19.Know Your Enemy 【国境の生き残り】
いつもお読みいただきましてありがとうございます。
19話目です。よろしくお願いします。
パジョーと別れ、宿に戻った一二三は、旅に出る前にいくつか購入した明かりの魔道具を使って、夕食後にオリガから文字を習っていた。この街に来てからの習慣として、この数日ずっと勉強していたので、基本的な文字とその読み方については一通り終わっていた。
ちなみに、明かりの魔道具は結構いい値段がするのだが、ロウソクより良いと、その店にあるだけ購入している。計5個のお買い上げで、宿に泊まる時はオリガとカーシャに一つずつ渡している。
文字を書いてもらって発音を聞いて、その横に日本語で読み方を書く。後は延々と文字を書きながら音読して頭に叩き込んで行くことを繰り返している。
安くは無い羊皮紙を大量に使う勉強法だが、くり返しが一番近道だと、一二三は金に糸目をつけずに道具を買い込んでいた。
「ご主人様、今日はここまでにいたしますか?」
「そうだな、これで一通りの文字と読み方はわかった。後は単語と文法だな。これからもよろしく頼む」
「お任せください。ご主人様の覚えの早さなら、そう時間はかからないと思います」
暇なカーシャはその間、武器の手入れに勤しみつつ、二人がどんどん親密になっていくのを、少し寂しく感じていた。自分ももう少し踏み込んで一二三と付き合うべきだろうか? そんな事も浮かぶが、オリガの邪魔になるような事はしたくないとも思う。
そんなことを考えながら剣に傷が無いか確認しているカーシャの前で、勉強道具を片付けた一二三が立ち上がった。
「パジョーに面倒事は全部押し付けてきたから、明日はヴィシーへ入るか。馬車で行くから、また馭者を頼む」
「わかった」
「かしこまりました」
二人の返事に頷いた一二三は、朝食を摂ったら出ようと言って、自室へと戻っていった。
ドアが完全に閉まるまで見送ったオリガは、自分のベッドへ向かいながらローブを脱いだ。線の細い身体に薄い生地のワンピースだけの姿は、オリガが寝るときのいつもの格好だが、カーシャはボンヤリとその姿を見ていた。
(腕とか足とか細いなぁ。やっぱり“女の子”って印象だよね)
ご主人様が優しくする気持ちもわかるとため息をつきながら、引き締まった自分の手足を見る。
またため息が出た。
「どうしたの?」
「なんでもないよ。明日も早いから、さっさと寝ちゃおう。ご主人との旅だから、きっとまた、騒がしい日になるだろうし」
オリガはクスッと笑って肯定すると、魔道具の明かりを消した。
翌朝、ヴィシー側の街の門にサブナクが一二三たちの見送りに出てきていた。
薄い霧が出ていて、朝の光を柔らかくしている。
援軍到着に喜んでいたサブナクだったが、援軍で来た騎士全員が先輩だったため、随行の兵士に手伝ってもらってはいるものの、書類仕事は全く減らなかった。目の下の隈は濃くなる一方だ。
宿の方から、一台の馬車と一人の騎乗の男がやってきた。
「おはよう。何かあったか?」
「お見送りですよ。ここから先、街道沿いに二時間も行けば国境の砦があります。オーソングランデ側にとヴィシー側にそれぞれの兵がいますので、両方で通行許可証を見せてください」
「わかった。じゃあ、またな」
一二三が進み始めると、馬車をそれをゆっくり追っていく。
ボンヤリと霞がかった街道の向こうに消える
一二三の消えた先を見ていたサブナクの後ろから、パジョーの声が掛かった。
「一二三さんは?」
「いま、街を出られましたよ。……何かありましたか?」
「ストラスというホーラントから来たと思われる魔法使いの件よ。死体を検分して見たけど、例の短剣以外は、特に身分を示すような物は持っていなかったわ。ただ……」
ストラスの胸に、食い込むように取り付けられた魔道具のようなものがあったという。
体つきなどで見たところ50歳は過ぎているうえ、かなり痩せている。侯爵邸で見せた動きや、一二三から聞いた身のこなしができるようにはとても見えない。詳しい事はわからないが、あるいは身体に埋め込むタイプの身体強化の魔道具かもしれないと、パジョーは推測した。
「今日にも死体を王都へ送って、調査に回すことにするわ」
「身体強化……まさか、ゴデスラスを逃がしたのは、ストラス?」
「いえ、移動の時間を考えると無理があるわ」
「という事は……」
「ゴデスラスも同じ道具を持っていたかもしれないけれど、身体検査は受けているから持ち込みはできない。同様の魔道具を使ってゴデスラスを逃がしたか、ゴデスラスが渡されて自分で使ったか……。いずれにしても、王都で人探しが必要みたいね」
と言いつつも、パジョーは探す手がかりすら掴めるかどうか、頭を抱えるしかなかった。
