37.Candy 【軍務長官の部下】
37話目です。
今回は大人しい回です。一人しか殺されません。ごめんなさい。
教会跡に入ると、広いホールの奥、元は祭壇があったであろう場所に木製の巨大な椅子に座る中年男が見えた。
その周りには数人の男が立っている。手下だろうか。
先を進むビフロンが小走りに進み、中年男に耳打ちをする。
話を聞いた男は一二三を無遠慮に見て、ゴロゴロと響くような低い声で話す。
「ウチの連中が世話になったようだが、何者だ」
「ここの新しい領主だ。お前がトルケマダだな?」
「そうだ。で、領主様はわざわざこんな掃き溜めに何の用だ」
血走った目で睨みつけてくるトルケマダ。多くの相手をそれで威圧してきたのだろうが、一二三は相手の視線は把握しても、目つきなど気にしない。
「ここで死ぬか、俺の命令に従うかを聞きに来た」
「ハッ」
鼻で笑って、トルケマダは傍らに置いた木製の水筒に口をつけた。アルコールの臭いがする。
「スラムのまとめ役だと聞いた。ここの住人を集めて従うかどうか選ばせろ」
「ハッハッハ、そう焦るな若造。で、従わなかったらどうする? 兵でもけしかけて殺すのか。以前も同じような要求をしてきた貴族様がいたけどな。死体になってお帰りいただいたぜ」
おどけた話し方をすると、周囲にいる手下らしい男たちからも笑いが起きた。
一二三は反応しない。というより、トルケマダの話をほとんど聞いていない。
「そういう話はどうでもいい。さっさとやれ。あと、お前臭いぞ。体くらい洗えよ」
一二三がしかめ面をして、左手でヒラヒラとトルケマダを煽ぐ真似をすると、ヘラヘラと笑っていたトルケマダも、険しい顔つきに変わった。
「そうそう、そうやって真剣に聞けよ。死ぬか生きるかの瀬戸際だぞ」
「調子に乗るな。若造がスラムで粋がって無事に帰れると思うなよ」
さらに低い声で凄むが、一二三の反応はため息だった。
「話にならんな」
じゃらりと音を立てて取り出されたのはローヌでの戦闘で使用した鉄製契り木だが、鎖の収納機能が壊れており、柄の長いフレイルと化している。自分で直せなかったので、取り敢えずそのまま使うことにした。
「お、やるか?」
それが武器だと判断できたらしく、トルケマダはニヤニヤ笑って横に立つビフロンを向いて、相手してやれと言おうとした矢先。
鈍い音がして契り木の分銅がこめかみにめり込んだ。
頭蓋の薄い部分にまっすぐ打ち込まれたそれは、明らかに脳まで届いている。
「やるかどうか聞く前に動け。馬鹿が」
手早く鎖を引き寄せて振り回す一二三の前で、白目を向いたトルケマダは椅子から崩れ落ちた。
手下たちは一瞬何が起きたか把握できなかったが、死体が床に落ちた音で我に返った。
「野郎! 殺す!」
「待て!」
手下たちが剣に手をかけようとしたところで、ビフロンが慌てて周りの男たちを制した。
「なんで止めるんだ!」
「ビフロンさん、トルケマダさんが殺られたんだ! 生かして帰せねぇだろ!」
「俺たちじゃ、束になっても勝てねぇ。それがわからなかったからトルケマダさんは死んだんだ……領主さま、名前を聞いてもいいか?」
口々に不満を漏らす手下たちをなんとか鎮めたビフロンは、剣から手を離して見せた。
「一二三だ。まとめ役は死んだぞ。ビフロン、お前が代わりをやるのか」
「まとめ役と言っても、ここにいる連中を束ねてただけだ。スラムの人数なんて把握できないし、どこに誰がいるかもわからん」
「あ~、やっぱりそうか。面倒くさいなぁ」
頭を掻きながら鎖をじゃらじゃら揺らす一二三に、ビフロンは刺激しないようにとそっと質問を投げかけた。
「俺は死ぬよりはアンタに従う方を選ぶ。従わなかったら、また兵士たちが来るのか?」
トルケマダは余裕ぶって話していたが、以前のハーゲンティ子爵時代のスラム出兵の時、損害が多いために最終的に武力による制圧は撤回されたが、スラム側も相当な人数が死んでいる。トルケマダはうまく逃げ回って事が落ち着いて当時の有力者が残らず死んだのを確認してから顔役ぶって押し出してきたに過ぎない。ビフロンも、適当なグループに所属しておけば楽だというだけで、トルケマダの所にいた。
今、あの時のように兵を派遣されれば、スラムの人間はほとんどが処分されるだろう。
「なんで兵を送り込む話になるんだ?」
「いや、貴族とか領主ってのはそういうもんだと……」
ガン、と契り木で床を突いた音に、ビフロンは驚きに一歩後ずさった。
「俺の邪魔をするなら俺に殺す権利がある。それをわざわざ他人に譲る訳が無いだろうが」
何を言っているんだという空気が教会跡の全員に充満した。
誰にも、それこそオリガにすら理解はされなかったが、ローヌの大通りに一二三が一人で立っていたのも同じ理由だったりする。脇道に入った奴だけ殺していいという妙な命令も出ていた。
