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呼び出された殺戮者  作者: 井戸正善/ido
世に戦の種は尽きまじ
160/184

160.A Hard Day’s Night

160話目です。

よろしくお願いします。

 ヴィシーの混乱は続いているが、隣の国で戦争をしているとは思えない程、不思議とフォカロルを初めとしたトオノ伯爵領は落ち着いていた。国境の町、ローヌを除いて。

 住民の全てが死亡したローヌには、国境を管理するオーソングランデの兵と、領地管理のために駐在しているフォカロルの兵とその家族、一部の商人くらいしか住んでいない。

 そのため、ヴィシーでの騒動から逃げてきた難民を引き受けるのに、空き家だらけで国境に近く、管理もしやすいこの町が選ばれた。

 国庫にまだ不安があるとして、オーソングランデ宰相であるアドルの発案および要請で、難民の世話は当地を領有している一二三に一任されることとなった。正直に言って、度重なる戦闘によってオーソングランデの経理状況は火の車と言って差し支えない。どれだけ増えるかわからない難民を養う余力は無かった。

 そこで、体よく押し付けてしまおうという話になったのだが、これを一二三というよりトオノ伯爵領の実務を取り仕切るカイムがあっさり引き受けることを決めた。

「この際ですから、難民ではなく領民として取り込んでしまえば良いのです。人材不足も解消できますし、居場所を作ってやれば、多少キツめの仕事でも文句は言わないでしょう。安く奴隷が手に入ったと思えば、経費的にも問題はありません」

 カイムの案は、その場で一二三の許可が下りた。


 というわけで、今のローヌには人がどんどん増えている。

 オーソングランデの国境警備兵の検閲を受け、さらにフォカロル領兵のチェックを受ける必要があるが、余程怪しいか態度が悪いとかでもない限り、ローヌへの立ち入りは許可された。

 何日も野宿をしながら、魔人族や強化兵に怯えて逃げてきた人々にとって、ちゃんとした建物を与えられ、仕事まで斡旋されるという扱いは、むしろ今までの町や村での暮らしよりも良い部分さえあった。

 家々は空き家になってからそれほど経っておらず、手入れは自分でしなければならないにしても、さほど苦になるような破損は少ない。

 きちんと申告を行い、氏名や年齢、来歴などを登録することで、一時的な食糧や生活物資の支援を受けることもできた。来歴は、怪しいところがないかを確認するためでもあったが、仕事を割り振る参考にするためでもある。

 噂がどこからか流れているのだろうか、戦況が良くないという話も手伝って、ローヌへと流入する難民の数は、日増しに増えていく。

 それらの人々は、自分たちの国を誰が削り取ったかなどすっかり忘れてしまったようで、口々に細剣の騎士である領主一二三を称賛しており、王都などオーソングランデ内を回っていた劇団が、大人気の演目である『細剣の騎士』をローヌ内で格安にて連日上演したため、その熱気は留まるところを知らない。

「……劇団まで呼んだのは、さすがにやりすぎじゃねぇかと思うんだけどよ」

「文句ならフォカロルにいる無表情野郎に言いなさいよ」

 ローヌに設置された、臨時の役場。その一室でドゥエルガルとミュカレが書類から目を離すことなく、声を上げることもなく、チクチクと言い合いを続けていた。

 これはフォカロルにおける文官の部屋では日常茶飯事なことで、ブロクラや、時にはパリュですらも、仕事は続けながらブツブツと何かを呟いていることがある。特に仕事量がピークになっている時に良く見られる光景で、今も彼ら二人と共に室内で仕事をしているパリュも、特に気にも留めなかった。

 ちなみに、カイムはむっつりと黙って仕事をしているタイプで、かつ他人の仕事ぶりを気にすることも無いので、言い合いや独り言に参加することも注意することも無い。

「大体、なんで私がこんな国境まで派遣されなくちゃならないのよ。別に隊長各の連中に任せればいいでしょ」

「それを言ったら俺だってそうだ。職人やら見習いやらを拾い上げるにしても、各商業ギルドから誰か寄越せば終わりだろうに」

 実際は、戦闘関連の訓練しか受けていない兵士たちでは、いくら隊長格でもオーソングランデ国軍との折衝は難しく、また何の決定権も持っていない。商業関連にしても、ギルド同士の調整はドゥエルガルが行っており、人員の取り合いは日常茶飯事であるため、強権を以てそれを行える人員は必要になる。

