154.Desert Rose
154話目です。
よろしくお願いします。
混乱する城を出たとき、一二三たちは誰にも見とがめられることは無かった。というより、誰にも見られなかった。
悪臭で気を失った両勢力のホーラント兵が、オーソングランデ兵が運び出す。死者は出ていないが、魘されている者が多数いる。
オーソングランデ突入組も城外で転がっているところを回収され、気絶したフォカロル兵も二階から運び出されていく。
そういったゴタゴタをよそに、三階から飛び降りた一二三たちは、悠々と城下町へと歩き出した。
町の人々も避難先から戻ってきており、使用人もぞろぞろと城へ向かっている。
早くも商店を再開し、呼び込みを始めているたくましい商人たちもいた。
「適当に食い物でも買っていくか」
「はい。そういたしましょう」
「ご主人様!」
オリガを連れてあるく一二三に、ヴィーネが駆け寄ってくる。
ゆらゆらと兎耳と胸をゆらして走るヴィーネは、整った容姿と珍しい獣人族ということもあって、街中の視線を一身に集めていた。
「フォカロルの兵隊さんに、アリッサ様への伝言をしてきました!」
「おう。ご苦労」
たった一言。短いねぎらいの言葉だったが、ヴィーネにとってはこの小さなコミュニケーションでも嬉しかった。自分が求めたものがここにあるのだ。
「主人の厚意により、貴女にはフォカロルで秘書官としての地位を与えることになりました。頑張ってくださいね」
オリガが伝えた言葉に、ヴィーネは困り顔だ。
「あの……“秘書”ってなんですか?」
「そこからなのね……」
ヴィーネが与えられた秘書官という地位は、一二三がつい今しがた作ったポストだったりする。それなりの肩書のように聞こえるが、ようするに一二三の手伝いを専属で行うポジションであり、オリガやカイムがやっていた雑用を任されるに過ぎない。
だが、ヴィーネにとっては一二三の近くで働けることが重要で、仕事の内容など二の次だ。
「ありがとうございます、ご主人様! 頑張ります!」
「まあ、適当にやればいい」
フォカロルの兵のための宿営から適当に馬を引っ張ってくるか、と一二三が考えていると、また一人の少女が近づいてくる。
「一二三様。お探ししておりました」
使用人服をきた少女は、優雅に一礼すると、まっすぐに一二三の目を見る。
「誰だ、お前?」
「お城勤めをさせていただいております、レヴィと申します。タンニーン様のお世話を担当させていただく使用人の一人です」
「そうか。それで? ……鬱陶しいほど殺気をまき散らして寄ってきた理由を、納得できる理由を聞かせてもらえるんだろうな」
対峙する一二三の周囲、空気が重く、冷たくなる。
その状況に慣れているオリガは平然と、いや、鉄扇を握り、一二三と同じような空気を纏っている。
ヴィーネは距離を取り、一二三たちの邪魔にならないようにしていた。
「な、なんの話でしょうか。私はただ、タンニーン様より一二三様へ伝言をお願いされて参っただけで……」
「ふぅん……ここのメイドは伝言をしにくるのに、エプロンの内側に短剣を仕込むのか」
一二三の疑問が終わる前に、レヴィはエプロンの胸元からナイフを取り出した。
「やあっ!」
掛け声とともに突き出された切っ先は、細い腕にしては速いと言えたが、それでも一二三を傷つけるには遠く及ばない。
レヴィの小さな右手ごと包み込むように掴んだ一二三は、切っ先を外へ逸らしながら、左手で首元を押さえた。
そのまま、突き出された手の勢いを利用して、無造作に右手を引く。
「ぎゃああああ!」
かわいらしい容姿に似つかわしくない叫び声をあげて七転八倒するレヴィを、一二三は冷ややかに見降ろした。
「な、何をされたのですか?」
恐る恐る近づいてきたヴィーネは、青ざめた表情をしていた。
「ちょっと肩を外しただけだ」
「周囲には怪しい者はおりません。単独のようです、一二三様」
オリガの報告に、「だろうな」と答える。組織立ってやるにしては、刺客がお粗末すぎるからだ。
「うるさい」
苦しみ悶えるレヴィの首を掴む。
「一つだけ答えろ。俺を殺そうとしたのは、何のためだ?」
一二三の質問に、レヴィは涙を浮かべながら視線を合わせようとしない。
「じゃあ、さっき名前が出たタンニーンとやらに聞くか」
「そっ……」
何かを言いかけたレヴィだったが、言葉を紡ぐ前に首を掴む手に力が入った。
「オリガ、ヴィーネ。悪いがタンニーンって奴が誰か、どこにいるかを調べてくれ。俺はそこの飯屋にいる」
「了解しました」
「あ、ネルガルとかイメラリアあたりには聞くなよ。面倒になるのが目に見えているからな」
☺☻☺
翌日には回復していたイメラリアは、ネルガルが用意した高級宿で目を覚まし、ベッドの上で身体を起こした。
「陛下! お身体は大丈夫ですか?」
随伴の侍女がイメラリアに駆け寄り、不安げに声をかけた。
