177.Black Lake
177話目です。
よろしくお願いします。
ザンガーと共に会議室を出たレニは、案内兼護衛役の名目でついてきているオーソングランデの騎士に「外へ行きたい」と伝えた。
「では、こちらへ」
増築を繰り返した城内は複雑で、出入り口までは案内が必要になる。
騎士の後ろについて、レニとザンガーを先頭に、数名がぞろぞろと歩く姿は、城内勤務の者たちから無遠慮な視線を受けるのに充分なほど、珍しい光景だった。
「……それで、羊の嬢ちゃんは何か考えているんだろう?」
小さな声で、ザンガーがレニに話しかける。
「お城を出てからお話します。ウチの話に納得できたら、手伝ってもらえれば助かるんですけど……」
「そうかい。じゃあ、さっさと出ようかね。石の建物は、エルフにはちょいと居心地が悪いよ」
柔らかい椅子は悪くないけどね、とザンガーは笑う。
五分ほど歩き、城門の場所でレニは騎士に声をかけた。
「ここまでで大丈夫です。宿までの道はわかりますから」
「そうですか。では、何か御用があれば城までお越しください」
「はい。ありがとうございます」
騎士は歩いていくレニたちを見送ったが、当然監視はついている。レニの想定では、広場を抜けたあたりで、町の人間に扮した誰かが付いてくるはずだ。
「今のうちに説明をしておきます」
「お願いするよ。女王様はああ言ってくれたけど、安心して寝ているわけにはいかないものねぇ」
ザンガーの言い草に、レニは相好を崩した。祖父母の顔を知らないレニは、ザンガーの飄々とした存在感に、不思議とリラックスできる雰囲気を感じていた。
緩んだ顔のまま、レニはザンガーが驚くことを話す。
「女王様は、お城の前で騒動を起こすつもりです。……一二三さんを、魔法で封印するつもりみたいです。理由はわかりませんけれど、プーセさんも協力する、と」
思い切り目を見開いているザンガーに向けて、レニは言葉を続けた。
「魔人族の女王との話もある程度終わっている、という事でした。間もなくそれは始まります」
「それじゃあ、さっさと逃げるべきかねぇ」
「逃げるべきだけど、折角だからこれを獣人族の立場向上に利用します」
「立場向上? 何をする気だい?」
首をかしげるザンガーに、レニは声を絞って答えた。
「あの一二三さんが集団相手に戦うことになる……その時に付近の民間人を逃がす手助けをしましょう。獣人族のフットワークを大いにアピールできます。……エルフの人もどうですか? エルフが持つ魔法による防御の腕前を見せる機会です。きっと、人間がみんなびっくりして、エルフに感謝してくれますよ」
ザンガーはしばらく声が出なかった。年若い獣人の少女が、まるで“やらせ”に等しい人心掌握をやろうとしていることに。
しかし、こと種族の将来という点に関して言えば、“それとこれとは別”である。
「……協力するよ。というより、羊の嬢ちゃんの指示で動くとしようかね」
☺☻☺
王城のバルコニー。
そこには今、二人の女王が立っていた。護衛も従者もいない、立った二人で。
能面のように、白い顔に無表情を張り付けているイメラリアに対し、ウェパルは緊張で灰色の顔に汗をにじませている。
「あそこに一二三様がいます」
イメラリアが指差した先、城に背を向けた一二三が、ミダスと話しているのが見える。
位置関係としては、城の前の広場があり、出入り口に近い場所に一二三がいる。さらに向こう、入口前に少し余裕を持ってオーソングランデの兵士たちが並び、城に背を向けて警備をしている。
広場には、フォカロルの兵士と魔人族が乗ってきた馬、その世話約が数名。
「一二三さんの向こう側に兵士を呼び出していただければ、こちら側からは防衛の為と偽って騎士が出撃します。挟み撃ちにして、プーセさんが一二三様を結界魔法に閉じ込め、同時にわたくしが封印魔法を起動します」
「……簡単に言ってくれるわね」
ウェパルは、ヴィシーの拠点に五十名程度の軍団を編成して待機させている。それはイメラリアとの密約のために揃えた、バシム率いる使い捨ての部隊だ。バシムが一二三を殺しても、他国で勝手に戦闘を行った罪で処刑とする。ウェパルは、勝てるなどと毛ほども考えていないが。
「こちら側は騎士隊がおり、広場には精強なフォカロルの兵がいます。町の方にも警備の兵や騎士がおり、指揮官もいます。馬は……もし被害が出たら、補填させていただきますわ」
だから存分にやると良い、とイメラリアは微笑む。
ウェパルは、今すぐ帰りたかった。一二三もこの女王も、人間は大概頭がおかしい。占拠したヴィシーの国民を御する自信も無くなりつつある。
