176.Human Behaviour
176話目です。
よろしくお願いします。
何か大きなイベントがあるのではないか、という予感は、民衆の中にもあった。配置変えのあった兵士や、王城を出入りする商人が連れている見習いなど、情報が漏れる箇所はいくらでもある。
ただ、魔人族が関わっていることは、王城内でも直前までごく一部の者しか知らされなかったため、突然首都の中央を走る大きな道路が中央部分だけ封鎖され、魔人族や獣人族の一団が女王へ謁見するために登城すると発表された時、町は一時騒然となった。
だが、意図して“謁見する”と魔人族側を一段下げて表現したことと、相手側から訪問するという形式が人間側の優位を示している、という認識が広まると、民衆の動揺はかなり治まったように見える。
第三騎士隊出身者が意図的に流布した情報が、効果を上げているのは否めない。
「だが、一番大きな影響はあれだな」
王城近くで道路警備を行っていた兵士は、同僚の兵士との会話の中で、王城前広場の入口にいる人物へ視線を向けた。
「トオノ伯爵、か。魔人族や獣人族の国にも行ったんだって?」
「隠居したって聞いたけどな。少なくとも、“細剣の騎士”様がいれば、王都は大丈夫ってのが、民衆の気持ちだろうさ」
そういう兵士たちも、一二三の姿が見えている安心感からか、私語が多くなっている。
つい今しがた、ヴィシー方面の入口から走ってきた兵士が、再び門の方へと駆けて行った。
間もなく、魔人族たちがこの城へやってくる。
広場への入口。刀を腰にぶち込み、悠然と仁王立ちしている一二三は、先ほど町の商人から差し入れられた果物を齧った。リンゴのような触感だが、甘みは桃に近い。
口の端からこぼれた、一筋の果汁を拭っていると、ミダスが近づいてくる。
「城内でお待ちになられませんか」
「俺は、今回の会談には招かれていないからな。ちょいと旧知の面を見にきただけの一般人だ。気にするな」
「わかりました……間もなく、エルフと獣人が先に到着します。それから少し距離を開けて、魔人族を迎え入れる予定です」
「ふぅん……レニは先に来てるからな。エルフと一緒に来てるのは、ザンガーか?」
乱暴に果物を齧り、あっという間に腹に収めてしまう。
「そこまでは、気かされていません」
「ああ、そう。で、お前はいつまでここにいるんだ?」
「ここで、出迎えをして、城門まで案内するのが私の役割です」
この場所で、護衛の役割をフォカロル領兵及び国軍兵から騎士隊が主となる王城内外の守隊へと変更されるのだという。
ミダスが説明している間に、遠くから聞こえていたざわめきが、次第に近づいてきた。
「到着されたようです」
見ればわかることをわざわざ口に出したあたり、ミダスも緊張しているのかもしれない。
集団の先頭は馬に乗ったアリッサが進み、その後ろに馬車が続いている。
「一二三さん!」
大きく手を振るアリッサは、馬車を置いて馬を進めてくると、一二三の目の前で馬から飛び降りた。
「久しぶりだね!」
「そうだな。領地の方はどうだ?」
「カイムさんやミュカレさんが助けてくれるから、なんとか……」
話をしていると、追いついた馬車から数名の男女が降りてくる。
周囲で遠巻きに見ていた民衆から、ざわめく声が上がった。
「久しぶりだねぇ」
「ザンガーか。まだ生きていたか」
「御蔭さんでね。あれの進行も止まったし、この歳で色々と環境も変わって、楽しく過ごしているよ。まだまだ、あと百年は生きるつもりさね」
じゃあ行ってくるよ、と数名のエルフと獣人族を引き連れて、ザンガーは一二三の横を抜けて行った。
「なんかやらかすなら、あたしたちが逃げてからにして欲しいんだけどねぇ」
「巻き込まれたくないなら、気を付けて周りを見ることだな」
通り過ぎる瞬間、小声で交わされた会話は、周りの誰にも聞こえなかった。
