173.Curtain Falls
173話目です。
よろしくおねがいします。
「ほいっ」
国境の町ローヌ。街道に向かって築かれた防壁の上で、気の抜けるような声が聞こえる。
塀の内側、きっと歴史上トップレベルで平穏な前線に立ち、フィリニオンが見上げている先には、重りとして小石を括り付けた木筒を、アリッサが外に向けて放り投げたところだった。
防壁に開けられた穴。ドワーフたちの説明によると、射撃のためらしい、その隙間から覗くと、街道から脇に逸れた茂みの中に落ちるのが見えた。
それも、ようやく視認できるくらいの距離だ。先代に劣らず、アリッサがトオノ伯爵領の武断的性格を代表する人物なのは間違いないようだ。
「魔人族への手紙が入ってるから、見てね!」
大声でアリッサが呼びかけると、書簡が落ちたあたりの茂みが揺れた。単に回収しただけか、返事のつもりで揺らしたのかは不明だが、周囲で息をひそめ、投槍器にかじりついている兵士たちから、フィリニオンにまで緊張が伝わってくる。
以前は上司であり、愛すべきマスコットだったアリッサは、今では領主様である。男性兵士たちの間では、新たに覚悟を決めて一生を捧げる儀式を自己流で行うなど、暴走気味な空気が蔓延し始めていた。が、基本的にやる事はやる連中である。
「よし、作戦終了!」
防壁から飛び降りてきたアリッサの声が聞こえると、全員の方から一気に力が抜けていく。当然、当番として警戒に当たる兵士はいるが、監視任務に両手を緊張させておく必要は無い。
むしろ、リラックスしてじっくりと様子を伺い、何かあればバネが飛ぶように動け、と言われていた。
「通常通りに警戒を続けてね。あとはお願い」
「承知いたしました!」
近くにいた小隊長格の兵士に短い言葉で指示をだし、アリッサがフィリニオンの元へとやってくる。
「終わったよ。あとは返事待ちだね」
「ありがとうございます。では、先方からの返答があるまではこの町で待機します」
何もない町だからつまらないけどね、とアリッサが笑っているが、見る者が見れば宝の山だ、とフィリニオンは思っていた。
防壁の築き方から監視体制の構築、そして難民たちの受け入れと管理方法。魔人族とのやりとりが無ければ、すぐにでも王都や実家に向けて、勉強のために人を寄越すように手紙を送っているところだ。
「いえ、むしろ戦いが近いからこその状況なのよね。今からでも進言すべきかしら」
「なにを?」
「あ、いえ、こちらの話ですわ、伯爵」
あれこれとフィリニオンが考えているうちに、王都から新たな手紙が届いた。
「……これはどういうことかしら?」
「わ、わたしにはなんとも言えません……」
どんな顔をして良いかわからず、眉をひそめた何とも言えない表情のフィリニオンに、侍女のクリノラは首をぶんぶんと横に振った。主から聞かされた手紙の内容に、侍女ごときが言うべきことなど無いのだ。
「女王陛下、ご懐妊……相手は書かれてないけれど、まさか……まさか、ね」
王国貴族として御祝を送るべきなのだが、夫であるヴァイヤーとの兼ね合いもある。急ぎ実家へ連絡を入れて、夫へ祝の品を送り、夫と父の名前で王城へ届けなければならない。
「やれやれ、騎士だったころの方が、よっぽど楽だった気がするわ」
☺☻☺
イメラリア懐妊の発表は、大々的に行われた。
サブナクら事情を知るもの以外、宰相など重臣たちは目玉が飛び出るほど驚き、ギリギリまで秘匿すべきではないかとの意見が出たが、それはイメラリアが押えた。
「恥ずべきことではありません。父親が誰かは敢えて言いませんが、お腹の子が男女どちらにせよ、正式な後継者であることは間違いありません。わたくしは、この子を日陰者にするつもりはありませんよ」
「しかし、貴族たちからの影響が懸念されますが……」
「今、表立って王族に意見するような気骨のある貴族がどれほどいるでしょうか? それに、わたくしの夫を選ぶとなれば、それはそれで争いとなるでしょう」
ヴィシーが壊滅し、他国からの婿をとるとなるとホーラントくらいしか無い。それ以前に、イメラリアの子が自動的に後継者となる以上、他国からの血を入れるのはあまり良くない、というのは全員の一致するところだった。ホーラントから血統的に侵略される形になる、と取られてもおかしくない。
かと言って、貴族たちから婿を取るとなると、人選が非常に難しい。王家の外戚となるということは、それだけ発言力を得るということになる。今現在、王族がイメラリア一人しか残っていないという特殊な状況もあり、王配を出した家柄となれば、その影響力は計り知れない。
もし、イメラリアが国内の貴族から夫を選ぶ、と正式に公表でもしようものなら、血が流れるだろう。下手をすると、貴族同志の内戦に発展しかねない。
「子を成すにあたって、わたくしの相手が誰かわからない、というのは都合が良いのです。身分はあれど許されぬ間柄なので公表されない。あるいは、貴族間の争いや血縁者の専横を避けるために伏せられた……始末された、としても良いかも知れませんね」
