32.Message in a Bottle 【死者になって構わない使者】
32話目です。
よろしくお願いします。
ミュンツァー侯爵家次男のデボルドが、十名の護衛と同数の侍従を連れて王都を出て行く。その姿は明らかに一二三がアリッサを連れて王都へ戻って来た時を意識しており、自らが用意させたビラを巻きながら、さながらパレードのような様相だった。
撒き散らかされたビラには、“イメラリア王女たっての願いにより、デボルド・ミュンツァーは民の平和と安寧の為の使者となった”と書かれている。
ところが、王都とは言えまだまだ識字率は低い。拾う者は居ても、読むものはほとんどいなかった。一部の酔っ払いやお調子者だけが歓声をあげるだけで、派手好きな貴族を冷ややかに見ている者の方がずっと多かった。
同じように、王城のバルコニーから見送るイメラリアの視線も、極寒のそれである。
「イメラリア様。こちらでしたか」
声をかけたのは、第三騎士隊のパジョーだ。
「パジョーですか……」
振り向いたイメラリアは、パジョーの顔を見て少し肩の力を抜いた。
「これで、私も政のために人を生贄にした事になりましたね……」
いや、最初の犠牲者はあの勇者様かと、イメラリアは自嘲する。
「デボルドの狙いはイメラリア様です。これは自衛と言ってよろしいのではないかと愚考いたしますが。それに、献策いたしましたのはこの私めでございます。かの男を犠牲とした罪は、わたしにありましょう」
「……貴方の忠心、まこと嬉しく思います。では、その策が無にならぬよう、次に進まねばなりませんね」
バルコニーを離れて執務室へ向かうイメラリアに付き従いながら、パジョーは後悔の念に苛まれていた。誰かを犠牲にする策を考えたことではなく、それを主たるイメラリアに伝えたことを。
一二三と別れ、カーシャやサブナクと共に大急ぎで王都へ戻ったパジョーは、旅の埃を落とすのもそこそこに、急ぎイメラリアへ報告するために登城した。
パジョーとサブナク、そしてあわせて登城を許されたカーシャを労い、イメラリアはカーシャへ慰労としていくばくかの金を渡した。一二三からそれなりの報酬を渡されていた事もあり、始めは遠慮したカーシャだが、生活を立て直す元手にと言われて、半ば強引に押し付けられた形である。
これは、パジョーのこれまでの報告から、そうすることでカーシャを王族側に多少なりと惹きつける意味合いもあった。多少の金銭で一二三に近しかった者を引き込めるなら安いものとイメラリアは考えた。
サブナクとカーシャが下がった後も、パジョーだけはイメラリアと長時間の打ち合わせを行った。イメラリアは、一二三がこれ以上戦争を続ける事で力をつけ、いつか本格的にオーソングランデと対決するまでになるのではないかと危惧しており、一二三の戦いぶりを近くで見てきたパジョーに意見を聞きたがった。
「始めは、一二三様がここまでの戦果を上げるとは思っておりませんでした。これはわたくしの見通しの甘さが問題でしょう。個人の武が強いからといっても、多数と多数の戦いであればと、彼の非常識さに対する認識が足りませんでした」
「イメラリア様、それはわたしにも言える事であり、宰相にも言えることでございます。あれほど戦いを好む者が、あそこまで鮮やかに敵地を押さえてしまうとは、誰にとっても思いがけない事でしょう」
個人として強いからといって、戦争で生き残れるとは限らない。王族や騎士としての教育を受けてきた二人にとっては、個を貫く事に正直な一二三が、戦略や戦術にまで精通しているとは、しかも過去に例の無いやり方で、最小限の犠牲でやり遂げるとは予想外だったのだ。
一二三の活躍は、ヴィシー方面からやってきた商人達によって格好の話題であり、既に王都のあちこちで“細剣の騎士様”が味方にほとんど犠牲を出さずにヴィシーを圧倒していると、まるで英雄譚のような話が広まっている。
多少誇張はされているが、ほとんどが真実であることと、オーソングランデ側にとって吉報である事が逆にタチが悪い。あまり一二三の人気が上がって欲しくない王城としても、これといって対応ができずにいた。
このままでは、イメラリア一人の人気だけでもっているような王城に向けられた畏敬の念は、そっくり一二三に持っていかれるかもしれない。
「彼は英雄ではありますが、それ以上に狂人です。戦いのために、人を殺す環境を作るために街と人を育てています」
パジョーは、敢えて強い言葉でイメラリアに伝えた。言うまいとは思っていたが、これは王女主導で無ければ成せない策への必要な踏み台だった。
「お許しいただけましたら、イメラリア様に策を献じたいと思うのですが……」
