64.Desecration Smile 【出世祝は労苦の足音】
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アイペロス王子の遺体は、立派な柩に収められ、きらびやかな絹の服をまとっていた。
頭部の縫い目は目立たないようにされてはいたが、やはり違和感は拭えない。
感情を押し殺した瞳で弟の遺体を見つめるイメラリアは、涙を見せることもなく、ただじっと遺体の側に座っていた。
謁見の間のすぐ隣にあるこの部屋は、王が私的な密談などを行うための小部屋だった。押して運べる車輪が付いた台座の上に乗せられた柩は、部屋の中央に安置され、周囲を囲むように置かれた椅子の一つに、たった一人でイメラリアが座っている。
静寂が支配する部屋に、すっと入ってきたのは宰相アドルだった。
「……失礼します」
反応を見せないイメラリアに一礼すると、アドルは王子の遺体を見つめてから、右手を胸に当てて頭を下げた。
丁寧に弔いの作法に則って動き、部屋を後にするアドルに、イメラリアは静かに立ち上がって軽く頭を下げた。
視界の端にその姿を見たアドルは、いたたまれなくなって気持ち足早になってしまう。
どうにか平静を保って部屋を出ると、静かに溜息をついた。
「ご傷心の様子ですねぇ」
いつの間にか、アドルの横には死神の顔があった。
「みだりに出てくるな。見られたらどうする」
焦るアドルの言葉にも、死神はケラケラと笑って答えない。
「そろそろお姫様に送還魔法の事を教えて差し上げてもよろしいのではないですか?」
「バカを言え。まだ資料の一枚も見つかっていない状態で、お前のような悪霊の言う事を報告できるわけがなかろう」
肩をいからせて歩き始めたアドルを、死神はフラフラと鬱陶しい程に揺れながら追う。
「傷ついたお姫様に、希望を見せて差し上げましょうよ。貴方にとっても国民にとっても、お姫様が気落ちしたままでは色々と困るでしょう?」
忌々しいという目で睨めつけ、アドルは資料室へと入っていった。
「悪霊の癖にこの国を気遣うふりをするのはやめろ。不愉快だ」
「おやおや、これでも人が懸命に生きる姿を応援する神様なんですけれどねぇ」
「……死神を名乗ったくせに、何を言うか」
視線を向けることなく、石版を漁って送還魔法やそれに類する魔法の資料を探す。もう何日続けたかも覚えていないほど繰り返した手つきは、石版の扱いにすっかり慣れていた。
「懸命に生きて、そして死んでいった者の魂こそ輝くのですよ」
死神の言葉に一瞬手が止まったアドルは、悪趣味な、とつぶやいて、そのまま作業を続けた。
それにしても、とアドルは思う。
(一二三という人物を送還して、それでこの国はどうなるというのだろうか?)
今のままではオーソングランデは戦果の中で必死に生き延びねばならぬだろうが、一二三という人物が形の上だけでも味方でいる以上は、多くの者が命を落としたとしても、この国は生き延びる可能性がある。
しかし、とアドルはふと手を止めた。
一二三がいなくなったとて、始まった戦いがすぐに終わるわけではない。むしろ、最大戦力がいなくなる分、オーソングランデの立場は苦しくなるのだ。
(送り返すにしてもどこへなり飛ばすにしても、その前の準備にも念を入れねば……)
まだ何も進んでいないのに、気が早いかもしれないが、とアドルは再び手を動かした。
☺☻☺
「おめでとう、サブナク!」
ビロン伯爵主催の夕食の席で、主賓の席に座らされたサブナクに、ビロンは杯を持ち上げた。
「本当に、私の実家からこんな騎士が出るなんて思わなかったわ」
カラカラと笑う姉に、サブナクは疲れきった視線を向けた。
「姉さん、ぼくがそういう役職に向いていないのはよくご存知でしょう?」
「あら、あなたは小さい時から頭も良かったし、剣はへなちょこだから、むしろ現場にいるより役にたつんじゃないかしら?」
