73.In My Place
73話目です。
よろしくお願いします。
城内勤務のエリートとはいえ、侍女の仕事は朝が早い。
自分が担当している貴族によっては朝食を職場で摂る場合もあるし、朝必ず用意しておかねばならないこだわりの飲み物があったりとそれぞれに忙しく準備をしている。
彼女たちの寮では陽が昇る前に朝食を摂っている者も多く、明け方には出勤する侍女たちで混雑している。
サブナク付きとなっているシビュラに関して言えば、どちらかというとゆっくり出勤しても大丈夫な方だったりする。
サブナクは一人で地方勤務をしていた経験が長いので、お茶を入れたりちょっとした掃除くらいは片手間に自分でさっさと片付けてしまうし、貴族のわりに人を使う事に慣れていないせいか、シビュラに対してアレコレと指示を出すことも少ない。
それどころか、朝から執務室に居なかったりする。今日のように。
「では、はじめましょう」
自然と掃除が基本的な仕事になるので、シビュラは毎日決まった清掃を繰り返していた。城内のあらゆる場所よりもこの部屋が綺麗だという自負心もある。
「……気になりますね」
そんな彼女だが、今日は朝から室内のある場所が気になって仕方がなかった。
昨日、サブナクが突然現れた食器棚の辺りだ。
どうやって室内へ入ったのかについてははぐらかされてしまったが、この食器棚辺りに何か秘密があるらしい事は彼女にもわかる。
一度気になると掃除も手につかず、一時間ほど経っても視線がつい棚へ向かってしまう。
「ちょっとだけ、調べてみましょう」
そして、食器棚のすぐ脇の壁をグッと押したら、開いた。
「これは……」
鎧を付けた騎士がようやく入れる程度の入口だが、小柄なシビュラには充分な大きさだ。覗き込むと、薄暗くはあるが通路が続いているのが見える。
彼女も知っている侍女や下男が利用する通路よりも薄暗く、全体的に狭い印象がある。途中にポツリ、ポツリと棚のような物が設置されている。
恐る恐る廊下に踏み込むと、扉は自然と閉じた。
慌てて壁に触れると、先ほど同様に開いてくれたので、シビュラは息を吐いた。
(こんな通路があったとは、知りませんでした)
使用人用の通路はあくまで廊下を駆け回る姿を見られない為と、食べ物などを急いで運ぶ近道としての物であって、直接部屋には繋がっていない。
食堂方面でもっと近道ができれば、サブナクへの食事の準備もしやすくなるのでは、と感覚で裏通路を進む。
「動くな」
シビュラは不意に声をかけられ、飛び上がるほど驚いた。
「大声を出さず、ゆっくりこっちに顔を向けろ」
指示通りに時間をかけて振り向くと、どこかで見た事がある人物が、細い剣を抜いてシビュラに向けていた。
「名前と所属を言え」
「……シビュラ・ヴィンジャーです。お城で働く侍女です」
生まれて初めて武器を向けられ、平静を装いつつも声は震えている。
「貴方は、トオノ伯爵様ですね……?」
シビュラが尋ねると、一二三は刀を下ろした。
「そうだ。お前は確か、サブナク付きのメイドだったな。なぜここにいる」
武器は下ろされても、一二三の視線は相変わらずシビュラの隙を伺うような鋭いものだ。
しばらく迷ったが、サブナクと執務室で話しているところも見ているので、素直に興味本位でサブナクが出入りしている場所を調べたら入れた事を伝える。
「あいつは……」
機密というのをわかっていない、とプリプリ怒る一二三を見て、これが城内で恐れられている人物か、と改めてシビュラはさりげなく観察する。
どこの国の衣装かわからない衣装に、他では見たことがない黒髪に黒目。見た目は自分と変わらない位若く見えるものの、父親よりもずっと濃くて重たい雰囲気もある。
「とにかく、ここを早く出ることだ。侵入者と間違えられたら、殺されても文句は言えんぞ」
「ころ……城内ですよ……?」
思わず声を上げたシビュラに、妙なものを見る目を向ける一二三。
「場所は関係ない。物でも人でも信念でもなんでもいい。何かを守ろうと思うなら、ためらわずに邪魔者は始末する。それを恐れてむざむざ不利益を被る奴は……阿呆だな」
それと、サブナクには情報の重要性についてミッチリ教える事があるから、夜は執務室で待っているように伝えろといい、一二三は薄暗い通路の向こうへ消えていった。
☺☻☺
ヴィシーからの使者が訪れたのは、一二三がまだ裏通路に篭って城内構造の確認をしている時だった。
