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呼び出された殺戮者  作者: 井戸正善/ido
第十四章 成熟は何を以て成すのか
147/184

147.Breathe Easy

147話目です。

よろしくお願いします。

「おっ。どっかで見た虎の子か」

 マルファスは無言で一二三へ向かって駆け出していた。

 のんきに待ち構えている一二三の視界には、怒り心頭の形相で、獣人族の身体能力をいかんなく発揮するマルファスの向こうに、慌てて追いかけてくるゲングの姿が見えた。

「お前はぁあああ!」

 まだ距離もあるというのに、マルファスは両手の爪をするどくむき出しにして飛び掛かる。

 体格差もあるが、何よりも愚かしいまでにまっすぐ突き出された攻撃など、一二三にとっては目を閉じても躱せる。

 首をかるく傾けて避けた一二三は、前蹴りで柔らかい腹を蹴り飛ばした。

「ぎゃん!」

 腹を押さえて転がるマルファスを見ながら、ゲングは息を切らせて一二三の前に立ち、頭を下げた。

「ご無沙汰しておりやす。この虎獣人の坊主は、一二三さんに鍛えてもらいたいと言ってついてきたんでやすが……」

「おう、そうか」

 攻撃されたことなど忘れた様子で、一二三は軽く頷く。

 土にまみれ、悶絶しているマルファスの前に立った一二三は、懐手をしたまま見下ろした。

「おう、虎っこ」

 一二三の問いかけに、マルファスは睨みつけるのが精いっぱいのようだ。

「お前弱すぎ。前と全然変わってないどころか、弱くなってないか? 次に会ったときには殺すと言ったが、これじゃあな。殺す気にもならん」

「一二三様」

 音も立てずに一二三の後ろに近づいていたオリガが、低い声で話しかけた。その手には鉄扇があり、血がにじむ程に強く握りしめられている。

「お話はお済でしょうか。よろしければこの無礼者は私の手で始末したいのですが」

 その冷たい視線はマルファスを捉えている。

 獣人である自分に気付かれずに近づかれたことにも驚いていたが、それ以上に、先ほどまで笑顔を向けていた美女が、自分を殺す許可を求めていることの方が衝撃だった。

「な、なんで……」

 痛みと悲しみの入り混じる涙があふれる。

 そこへ割り込むようにして、ゲングがマルファスを庇う格好で跪く。

「お、奥様! どうかご容赦いただけやせんか!? こいつも何かの勘違いってやつかと……」

「めんどくせ」

 一言つぶやき、一二三はその場で簡単に説明することにした。

 荒野で虎獣人の集落を叩き潰した際に見逃した子供が二人いて、その一人がマルファスであること。

 次に会ったときに強くなっておくように言いつけておいたこと。

 名前を教えていなかったこと。

「……では、一二三様が言いつけられた事を守れず、弱いままだったという事ですね。やはりどこまでも救いがたい餓鬼です。知らなかったといえ、このような連中を一二三様の前に連れてきたことは私の落ち度です。この犬も含めて、責任を持って処分いたします。兎もエルフも同罪ですね」

 振りあげられた右手を、一二三の手が掴む。

「待たんか。……あのな。なんで俺がお前を止めなきゃならんのだ。俺がアリッサや間抜け女王のために我慢しているというのに、お前は……」

 ギリギリと手首を締め付ける痛みを感じながら、オリガは「はっ」と息を飲んだ。

 一二三が誰よりも人を殺したいと常に考えているのを、誰よりも自分が知っているはずではないか、と。思えばイメラリアの弟であるアイぺロスを殺害した時も怒られたのだと気づいたオリガは、万力の如き力で締め上げられている痛みも、自分を叱りつける一二三の優しさのように思えてきた。

「し、失礼いたしました。も、もっと強く握りしめていただき、私に罰を、もっと……」

「阿呆」

「あっ」

 ぺっ、と手首を放してオリガを放り捨て、一二三はしゃがみこんでマルファスに顔を近づける。

「で、どうするよ。諦めるなら今殺す。だが、そうだな……ゲング」

「へい!」

「レニたちはどうしている?」

 唐突な質問に、一瞬だけ呆けていたゲングだが、唾をのみこみ、話し始めた。

「人間も町にたくさん住むようになりやして、スラムはどんどん大きくなっておりやす。人間の町とのいざこざもありやすが、レニさんやヘレンさんが、それはもう頑張って町を守っておいでで……」