「部下を使って人を殺す奴の気が知れん」
フンッと鼻をならして憤る一二三に、誰もついていけない。
「話が逸れたな。面倒くさくなったから、あとはお前に任せる。明日の朝、俺に従うならゴミの通りを抜けた外に出ておけ。街中に残っている奴は殺す。それがわかりやすいだろう」
「そ、その話を信じるかどうかは……」
「関係ない。危機を嗅ぎ取ることができないならそれまでだ」
また明日、と学生のような軽い挨拶をして出ていった一二三を見送り、ビフロンはどっかりと床に座り込んだ。
「び、ビフロンさん……」
「お前たちも死にたくなかったら従った方がいい。ここはスラムだ。無理強いはしねぇがな」
その視線がトルケマダを向いたのを見て、他の男たちも次々とビフロンに従うと言い出した。自分たちより強いビフロンが従うなら、という単純な論理のようだ。
「あ、他の連中に秘密にしたら、他のグループの連中は楽に始末できるんじゃねぇか?」
そんな事を言い出す者に数人が賛同したが、ビフロンはやめた方がいいと言う。
「俺たちに言い渡された言葉が他の連中に伝わって無いと知られたとき、あの領主さまはどうすると思う?」
立ち上がって、ビフロンは全員を見回した。
「聞いただろう? あいつの邪魔をした奴は殺されるんだ」
他の連中に伝えに行く、と教会跡を出て行くビフロンに、他の者たちもついていった。
文官奴隷という言葉は一二三の造語であり、フォカロル以外では通用しない。
当人たちは奴隷という立場と文官という地位の整合性に最初は首をかしげるばかりだったが、実務が始まると“あ、これは言葉そのままの意味だ”と理解した。
行政サービスが行き届いてこそ税金という名の戦争準備金が集まるという、カーシャ曰く“人としてどうかしている”方針により、たった五人の文官奴隷はその名の通り奴隷の如く働かされていた。
戸籍を集計した結果、スラムを除いても5万近い人数がいるとわかったフォカロルで、数十人の職員がいるとはいえ、5人で政務を取り仕切るのは過重労働である事は間違いない。
アリッサ付きとなり、領軍に関する事務に携わる事となったミュカレは、その中でも自分は楽をしている方だと思っていた。
実際、武装に関しては損耗が少ないせいもあって管理も楽であり、一二三がいつの間にかドワーフに作らせている道具や武装について使い方を覚える方が大変なくらいだ。
王都で文官をしていた彼女にとって、平民の女を馬鹿にしている貴族どもや、偉ぶった上司が居ない新しい職場は過ごしやすい環境ですらあった。
「あ、あの……ミュカレさん、これわかんないんだけど……」
毛の長い絨毯敷きの執務室、重厚なデスクにしがみつくようにして書類に目を通していたアリッサが、とたとたと近寄ってきて、秘書用のデスクにいるミュカレに恐る恐る書類を差し出してきた。
「アリッサ様。部下の私が立ちますからと言いましたよね? 上に立つものは下に任せてどっしりと構えているものです」
「あ、あの……ごめんなさい……」
書類を受け取りながらの説教に、アリッサはあからさまに落ち込んだ。小さい身体がさらに小さく見える。
「それに、この書類はここで人数の計算を間違っているから最終的に合わなくなるのです。募兵しても200人いないのですから、これくらいは把握してください」
「あぅ……」
すっかり気落ちしてしまったアリッサを見て、ミュカレの背筋にぞわりと来るものがあった。ニヤつきそうになる顔を根性で引き締めて、アリッサの方に手を置いて優しい声に切り替える。
「アリッサ様、厳しい事を言ってしまって申し訳ありません。ですが、こういう雑事は私にお任せくだされば良いのですよ」
「でも、それだとミュカレさんが大変だと思うし……」
なんて可愛らしい子かしらと、十歳も離れていないアリッサに鼻血をこらえるのが精一杯のミュカレは、かろうじて表情に出さないまま、冷静を装って礼を言う。
「こんな奴隷の私にまでお気遣いいただいて、ありがとうございます。私はアリッサ様の補佐として任命されました。これが私の使命なのですから、どうぞ遠慮なく私に頼ってください」
「そうかな……よく判らないけど、ありがとうミュカレさん!」
朗らかに笑うアリッサを抱きしめないように鋼の精神でこらえていると、一二三がノックも無しに部屋に入ってきた。もちろん、湯を浴びて、ゴミ臭い道着は着替えている。
「あっ、一二三さん!」
「……気色の悪い空気を出すなよ」
「あら、部下と上司が仲良くするのは仕事を円滑にする重要な要素だと言いますけれど」
一二三はミュカレと話をするのが苦手だった。奴隷なのに遠慮なく物を言うのは全く気にならないが、何か言いようのない相性の悪さを感じていた。