中央委員会からの使者を名乗る男は、10名程の随行員をつれて王都を訪れており、事前の約束も何もない無礼な訪問ではあるものの、とりあえずは宰相が面会をする事になった。
場所は城内にある応接の為の一室で、宰相の後ろには二人の騎士が付き、使者にも随行員から二人の兵士が付き従っている。
「お初にお目にかかります。ヴィシー中央委員会より派遣されました、ロシーと申します。この度オーソングランデ王に御即位なされると伺いまして、ヴィシーを代表いたしまして、急ぎお祝いをと思いまして」
気持ち程度ではございますが、と伝えつつ渡された目録には、ヴィシー産の織物や工芸品に加え、ホーラント製と思しき魔法具の名前も記載されている。
そこに気づいた宰相は、目の前の使者はオーソングランデとホーラント間のいざこざが既にほぼ終了している事に気づいていないのではないかと見た。
「これはありがとうございます。ところで、戴冠式に関してはさほど大きく宣伝したわけではありませんが、ヴィシー中央委員会はよほど良い耳をお持ちのようですな」
宰相アドルの言葉に、貼り付いたような笑顔を崩さないロシーは、いやいやと首を振った。
「偶然、商談も兼ねてとある貴国の貴族様の元を伺う機会がございましてね。入国してすぐに戴冠の事を知りましてからは、慌てて本国と連絡を取りました次第です。私程度の物が使者というのも心苦しいのですが、何より、祝い事への使いは早い方が良いだろうとのことでして」
「それはそれは、ご足労をおかけいたしましたな。部屋を用意させますゆえ、戴冠式まではごゆっくりおくつろぎください」
「では、お言葉に甘えさせていただきます。それで、新たな女王陛下への謁見は叶いますでしょうか。よろしければ、中央委員会からのご相談ごとをお伝えさせていただきたいのですが……」
来たか、とアドルは思った。できればヴィシーの狙いを知るまではイメラリアと接触させるのは避けたかった。
「王女は、戴冠の準備でご多忙です。式典が終わりましたら、多少は時間が取れるかも知れませんが、今の時点ではなんとも……」
「そうですか。残念ですな」
「よろしければ、ご用向きをお伺いしておきましょう」
アドルの質問に、少し考え込む姿勢を見せたが、ロシーはすぐに頷いて見せた。
「左様ですな。宰相閣下に先にご相談させていただければ、女王陛下の前で緊張しながらお伝えするよりも良いかもしれません」
そこまで言うと、ロシーは座り直して周りを見回し、声を押さえて話し始めた。
「先の不幸な衝突について、正式にヴィシーより講和の申し入れをさせていただきたいのです。そこで可能であれば、中央委員会としては貴国と中央委員会で和平条約を締結したいと考えております……」
口元には笑みを浮かべたままながら、ロシーの目は鋭く宰相を見ている。
「もちろん、私どもは敗北した側です。賠償についても可能な限りお支払いさせていただきますし、魔法具などの商品流通についても、貴国商人の都合に合わせてご相談させていただく用意があります」
敗北という言葉に、ロシーが連れている護衛がぴくりと反応したが、宰相はあえて無視する。重要なのはそこではない。
まずここで、オーソングランデがホーラントとの直接通商を開始する事は掴んでいないらしい事がはっきりした。そして、中央委員会の狙いも。
「お申し出はわかりました。私どもの方で調整をいたしまして、会談の機会をご用意いたしましょう。具体的な内容については、その際に」
「おお、ありがとうございます。どうか、陛下へよろしくお伝えくださいませ」
何度も頭を下げながら、ロシーが退室していく。
それを見送った宰相は、新たにいれさせた紅茶の香りをゆっくり胸に吸い込んだ。
「ずいぶん追い詰められた感じだな」
「トオノ伯……」
ロシーたちが出ていったドアとは別方向、出入り口などないはずの方向から一二三がやって来て、アドルの前に座った。
アドルは驚いたが、どうやってとは聞かない。今までの一二三や死神の行動を見たことで、常識を当てはめる相手を選ぶようになっていたからだ。
「追い詰められた……それはそうでしょう。ヴィシーがトオノ伯から受けたダメージはまだ回復できておりませんでしょうし、国内が分裂している状況ですから」
