82.Marry Me
82話目です。
よろしくお願いします。
一二三が結婚相手を探しているらしいという噂は、アリッサや文官奴隷たちの懸命の努力にもかかわらず、オーソングランデ国内を駆け巡り、ヴィシーやホーラントにまで伝わった。
街々をめぐる商人たちや国内を移動する兵士たちが話す噂は、ほどなくイメラリアの耳にも入る。
「……あの一二三様が、誰かと結婚を?」
「単なる噂でではありますが、優秀な文官たちがついていますから、トオノ伯爵家の維持のために進言した可能性は否定できませんな」
アドルの言葉に納得はしたものの、一二三が誰か女性を隣に立たせて、しかも結婚の誓いを述べている姿が想像できない。
眉を顰めて黙ってしまったイメラリアを見て、アドルは慌てた様子を見せた。
「ま、まさか女王陛下、トオノ伯の事を……」
「へっ?」
言われて初めてイメージを浮かべた、一二三の隣に立つ自分。
イメラリアは首を大きく振って否定した。
「何を言っているのですか。女王として、選ぶべき人の条件は心得ているつもりです。それに、一二三様はわたくしの仇でもあるのですよ?」
否定しながらも、頬を染めているイメラリアに、アドルは不安を隠せない。
「そ、そんな話よりも、今は国政の話でしょう」
「はい。そのトオノ伯の領地から取り入れる政策に関してですが、税制を取り入れるのは王都や直轄地の規模を考えると、中々難しいものがあります。遠隔地で試験的に導入し、職員が慣れてからにするべきでしょう。ですが……」
手元の書類をめくり、挟んでいた一枚の紙をイメラリアへ手渡す。
「これはフォカロル領から書き写してきました“戸籍”の写しです」
「すごいですね。居住地や家族、同居していない縁者や簡単な出生地、出身地まで調べているのですか」
「付属資料として、勤務内容なども調査して記載しているようです」
書類をじっと見つめながら、例として無作為に抜き出されたものであろう記載内容を見ていく。
「税制の改革もこういった領民の情報の蓄積があってこそ、というわけですな。これらの情報を元に、婚姻や出生、死亡などを管理しているようです」
今、フォカロルはこの世界のどこよりも人口推移や予算編成が正確に行える地域となっている。これらの住民情報は、仕事の斡旋や在籍確認によるスラム化の防止や犯罪の追跡・予防などにも役立てられている、とアドルは続ける。
そこまでの説明を聞いて、イメラリアは書類を返しながら、肩を落とした。
「政治的な意味では、一二三様は充分英雄的な働きをされたというわけですね。お父様もわたくしも、出会い方さえ間違わなければ一二三様のお力を充分に国のために活かしていただく事ができたかもしれませんね」
イメラリアの表情には、寂しさが浮かぶ。
確かに、出会いから問題だらけではあった。思い描いていたのは、正義感にあふれ、強く素敵な勇者様との出会いであり、年頃の少女らしい色鮮やかな恋愛への憧れもあった。
間違ったとは思いたくないが、何が間違って自分は女王になってしまったのか、これは夢ではないか、と今でも思う事がある。
「陛下は困難を乗り越え、オーソングランデを立派に守られています。少なくとも、私はそう思います。様々な危機があり、失われた物も多くありますが、結果として国は存続し、国土は増え、今も発展を続けています」
アドルの言葉は嘘ではない。
事実を使って励ましてくれるのが、イメラリアには嬉しかった。
「ありがとう。さあ、気を取り直して話を進めましょう。戸籍作成の試験導入地を決めましょう」
改めて、頑張ろう、とイメラリアは思った。いつか、「あの時は大変だった」と笑える日が来るまで。
☺☻☺
全身傷だらけで、バールゼフォンは血の海に沈んでいた。
辛うじて意識を取り戻したとき、全身が痛くて身体がバラバラになったかと思ったが、ぼんやりと戻ってきた視界に映る身体は、何とか五体満足なままである。
「生きていた……か」
周囲に広がる血は、バールゼフォンと魔物の物が混ざっている。大きな図体を横倒しにして息絶えている魔物からは、既に出血は止まっており、バールゼフォンは粘つく水たまりから這い出そうとしたが、体がうまく動かない。
「あの女……あの武器は、ヴァイヤーが近衛騎士の連中に渡していた手裏剣とか言う物と同じだったな」
首は何とか動く。ぐるりと見回すと、木の根に突き刺さる薄い金属が見えた。
「ち……結局は一二三とかいう、あの男の関係者か。どこまで行っても祟ってくれるな」
無我夢中で戦って、何とか魔物の喉に剣を突き立て、前足を振り回されて叩き潰されたところまでは覚えている。
踏み潰される前に魔物が力尽き、辛うじて助かったのだろう。剣は魔物に刺さったまま、目の前で血濡れになって赤く染まっている。
「……うん?」
横倒しになっている魔物の胸部、剣が刺さった場所のすぐ近くに、不自然な膨らみを見つけた。
何気なく手を触れると、毛皮の下に何か硬いものが埋め込まれているのがわかる。そのまま感触を確かめているうちに、縫い合わされた跡も見つけた。
残った力を奮って剣を抜き、縫い目を切り裂いて手を突っ込む。
「なんだ、こりゃ」
引きずり出した物は、明らかな人工物だった。
何かの管が伸び、体内へと続いているあたり、寄生しているようにも見える。
「あの女の仕業か? もしかして……」
見たことも無い巨体を持つ虎の魔物だと思ったが、冷静に見れば、もう少し牙が短い、似たような魔物は見たことがある。騎士隊の訓練中に遭遇した虎の魔物だったが、あの時はもっと小さくて弱かった。
もし、あの時と同じ魔物がこの道具で強化された結果が、この巨体を持つ獰猛な魔物だとしたら?