ザンガーたち一向が通り過ぎ、アリッサも護衛として共に王城へと入っていく。
フォカロル兵たちは広場に待機することとなっていた。彼らはやや緊張した面持ちではいたものの、国軍の兵たちに比べれば笑顔の者が多く、多少の疲れはある者の、まだまだ元気が残っている様子だ。付いてきていた職員が指示を出して食事などの手配をしている。
広場の隅に座り、交代で食事を始めたフォカロル兵たち。一二三と目があって、会釈をしてくる者もいた。
鷹揚に手を振って応えている一二三に、先ほどより大きなざわめきが聞こえる。
「来たな」
魔人族の兵士に護衛されたオーソングランデの馬車が、ゆっくりとやってくる。
青い馬と灰色の人。民衆には刺激が強かろうが、驚く声に反応することなく、護衛の兵たちはしっかりと周囲を警戒していた。
ミダスが歩き出て、魔人族たちを止めた。
「申し訳ありませんが、ここから城までは徒歩でお願いいたします。馬はお預かりいたします」
「……少し、お待ちいただきたい」
むっつりとした魔人族の兵が、馬の向きを変え、馬車の横へとつけた。中の人物に何かを確認すると、素早く馬を降り、手綱を掴んで戻ってくる。
「ウェパル様の確認が取れた。馬をお願いする」
「承知いたしました」
ミダスが部下を呼び、それぞれの兵から馬の手綱を受け取り、広場の隅へと連れて行く。
「世話について教えていただければ……」
「では、我らが連れて来ている者にやらせましょう」
「助かります」
馬たちが手綱を引かれ、立派な身体に似合わぬつぶらな瞳を主人たちへと向けながら、世話役の魔人族と共に広場のフォカロル兵たちとは反対側へと誘導されていく。
徒歩となった兵士たちに囲まれ、最初に馬車からおりてきたのはフィリニオンだった。貴族らしい細やかな刺繍をあしらいつつも、控えめな印象のあるドレス。その裾を摘み、慎重にステップを降りていく。
その後ろから、ウェパルが姿を見せた。
「……久しぶりね」
「女王稼業は楽しいか?」
「押し付けた本人から言われたら、皮肉にしか聞こえないわよ」
横で聞いているミダスには理解できない会話だったが、彼らに何かしらの因縁があることはわかる。
「では、陛下……」
「あれ、見てみ」
話しかけようとしたミダスを押え、一二三が広場の中央を指差した。
そこには、細長い台座が据え付けられ、布がかぶせられている。
「あれは魔人族からの預かりものだ。帰りにでも見ていくと良い」
「……返す、とは言わないのね」
「欲しけりゃ実力でやると良い」
「はぁ……後で話があるから、時間を頂戴」
「そんな暇があれば、な」
雰囲気が変わる。
慌ててミダスが二人の間に身体を滑り込ませた。
「陛下、私が先導させていただきますので、どうぞ、こちらへ!」
「あら、そう。よろしくお願いするわね」
ミダスの隣にフィリニオンがつき、その後ろをウェパルたち魔人族が進む。
最後の一人が通過すると、広場への入口は兵たちによって封鎖された。
何気なく、一二三は封鎖の内側にいる。兵たちは彼をしきりに気にしてはいたものの、誰も声をかけることは無かった。フォカロルの兵たちが広場にいる以上、出て行けと言うのは問題になりそうだ、と誰もが考えたからだ。
「さて、どういう形で来るのかね?」
うずうずとする心を押さえつけ、指先で柄頭を叩く。
「ここが大一番だぞ。つまらない結果を見せるなよ」
☺☻☺
「単刀直入に言って、戦争を続ける気は私にも無いのよ」
到着後、挨拶のみで会談は明日、とする予定だったが、ウェパルの希望で最初の会談を早々に始めることとなった。
出席者はイメラリア、ウェパル、レニ、ザンガー。そして、何故かオリガが同席している。それぞれに補佐と護衛がいるが、オリガだけはたった一人で、当然のことのように座っている。