「そこで、独立したピュルサンを潰すのに、オーソングランデとつながって国家としての正当性と、あわよくば後ろ盾にしたいってところか。それに……」
「何かお気づきですか?」
ニヤッと笑った一二三は、ここから先は近衛騎士隊の仕事だな、とだけ言って、立ち上がった。
宰相は、確認しておくべきだと思った事を口にする。
「トオノ伯は現在のヴィシーをどう思われますか?」
「どうでもいい。中央委員会にもピュルサンにも肩入れするつもりはない。……まあ、もっと頑張ってやりあってくれたらいいさ」
「……トオノ伯にお願いがあるのですが」
一二三は答えず、立ったままでアドルの顔を見る。
「イメラリア様とヴィシーの使者の会談に、同席いただけませんか?」
一瞬キョトンとした顔を見せた一二三が、次の瞬間には楽しそうに笑っていた。
「いいね。面白い」
☺☻☺
馬を乗り継いでヴァイヤーたちフォカロル出向部隊が王都へ帰りついたのは、戴冠式予定日の二日前。かなりギリギリだった。
「只今戻りました」
帰着の報告に来たヴァイヤーを、机に向かっていたサブナクは隈が浮かぶ顔で見上げた。
「あ、ああ……ヴァイヤーか。お疲れさん」
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ、ちょっと色々と準備が忙しくてね……。今からヴァイヤーにも参加してもらうから、とりあえずこれに目を通して、連れて帰ってきた連中も含めて警備に参加するように」
「了解いたしました」
取りまとめた書類を渡すと、サブナクはヴァイヤーを促して応接へと座った。素早くシビュラが紅茶を用意する。
「それで、フォカロルまで行って何か収穫はあったかい? ……嫁を見つけた以外で」
「止めてくださいよ。アマゼロト子爵の許可は得られましたが、今度は婿入りの話になっているので、まだまだ結婚は先の話でして……」
「うん。そんなに嬉しそうに話されると正直傷つくから、この話題は今度にしよう」
「……なんとかしようと思えばすぐに何とかなるのに」
涙目のサブナクにシビュラがポツリと呟く。
「いいから、呼ぶまで離れててくれる?」
「かしこまりました」
「あの……」
「ああ、彼女の事は気にしなくていいから」
「はぁ」
妙な空気を持った主従の姿に首をかしげつつも、ヴァイヤーは叩き込まれてきた鎖鎌と手裏剣について口頭で報告し、用意しておいた報告書をサブナクへ手渡した。
「トオノ伯が考案された武器だと伺いましたが、殺害せずに捕縛する事や、距離がある相手へダメージを与えるという点でも正式装備として検討する価値はあるかと」
「だが、実戦ではまだ一二三さんしか使った事がないんだから、少なくとも、ヴァイヤーたちが他の隊員へ指導できる程度には習熟する必要があるんじゃないか?」
「指導については、トオノ伯より最終的な許可がいただければ、フォカロルから指導の人員を派遣していただく準備まではできています」
「随分と準備のいいことだね」
「カイム殿にご協力いただけました」
「彼か……なら納得だな」
サブナクにしてもヴァイヤーにしても、結局一度もカイムが相好を崩すような場面を見ることがなかった、とお互いに鉄面皮の異名を持つ文官奴隷を思い出した。
「それなら、丁度一二三さんは城内……のどこかにいるだろうから、探して許可をもらうといい。すでに他の隊員は一二三さんから指導を受けているし、引き続き誰かに教えてもらう必要もありそうだったからね」
それに、と新たな書類をテーブルに置いて、サブナクは苦笑いを浮かべた。
「その“鎖鎌”の有用性が試せるかもしれないな。明日にでも」
書類には“ネズミ捕り指南”というタイトルが付いている。
「一二三さんが書いた計画書だよ。明日の午前中、イメラリア様がヴィシーからの使者にお会いになる。そこに一二三さんも同席するそうだが……ヴィシーからの随行員の動きが怪しい、と一二三さんは睨んでいる」
サブナクの話を聞きながら、ヴァイヤーは書類を読みすすめて行く。裏通路の件は初めて目にするが、それを利用した監視を実戦で試すという事らしい。
「今から一二三さんを探して直接打ち合わせをしてくれ。ヴァイヤーをこの作戦の責任者にする」
「了解いたしました。お任せ下さい」
近衛騎士隊初の作戦行動という事で、二人共気合が入っていた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。