 二人とも、それは分かったうえでの愚痴なのだが、今回は同室のパリュがそれを看過できなかった。

「……ドゥエルガルさんもミュカレさんも、ここの処理を私一人でやれと言うんですか……?」

「うっ……」

 愚痴っていた二人がパリュへと視線を向けると、その表情は疲れ切っていて、目だけがギラギラと光っている。

 彼女は戸籍に関する責任者であり、領地の人員が増えるとなれば必然的に彼女に仕事が回ってくる。国境を越えてきた人々すべての調査を行い、諸々の状況を確認して適切な対応をすること、それら全てが彼女の部署に係ってくる。実際、随行させた職員は彼女の部下が一番多いが、それでも一番忙しい。

 愚痴を言う余裕すら無くなって、書類の束や数十分毎に持ち込まれる問題に辟易していたところで、年長者二人が仕事を放棄するような話をし始めて、完全に怒ったらしい。

「いや、これはちょっとした息抜きのジョークって奴でな。お互い忙しいし、これくらいの心の余裕は欲しいだろ?」

「べ、別に本気で仕事を放るつもりはないのよ? むさい男ばっかり相手にしないといけないから、ちょっと愚痴ってみただけよ」

 あわてて弁解する二人の前に、パリュは自分の机にある山積みの書類からごっそりと二人の前に一抱えの束を移した。

「ドゥエルガルさん。心の余裕があるのであれば、これをお願いします。入国後の書類作成済みの住人の分で、職歴まで記載しているうちの商工業に関わっていた人たちの分です。私が業種ごとに仕分けをするつもりでしたが……余裕があるのであれば、問題ありませんね」

「……はい」

「ミュカレさん。これは過去に軍属であったと申告された方の書類で、過去の賞罰も含めて二次チェックが必要と思って分けておいた分です。ここには女性も沢山含まれていますから、軍務担当として確認をお願いいたします」

「……わかりました」

 国境に書類を取りに行く、と言ってパリュが部屋を後にした直後、ドゥエルガルとミュカレは思い切り空気を吐いて、緊張していた肩を落とした。

「十以上年下の女の子にビビったのは、これが初めてだぜ」

「……二十じゃなくて?」

「俺はカイムより年下だぞ」

 目を見開いて、声も出せずに驚いているミュカレに、ドゥエルガルは一言悪態をついて、倍以上に増えた書類と戦い始めた。


☺☻☺


 書類を前にして悪戦苦闘しているのは、ローヌ出張中の文官だけでは無い。

「ぐぬぬ……」

「アリッサ様。唸っていても、教本は進みません」

 カイムに注意され、アリッサはペンを挟んだ唇を突き出した。

「なんでこんなことしなくちゃいけないの」

「貴族として、領主として独り立ちするために必要な勉強です。アリッサ様は次代の伯爵家当主として、今も増え続ける領民たちのために我々を率いていただかなくてはなりません」

 すらすらと説明される内容は、アリッサもすでに納得している内容ではあった。

 一二三から養女として迎える旨の話をされたとき、あまりにも突然すぎて拒否をしていたアリッサだったが、ホーラントへ向かったころに感じていた感情が、男性に対する愛情というよりは、頼りになる年長者に感じるそれだっということに薄々自覚をし始めていたこともあり、最終的には受け入れることにしたのだ。

 アリッサが伯爵家を継ぐという話が決まると、カイムはすぐさま用意していた自作の教本を積み上げ、ブロクラも可能な限りの貴族らしいアイテムを用意し、今は貴族の女性に必要な礼儀作法を教える家庭教師を探している。

 領民にはアリッサが跡継ぎになるということを正式には公表されていないが、領地運営に関わる者と、そこから聞きつけた兵士たちには一日と経たずに話が広まっていた。

 領主館の職員たちにとっては、アリッサをよく知らない者も多いので、戸惑う声が大きい。ただ、まだ若い一二三が隠居するとは考えにくいので、いつもの気まぐれな施策の一つではないか、という受け止められ方をしている。

 兵士たちは狂喜していた。

 これまでは領主の手前もあって、あれでも多少はアリッサに対する熱狂度合いは多少抑え目であったのを、これからは跡継ぎとしてこれまでの上官への態度ではなく、命を代えてもお守りすべき主になるのだ、と興奮していた。