だが、ここで断ることで、何が起きるだろうか。
イメラリアという女は、一二三を疲弊させるために魔人族に向けて彼をけしかけるかもしれない。そうなれば、折角世に出ることができた魔人族が、今度は永遠に歴史から消えてしまうかも知れない。
ウェパルは、大きな野心は無いが、愚王として名を残す気は無かった。
「わかったわ。……少し遠いから、集中させてくれる?」
「ええ。では、わたくしたちも用意をさせていただきますわ」
イメラリアが振り向くと、二つの杖を持った、エルフのプーセがしずしずとバルコニーへ出てくる。
豪奢な装飾を施された一本の杖を受け取ったイメラリアは、ウェパルの隣に並び、プーセもその横へと杖を握りしめて立った。
「始めましょう」
内心で、イメラリアはウェパルやプーセ、そして騎士や兵士たちに詫びていた。これはイメラリアとその父親の失敗の為の尻拭いなのだ。本来であれば、イメラリアが自分だけでやらなければならない始末に、国どころか多くの多種族を巻き込んだ。
自然と、腹部に手が伸びる。
子に、この国を無事に引き継ぐと決めた。
泣いたり謝ったりは、最後の最後でいい。
「始めるわよ」
ウェパルの声を聞いて、知らず俯いていた顔を上げた。
☺☻☺
「一二三さん、ウチたちは一度町に戻るね」
軽く声をかけて、一二三の横を通り過ぎようとしてレニは、後ろから首を掴まれて無理やり停止させられた。
驚きで声が出ないレニの代わりに、ヘレンが抗議する。
「ちょっと、何するのよ!」
「くっついている虫を取ってやるだけだ」
空いている左手の指先を噛むようにして手袋を外した一二三は、レニの背中から何かを引き出すような仕草を見せた。
「ほれ、行け。足が遅いからと人より先に行くのは良いが、馬鹿の言う事に唆されて行き先を間違うへまをするなよ」
ぽいっ、と放り捨てるように開放されたレニは、首をさすって笑った。
「やっぱり、一二三さんには敵わないや」
「さっさと行け。邪魔だ」
何よ、とヘレンたちとザンガーは先を急いだが、レニだけはじっと一二三の顔を見ていた。
「なんだ?」
「ありがとうございました!」
頭を下げたレニに、一二三は右手を追い払うように振る。
「感謝するなら、面白い世界を作って見せろ。それ以外にお前にしてほしい事なんざ無い」
「わかりました!」
手を振ってレニは駆けて行く。
その間も、一二三の左手に捕まれた何かは、黒い霧のような物を散らしながら、痩せた男の顔に変形し、暴れていた。
「それは何ですか?」
「俺が人を殺すことを利用しようとした、阿呆の欠片だ」
ミダスの質問に答えながら、一二三の黒い手は死神の顔を握りつぶした。
「……始まったか」
最初に出現したのは、バレーボール程度の黒い円。
十秒立たずに直径四メートルほどの半円になった“門”の表面は、風一つ無い湖面のように穏やかだった。
「これは……」
「敵が来るぞ」
「……えっ?」
「町側にいる兵士のところへ行け。魔人族の軍が入って来るぞ」
突拍子も無い話だが、一二三の顔を見ていたミダスは、信じることにして走り出した。
「やれやれ……やっと始まったか」
手袋を懐へ突っ込み、首と肩を回してほぐした一二三は、刀の位置を整えた。
まず一人。魔人族の男が闇の中から現れた。
「ようやく出番かと思ったら……幸先が良いな。人間どもを蹂躙するのに、まず貴様からとは」
片手の魔人族、バシムは一二三の顔を見るなり、歯をむき出して野蛮な笑みを浮かべた。
「なんだ、お前か。ウェパルも大した部下がいないのか。せめてもうちょっと歯ごたえある奴を期待したんだが……まあ、いいか」
「貴様!」
激高したバシムが、能力を行使してナイフ状の刃物を二つ、宙に浮かばせた。その間に、暗い門からは次々と魔人族の兵たちが現れる。
広場にいたフォカロルの兵たちは素早く立ち上がって武器を取り、複数ある荷車を蹴り倒して防御壁とする。出入り口ではミダスの声が響き、騎士も兵士も回れ右をして城の方を向いて剣を抜いた。
さらに遠くからは、レニやヘレンが住民たちに避難を呼びかける声が聞こえてくる。
そんな中、一二三は柄に手を触れようとすらしない。
「ほれ、お前の腕はあそこにあるぞ」
「何ぃ!?」
一二三が指差した先は、広場の中央に据え付けられた台座だった。布をかぶせられたそれは、ポツンと放置されたように立っている。
「ちゃあんとケースに入れて保管してある。ほら、自分の手で取りに行くといい」
からかうような言い草に、奥歯をギシギシ軋ませながらも、バシムはゆっくりと一二三から距離を取りながら台座へと向かう。