のんびり馬車を走らせて居ると、霧が次第に晴れてきて、道の先の砦が見えてきた。
魔物の一匹も出るかと思っていた一二三だったが、拍子抜けだ。
「あれが国境か」
特に塀などがあるわけでもなく、街道を塞ぐように2階建ての砦があり、こちら側と向こう側に一つの大きな建物があるだけだった。
カーシャの説明によると、街道を離れると魔物に襲われやすくなるので、塀で仕切る必要も無いとのことだ。
街道の上の砦で出国・入国のチェックをしており、両国側にある建物は、それぞれの国の国境警備の兵が詰めている兵舎だという。両国とも10名ずつを国境に配備する条約を結んでいるらしい。
砦がもうすぐ見えるというところで、一二三は違和感を感じとった。
「……静かだな。20人も居るような気配を感じない」
「え?」
「すぐに武器を抜けるようにしておけ。血の匂いがする」
カーシャ達にはわからないが、一二三が言うなら信用できると、カーシャとオリガは素早く自分の得物をつかんだ。この反応の良さは、訓練の賜物だ。
いったん馬車を収納して、馬も降りていく。
注意しながら近づいていくと、砦の前に数人の兵士が倒れているのが見えた。
一二三たちは駆け寄ることはせず、注意深く近づいていく。
「これは……」
状況がはっきり見えたカーシャは奥歯を噛みしめた。
越境前後の検査のため、砦を潜るようにトンネル状に開けられた通路には、石畳みで示された国境線のこちら側にも向こう側にも兵士たちが倒れている。一見無傷なものも、明らかに首や手足の向きがおかしいものもいるが、誰一人動くものはいない。
中には、手足をちぎられた無惨な姿をさらしている者もいた。
「全員、死んでいるのでしょうか……」
「いや、一人生きている」
するすると死体の間を抜けていく一二三は、国境線を越え、倒れ伏した一人の兵士のそばにしゃがみ込む。
「おい、起きろ」
装備から、ヴィシーの兵士と思われる若い女兵士は、うつぶせに倒れたまま無反応だった。ベリーショートにカットした赤い髪はくしゃくしゃになっている。
「やっぱり死んでるんじゃないのかい、ご主人?」
「いや、こいつは無傷だ」
言いながら、一二三は女兵士の手首を取り、親指側の手首にあるツボを押さえた。
「あだだだだっ!?」
突然の激痛に飛び起きた女兵士は、涙目で一二三から距離を取った。
その身のこなしは猫のようにしなやかだが、手首をさすりながらでは、なんとも恰好がつかない。
「なんでバレた?」
「死んでるかどうかくらい、見なくてもわかる」
「説明になってない!」
「説明する気もない」
一二三の素っ気ない返答に、ぐっと歯を食いしばった女兵士は、腰の剣に手をかけた。
が、彼女が剣を抜くよりも、一二三が抜いた刀が彼女の灰色の左目に突き付けられる方がはるかに速かった。
「余計な問答をするつもりはない。状況を説明しろ。役に立たないなら殺す」
「……わかった」
彼女はアリッサといい、ヴィシーの検問兵だった。貴族の女性に対応するのに、国境には一定人数の女性兵はいるらしい。
「ついさっきの事だよ。やたら力の強い男が突然暴れだしてさ、こっちの兵もオーソングランデ側の兵士もみんなやられちゃった。あっという間だったよ。投げ飛ばされた仲間にぶつかった時に、とっさに死んだふりをしたから難を逃れたよ」
兵士の割に妙にかわいらしい声で話すアリッサを、無表情に見ている一二三。オーソングランデの兵も全員死んだと聞いても眉ひとつ動かさない彼に、アリッサは口をとがらせた。
「仲間が死んだのに、反応ないんだね」
「どうでもいいからな。それより、暴れた男ってのはあいつか」
一二三が視線を向けた先には、筋骨隆々で棍棒をつかんだまま倒れた大男がいる。
「そうだよ」
「誰が殺した?」
「わからないよ、うつぶせのまま目をつむってたし。ただ、他のみんなの声が聞こえなくなってから、誰かが近づいてくる足音が聞こえて、あいつが叫ぶ声が聞こえて、誰かが“制御がうまくいかないな”って誰かが行って、足音が離れてった」
顔や恰好は見ていないと、アリッサは話した。
「そうか。オリガ、カーシャ。馬で町まで戻ってパジョーを連れて来てくれ」
「わかりました」
走り去る二人を見送る一二三に、アリッサが恐る恐る声をかける。
「あの~そろそろ剣を離してもらえると……」
言いかけたところで、一二三は刀を鞘に戻した。
「あ、ありがとう」
「礼を言う暇があるなら、離れていた方がいいぞ」
「ふえ?」
アリッサが首をかしげるのを無視して背を向ける一二三は、刀を戻して鎖鎌に持ち替えた。
「な、何……」
空気がピリピリと張りつめていくのを感じてアリッサがつぶやいたのと同時に、砦の陰から一二三に駆け寄り、殴りかかる姿があった。
