167.Change The World
167話目です。
よろしくお願いします。
「そういうことであれば、受け入れてあげるわ」
「ありがとうございます」
マルファスは一人、他の獣人たちから身を隠すように森を進み、旧ソードランテへやってきた。
両手を拘束されてはいるが、どうにかウェパルまで取り次いでもらう事に成功し、魔人族の軍へと入る事も了承を得た。
乗っ取った人間の城。そこは少し前、ソードランテの王と獣人族を救うために乗り込んだ熊獣人サルグが戦い、乱入した一二三にまとめて殺された場所だが、ウェパルもマルファスもそんな事は知る由も無い。
謁見の間をそのまま使い、玉座に座るウェパルは、マルファスを見下ろしていた。
「ただ、人間の町に行った時に見たこと、知ったことをあますことなく教えてもらうわよ? それに一二三という男についても、情報を貰うわね」
「わかりました」
ウェパルが出した条件に、マルファスは少しも考えるそぶりを見せなかった。
何も考えていないようにもみえるけれど、とウェパルは安易な方向に考えが傾いたが、この時期に転向者が現れたことを、受け入れたとはいえ不用意に信用できない。
「ところで、その獣人族とエルフ……人間もいたのかしらね。彼らはどうしたの?」
この質問には、マルファスも返答をためらった。
「……魔人族には勝てないからと、人間の、一二三を頼ると言っていました」
「私は人間の町を攻略するつもりでいるのだけれど、元の仲間と戦うことになるかもしれないわよ?」
「か、構いません。戦いに出てくるなら……それに、妹は戦場には来ません……多分……」
視線を逸らし、床を見て手かせのついた両手を握りしめたマルファスを見て、ウェパルは彼を素直な子供だと評価した。一二三に対する対抗心もそういう面から来ているのだろう。その分、単純ではあるようだが。
「なら、さっそくだけど実力と気構えを見せてもらうのに、一度戦場にでてもらおうかしら」
顔を上げたマルファスの表情は、しっかりと口を閉じて、ウェパルの言葉を待っていた。
「人間の国で、ヴィシーというところを調査したのよ。そこを本格的に押えるつもりだから、その攻略軍に入ってもらうわ。そこで貴方が私の役に立つということを示しなさい」
「わかりました。では、いつ出発ですか?」
「明日よ。攻撃開始も明日」
「えっ?」
意味が解らず、自分を見つめているマルファスの前で、ウェパルはゆっくりと立ち上がり、大きく両手を上げた。
「我が命に答え、遥かなる彼の地への道を示せ」
小さな黒点が現れたかと思うと、あっという間に直径三メートルはあろうかという巨大な板となり、黒々としてのっぺりとした表面が、ウェパルに向かって広がっていた。
「これは闇魔法の一つ。転移門よ。これでこの拠点から、一気に人間の国まで兵士を送り込むことができるの。だから、明日出発していきなり攻め込むことができるのよ」
腕を組み、自慢げに見下ろすウェパルに、マルファスは真顔で聞いた。
「これがあれば、最初の攻撃の時も……いえ、一二三の町へも直接乗り込んでいけるのでは……」
「うっ……。まあ、色々条件があるのよ。今はヴィシーにしか行けないの」
誤魔化すような口調になってしまったが、ウェパルが言った事は事実だった。死神から闇魔法の伝授を受け、一二三も使えない転移門作成ができるようになった。だが、適正や魔力量の関係上、ウェパルがあらかじめ設定した目印がある場所か、ウェパルが行ったことがある場所へしか移転できなかった。
しかも、今開いている大きさが限界だったりする。身体のサイズにもよるが、一~三人程度が限界の大きさなので、うっかり一二三の目の前に出ようものなら、転移した先で順番に殺されて終わりだろう。
なので、人間の国の近くで準備をするため、まずはヴィシーを攻略することになったのだ。そこまでは、一平卒扱いのマルファスには話すことは無いが。
漆黒の口を開いている転移門に感心しているマルファスの様子に満足していると、その闇から一人の少女が顔を出した。魔人族の軍に所属する、フェレスだ。
「あ。やっぱりウェパル様でしたか。兵舎に急に門ができたんで、みんなびっくりしてますよ」
「あ、そう? ごめんごめん。そうだ。ついでに彼を兵舎に案内してくれない? 手かせは外して良いから」
「は~い。じゃあ、こっちおいで」
するり、と門から出てきたフェレスに連れられ、マルファスもおっかなびっくり門を抜けて行った。
数秒待って、変化がない事を確認してから、ウェパルは門を閉じた。
「ふぅ……」
見栄を張って大きな門を開いたが、維持はさておき開くための魔力で八割方を持って行かれる。軽い眩暈を伴う疲労感に、ウェパルは玉座へと身体を預けた。
「どうやら、使いこなしているようですね」
「死神……それは、皮肉かしら? 疲れ果てて椅子にもたれてかかっているのに」
「なにをおっしゃいますか。ここまで使えるようになっただけでも、大したものです」