かつてない程に強権的に進められたイメラリアの懐妊発表劇。王城内で文官、武官を問わず、侍女をはじめ下働きの者たちにも衝撃を与え、それが冷めやらぬ前に民衆へと発表された。
王城前の広場を始め、王都各所にある騎士や兵士たちの詰所前に掲示され、民衆の間には、困惑を含みながらも一気に祝賀ムードが広がる。
今回は、広場での掲示は入口のみであり、身重の陛下に心の安寧を提供するため、と称して、しばらくの間は王城前の広場は立ち入り制限が設けられることになった。
「これは、魔人族を受け入れるための下準備でもあります」
一二三への対応を話し合う会議にて、イメラリアはここまでの指示における狙いを説明した。
サブナクやヴァイヤー、宰相アドルなど、出席している面々を見回す。全員が神妙な顔で頷いていた。若干一名、オリガのみが射殺すような目で睨みつけていたが。
「……とにかく、子の父親についての詮索は禁止いたします。意味が無いでしょうから、噂話については、先ほど言いました内容を意図的に広めて、あとは放置することにします」
特に反論が出なかったため、イメラリアは話を進めることにした。
「ヴァイヤーさん。騎士隊の訓練状況は如何ですか?」
「はい。トオノ伯からある程度仕上がったとの言葉を頂いております。連携の問題はありますが、さほど時間をかける必要もないかと」
「アドルさん。魔人族を受け入れる準備について、何かありますか?」
「宿舎につきましては、王城に近い高級宿をいつでも押えられるように準備をしております。人数にもよりますが、二十名以下であれば、充分受け入れ可能です。それ以上であれば、護衛の兵士には別に宿舎を用意しましょう」
ですが、とアドルは続けた。
「魔人族の食事や習慣についての情報が全くありませんので、どうしたものかと……」
「一二三様にお尋ねすれば解決するでしょう。しばらく魔人族の集落で過ごされたそうですから、色々と受け入れの相談ができると思いますわ」
「と、トオノ伯に、ですか?」
この集まりは、一二三を封印することを目標とした会合である。イメラリアが“一二三に頼れ”と言い出したことに、アドルは戸惑った。
「他に方法はありません。あの方ならしっかりと礼を尽くしてお願いすれば、快く教えてくださいますわ。そうでしょう、オリガさん?」
「……ええ、一二三様はお優しい方ですから」
オリガに声をかけたことで一同に緊張が走ったが、オリガは静かに同意したのみだった。
サブナクが思わずため息をついたのを見逃さなかったイメラリアは、そろそろ彼にもっと教育を施すべきかと考えた。素直が喜ばれるのは精々部隊長クラスまでだ。
「今、フィリニオンさんにお願いして、トオノ伯爵領のアリッサさんと協力して魔人族との会談準備を進めていただいています。そして、わたくしからはこの城内での会談を指定しました」
「城内で、というのは危険ではありませんか?」
ヴァイヤーの質問に、イメラリアは逆だと答えた。
「狭い室内であれば、防衛側であるこちら側の方が有利になるでしょう? それに、急ぎ仕掛けを作っておきたいと考えています」
「仕掛けですか」
「そうです。罠を仕掛けます。サブナクさん、城内の工事ですから、貴方に責任者として工事の進捗管理と作業員の監視を任せます。仕掛けの内容については、後程書類をお渡ししますから、施設関係の職員たちと打ち合わせをしてください。ただ、工事は表向きわたくしの懐妊を祝って新たな謁見の間を作るという事にして、罠の設置に関しては、最低限の者にしか知らせないように」
「はっ」
素早く立ち上がり、頭を下げたサブナクに対し、イメラリアは鷹揚に頷く。
「最後に。一つ考えていることがありますので、聞いていただきましょう。一二三様の封印についてです」
一度言葉を切ったイメラリアは、再び周囲の者たちを見た。
緊張した面持ちで向けられた視線を浴び、再び口を開く。
「魔人族の動き如何によっては、その時に一二三様の封印を行います」
詳しくは魔人族との会談が決まり次第としながら、イメラリアは状況を確認しながら機会をうかがう事を明言した。
「オリガさん」
「はい、陛下」
「よろしいですね?」
「陛下がお約束を守っていただけるのであれば、私はあの御方と共に運命を歩むことを厭うつもりはありません。人は自らの努力と覚悟を重ねてこそ、最上の喜びを得られるのです。陛下もそうであられたように」
「……良いでしょう。貴女を信用することにします」
会合の翌日から、重臣たちが忙しく動き始めたのを城内の者たちは敏感に感じとっていたが、その理由は陛下の身辺を改めて良い形にするため、と適当すぎる誤魔化しで押し通された。
その事が様々な噂を後押しすることになったのだが、御蔭で、本当に秘匿すべき情報が流れる余地は無くなることとなった。
☺☻☺
イメラリア懐妊の方を聞いた時、一二三の反応は淡白だった。
「そうか。オリガ、適当に祝でも買って届けてくれ」
数枚の金貨を手渡しながら告げた一二三に対し、オリガは「畏まりました」と言って受け取る。それだけだった。