ひどい言い草だとビロンが同情の目を向けるが、サブナクは昔から遠慮がない姉の言動には慣れっこだった。
「とにかく、これでぼくは早めに王城へ戻る必要ができました。近衛騎士隊というのは、どうやら王族……今はイメラリア様のみですが、あの御方をお守りするのが役目のようですから」
「ここは気にせず、他の隊員たちと共に戻るといい。トオノ伯のサポートは私の兵でも大丈夫だし、大きな戦いはしばらく無いだろう」
ホーラント国境の状況を知っているビロンは、少なくともホーラントが本格的に挙兵するにはそれなりの時間が必要だろうと見ていた。
「サブナク、王城へ戻る前にお父様へ報告の手紙を書きなさい。私からのと合わせて、実家に送ってあげるから」
「そうだね、私からもお義父様へお祝いの手紙を送るから、一緒に送ろう」
夫妻の言葉に、サブナクは少し照れてしまった。
「ありがとうございます」
はにかんだサブナクに、夫妻もにっこりと笑った。
サブナクは、いつかの騎士隊入隊の時にお祝いしてもらった事を思い出していた。
あの時も、気持ちよく祝ってくれて、それから懸命にやってきたのだ。これからも、何とかやって行けるだろうと前向きな気持ちになってくる。
「でも、城詰めの勤務は初めてなので、緊張しますね」
食後の酒をゆっくりと傾け、サブナクは呟いた。
男同士の話になるだろう、とサブナクの姉は席を外した。
「護衛というよりは、イメラリア様の相談役という側面もあるだろうね」
ビロンの言葉に、サブナクは首をかしげた。
「相談役なら、宰相のアドル様がおられますよ?」
「そうだね。でも彼だけの意見を聞いて決めるのは、イメラリア様の思考を狭めることになる。間違いとか正しいとかじゃなくて、色々な可能性を考えて、結果を想定して、宰相やイメラリア様とは違う視点での意見を言う。これだけでも、為政者としては助かると思うよ」
特にイメラリアは王族としては素直すぎる程なので、周りの意見をよく聞いてくれるだろう、とビロンは語る。
その結果がパジョーの最期を呼んだのではないかと、サブナクの脳裏を一瞬だけ疑問がよぎったが、ビロンの意見自体は納得できた。
「なにも、身を挺して盾になることだけが護衛の仕事じゃないだろう。本当に良い護衛というものは、守るべきものを危険に近づけないものだと思うよ」
ビロンの言葉に、サブナクはゆっくりと頷いた。
☺☻☺
一二三に腹を蹴られて気を失っていた魔法使いが目を覚ましたとき、腹の痛みに顔をしかめると同時に、身体の自由が効かないことに気がついた。
「い、いてて……」
「おう、起きたな」
背後から、先ほど聞いた声が聞こえる。
「一体……」
「他の仲間は片付けた。お前には聞きたいことがあったから生かしておいた」
単純でわかりやすいだろう、と背中からの声が言う。
ぼんやりしていた視界がようやく鮮明になってきて、自分が木の幹を抱きしめるような格好で縛られている事がわかった。
そして、声の相手も思い出す。
先ほど、自分を蹴り飛ばした男、一二三だ。
首を捻って後ろを見ようとしても、相手の顔までは見えない。
「無理にこっちを向こうとすると、首を痛めるぞ?」
「……何が目的だ」
極力平静を装いながら問いかけるが、声が少し震えてしまった。
相手の姿が見えないことで、不安がより掻き立てられる。
「質問があると言っただろう。時間が勿体ないから、さっさと答えろよ?」
魔法使いからは見えないが、一二三が言うにはもう一人を縛り上げていて、そっちにも話を聞かないといけないと言う。
「ふざけるな。お前が敵だということはわかって……」
必死で振り向いて抗議をする魔法使いの頬をかすめて、小さな鉄の塊が目の前の木の幹にめり込む。
頬が切れたのか、急に熱くなった。
「選択肢は二つだ。喋って生き延びるか、黙って死ぬか、だ」