燕尾服の痩せた男。死神はニヤニヤと張り付いた笑いを浮かべて、玉座の横に立つ。
「一二三だって使いこなしているのでしょう?」
「彼には彼の才能が有ります。事実、転移は使えませんし」
なぜ一二三が転移を使えないか、それは死神にもわからないらしい。“闇”というものに対するイメージや、本人の素養によって属性もその表現が変わる、と死神は説明したのだが、ウェパルは今一つ納得していなかった。
「それで、何をしに来たの?」
「お別れを申し上げに参りました」
「……そう。次はどこへ行って何をするつもり?」
ウェパルとしては、同じような魔法が使える者が増えるのは好ましくないと考えているが、死神という存在を縛り付ける術を持っていない。
「どこにも、というより、どこにでも行きます。どうやら、世の中が私の理想に近づきつつあるようですので。魔人族と、人間たちの連合が争いを始めるのです。多くの命が奪われるでしょうね」
舌なめずりをして、不気味に笑う死神に、ウェパルは目をあわせようとしない。
「悪趣味ね」
「そう言わないでいただきたい。これも私の仕事ですから」
「礼は言っておくわ。日蔭者だった魔人族が、もうすぐこの世界の主役へと変わる。それは多くの先祖たちの悲願だった……」
だが、それはウェパルの願いではない。
戦いは始めるが、戦いが続く世界を求めてはいない。
「魔人族が世の中を統べることができれば、逆に世界は平和になるのよ。そうすれば、貴方の好む世界ではなくなるけど?」
「なるほど……その時は、また何か考えるとしましょう。それでは、お元気で」
死神の姿が消えて、謁見の間には静寂が広がる。
石造りの壁に、重苦しい影がべったりと張り付いたような空間は、ウェパルの心境を表しているかのように、暗い。
「やってやるわよ。汚名をかぶってでも、戦争狂いどもの好きにさせるものですか」
魔力が少しずつ回復してきた身体に、気合をいれて立ち上がる。
明日から始まる本格的な侵攻。そこから、新たな魔人族の歴史が始まるのだ。
☺☻☺
「稽古を受けるのではなく、こうして見ているというのもまた違った角度から見られて素敵ですね……」
鼻息を荒くして、オリガはオーソングランデ騎士に稽古をつけている一二三を凝視している。
雨が降りそうなどんよりとした天気のため、最初の場所は野外では無く室内となった。本来ダンスホールとして利用される場所で、以前にバールゼフォンら騎士の一部が反乱を起こした際に、一二三によって彼らが血祭りにあげられた場所である。
今は綺麗に清掃されているが、夜な夜な腕や足を無くした幽霊を見たという噂がある。
そんなホールの床には絨毯が敷き詰められており、畳ほどではないが、それなりにはクッションとして役に立っている。
それでも固い床のうえ、午前中いっぱい受け身の練習をさせられた騎士たちは、身体中に痣を作りながらも、午後の稽古にも真剣に取り組んでいた。いつも装備している鎧は外し、厚めのシンプルな服を着て、懸命に汗を流している。
「力をいれすぎだ。お前は腕力だけでこいつを持ち上げられるか? 脱力して力の流れを感じろ。お前の力をコントロールできるのは当然だ。相手の力を思い通りに動かす技術を身に付けろ」
一二三は、指導をするときに怒鳴ることはほとんど無い。淡々と説明をして、場合によっては理詰めで動きを表現し、そのうえで体験させて証明する。
人差し指を掴ませて、指一本で投げ飛ばしたり、肩を撫でただけで転倒させるなど、傍から見たら眉唾ものだが、騎士全員がまず体験しているので、彼らの目は懸命に一二三の動きから何かを学び取るために必死だ。
そんな一二三を見ているオリガがどこにいるかというと、ダンスホールに入る入口のドアに張り付いていた。
何度か侍女や文官が通りかかったが、誰も声をかけようとはせず、オリガも彼らの存在を完全に無視して自分の世界にどっぷりと浸かっていた。
身体を開き、腕を振る一二三の胸元が大きく開いたり、受け身の手本を見せている時に袴がめくれて膝がちらりと見えた時などは、妙な声が出ていた。
運悪くそのタイミングで通りかかった侍女は、なるべく距離を取って早足で通り過ぎた。
「ここにおられましたか」
そんなオリガに声をかけたのは、オーソングランデ女王イメラリアだ。
「あら。女王陛下。どうされましたか?」
「今日は一二三様と共にオリガさんも城へと入られたと聞いて、お話をしたいと思って探していたのです。こちらにいる、と侍女の一人が教えてくれたので、折角なので騎士たちの様子を確認しようと思って来たのですが……何をしているのですか? いえ、それよりも、話をしているのですから、こっちを向いてください」
イメラリアが話している間も、オリガはドアの隙間に貼りついたまま動こうとしなかった。女王直々の注意にも、動くつもりは無いらしい。
