一二三が呆れていると、獣人たちの壁の一角がざわめく。
「お前、どうやら普通の人間ではないようだな」
獣人たちが道を譲り、開かれた場所から一二三に向かって歩いてくるのは、他の虎獣人よりもさらに大きな体格をした男だった。
「お前がここのボスか」
「そうだ。朝から好き放題やってくれたようだな」
虎のボスは、三つの死体を見やってから、牙を向いて威嚇した。
「歯を見せて何が楽しいんだ? それよりも、だ。責任者がお前なら言うが、教育がなっとらん」
「教育だと?」
フン、とボスが鼻を鳴らす。
「お前たち人間と俺たちは違う。敵と見たら殺す。わざわざ話し合いなど……」
「そうじゃない」
話を遮り、一二三は腕を組んで口をへの字に曲げた。
「戦いに卑怯もクソも無い。敵ならすぐに殺すか利用する。それでいい。実にいい」
だが、と一二三は獣人の死体を指差す。
「なんでお前らは爪で切りつけるしかできんのだ! その牙は偽物か? 硬いものを噛んだら簡単に折れるのか! 虎ならしなやかに動き回って翻弄して見せろ! 鈍足しかおらんじゃないか!」
突然憤怒をぶちまけた一二三に、虎獣人たちは呆然とする他ない。
「俺は少しは人間よりも強い奴がいるだろうと思って荒野まで来たんだ。それが、蓋を開ければバカの一つ覚えな虎とコソ泥の猫、戦いとは無縁な羊と兎だ! 馬鹿にしてんのか!」
言いたい放題の一二三に、虎のボスは眉間を震わせて吠えた。
「人間風情が吠えるな!」
他の獣人とは比べ物にならない速度の攻撃が、一二三を襲う。
辛うじて首を下げてやり過ごしたが、前髪を数本持って行かれた。
「おお……」
一二三が声を上げた事に、ボスはにやりと笑った。
「何とかかわしたか。だが次はそうは……」
「やればできるじゃないか!」
輝くような笑顔を見せた一二三は、鎖鎌を収納して刀を取り出す。
予想外の反応に、固まってしまったボスの目の前で、一二三は刀を抜いた。
鼻から息を吸い、口からゆっくりと吐き出す。
「よし! じゃあ始めようか!」
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。