答えずに歯を食いしばる魔法使いに、一二三は笑った。
「取り敢えず質問その一、王都にある魔法具の研究所はどこだ?」
一二三の質問に黙っていた魔法使いの右肩に激痛が走る。
本人からは見えなかったが、蹄が打ち込まれたのだ。
「ぎゃあああ!」
「時間が勿体無いと言ってるだろうが」
結局、同じようなことを繰り返して、息も絶え絶えの魔法使いが全ての情報を吐いたのはそれから30分後の事だった。
研究施設の場所も警備状況も聞き出した一二三は、お疲れさん、と言いながら魔法使いを縛っていたロープを刀で切った。
立っていられないほど消耗した魔法使いは、木にしがみついたままズルズルと膝をつく。
「さっさと吐けば良かったのに」
つまらなそうに言った一二三は、ふと何かに気づいて体を逸らした。
「ぐあっ!?」
魔法使いの悲鳴。
それを見ずに走った一二三は、縛り上げて転がしていたはずのホーラント兵が膝立ちに起き上がっているのを見て、舌打ちした。
「馬鹿かお前。口止めに殺すなら喋る前にしろよ」
言いながら、ホーラント兵の顎を蹴り飛ばす。
「うびゅっ」
歯と唾を飛ばしながらのけぞった兵の胸を踏みつけ、一二三は刀を目の前につきつけた。
「さあ、次はお前の番だな」
「ふふっ、俺がそう簡単に話すわけがないだろう」
不敵に笑った兵士は、右手に持った剣を自分の喉元につきつけようとしたが、叶わなかった。
シュルっと風を切る音がしたかと思うと、右手の肘から先がポロリと落ちた。
「え……?」
「そう簡単に自害なんぞさせるか」
まるで兵士の体を地面に縫い付けるかのように、左肩を刀が貫く。
「うぐっ!」
「さて、質問タイムだ。……俺を知っていたな?」
切れ長の目が釣り上げられ、冷たい視線が兵士に向けられる。
「俺を見て数人で妙な動きをしただろう。というか、俺がお前らを追いかけるように仕向けようとしたな?」
魔法使いがいるとそこで止まってしまうだろうと思ったが、始末するのは不自然なので、兵の数が減ったところで、魔法使いを抱えて逃げるつもりだったな、と一二三は問うた。
その話に、兵士は驚きに目を見開いた。
慌てて否定の言葉を発したが、一二三は言葉よりも見てとった事を信じる。
「なるほど……」
しばらく何かを考えた一二三は、ズルっと刀を抜いた。
悶絶する兵士を捨て置いて、離れて待っていたオリガたちの元へ向かう。
その際、チラリと魔法使いを見たが、既に事切れていた。
「オリガ」
「はい」
「研究所の場所は聞こえていたな? 俺は今から一人で王城へ乗り込むから、騒ぎになっている間に、魔法具をかっさらって、そのままオーソングランデへ戻れ」
例の事は、フォカロルへ帰りがてらやってくれればいい、と一二三は言った。
「わかりました。どうか、お気を付けて……」
不安そうに語るオリガに、一二三は優しく笑った。
「まだこの世界で遊び足りないからな。まだ死ねん」
踵を返し、未だ苦痛に呻く兵士の前を見下ろすように立った一二三は、おもむろに闇魔法で魔法薬を取り出し、どばどばと兵士に振りかける。
離れていた腕は繋がらなかったが、傷はすっかり塞がった兵士は、訳がわからないまま一二三に蹴飛ばされた。
土にまみれ、ようやく体を起こした兵士に、一二三の冷たい声が届く。
「さあ、王城までの追いかけっこだ。頑張ってお前の親分にすがりつくのが早いか、俺の武器がお前を両断するのが早いか、競争しようや」
何を言われているのか一瞬わからなかった兵士だったが、我に返ってすぐに、残った左手で体を支えて立ち上がり、バランスが取れないのかフラつきながら走り出した。
「よーっしゃ! 久しぶりに走り込みだな!」
刀を収納に放り込み、袴の裾を縛った一二三は、ホーラント兵との距離が充分に開いたところで走り出した。
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