そして、それが人間にも使えるとしたら?
「……このまま、ここで倒れていても死ぬばかり、か」
仰向けに転がり、どんよりと曇った空を見上げる。
ここで死ぬくらいなら、化物になってでも復讐を遂げるべきではないか。
「騎士じゃなくなった挙句、人間ですらなくなるかもしれないとは。笑い話にもならんな」
独り言で自分を鼓舞し、残った力を振り絞って身体を起こしたバールゼフォンは、魔物につながる管を一本ずつ丁寧に抜き始めた。
☺☻☺
バールゼフォンを打ち捨てて森を後にしたオリガは、補給のために立ち寄った小さな街で、一二三の結婚に関する噂に触れた。
「その話、もっと詳しく教えてもらえませんか?」
丁寧な口調で銀貨を押し付けてくるオリガの目は、力が入りすぎて血走っている。目深にかぶったフードの下から見える翠の瞳は、心なしか鈍く光っているようにすら見える。
銀貨の型がつくほど手のひらに押し付けられた商店の親爺は、涙目で許しを乞うた。
「や、やめてくれ。おれも仕入れの時に行商から聞いただけなんだよ」
「では、その行商はどこへいったのですか」
教えたら行商が酷い目に遭いそうな気がしたが、親爺はあっさりと行商がいつも利用している宿の事を吐いた。
「情報、感謝します」
銀貨一枚で仕事仲間を売ってしまった、と嘆いている親爺を放って、オリガは足早に宿へと突入した。
金を握らせて行商に吐き出させた話から、オリガはフォカロルに一二三が戻り、本格的に領地運営に乗り出した事実を知った。
どうやら、その際に領地存続のために誰かと結婚するのではないかという話が、他ならぬフォカロルからの噂として流れているらしい。
「一二三様が……」
ついてきている兵士たちに、魔法具の残量を確認する。
100以上あった魔法具は、オリガたちの熱心な活動により、ホーラントからオーソングランデ全域にかけて強そうな素体へと移植を続けた結果、残りは5つとなっていた。
「……これからフォカロルへ戻りながらでも、充分消化できる残量ですね……」
やや願望に引きずられた感のある予測を立て、そのまま突入した宿で一泊してからフォカロルへと向かう事を決めたオリガに、兵士たちもようやく帰れると喜んだ。
「フォカロルまでは強行軍です。街道近くを中心に速度重視で進みますから、今日はゆっくりと休むように」
「了解いたしました」
オリガたちが同じ宿に泊まると知った行商は、慌てて宿を払って次の目的地へと逃げるように出ていった。
そんなことは気にも留めないオリガたちフォカロル特務部隊は、翌朝早く、陽が昇ると共に街を後にする。
いくつかの街を経由しつつ、熊やワニのような元から戦闘力が高い魔物を選び、魔法と武器で弱らせては拘束し、魔法具を埋め込んで解き放つという、幾度となく繰り返した作業を行う。
魔法具が全て無くなってからは、台車を使って街道をひた走る。
「もうすぐ、一二三様に会える……」
オリガの脳裏には、一二三との思い出が多少美化されて駆け巡っていた。
与えられた任務を、それなりに問題はあったものの隠蔽しつつ、しっかりとこなしたという自負はある。きっと褒めてくれるだろうという期待もある。だが、それ以上を求めても良いのかと思うと、はっきり言って自信は無い。
一度は断られた想いだが、それでもオリガが一二三に一番近い場所にいる女性なのは事実であり、その場所は誰にも譲るつもりはない。
「一二三様、オリガはもうすぐ、貴方の元へと帰ります。長い長い別行動に、私は耐えてきました。ですから……」
風に流された言葉には、想い以上の何かが込められていた。
☺☻☺
アリッサは、軍務長官などという大層な肩書きを持ってはいるものの、基本的に書類仕事はミュカレに任せきりで、大概は現場に出ている。
兵士たちが訓練をしたり、何かの作業をしているのに積極的に参加して時に兵たちを労う姿は、兵士たちのみならず、それを見かける領民たちにとっても微笑ましいものと受け取られていた。
ふわふわとした赤いショートヘアを揺らしながら、小柄なアリッサが商店通りを歩いていると、りんごのような果物をくれる商店主や、ほの甘い焼きたてのパンを味見させてくれるパン屋など、彼女が行く先々は和やかでほのぼのとした雰囲気が生まれる。
果物を齧りながら辿り着いたのは、街への入口だった。
街の出入りは兵の検査を受ける決まりとなっている。他領であれば貴族や豪商は免除されたりする慣習がまかり通っているが、フォカロルでは一切許されない。