「お話でしたら、このままでも可能です。一二三様のお姿を見ているのですから、邪魔をしないでください」
「……わかりました。では、そのまま聞いてください」
言い争いをしても意味が無い、とイメラリアは判断した。余計疲れるだけだろう、と。
「明日の夜、一二三様への“対応”についての話し合いを行います。明日もお稽古がありますから、今日と同じように一二三様とお城に来て、明日はそのまま泊まられると良いでしょう」
「……お覚悟が決まられたのですね」
「ええ、英雄を失う覚悟はできました。ですが、わたくしの命を差し出すつもりはありません。わたくしは卑怯者ですので、二重三重の守りを固めさせていただくつもりです」
オリガの背中に向かって、イメラリアは直立したまま話す。
ここへ来る途中、同行していたサブナクに指示を出し、しばらくは誰も通さないようにしているので、誰かに聞かれる心配は無い。
「具体的なことは、明日改めてご説明いたします。それと、もう一つですが……明日一晩、一二三様をお借りします」
イメラリアの言葉に、オリガは初めて振り返った。
その目は敵意を含む鋭いもので、イメラリアを竦ませるには充分だった。だが、ここ引き下がってはいけない、と話を続ける。
「一二三様自身の許可はまだですが……わたくしには彼の子供が必要だと考えています。今の魔人族対策は、ホーラントとの協力とフォカロルの戦力、プーセさんからの魔法技術の享受で充分でしょう。ですが、将来は? 人間との戦いに魔人族が慣れてきたとき、さらにそれに対応することができるでしょうか?」
「そんなものは将来の人間が考えることでしょう。なによりも、そのような政治的判断で夫の種を提供することに、私が頷くとでも思いましたか?」
「これは、一二三様が望む世界を作る為でもあり……ひっ!?」
気付けば、喉元にオリガの握る鉄扇が突き付けられている。
「続きを。私が納得できる話でなければ、いかな大罪になろうとも、ここで陛下には死んでもらいます」
怖い、とイメラリアは素直に震えていたが、それ以上に怒りが沸々と湧き上がる。
「無礼者! 誰に向かって武器を振るっているのです!」
「わかっていますとも。しっかりと」
それでも、オリガは鉄扇を引こうとはしない。
「いいえ。貴女は何もわかっていません! わたくしが、国の将来のためだけで、男性と一夜を共にする選択をするとでも思っているのですか!」
乾いた音が、廊下に響いた。
左頬を打たれたオリガは、黙ってイメラリアを見ている。
「望む居場所を手に入れた貴女にはわからないでしょうね。わたくしのように、家族を殺した相手を憎み切れずに、重責を負う場所であがき続けなければならない者の気持ちなど」
オリガは、答えない。
泣き出したイメラリアを、ただ見ていた。
「こんな理由を付けてでも、たとえ封印して二度と会えなくなる相手でも、その人がいた証が欲しい。その人との繋がりを実感したい。それすら望むなと言うのですか。何様ですか貴女は! わたくしは……」
そこには、一国の女王などいなかった。最低の行為だと知りながら、好きな相手と結ばれたいと泣いている一人の女性がいた。
「わたくしの負けは認めます! あの方の傍にいるのは最期までオリガさんでしょう。ですが、それでも欲しいものがあるのです」
泣き声がホールへと聞こえないよう、少しだけ開けていたドアを後ろ手に閉じたオリガは、鉄扇を腰の後ろへと納めた。
「……一二三様に聞いてください。私は、何も聞かなかったことにします」
「オリガさん……」
「独り占めするには、あの方の存在が大きすぎるのは重々承知しています。ですが、私にも正妻としての維持があります。一つだけ、約束をしてください」
オリガは、そっと跪く。
「子を成したとき、その父親について誰にも言わないでいただきたく存じます。誰に問われても、決して教えぬようにお願いいたします」
「そっ……!」
深呼吸をして、願いに答える。
「わかりました。もとより、誰にも言えることではありません」
明日、また会いましょう、と別れの挨拶をしたのはイメラリアの方だった。まだ、身体の芯に残っている恐怖と緊張が、膝を震わせる。
廊下の向こうへと消えていくイメラリアを見送り、衣装の乱れを直したオリガは、再び一二三観察へと戻った。
「夫が人気者だと大変ですね……それにしても」
薄く開かれた扉の隙間から除く目が、笑みで歪んだことに、誰一人気付くものはいない。
「一二三様が目指す“新しい世界”は、とてもとても素敵なものになりそうです。永遠に二人きり、封印されているのも素敵ですけれど、もし、誰かが封印を解くことがあれば……ああ、まだ見ぬ未来。戦いと死に彩られた世界。一二三様、もうすぐです。もうすぐ、私と二人で……」
午後の稽古が終わり、騎士の一人が扉を開けた時、そこにオリガの姿は無かった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。