牢を脱出したゴデスラスだ。
「数日見ない間に、ずいぶん気色悪くなったな」
拳を苦も無く避け、あざ笑うように一二三が言う。
ゴデスラスの姿はとても元騎士とは思えないほど薄汚れ、屈強だった体は筋肉が異常に膨れ上がり、涎を垂らしたまま顔は怒りとも苦痛ともつかない表情に歪んでいた。
武器も持たず、血が滴るほど拳を握りしめている。
「殺す、コロス……」
「正気を失ったか。つまらん奴め」
言いながら鎖鎌の分銅を投げつけ、ゴデスラスの腕をからめ捕った一二三だが、異常な力で逆に引き寄せられ、あっさりと鎖鎌を手放した。
「おう、馬鹿力だな。つよい、つよい」
「ぶ、武器が!」
のんきに構えた一二三に、後ろからアリッサの叫びが聞こえる。
再び素手で殴りかかってくるゴデスラスに対し、一二三も素手のままだった。
顔に向かって突き出される拳を首を振ってかわし、肉が無い肘を拳で打ち上げた。
確かに骨が折れる感触がしたが、ゴデスラスは躊躇せずにさらに殴りかかってくる。
「痛覚も無いか」
ステップで距離を取りながら、どう相手しようかと考えていると、自然と笑顔になる一二三。
それを見たゴデスラスは、さらに大きく叫びながら激しく攻撃してくる。
一二三は手のひらで押し込むように両脇最下部の肋骨を折った。それだけでは攻撃をやめないゴデスラスだったが、さらに折れた肋骨をけりこむと、内臓に傷を受けたらしく、口から血を流し、目に見えて動きが鈍くなってくる。
「痛みや恐怖は大切なセンサーなんだよ。それを失った奴なんて、相手としてはつまらんだけだ」
さらに一二三は喉元に指を付きこみゴデスラスの喉を潰すと、呼吸ができず苦しそうにあえぐ相手の目に指を突っ込んで仰向けに引き倒し、胸を踏みつけた。
一瞬震えたゴデスラスだったが、そのまま永遠に動かなくなった。
「……凄い」
アリッサは一二三が戦う姿から目を離せなかった。
オリガたちと共に、パジョーとサブナクが到着したのは、ゴデスラスが死んですぐだった。
ずいぶん早かったと聞くと、ゴデスラスがフォカロルの街の脇を抜けて国境へ向かう姿を巡回の兵が見かけたと報告を受けて馬を駆って追いかけて来ていたらしい。それでも追い付けなかったあたり、街道を無視して走ってきたとしても、人ならざる速度だ。
「これは……サブナク、すぐに戻って兵の半分を緊急の国境警備に連れてこい。それと、王都へ事態の連絡を」
「了解しました」
パジョーの支持を受け、サブナクはすぐに引き返した。
一二三が簡単に状況を伝えると、パジョーはゴデスラスの死体に近づき、その装備と体を検めた。
「やはり一二三さんは凄腕ですね……。それにしても、こんなに変わり果てた姿になって……これは!」
服をはぎ取ったゴデスラスの胸には、ストラスの胸にあった物と酷似した魔法具を見つけた。ただ、ストラスが付けていたものと少々形が異なる。一二三が踏みつけたせいで潰れている部分もあった。
「そいつがおかしかったのは、それが原因か?」
「おそらくはそうです。ストラスの死体にもよく似たものがありました」
「なら、あれもそうかもな」
一二三が指したのは、先に砦で暴れて、誰かに殺された大男の死体だ。
パジョーがゴデスラスの死体を見ている間に、一二三が検分していたのだ。ストラスの物よりもゴデスラスの物に近い魔法具が、その胸に食い込んでいる。
さらに、全員が見ている前で、大男の胸にある刺し傷に手を突っ込んだ。
「うぇ……」
アリッサが思わず声を出したが、目は離さない。
「な、何やってんだい?」
恐る恐る声をかけてきたカーシャに、大男の服で手を拭った一二三が答える。
「気になることがあってな。この傷が心臓まで届いている。これが死因だな。で、だ」
一二三の目は、パジョーに向いている。
「傷の形状と深さから見て、あのストラスとかいう魔法使いが持っていた短剣な。あれと同じ形、同じ大きさの刃物のようだが……」
オリガが近くの井戸で濡らした布を持ってきてくれたので、一二三はしっかりと手を拭った。
「それにアリッサ、この男はそっちの軍の関係者らしいぞ」
「うぇ? な、なんで……」
「お前の剣の柄にある刻印と同じ奴が、こいつの服にある。これは支給品だな?」
「という事は……」
「単純に考えるなら、オーソングランデにもヴィシーにも、ホーラントの連中が潜り込んで何かやってるという事だろうな」
一二三が出した結論と、発覚した問題の大きさに、一平卒に過ぎないアリッサはもちろん、騎士であるパジョーですら何も言えなかった。
お読みいただきましてありがとうございます。
なかなか話が進まなくて申し訳ありません。
評価ポイント、みなさんありがとうございます!
また次回もよろしくお願いいたします。




