8.What A Fool Believes 【侯爵邸侵入】
びっくりするほどPVやポイントが増えてます。
本当にありがとうございます。
今回は想定外に長くなってしまいました。
「見張りひとつも満足にできんのか!」
ラグライン侯爵家当主カーシモラル・ヴァド・ラグラインは、怒りを押さえることができず、手に持った見事な文様が施された陶器のカップを、目の前に跪く男に投げつけた。
額にあたり、砕けたカップのかけらが、中に残っていたワインと共に散らばった。
額から血を流し、黙ってうずくまるのは、一二三の攻撃で慌てて逃げてきた見張り役の男だ。脇腹は軽く切れていただけだったので、乱暴に布を巻きつけている。
「そのくらいにしてやってくれませんかね。ただでさえ人数が減って困っているんですよ」
「オロバス。貴様らの都合などどうでも良い。一刻も早く勇者を始末することだけを考えろ」
オロバスと呼ばれた男は薄笑いを浮かべ、蜂蜜色の髪をかきあげてため息をついた。隣で痛みに悶える男を蹴飛ばした。
「おい、待機室へ行って全員を起こして武器を用意させろ」
軽薄そうな優男の雰囲気の顔に似合わない低い声で言う。
「本当なら処分するくらいの失敗だけどな。お前程度でも人手がいる。精々気張って働け」
返事もそこそこに、見張りの男は必死で部屋を出ていった。
それを見ていた侯爵は、オロバスに不愉快そうな顔を向けた。
「今からやるんだな?」
「あのですねぇ……」
癖なのか、髪をかみあげたオロバスは、やれやれと首を振った。
「勇者さんの腕前は、侯爵様もよくご存知でしょう? 普通に考えたら、あの馬鹿が軽傷で逃げ帰ってくるなんて不可能ですよ」
「む……では」
「間違いなく、あの馬鹿はわざと逃がされたんでしょう。そして、慌ててここに逃げ込んだのを見られた。もう間もなく、ここに乗り込んでくるでしょう」
「ふん。ここには領軍の兵やお前たちもいる。万一に備えて、熟練の魔法使いも雇った。一人で乗り込んでくる奴相手には充分だろう」
鼻で笑ってワインを傾けるカーシモラルをオロバスは冷ややかな目で見ていた。
(そんな簡単な相手なら、苦労しないんだがね)
一二三にためらいは無かった。
「ここに逃げ込んだ奴がいるだろう? そいつは俺を狙ってたんだが、中に入れてくれ」
ラグライン侯爵邸の門には、二人の兵士が立っていた。
そのうち一人の前に行き、一二三は友人かと思うほど気安く声をかけた。
一二三の後ろには、パジョーがついて来ている。
「何を言っとるんだお前は。ここは侯爵様のお屋敷だ。帰れ、帰れ」
「まあ、そういう反応だろうな」
わかっていたけど、とりあえずは声をかけてやらないとな、と後ろのパジョーに言うと、パジョーは引きつった笑みを見せた。
「ほい」
軽すぎる掛け声で、一二三は門番の喉を指でつまんだ。反応する間もなく意識を失った門番は、背後の門扉に寄りかかって崩れ落ちた。
「……殺さないのね」
意外だとパジョーが言うのに、不満げに一二三が答える。
「俺は別に快楽殺人者じゃないぞ。殺すのは俺に武器を向けたり、明確に敵対した奴だけだ」
言いながら混乱して立ち尽くしているもう一人の門番に近づき、同様に首を絞めて意識を落とすと、力なく倒れた身体を塀のそばに転がした。
「ところで、どうして私がついて行かないといけないの?」
「お前は俺の見張り番だろうが。それに、これが故なき殺戮ではなくて、単なる正当防衛だと証明するための見届け人をやってくれ」
敵地に自主的に乗り込んでおいて何を言うかと思ったが、パジョーは声には出さなかった。
パジョーはてっきり一二三が正面扉から乗り込むと思っていたが、意外にも一二三は本館らしい大きな建物と少し離れて建つ平屋の別棟を目指して、音もなく歩いて行った。
敷地内に巡回は見当たらない。建物内だけにいるのかもしれない。
「侯爵に会うんじゃないの?」
小声で尋ねると、一二三は振り向きもせずに答えた。
「襲ってきた連中の仲間なら、貴族の部下とかじゃないだろう。正規の訓練を受けた奴らには見えなかったからな。多分、組織ごと敷地内に飼われている連中がいるはずだ。話を聞くならそっちからだ」