それぞれに挨拶をして、オリガが一二三の配偶者であることに、それぞれ驚いてみせたあと、最初に口を開いたのはウェパルだった。
「魔人族は充分な居場所を得たわ。為政者として愚痴を言わせてもらえば、広すぎてどこから手を付けていいかわからないくらいよ」
コロコロと笑うウェパルに、イメラリアは微笑みを向けた。
「大変そうですね。必要であれば、アドバイスさせていただきますわ」
ウェパルは戦争を終わらせたいと言ったが、その場の誰もがその裏にある“充分利益は出たから、勝ち逃げする”という意思を見抜いていた。
その上で、イメラリアが軽く流したのだ。ヴィシーという国が魔人族に占領されたことは、気にしていないと言っているのも同様だ。
「……可愛らしい顔をして、冷たいのね」
「もうすぐ母親になるのです。優しいばかりでは、母として、為政者としての姿を子供に見せるのが恥ずかしくなりますわ」
お腹を撫でて笑っているイメラリアに、オリガ以外の全員が、どう反応して良いか困った顔をしている。オリガの表情は、言うまでもない。
「わたくし……つまりオーソングランデとしては、ヴィシーを魔人族が占拠したことについては、はっきり言えば停戦という目的に比べればどうでも良いことですわ。わたくしには、他の何を犠牲にしてもこの国を守る義務があります」
「参った。参ったわよ。降参だわ。ここで約束しても良いわよ。魔人族はオーソングランデに侵攻しないし、国境の軍も撤退させるわよ」
「賢明なご判断をくだされたこと、感謝いたします」
イメラリアがにっこりと笑い、ここに一つの戦争が終わりました、と締めくくる。
では、とイメラリアは、まだ会話に入れていないレニとザンガーへと視線を向けた。
「獣人族やエルフの方々はどうされるおつもりですか?」
「ウチたち獣人族としては、希望する者を集めてどこかに町を作りたいと考えています。今までは荒野の国の一部に住んでいましたが、追い出されちゃいましたから……」
ちら、とレニがウェパルを見ると、ウェパルは素早く目を逸らす。
「では、オーソングランデ国内での開拓を許可します。王国直轄地か、場合によってはフォカロルの一部を使うように、アリッサさんに話しておきましょう」
「ありがとうございます」
名前が出たアリッサだが、会談の内容を聞いて、自分が寝ずに耐えられるわけがない、とさっさと逃げ出していた。今頃は、城内の食堂あたりで食事でもしているだろう。
「あたしたちは、バラバラに生活するよ。レニちゃんたちと一緒に行くのもいれば、ローヌに残るのもいる。この国で生活する許可さえもらえれば、どうとでもするさ」
「そうですか……」
ザンガー自身はレニと共に行くか、プーセと共に王都に残るか迷っているという。魔人族封印という種族総出の仕事が無くなった今、まとまって行動する意義がない、とザンガーはぼやくように言った。
「わかりました。それも許可しましょう」
「ありがたいねぇ……」
拍子抜けするほど、淡々と進んで行く話し合い。
イメラリアの後ろで、護衛として立っていたサブナクは、このまま穏やかに解散となってくれれば、どれほど楽かと考えていた。
だが、そうはならない予定になっている。
「ところで、オーソングランデの女王陛下に、お願いしたいことがあるんだけど」
その言葉は、ウェパルからの合図だった。
イメラリアとウェパルが交わした親書の中で、最高機密として扱われたものの中に、ウェパルから驚愕の提案があり、イメラリアは内々で了承をしていたのだ。
「人間との戦いで、片腕を取られて怒ってるのがいるのよね……その相手、あの一二三なのよ。悪いけど、彼にちょっと相手させてもらえるかしら?」
この願い。ここまでは既にイメラリアは許可している。“好きにすれば良い”と。