「ええ、大丈夫です。……湯を浴びたいのですが」
「すぐにご用意いたします。それと、サブナク様へご連絡をさせていただいてもよろしいでしょうか。大変心配しておられましたので……」
「はい。彼にも心配をかけてしまいましたね。今はまだお昼でしょうか」
「あと一時間ほどでお昼になります、陛下」
薄い部屋着を脱ぎ捨て、湯あみのためのローブに着替えながら、イメラリアはまた失態を見せた、と気持ちが重かった。
「では、サブナクさんとヴァイヤーさん、それとプーセさんとアリッサさんを呼んでください。お昼を共にしたいと思います」
「かしこまりました」
「まだ体調が万全でいらっしゃらないとは思いますが……」
「ご心配は不要ですわ。それよりも、この書類には目を通させていただきましたが……よろしいのですか?」
昼餐のあと、ネルガルからの招待状を受け取ったイメラリアは、合わせて届けられた書面を確認し、その内容に驚いて慌てて城を訪れていた。
「まさか、自ら不利な条約を提案されるとは思ってもおりませんでしたわ」
頭がくらくらしそうです、とおどけて見せたイメラリアに、ネルガルは笑って見せた。
「それだけのご協力をいただいたということです。それに、こちらに利益が無いわけではありませんから」
ネルガルが作成した草案には、両国の被害についてお互いに補償などを請求しないとする内容と、ホーラントから格安で魔道具を融通することを確約する内容になっていた。しかも、その期限や数量の上限はイメラリアが即位している間続くとされている。
「すべては、貴国との繋がりを保つためと、余計な疑いを避けるためです。それに、私たちが開発している魔道具は、まあ、こう言ってはあれですが、一二三さんのおかげでかなり進展しますので、今回ご協力いただいたお礼も兼ねてということで」
ちゃっかりしているでしょう、とネルガルがウインクする。
その様子に、国内で戦闘行為があったことで心労を抱えているのではないかと心配していたイメラリアは安心した。
「では、ありがたくこの内容で条約を結ばせていただきますわね」
「ありがとうございます。すぐに契約書を作らせましょう」
文官を呼び、草案を清書するようにと命じたネルガルは、すっかり王として落ち着き始めていた。
「正直、大変ではありましたし、多くの命が奪われてしまったことは残念ですが……私が戴冠するのにこれ以上の印象付けはありません。戴冠と同時に国内の騒乱を平定するという功績を貰えましたし……」
王に対して兵士を差し向けたとして、クゼムは死後ではあるが罪を問われることになる。家族を含めて反逆者とその一族は厳しく処罰される予定だとネルガルは説明した。
また、クゼムに従った者たちは、一部住民に対する罪を犯した者以外は、無罪放免となって元の部署へ戻された。
「一番迷惑を蒙ったのは、城で働く使用人たちですね。油はなかなか落ちないし、臭いもまだ取れていませんよ。しばらくは一階は階段以外は閉鎖することにしました」
「しっかり労ってさしあげることですわ。お給金のことも大切ですけれど、きちんと見て評価することが大切だと思いますから」
「肝に銘じておきます。これからも、色々とご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「ええ。精進してくださいましね」
大げさな身振りで頼み込むネルガルに、貴族の娘のように偉ぶったポーズをとるイメラリア。
しばらくして、お互いに耐え切れずに笑いあった。
和やかな雰囲気を湛えた室内に、一人の侍女が駆け込んだ。
「陛下!」
「騒がしいね。何かあったか?」
息を切らした侍女が、胸元に抱きしめていたメモをネルガルへと手渡す。
「……そうか。わかった。君は兵士の誰かに声をかけて、責任者をここへ呼ぶように伝えてくれ」
再び早足で出ていく侍女を見送り、イメラリアがネルガルに尋ねる。
「何かありましたか?」
「ヴィシーで内乱……いえ、ピュルサンは独立していましたね。ヴィシーとピュルサンの間で、戦いが始まったようです」
ネルガルの言葉に、イメラリアは首をかしげた。
「規模がまるで違うではありませんか。地方都市一つが独立した程度の小国が、都市連合国家に勝てるとは思えませんが……ピュルサンの首長は何を考えているのでしょうか?」
「わかりません。ただ、ひとつわかることがあります。ピュルサンは何か強力な武器を手に入れたようです」
報告には、ピュルサンが圧倒的な戦力でヴィシーを侵食している、と記されていた。
☺☻☺
「これでしばらくは持つだろう。とりあえずは親父の領地に隠れておくか……」
旅支度を済ませたタンニーンが、荷を積んだ馬車に馬をつなぐ。
「お前がタンニーンか」
「誰だ?」
声をかけたのは、レヴィの身体を肩に担いだ一二三だった。