視線を一二三へ向けたまま、伸ばした右手が台座に触れると、浮かせたままの刃を使い、逸る気持ちを押えながら覆いを斬り裂いた。
その間も魔人族の兵士たちはゾロゾロと一二三の前に現れ、狭いスペースからあふれるように広場の中を左右に広がっていく。
国軍もフォカロルの兵士たちも、その様子を緊張気味に見つめており、城からはいよいよ完全武装の騎士隊が列を成して現れた。数は四十人ほど。
周囲を囲まれている事を知ったバシムは、ふん、と鼻で笑う。
「数に頼って押しつぶすつもりか……だがな」
門から吐き出される魔人族が止まらない。すでに五十人をとうに超えているのだが、途切れることなく武装した兵士たちが出てくる。
自分をぐるりと取り囲むようにひしめいている魔人族たちを見て、一二三は初めて刀に触れた。抜かずに、そっと手を添えただけだが。
「なんだ、これは……」
バシムの驚愕する声が聞こえると、一二三は口の端をぐい、と上げた。瞬間、走り出す。
生首のまま、睨みつけてくる変わり果てたバールゼフォンを見て、バシムは勢いよく首を回して一二三を見た。
そして、見えたのは一二三の膝。
「始めるぞ! 遠慮なくかかって来い!」
叫びながら軽やかに跳ね飛んだ一二三は、バシムの顔面に膝を入れ、その後頭部でバールゼフォンを封じる魔方陣が描かれた台座に罅を入れた。
「お前も参加しろ、バールなんとか! 身体はコイツので我慢しろよ」
一二三から、後頭部を割られたバシムを見たバールゼフォンは、首の下から糸のような血を流し、バシムへと触れた。
それを見届けた一二三は、台座を踏み越えた。
あえて大きな音を立てて着地すると、バルコニーで見下ろしているイメラリアたちを見上げる。
そして、刀を抜いた。
☺☻☺
「人数が増えている? 一体どうなっているの!」
バシムに命じて控えさせていた人数を明らかに超過した兵士の数に、ウェパルは声を上げて驚きと怒りを交えた感情をぶちまけた。
このまま人数に任せて、万一城まで魔人族の兵が押し込むような事になれば、泥沼の戦いは避けられなくなる。
混乱しそうになる頭を必死で回転させ、まずは門を閉じる。
あっという間に掻き消えた門に、二人ほどの兵士が身体を千切られたようだが、勝手な真似をする部下たちへの怒りが、その参上から目を逸らさせた。
「申し訳ないけれど、すぐに下へ降りて兵たちを止めてくるわ。このままじゃ……」
「このまま、ここに居てください」
イメラリアは、落ちついた調子でウェパルの言葉を遮った。
「人数が多いのは、この際良い事です。あれらは……」
杖を抱えたイメラリアが、広場を占領するようにじりじりと広がっていく魔人族たちを指差す。
「死兵扱いで良いのでしょう? であれば、良いではありませんか。ここで見ていてください……今になって退くなんて、言わないでくださいね?」
ウェパルは答えるべき言葉を見つけられず、釘付けになっていたイメラリアの整った白い顔から、眼下の一二三へと視線を移した。
一二三は、こちらを見上げていた。
「事は既に動き出しました。戦いはもう始まっています。わたくしは騎士たち兵士たちに状況を押えるように命じますが……一部の騎士たちは、兵を伴って一二三様の助力をするように見せかけて、その動きを封じます」
ある程度の範囲に抑えることができれば、プーセが魔法防壁を使って一二三を閉じ込める事になっている、とイメラリアが淡々と説明する。
「い、言ったら悪いけど、いくら乱戦に乗じてと言っても、人間が束になってかかったところで、あの男の動きを制限できるとは思えないわ」
「そうですね。兵たちだけならそうでしょう。ですが、助力のために城から飛び出していく予定の人物は、我が国の兵士だけではありません」
話している間、広場では魔人族の兵たちが、一部バシムを助けに動いた連中を除き、こぞって一二三に群がっていく。
「兵士以外?」
「ええ。彼の事を、一番知っている方にお願いしました」
不意に、バルコニーの後方から突風が吹いた。
小柄で軽いイメラリアがよろけ、その脇を一人の女性が駆け抜け、バルコニーから文字通り飛び出した。
風の魔法によるものだろう。青いローブいっぱいに風を受け、広場に向かって吸い込まれるように飛んでいく。
「一二三様の妻、オリガさんです」
絶句しているウェパルに、イメラリアは風で乱れたドレスを整えながら微笑む。
「良く見ていてください。一人の愚かな王女に異世界から呼び出された殺戮者は、身内に裏切られて、非道な女王によって封印されるのです」
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。