オリガから特に言うことも無く、この話題について夫婦の間では二度と話題に上ることは無かった。それよりも、一二三にとって興味を引くことがあったからだ。
「結局、ウェパルたちはここへ来るのか」
「はい。向こうからの返答で、女王陛下からの提案に沿って動くということに決まりましたので……フィリニオンさんを含めて、アリッサとフォカロルの兵士、それに、獣人族やエルフの代表たちも同行するそうです」
それは面白い、とオリガが読み上げた手紙の内容を聞いて、一二三は笑った。
「レニやザンガーが来るのか。いや、ザンガーは結構な婆だったから、別の奴かもな。荒野の因縁を人間の国の王都で晴らすか? いや、火種はローヌかフォカロルで集まるのか。もしそこで争いになったらつまらんな」
「そこは、カイムたちがうまくやるでしょう。彼としては、折角作りあげた町の中で暴れられると迷惑でしょうから」
「あいつなら、その程度の被害なら、眉ひとつ動かさずに対応するだろうよ。余計な予算がかかることで、片眉くらいはぴくりと動くかもな。パリュあたりは忙殺されてキレるかもしれんが」
一二三の座るソファ。その隣に座るオリガは、手紙を閉じた。
「それと、宰相閣下から魔人族の受け入れについて質問があるとの伝言を預かっています。この分だと、獣人族についても聞かれるかも知れませんね」
エルフについては、すでに城内にプーセがいるから問題ないだろう。おそらくは、彼女がエルフたちの世話役になると見られている。
「イメラリアとウェパルが話す内容如何によっては、ちょっと面白いことになるだろうな。当日は出迎えの手伝いでもしてやるか。ああ、魔人族の対応は、ベッドも食い物も人間と同じで良い」
「では、そのように伝えましょう。……どうかしましたか?」
リビングに控えめなノックの音が響き、オリガの声に対してドアの向こうから侍女が答えた。
「旦那様にお客様がお見えですが……」
「歯切れが悪いですね。誰なのですか?」
「獣人族の奴だな」
侍女より先に、一二三が口を開いた。
「野生動物に似た懐かしい気配だ。通してやれ」
「畏まりました」
「一二三さん、お久しぶりです」
最初にリビングへと入ってきたのは、羊獣人のレニだった。ふにゃ、とした相変わらず気の抜けるような笑顔で、白い癖っ毛を揺らして歩いてくる。
その後ろから、ヘレンとゲングが入ってきた。
「久しぶり」
「ご無沙汰しておりやす」
全員が座り、紅茶とお菓子が配られたところで、一二三はレニに話しかけた。
「で、ずいぶんと早い来訪だが、何かあったのか?」
「まだ何も起きてません」
ぷぅぷぅと熱い紅茶を吹いて、湯気をまき散らしながらレニは答えた。
「でも、何か起きるんでしょう? 魔人族と一緒に行動したら、それに巻き込まれちゃうから」
だから早く来た、とレニは答えた。
「何かが起きると思うなら、来ないという選択肢もあるだろう?」
「知らないってことほど怖いことは無いと思います。それは、一二三さんに教わったことです。町での生活を知ったから、沢山仲間ができました。新しい世界が開けました。もし、森の中で怯えながら生活していた、あの頃のままだったら、今頃魔人族やエルフの事も知らずに、魔人族に殺されるか、人間に捕まっていたでしょう」
「だが、お前は敢えて俺のところに来た。それは危険だとは思わなかったのか?」
レニは、笑みを崩さない。
「一二三さんの近くが一番情報が集まるし、危険がどう発生するかを知れば、どう逃れるかもわかるはずです。……危険は、きっと一二三さんの近くで発生します」
だからレニは一二三の元へやってきた。
危険の匂いをしっかり感じ取り、仲間を守るための方法を考える。その責任を果たすために。
「良く言った。中々頑張ってるじゃないか」
一二三の褒め言葉に、レニは照れたように笑い、オリガは奥歯を軋ませた。
「こいつらの部屋を用意してやれ」
侍女が一礼して退室するのを見送り、一二三はレニとヘレン、そしてゲングの顔を見た。
「まあ、ゆっくり町でも見物して回るといい。食い物や道具に触れろ。金がいるな。小遣いもやろう。どうせお祭りはしばらく先だ。町をしっかり見て、勉強しろ。逃げ道や隠れる場所を探しておけ」
魔人族が来たときから、誰の手にも止められない騒動が始まる、と一二三は考えていた。死神がウェパルに与えた能力の正体は正確なところは不明だが、遠方から人員を送り込めるものだろう、と確信していた。
であれば、混乱と戦いの舞台は王城になる。
その時、そこには魔人族に対して騎士と兵士、エルフがいる。レニの勘が良すぎるせいで、獣人族はさっさと逃げるだろうと思われるのが残念だが。
「特等席が取れるかもな。ヘレン、ゲング、良かったなぁ。お前らの指導者に決断力と度胸があって」
丁度良い、と一二三は思っていた。
そろそろ、穏やかな日々に飽きはじめていたから。
お読みいただきましてありがとうございます。
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