サブナクは、ウェパルにこれを許可することで、一二三の力を削ぐか、うまくいけば行動不能になった一二三を封印する、と女王が考えていると思っていた。
だが、イメラリアの狙いはそこには無い。
この時、オリガは顔を伏せていたが、斜め横にいたサブナクが注意深く彼女を見ていれば、笑っていることに気付いただろう。
「女王様。ウチたちは退席します。これ以上は、ウチたちが関わらない方が良いでしょ? ザンガーさんも」
「そうだねぇ。年寄りにはちょいと刺激が強すぎる話になりそうだしね」
一礼して、護衛たちを連れて早々に部屋を出ていくレニとザンガーを、イメラリアは止めなかった。聞かせる必要が無かったからだ。
「ウェパルさん。その復讐者はここに着ているのですか?」
「いいえ。でも、場所さえ決めて貰ったら、すぐに呼び出せるわよ」
「まあ! 魔法でしょうか? 魔人族というのはすばらしい技術を持っているのですね」
ウェパルの言葉に、イメラリアは大げさに驚いて見せた。
悪い気がしないウェパルは、得意げに胸を張って見せたが、次は彼女が驚く番だった。
「では、さっそく城の前で始められればよろしいですわ。広場には多少の兵がいますが、広く空いておりますし、丁度一二三様もおられますわ!」
「王城前の広場で勝負とは、素晴らしい発案です、陛下!」
同調するように、オリガも大きな声を出した。
「……えぇ? ほ、本気で言ってるの?」
ウェパルにとっては、渡りに船の提案だった。一二三に恨みを持っているバシムが、たとえ多少の部下を引き連れて行ったとしても、簡単に返り討ちにされてしまうのは目に見えている。
「で、でも、民衆の前で一二三を攻撃したら、私達の立場が悪くなるでしょう? 名分ができたあなた達と、また戦いになるわよ?」
「大丈夫ですわ」
興奮しているウェパルに歩み寄り、イメラリアはそっと手を重ねた。
「一部の部下が暴走し、一二三様がそれを押える。もし一二三様が負けたとしても、やる事は同じです。貴女は部下の暴走を止め、素直に部下の失態を詫び、わたくしが許す。それを民衆の前で披露すれば、魔人族に対する恐怖も薄れ、今後の国交にもつながると思いませんか?」
そっと、囁くように提案された内容に、ウェパルはわずかに拒否感を感じていた。女王としてやって来た自分が、他国に詫びる形を取る。
ウェパルの逡巡を読み取ったかのように、イメラリアが口を開いた。
「あら、わたくしとしたことが……ウェパルさんが謝るのはよろしくありませんね。では、こういう形は如何でしょうか?」
きゅ、とウェパルの指を握り、イメラリアは提案を修正する。
「わたくしたちも兵を出しますわ。見せかけでひと当てして、その間に一二三様を存分に狙われれば良いですわ。人が増える分、民衆からも状況はわかりにくくなるでしょう。そして、適当なところでわたくしたち二人が両軍に呼びかけて止めれば良いのです。不幸なぶつかり合いもあったが、互いのトップは理解しあっている。戦う必要は無い、と堂々宣言してしまいましょう」
同じ立場になった。原因も“不幸なぶつかり合い”としてうやむやにして、双方の意思で戦いは終わったとする。
「わ、わかった。でも、それで良いの?」
「何人か、運の悪い兵士がいるかも知れませんわね。でも……」
イメラリアが握る指に力が入る。
ウェパルは少し痛いと思っていたが、それはイメラリアの覚悟を示す痛みだと思っていた。
「これは大切なことなのです。やらなければならないことでしょう?」
「そう、なのね? わかった……その、よろしくね」
手を離し、改めて握手をする。
「詳しいお話をしましょう。今すぐに」
プーセを呼んでくるように命じられた時、サブナクは顔を真っ青にしていた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。