(こういう奴だと見抜けなかった俺が悪いとは思うんだが……)
趣味に合わない高級品、と一二三はミュカレを認識している。計算や実務の能力は五人の中でも図抜けており、文官としての経験もあるので“職員としては”最高だと思えた。
「一二三さん、何か用?」
「明日スラムを掃除するから、後処理の準備に人数を割り振ってくれ」
一二三の言葉に、敏感に反応したのはミュカレの方だ。
「……また何かやらかすのですか?」
ローヌ防衛の後で、領軍の再編成や武器の損害確認と修理・新調の発注。さらには財務部署のカイムから急かされながら最終的な費用計算をしたりと、寝る間も無かった事をミュカレは思い出していた。
「人手を集めてくるだけだ。戸籍担当の誰かを含めて20人くらい連れて、明日の朝にスラムの外で待っている連中の住民登録な。職場は作業場なり何なり、適当に振り分けてくれ」
これで人手不足は解消だな、と満足気な一二三に、ミュカレは頭を抱える。
「スラムの連中が使い物になるでしょうか」
「それはお前たちの教育次第だ。アリッサ軍務長官、頼んだぞ」
「あ、はい! 了解です!」
アリッサの頭をポンポンと叩いてから、一二三はさっさと出ていった。
「また面倒事を……」
おままごとのような配置だが、何故か領軍の兵たちはアリッサの言う事をよく聞くので、この領では兵に関する揉め事は少ない。小さい身体でちょこちょこと動き回るアリッサは、威厳は皆無だが大人数の状況を把握することと、素早く指示を出すことには妙に長けていた。
一二三の慧眼と言っていいかも知れないが、何か悔しいので絶対に認めないミュカレだった。
「では、領主様の無茶に応える準備をしましょう」
「ミュカレさん、そういう風に一二三さんを悪く言っちゃダメだよ?」
「……申し訳ありません。本音が漏れました」
何でこんな良い子があんな血塗れ男に懐くのか、嫉妬が煮えたぎるミュカレだった。
ホーラントからの文書がイメラリアに届いたのは、ようやくヴィシー方面への軍の編成内容が決まった頃だった。
ホーラントに近い街から、まる五日かけて届けられた書面を見て、イメラリアは頭痛を感じて眉間を押さえた。
「イメラリア様?」
気遣う言葉に、イメラリアは顔を上げてパジョーを見た。
「……パジョー、ホーラントはローヌでの住民虐殺は我が国の責任だと書いて来ているわ。わたくしが貴女から報告を受けた内容では、ホーラントの魔道具と思しき物が原因だと聞いたのだけれど」
「誓って、ご報告させていただきました内容に嘘偽りはございません。……ホーラントは、ヴィシーに協力するということでしょうか」
「その通りです。ヴィシーが我が国へ“報復”する事の正当性を確かめるような文面ですから、侵攻まではして来ないとは思うのだけれど……念のため、ホーラント側の街道にも兵を集めておくべきかしら」
血の気の多い人が多くて困ると、ある人物を筆頭に思い浮かべながらイメラリアが悩むのに、パジョーがすっと近づいた。
「その件ですが、第二騎士隊のスティフェルス隊長の名義で、ホーラント方面への出兵の動きがあります」
「何を勝手な……」
「それが、どうやらアイペロス王子の承認を得ていると吹聴しているようです」
弟の名前が使われていると知ったイメラリアは、本人は知らされていないか、説明されても理解できていないだろうと直感していた。自分も素人だが、それに輪をかけて王子は軍務のことを何も知らない。
王城の意思とは無関係に、民衆のためにと動いてきたイメラリアと違い、城からほとんど出ずに母親の庇護下にいた結果、イメラリアも驚く程世間知らずに育ったのだ。だからこそ、弟が王位を継承するとしても、自分がそれを支えようと考えている。
「おそらくは、王子派閥が王女様に近しいと思われている一二三さんに対抗しての事かと思われますが……」
「わたくしは、弟と覇権を争うつもりはありません」
「も、申し訳ありません。口が過ぎました」
ピシャリと注意され、パジョーは慌てて口を噤んだ。
「大事な一戦の前です。余計な損耗は出したくありませんし、王城内での不和を広げたくもありません。今回はわたくしが追認する形にいたしましょう。ただし、兵の中でも有能な人材は極力第三騎士隊側の軍に引き込むように」
「かしこまりました」
「……考える事が、すっかり殺伐とした内容ばかりになってしまいましたわ。ほんの少し前までは、もっと穏やかに民の生活を見ていられましたのに」
今ではヴィシーに早く動き出して欲しいとさえ思っている自分に、イメラリアは細い指でそっと目を覆った。
お読みいただきましてありがとうございます。
突然PVやポイントが急上昇していてびっくりしました。
色々と拙い文ではありますが、良かったらこれからもよろしくお願いいたします。