「許します。聞かせてください」
パジョーが考えた策は、簡単に言えば“最終的に戦争を終わらせたのはイメラリアである”という形に持っていく事だった。今オーソングランデが握っているアロセールを始めとした占領地は、本来不要な領地であり、今後統治していくにも難があるとパジョーは考えていた。
まずはデボルドを使者に使ってヴィシーを挑発し、旧ヴィシー領を取り戻すための軍勢をヴィシーが動かし、寡兵で占領後間もないアロセールや受領したばかりのフォカロルで一二三が戦う間に、イメラリアが旧ヴィシー領の無条件放棄など一定の譲歩を持って密かにヴィシーとの終戦協定をまとめてしまうというものだった。
「おそらくデボルドは殺されるでしょう。アロセールなどに出向している兵は多数が死ぬでしょう。ですがこれで、一二三さんの戦果は頭打ちになり、平和を取り戻したのはイメラリア様であると宣伝することができます」
「ヴィシーの兵で、一二三様を押さえる事ができるでしょうか?」
まず最初の不安はそこだった。ヴィシーが挙兵したところで、一二三に食い破られて終わりなのではないかと。
「ですので、ヴィシーには多くの兵で以て反撃に出てもらわなくてはなりません。総力を以て当たらなければヴィシーは滅ぶと思わせる程の挑発が必要です。このために、和平の使者に挑発の文書を持たせるのです」
「……少しだけ、考えさせてください」
パジョーを下がらせたイメラリアは、翌日にはデボルドを執務室へ呼んだ。
いよいよ自分の出番が来たと、意気揚々イメラリアの元へ向かうデボルドを見かけたパジョーは、申し訳ない気持ちとイメラリアとこの国の為には仕方がないという気持ちを綯い交ぜにした顔で見送った。
当然のことながら、ヴィシーの中央委員会へは一二三が渡した書面が先に届いている。
「ベイレヴラをさし出せ、か」
初老の委員は、工作員から渡された書面に目を通し、ため息をついた。
今は彼以外の委員は自分の街への指示や対応にかかりきりで、会議場には彼だけが居た。ミノソンという名のこの男性が代表を務める都市は、全ての委員が代表をしている都市の中で最もオーソングランデ側から離れており、今のところはある程度の兵を呼び寄せる指示を出すだけに留めている事ができた。
間もなく他の委員も集まる予定ではあるが、大凡遅れるであろうとは思っていた。削り取られた国土は、それだけ都市防衛が難しいという事を何よりも明確に表している。特に国境に近い都市は、防衛の方法を必死で考えているだろう。
ミノソンは、自分の街が襲われる程にオーソングランデが食い込んで来たなら、その時点で既にヴィシーは瓦解しているだろうと達観していた。
無論、そうならないための努力は惜しむつもりは無い。戦争の常として、敗北側の権力者は、新たな時代のための犠牲となるのが常だからだ。
「それにしても、困ったもんだ」
問題は、目の前の書面についてだ。
ベイレヴラという工作員が降り、アロセール方面で活動していた事はミノソンも知っていた。彼を差し出して事が収まるなら、それでも良いと思う。
だが、現在ベイレヴラは行方不明となっている。
この書面が到着する前に、アロセール方面の情報を聞き出すためにベイレヴラは委員会に呼ばれた事があった。30すぎの小男で、見た目の印象はどこか小狡い印象を与える人物だった。
一二三の脅威がヴィシーに迫っているという状況を、自分が呼び出された事から感付いたのかもしれない。二度目の呼び出しにベイレヴラは現れず、他の工作員に探させたが見つけられなかった。
オーソングランデや獣人族エリアへ入ったとは考え難く、魔法具のやり取りで近しくしていた伝手を使ってホーラントへ渡ったと見るのが自然だが、ホーラントへの問い合わせには、入国の記録は無いという正式な回答が来ている。ミノソンはまるで信用していないが。
しかし、ホーラントに強い追求はできなかった。ヴィシーがオーソングランデと事を構えるのであれば、ホーラント側からオーソングランデへ兵を集めて見せることで圧力をかけ、場合によっては二正面の対応を強いるために攻撃もするという申し入れがあったのだ。
味方になってくれるというのに、無碍にはできない。ヴィシーだけでは難しいが、ホーラントと組めればずっと有利になるからだ。
「そうすると、自然と対応策は絞られるか……」
ミノソンの考えは、それから2時間かけて集まった委員会にて、特に反対意見も無く承認を得る事となった。