身分に関係なく到着順に並ぶ必要があり、徹底したマニュアル主義で運営されているが、他の街に比べて格段に平民に対する兵の対応が柔らかく、出入りする商人たちには好評だった。
アリッサの姿を見つけた兵士が、嬉しそうに敬礼をする。
「長官、お疲れ様です!」
「お疲れ様。どんな感じ?」
「今日は街へ入ろうとする人が少ないですね。そろそろ移民も落ち着いてきたようです」
街へ入る際に確認する氏名や身分、目的が記録された書類を受け取り、アリッサはパラパラとめくった。
字が書けない兵士は多いが、フォカロルの領兵の識字率は100%だ。まず文字の読み書きができないと軍へ入れない。これも、一二三が決めたことだった。
正直、フォカロルへ来た時点ではアリッサも読めはするが書くのはかなり怪しいという状態だったが、ミュカレがつきっきりで教えたおかげもあり、かなり綺麗な字が書けるようになっていた。
サラサラと確認済みを示すサインを書き込み、アリッサは書類を戻した。
「問題があったらすぐに領主館に報告を……」
目の前にいる兵士の向こう側、遠く伸びている街道を、何かが異常な速度で近づいてくるのがアリッサの目に映った。
「何か来る! 魔物かもしれないから、全員戦闘準備! 誰か一二三さんを呼んできて!」
「はっ!」
指示を受けて駆け出した兵士は、門にいる全員に指令を伝え、街道に向かって横並びになった。一人の若い兵士が、領主館へ向かって走っていった。
アリッサは、その兵士たちの前に立ち、脇差を抜く。
「……あれ? あれ台車だよね」
この場で一番視力の良いアリッサは、土煙を上げて迫りくる何かが、よく知っている乗り物であることに気づいた。
乗っているのは誰だろう、と脇差を納めて目を凝らすと、見覚えのある薄い青色の髪が風に翻っているのが見えた。
ぞわっ、とアリッサの背中を緊張が走った。慌てて振り向き、その場に居た兵士に向かって叫ぶ。
「すぐに一二三さんに連絡して、領主館で待っているように連絡! ここで鉢合わせなんかしたら大変なことになるから!」
血相を変えたアリッサの様子に、兵士はこれまでにないほどの反応速度で走り出した。
そうこうしているうちに、オリガを乗せた台車は門の前へとたどり着き、大きな音を立てて止まった。
「久しぶりね、アリッサ」
「お帰りなさい、オリガさん」
「それじゃ、通してもらうわね」
台車を降りて足早に進もうとするオリガに、アリッサは飛びついて腰にしがみついた。
「ちょ、ちょっと待って!」
「離しなさい。私は今から人生をかけた勝負をするのです」
「その勝負をする前に、やることがあると思う!」
アリッサを引きずって歩いていたオリガだったが、その言葉に足を止めた。
「やること? まさか、一二三様を取り合う勝負をしようとでも言うのかしら?」
閉じた鉄扇を握り締めたオリガに睨みつけられても、アリッサは怯まない。本当に怒っているオリガは、言葉より先に手が出ることを知っているのだ。
「違う違う! 一二三さんのところに行く前に、勝負のための準備が必要でしょ? 今のオリガさん、髪がボサボサで顔に砂埃が付いてるし、服も……」
言われて初めて思い出したのか、土に汚れたローブを見下ろしたオリガは、自分の失敗に気づいて勢い良く頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! 教えてくれてありがとう!」
「いいよ、僕も女子だから、オリガさんの気持ち、わからなくもないし」
何とか一二三が領主館へ戻る時間が稼げた、とアリッサは心の中でグッと拳を握った。
「私がうまく一二三様のお嫁さんになれたら、貴方の事も一二三様に薦めておくわ。それじゃ、一二三様に見られる前に、部屋に戻らなくちゃ」
「うん。慌てないでゆっくり行ってね。一二三さんは、自分の執務室にいるはずだから」
色々とありがとう、とオリガは上機嫌で歩いて行った。
後に残された、オリガと共に帰還した兵士たちは、疲れが出たのか街の中に入ってすぐの場所で座り込んでいる。
「え~っと……。とにかくお疲れ様。しばらくはお休みしていいから、ゆっくり休んでね」
「あ、ありがとうございます」
何か救われた気がした兵士たちは、涙を流してアリッサに感謝の言葉を並べていく。
治安維持って大変だ、とアリッサは大きな溜息をついた。
お読みいただきましてありがとうございます。
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