「君か……それに、レヴィ、なのか?」
「こいつな?」
「うわっ!?」
一二三からレヴィの身体を投げつけられ、タンニーンは小さな身体を抱えたまま共に倒れた。
そんな扱いをされてもピクリとも動かないレヴィに、タンニーンの顔がどんどん青くなる。
「お前の名前を出して、俺に短剣を向けたんだけどな。どういうことだ?」
冷やかに見下ろしながら、一二三はいつの間にか取り出した鉄の杖を、地面に打ち付ける。
「し、知らない! 俺は何も命じてない!」
「ふぅん?」
棒の先をタンニーンの喉へ押し付けた。
「命じてはいない、か。こいつは“俺がいなくなればお前が城に帰れる”と言ってたんだ。命じてなくても、匂わせたように聞こえたんだがな……」
「それは違う! こいつが勝手にやったことだろう!」
必死で否定するタンニーンの上から、レヴィの身体を引きはがし、仰向けに転がした。
「この女は気を失っているだけだが……お前が言う事が本当なら、俺を襲った責任はこいつ自身に取らせないとな」
重い音が響く。
一二三が持つ杖が、レヴィの腹を打ったのだ。
「は、はは……し、し、真実がわかったなら、もう良いだろう! 帰ってくれ!」
「何がおかしい? こいつはお前の女だったんだろう?」
「ふん、女なんていくらでもいる」
腰が抜けたのか、タンニーンは立とうともしない。
「そいつもたくさんいるうちの一人だ。何を勘違いしたのか、俺の邸宅まで押しかけてきて、使用人も殺しやがった。頭がおかしいんだよ」
へへ、とタンニーンは狂ったように笑う。
「ちょっと可愛い顔してたし、俺の言う事を素直に信じたから声をかけただけだったんだが、とんだハズレ女だったぜ。俺の代わりに殺してくれて、逆にありがたいくらいだ!」
恐怖心をごまかすための虚勢だろうか、タンニーンの言葉は女性を口説くときよりも滑らかだ。
「……お前、さっきの戦いで将軍だったらしいが、人が死んでるかどうかも見分けられないのか?」
心底がっかりだ、と一二三は首を振る。
「お前はどう思うよ、レヴィ」
「……うぇ?」
タンニーンが、仰向けに倒れているレヴィに目を向けると、彼女の目はしっかりと開いていた。頭をこちらに向けたまま、目だけをギョロリと向けて。
「タンニーン様……どうして……」
「俺はこいつを“殺した”なんて一言も言ってないぞ?」
にやっと笑う一二三。
気絶していたレヴィは、一二三に腹を突かれて覚醒した。
そして、タンニーンの本心を聞いた。
「そ、そんな……」
「タンニーン様」
ゆっくり立ち上がったレヴィが、そっとエプロンの胸元を押える。そこには確かにナイフの感触。
そっと取り出したナイフを持ち、未だに座り込んだままのタンニーンへと近付く。
「こ、これは、違うんだ! 君の気持を疑ったことはないんだが、これは、その、状況が言わせた言葉で、あ、あ、愛しているのは本当のことなんだ!」
「ありがとうございます」
レヴィはにっこりと笑う。
「タンニーン様の軍は敗北しました。お城の周りにはオーソングランデの兵ばかりで、ホーラントの兵は奴隷のように働かされていました。もうタンニーン様の居場所はありません……」
これは多分に勘違いを含んでいるが、一二三は訂正しない。
「一二三様に一太刀でも、と思いましたが、失敗してしまいました。ですから、ここで私と最期を……」
ゆら、とナイフを握るレヴィの腕が振り上げられる。
「や、やめてくれ!」
膝が震え、後ずさりも満足にできない状態のタンニーンは、陽の光を反射する刃先から視線を逸らせずにいた。
「私もすぐに後を追います。お覚悟を」
「一二三殿! 助けてくれ! なんでもするから!」
懇願を無視して、一二三は杖を闇魔法収納へ放り込む。
「たす……」
涙を流す左目に、ナイフが突き刺さる。
根元までしっかりと潜り込んだ細身の刃は、命を奪うには充分な長さがあったようだ。
ずるり、と倒れ伏したタンニーンは、一二三から見てもちゃんと死んでいた。
「……では」
目玉ごと引き抜かれたナイフを握るレヴィは、振り返り様に一二三に猛然と駆け寄った。
「あああああああ!」
気が狂ったように喚きながら繰り出された目玉付きナイフは、一二三に届くことは無かった。
一二三の腰から放たれた抜き打ちの一撃が、ずっと速い。
「惜しい。もう少し殺気を隠せていれば、もうちょっと近くまで来れたかもな」
両断された細い腰。
下半身はその場に倒れた。
上半身は、まだ生きている。
「タンニーン……さ……ま……」
ずるずると腕だけで、腸を引きずりながらタンニーンの死体へと向かう。
「一緒……に……」
レヴィの手が、タンニーンの頬をひと撫でする。
満足した微笑みを浮かべて、レヴィの命は尽きた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。