なるほど、とパジョーは思った。
ある程度の資金力や領土を持つ貴族なら、領軍などの私兵を持っている。しかし、そう言った正規の私兵については内容を細かく王へ申告するという法律があるので、あまり表沙汰にしたくない仕事をさせるために、そういう輩を雇っていてもおかしくはない。正規軍と違って、何かあれば“処分”してしまえばいい。
「イメラリアは俺に手を出さないようにと厳命したんだろう? おまけに王が殺された件は秘密にしておきたいはずだ。事情を知っていたとしても、無かった事にされている事件を理由に正規の戦力は動かせないだろうからな。裏の世界の連中に任せるしかない」
平屋の別館の全体が見えてくる。窓が少なく、シンプルな作りの石造りの建物だ。
木製のドアの前に、一人のガラの悪い男が立っている。
「さて、まずはご挨拶だ」
「おい、お前らの親分はいるか?」
「あ、誰だてめ……え……え?」
一二三の顔を見たとたん、声が出なくなったらしい。どうやら見張りの男は一二三の顔を知っていたらしい。似顔絵かなにかを見たのかもしれない。
「お前らがお探しの男が来たんだ。早くしろよ」
「てめえ! のこのこ出てきやがって!」
ようやく復活した見張りが武器も持たずに殴りかかってくる。体格の良さもあって、中々のパンチだと、他人事のように一二三は評価する。
が、一二三には当たらない。
固く握り締めた拳を、首を振るだけで簡単に受け流され、見張りは勢いのまま一二三に背中を向ける格好になった。
背後から両手で顎と頭を掴むと、一二三は膝の裏をつま先で叩いて膝をつかせ、そのまま首を捻り折った。
グギョッ、と湿った嫌な音がして、パジョーは思わず目を背けた。
(こんな殺し方があるのね……)
残酷すぎて、自分にはできそうにないと、パジョーはみぞおちのあたりに痛みを感じた。
死体を脇に打ち捨てた所で、髪をかきあげながら一二三たちに声をかける人物がいた。
「それ以上、うちの連中を減らさないで欲しいんだけど」
「誰か来ると思っていたが、お前がこの連中の親分か」
「団長と呼んで欲しいね。でも、どうして俺がトップだとわかるんだ?」
オロバスは、敢えて自分が軽薄に見えるようにしていた。髭も綺麗に沿って、不必要に筋肉がつかないように気を遣い、髪も特殊な薬品で薄めの色にしている。
全ては、相手の油断を誘うために。
「目線の置き方、相手の武器をまず確認して動きの全体を見ているだろう。武器を隠している点もだ。髪に触れたように見せて、背中の武器の留め具を外したな?」
どうしてわかるんだと、オロバスの顔から薄笑いが消えた。
「中にいる連中の気配も昼間の連中の動きも、悪くは無かったがどうも一本調子で工夫が足りない。連携した動きも、誰かに教わったままやっていると感じた。お前と違ってな」
「やれやれ……さすが勇者様といったところかな?」
オロバスは再び薄笑いを浮かべ、背中からナイフを出して、放り捨てた。
「参った。うちの連中が10人がかりでも返り討ちにあうわけだ。とてもじゃないがレベルが違うね」
降参したと、オロバスは両手を上げて手のひらを見せた。
「このとおり、武器は捨てた。命だけは助けて欲しいんだがね、勇者様?」
「ダメだ。お前の指示で俺は襲われたんだぞ。許すわけ無いだろう」
一切の慈悲を見せない一二三に、オロバスは戸惑いを隠せない。
「ちょっと待ってくれよ、素手の相手を殺すのか?」
「何を言ってるんだ」
刀に手をかけて、一二三がするりと前に出る。
「武器なら、持っているだろう」
「ちぃっ!」
オロバスは上げた腕の袖口から小型のナイフを取り出すと、そのまま振り下ろして一二三に斬りつけてきた。
だが、そこに一二三は既にいない。
オロバスは知らぬうちに背後に回り込んだ一二三に振り返ろうとするが、叶わなかった。
切断された左腕と首が落ちて、最後に身体が倒れた。
「まあまあ良くやったが、殺気と暗器はもっとうまく隠さないとな」
血振りを終え、懐紙を出そうとしたが、刀は既に綺麗な輝きを取り戻し、付着したはずの血も見えない。
これが神の力かと、便利なもんだとつぶやいて納刀する。