 そういった周囲の反応はさておき、本人は単に一二三の家族になれるのが嬉しくて承認したようなものなのだが、先代である一二三があまりに貴族らしい生活からかけ離れていたため、貴族になるということに対してまったく考えが及んでいなかった。

 養女になることを承認した翌日、一二三をお父さんと呼ぶべきかどうか、さらにはオリガをお母さんと呼ぶと怒られるのではないか、と本人的には重要な事柄に頭を悩ませながら執務室へ向かっているところを、カイムに捕まって勉強させられている。

 そして、もう一人同じ部屋で教本を前に頭を抱えている女性がいる。片耳兎獣人のヴィーネだ。

 連れて帰ったその日に、職員たちに“秘書”という新しい肩書付きで紹介された彼女もまた、一二三の仕事を支えるための知識と現在のトオノ伯爵領の状況を把握するため、文官や職員たちが用意した資料を片っ端から頭に叩き込んでいる最中だ。

「頭が爆発しそう……」

 資料には人口動向から産業構造の変遷、軍の編成についてなど、一二三がフォカロルを任されてからの内容がみっちりと図解入りで記入されている。

 獣人族であるヴィーネに対して、職員たちは忌避感は無かったようで、珍しいというのと、一二三が連れてきた人物だということで、興味深々という反応だった。特に女性職員にとっては、うまい具合に一二三のプライベートな話が聞けるのではないかという、少し下世話な興味も含まれている。

 そのせいか、ヴィーネへ領地の資料を各部署から提出するようにという指示が出たとき、必要以上に張り切って細かな書類が作成され、最初の数時間は説明という名目でひっきりなしに職員が入れ替わり立ち代わりにヴィーネを訪ねてきていた。

 それでは集中できないので、カイムが監督をしているアリッサの勉強部屋へと移動になったのだ。

 いくら興味をそそられると言っても、無表情でまっすぐに目を見つめて「用件は?」と聞いてくるカイムの前で、雑談交じりの会話をするほど豪胆な職員はいなかった。

 お蔭で、ヴィーネは監視付きで緊張感漂う部屋の中、アリッサの唸り声をBGMにして勉強をすることになっている。

「わからない部分があれば、遠慮なく聞いてください」

「は、はい」

 と、返事はしたものの、第一印象からカイムのことを“怖い”と思ってしまったヴィーネは、ちらちらとカイムに視線を送りながらも、質問どころか声をかけることすらためらっていた。

 もじもじと書類を握りしめているところに、ノックをして文官のブロクラが入ってきた。

「失礼します。アリッサ様、家庭教師が手配できましたので、明後日から教養のお時間をいただきます」

「……外でみんなと訓練したい」

「駄目です」

 ブロクラではなく、カイムがぴしゃりと一言、平坦な声で言う。

「こんなに長く座りっぱなしで勉強してたら、お尻痛くなっちゃうよ!」

「しばらくはご辛抱ください。教養課程でダンスなどもありますから、体を動かす機会はあります」

 そういう問題じゃない、と涙目で抗議するアリッサに、カイムは淡々と教養と勉学が領主としての立ち居振る舞いに如何に重要な要素かをくどくどと説明する。

 ヴィーネがはたで聞いていても疲れるような、淡々とした説得に、アリッサは五分弱で根を上げて、わかったから、と教本の書き取りに戻った。

 ホーラントでのアリッサの活躍を目の前で見たヴィーネは、あれほどの強者がぐうの音も出なくなるほど言葉でやり込められるのか、と感じて、さらにカイムが苦手になった。

 救いを求める視線を、たまたまブロクラが見つけたために、ヴィーネの質問は彼女が受けることで解決を見たのだが、そうでなければ延々とカイムに怯える兎獣人は、秘書課程を終えることなく部屋に閉じ込められたままだったかもしれない。

 ただ、そのままカイムとブロクラがヴィーネへの教育について延々と意見をぶつけ合わせるという展開が繰り広げられたため、ヴィーネが感じるプレッシャーはいや増すばかりだった。

「職員室か、ここは」

 アリッサとヴィーネの様子を見に来た一二三は、その議論を聞いて一言呟くと、部屋には入らずに退散していった。

お読みいただきましてありがとうございます。

次回もよろしくお願いします。

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