現状のままでは書面の通りにヴィシーは無条件でオーソングランデの属国化か吸収の道しか残されていない。今は講和や要求には応じず、ヴィシーは各都市からの戦力を集結し、いくつかの都市国家を奪還するなど一定の勝利を挙げてから、オーソングランデとの交渉に望む。
戦力の糾合が出来次第、ヴィシー軍は総力を挙げてローヌへと向かう事になる。
デボルドを代表するオーソングランデ使節団がフォカロル入りした時、一二三は丁度街の入口でドワーフと防壁工事の指示を出していた。
妙に派手な馬車を連れた20名程の集団が見えた時、警備兵や民衆は貴族が来たと身構えていたが、一二三は無視してドワーフと話していた。
「それで、壁にはこれくらいの菱形の穴を明けておくわけだ」
「壁に穴を開けちまってもいいんですかい?」
「これは狭間と言って、弓や投槍機でここから攻撃するためのものだよ。大きすぎると意味がないから、狙いをつけられるギリギリの大きさにするんだ」
「ははぁ、なるほど」
若いドワーフが一二三の知識に感心しているうちに、デボルドたちは街へ入ってきた。
だが、一二三の指導が行き届いた兵の対応は、国内からの来訪者にも、たとえそれが貴族だとしても、しっかりとチェックを入れる。
「無礼な! 私は恐れ多くもイメラリア王女殿下より任命された和平の使者であり、ミュンツァー侯爵家のデボルドだぞ! 貴様ら下賎な一兵卒に検閲など受ける謂れはない!」
兵に馬車を止められ、虚栄心に障ったデボルドは醜く喚き散らしていた。フォカロルへ到着するまでに通過したすべての街をフリーパスで通ってきたのに、ここで初めて通常の検査を受けたのが不満らしい。
和平の使者という言葉が引っかかった一二三は、わめき散らすデボルドに近づいていった。
「うるさい」
「む、貴様はあの時の無礼な成り上がり者だな。ふん、貴様が主なら、部下の出来もこの程度という事か」
ニタニタと貼り付くような笑いを顔に浮かべて一二三を小馬鹿にしてくるが、一二三は少しも表情を変えない。
「ここは俺の街だ。俺が法だ。お前のような奴ほど何を持ち込むかわかったもんじゃない。しっかり調べないとな」
「何を馬鹿なことを。貴様のような下賎な者の相手なぞ、侯爵家の私がするわけがなかろう。進めろ」
馭者に命じて馬車を進めさせようとするデボルドの目の前に、いつの間にか白刃がきらめいている。瞬時に間を詰めた一二三が抜いた刀には、突然の事に慄くデボルドの顔が映っている。
「ひぃっ……。貴様、何を……」
「言っただろう。ここでは俺が法だ。従わないなら犯罪者として処分するだけだ」
顔を紅潮させて恥辱に震えるデボルドだが、結局は一二三の圧力には抗えなかった。一二三の指示で荷台の中身を確認していく兵を横目に見ながら、怒りを隠そうともしないデボルドは、震える声で言った。
「貴様、私にここまでの事をやったのだ。覚悟はできているだろうな……。私はイメラリア王女殿下の勅命によってヴィシー中央へ赴く使者であるぞ」
一二三は答えず、厳重に封印された小箱を見つけた兵からそれを受け取り、丁寧に開いた。中には、この世界では珍しい純白の紙が折りたたんで蜜蝋で封じてある。
「それは王女殿下からの親書だぞ! 貴様のような奴が触れていいものではない!」
喚くデボルドを無視して、一二三は手にとった紙を陽の光に透かしてみた。
「……なるほど」
さっと親書を元通りに封印すると、兵に元の場所に戻すようにと渡した。
「もういい、通れ」
「覚えておけよ下郎め。私がこの使命を果たした後で、そんな態度をとったことを後悔させてやるからな……」
「そうだな、まあ頑張れ」
すっかり興味を無くして打ち合わせに戻る一二三を、デボルドは馬車が離れて見えなくなるまで睨みつけていた。
「一二三様、よろしいので?」
何かあれば投げるつもりだったのだろう、手裏剣を手にしたオリガがどこからか一二三の元へ駆け寄ってきた。
「哀れな道化だ。真剣に相手してやる必要もない。多分もう会わないだろうしな。それより、もうすぐローヌの国境でまた戦いになる。軍の再編と移動の準備をしておいてくれ」
「ヴィシーが攻めてくる情報がありましたか?」
「そうなるだろうってだけだ。だがせっかく時間に余裕がありそうだからな。念入りに歓迎の準備をしてやろう。さあ、また忙しくなるぞ」
色々とドワーフに作ってもらわないといけないと、足取りも軽くドワーフの作業所に向かう一二三の頭の中には、あれこれとヴィシーとの戦いに向けたアイデアが湧き出していた。
一二三が感じた戦争への予感は、この時からまる二週間後、少しだけ彼の予想を裏切る形で現実となった。
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