突然、待機室のドアが蹴破られ、20人ほどいたオロバスの部下たちはとっさに動くことができずに出入口を凝視するしかなかった。
入口から現れたのは、オロバスの首を持った一二三である。
「だ、団長!」
「てめえはアインたちを殺ったやつじゃねえか!」
入口に一番近かった男が、一二三に躍りかかるなり抜き打ちに斬り捨てられた。
「はいはいお静かに」
後に続いてパジョーが入ってきたのを確認してから、一二三は出入り口に仁王立ちで刀を抜き身のままに持っていた。
一瞬でいきり立った連中が、また一瞬で静まった。
美しい刃紋が、テーブル上のロウソクの光に揺れる。
「こうなりたくなかったら、大人しく質問に答えなさい。抵抗したらそいつを、誰も答えなかったら適当に、死んでもらうから」
オロバスの首を床に転がしながら、一人減った室内の男たちを見回した。
「最初の質問。お前たちは何者で、ここにいるのが全員かどうかだ。あっ、俺が嘘だと判断した時も殺すから。じゃあ、お前」
近くにいた奴を切っ先で指名する。
「お、俺? ……俺たちは、“隠し蛇”という。表に一人立っていただろう。そいつとここにいる奴らで全員だ」
観念したのか、指名された男は素直に話した。
「じゃあ次。お前らは侯爵のお抱えで、昼間に俺を襲ったのは、侯爵の指示か?」
他の男の目を見ると、そいつは震えながら語り始めた。
「お抱えというか……たまに侯爵の用事を請け負う変わりに、王都で活動する拠点として、ここを使わせてもらってるんだよ。流石に侯爵家の敷地内までガサが入ることは無いから……。今回も、侯爵からの依頼だったはずだ。団長はそう言っていた」
答えを聞いた一二三は、パジョーをチラリと見やった。
「……確かに、貴族の屋敷や敷地内なんて、余程明確な証拠でも無い限りは立ち入り調査どころか入ることすら難しいわね」
パジョーはため息混じりに言った。同様に匿われている犯罪者がいるだろうと思うと、気が重い。
「これで最後な。侯爵の本館にはどの程度の戦力がいる? 誰か知っている奴はいるか?」
一人が恐る恐る手を上げた。
「答えたら、助けてくれるか?」
「質問しているのは俺だ」
「う……館の中には、当直の兵士が何人か巡回しているはずだが、侯爵のいる3階には立ち入らないと聞いたことがある。あと、見たことは無いが……最近、魔法使いを雇ったという話も聞いた」
「魔法使いか……」
一二三が許可すると、隠し蛇の団員たちは一目散に逃げていった。
犯罪者を逃がしたことに、パジョーが避難がましい目を向けてくる。
「お前の仕事は諜報であって、犯罪者の取締じゃないだろうが。今時間をかけてあいつらを捕縛していたら、侯爵に逃げられるだろうが」
「それはそうだけど……」
一二三が外に出るのに、渋々ついていくパジョーだった。
「そろそろ眠くなってきたし、面倒くさくなってきた」
一二三は本館側面の石造りの壁を見上げてつぶやくと、少ない凹凸に指をかけてするすると登っていった。
「ちょっ……」
袴姿なのを苦にもしない速度で壁を登っていく一二三を、パジョーは見ているしかなかった。
あっという間に3階まで登った一二三は、片手で器用に木製の窓を開いて中に飛び込んだ。
しばらく開いた窓を見上げていたパジョーの下に、カーテンを結んで作ったロープが降りてきた。
「この格好で登れっていうの?」
「いや、掴むだけでいい」
首をかしげて言われた通りにロープを掴んだとたん、勢いよくパジョーの身体が引き上げられた。
「~~~!」
あまりの事に声もあげられないでいる内に、パジョーは抱えられて室内に降ろされていた。
「さて、ここは執務室みたいだな」
大きく重厚なデスクや立派な書棚が置かれている部屋を見回して、一二三はつぶやく。
「隣りから一人の気配がする。この階に気配はそれだけ……いや、階段あたりに妙に澱んだ気配があるな。おそらく隣の部屋にいるのが侯爵だな。階段の奴は、話にあった魔法使いかもな」
もはやパジョーは一二三の言葉を疑いもしない。
「じゃあ、パジョーの手柄を探そうか」
「は?」
薄暗いロウソクの灯りを頼りに、パジョーは書類を次々に確認していた。
文字が読めない一二三は、机で何やらゴソゴソと作業をしている。
「問題の無い書類ばかりね……あら?」
ある書棚だけ、不自然に奥行が浅く見える。
「どうした?」
一二三に声をかけられ、パジョーが問題の場所を説明した。
一切の躊躇なく、一二三は棚の書類を全て床に捨て、ベリベリと書棚の背面板をはがした。
二重になっていた板の間から、書類束がこぼれ落ちた。
拾い上げたパジョーがさっと目を通すと、震える声で言う。
「これ……隣国ヴィシーとの密貿易の帳簿だわ……」
「おう、充分な手柄になるな」
手柄どころか、下手をすると侯爵に消されると、パジョーは戦慄した。何をしても、ここから無事に城へ戻らなければ、命がないかもしれない。
「あ、隣りの奴じゃなくて、階段近くにいた奴が来るな。ちょっとうるさかったか」
のんきに言う一二三に、慌てるパジョー、
「ど、どうするの?」
「落ち着け。まずはどんな奴か見てからだな」
ゆっくりとドアが開き、黒いローブを着て、フードを目深に被った男が入ってきた。
「……盗人か」
ひどくしわがれた声だ。
「お前が雇われた魔法使いか」
話す一二三を見た魔法使いが、素早く懐から短剣を取り出すと一二三たちへ振り向けた。
「……」
小さな声で魔法使いが何かを唱えると、不可視の風の刃が飛ぶ。
「あうっ!」
一二三は難なくかわしたが、パジョーが肩に刃を受けてしまい、そのままバランスを崩して倒れてしまった。
「これを避けるか……」
「ま、魔法の短剣……ホーラント国の魔法使いがなぜ!」
肩を押さえて距離を取るパジョーの言葉に、魔法使いはフードの下で笑った。
「ほう、我が国の魔法具をよく知っているな。娼婦の格好をしているが、オーソングランデの犬か?」
魔法使いが話すうちに、一二三が迫る。
「ぬうっ!」
一二三の突きが、急な風に煽られて逸らされる。
吹き荒れた風が、床に散らばる書類を巻き上げ、机の上のペンを飛ばし、椅子を倒した。
燭台が倒れ、机上の書類が燃え出した。
「ふむ、魔法というのはそういう使い方もあるのか」
火が広がりつつあるのに、気にせず風の魔法に感心している一二三を見ながら、魔法使いは内心冷や汗を流していた。
狙い通りならば、突風が刀を吹き飛ばし、丸腰になっていたはずなのだ。
しかし、風を受けた瞬間に一二三は刀を風向きに合わせて角度を変え、素早く引いて影響を最小限にとどめた。初見かつ不可視の魔法に対して、驚異的な対応力である。
勝てるにしても、無傷とは行かないかもしれないと魔法使いが考えている間に、室内に新たな人物が入ってきた。
隣室にいたラグライン侯爵だ。
「ストラス、これはどういう状況だ! ……貴様は!」
一二三の顔を見つけた侯爵が、激昂して何かを叫ぼうとした瞬間、強い風が侯爵の背中を押した。ストラスと呼ばれた魔法使いの仕業だった。
自分に向かって飛ばされてくる侯爵を、冷静に叩き落とした一二三が視線をストラスに戻した時には、既に逃げ出した後だった。移動のための魔法でもあるのか、気配は速い速度で離れていく。
「……逃げたか」
すでに火は、デスクから散らかった書類へと燃え移ろうとしている。
「パジョー、書類は持っているか?」
「ええ、大丈夫。……ちょっと!」
ドレスから引き裂いた布でストラスに切られた傷を止血したパジョーが顔を向けると、一二三が気を失った侯爵を侵入した窓から放り捨てるというショッキングなシーンが目に飛び込んできた。
「心配するな。まだ殺してない」
パジョーが慌てて窓の下を見ると、植え込みに落ちた侯爵の姿があった。片足がおかしな方向に曲がっているが、生きてはいるようだ。
「さて、ずらかるぞ」
「と、飛び降りるの?」
「当たり前だ。敵がうじゃうじゃいる室内なんか通ってたら逃げ遅れるぞ」
窓の外を見て、逡巡しているパジョーを見て、一二三は息を吐いた。
「仕方ないな。書類をしっかり持ってろよ」
「え? ちょっ、いやぁ~~~!」
パジョーを素早く横抱きにして、一二三は迷うことなく窓の外へと飛び出した。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もお楽しみいただけるように頑張りますので、よろしくお願いいたします。