 たくさんの獣人や人間。はてはエルフまでもが共に暮らすようになり、このままいけば人間だけの町と勢力が逆転するのでは、とゲングは懸命に説明した。

「しかもですね、獣人族でも魔法が使えるのがわかりやして、ほら、あそこにいる兎獣人のヴィーネさんなんてね、一二三さんの役に立ちたい一心で魔法も習得して、ここまで会いに来られたわけでして!」

「ふぅん。……それじゃ、こうしよう」

 マルファスの頭をつかみ、一二三は無理やり視線を合わせた。

「お前、荒野に帰れ。そんで人間の町を潰すなり手に入れるなりして、一端の強さを示して見せろ。それができたら、また相手してやるよ」

「に、人間の町を……」

 驚愕するマルファスに、一二三は「できないか?」と問う。

「あー、残念だなー。獣人族がまとまってかかって来たら、俺でも勝てないだろうと思ったんだけどなー。つぅか、虎は虎らしく集団戦闘を磨けよ」

 妙な口調でふざけながら、一二三は興味を無くしたように離れていく。

 ちなみに、これは一二三の勘違いで、虎は本来集団ではなく単独で狩りをする。

「とにかく、今は観戦中だから、邪魔するなよ」

 手を振る一二三を見送りながら、ゲングに支えられて立ち上がるマルファス。その眼には涙が光ってはいたが、目つきは完全に獣のそれになっている。

「マルファス、と言いましたね」

 オリガが声をかけると、ゲングもマルファスもびくり、と肩を震わせた。

「今度こそ、一二三様をがっかりさせないように頑張りなさい」

 オリガがそっと差し出した紙を、ゲングがマルファスに代わって受け取る。

「案内と護衛として数名の兵士をつけますから、今からフォカロルに戻り、そこから荒野へ帰ると良いでしょう。荒野へ行く前に、フォカロルでしばらく鍛えなさい。その紙をフォカロルの職員に見せなさい。良くしてくれるはずです」

「ありがてぇお話ですが、どうして……」

「わかりませんか?」

 微笑みが、怖い。

「一二三様の願いが成就することが、今の私の人生の目標なのです。そのためであれば、何だってやりますし、誰だって殺します」

 右手首を愛おしそうに撫でながら、オリガは空を仰ぐ。

「戦いなさい。戦える者全てを巻き込んで戦いなさい。そしてその全てを以て一二三様を殺しなさい」

 ただし、とオリガは再び睨みつけた。

「先ほどのような温い攻撃しかできないなら、その命も周りの命も、簡単に消えることを肝に銘じておきなさいね」


☺☻☺


「あんな魔法があるとはね……」

 楽に勝つために魔法兵を一気に動かしたのは間違いだったか、とタンニーンは歯噛みしていたが、表情には見せない。

「もう魔法兵は下げていい。適当に槍を打ち込んで牽制しながら歩兵を前面に出した隊列に変更する」

 指示を受けた兵士が大声で伝達し始めるのを聞きながら、タンニーンは現状を見直す。

 数の上での有利はまだ覆っていないはずだ、と確信はしていた。こちらの攻撃がほとんど届いていないのは痛いが、逆に自軍の損耗も少ない。

「このまま歩兵で無理やり押し返す、か。スマートさには欠けるけれど、確実なのは……」

 問題はオーソングランデ側にネルガルがいるのか。いるとしてどこにいるのかを判断するのに、歩兵をぶつけてしまっては乱戦になる可能性が高い。そうなればたった一人を捜索するのは困難になる。

 だが、それは杞憂で終わった。

 探し人が向こうから出てきてくれたのだ。

「タンニーン様! ネルガル様……を名乗る者があらわれました!」

「……へえ」

 兵士が息せき切って駆け付け、叫んだ言葉に、タンニーンは目を丸くして、数瞬おいてにやりと笑った。

「全員に伝えろ。それは偽物だ、と。そして王位継承者を名乗る不届き者は、我らの手によって始末しなければならない、とな」


 ネルガルが前線へと出張ってきたとき、その姿は豪奢なローブを着た上位者然として堂々としており、見事な体躯を持つ馬は、宝石をちりばめられた輝く鞍を背負い、どこか誇らしげであった。

(こういうことは、戴冠してからだと思っていたんですけどね)

 苦笑しつつも歩みを進めると、オーソングランデの兵たちが道を譲り、障壁の前まで人垣で通りができた。

 ホーラントの魔法攻撃が収まり、まばらな槍が飛んでくる中で隊列の移動が始まっているのが見える。

「我がホーラントの兵士諸君!」

 慣れていない大声で、ネルガルがややかすれた声を張り上げる。

 一応はホーラント側前線にも聞こえたようで、いくつかの視線がこちらへ向いているのがわかった。

「私は、次期王ネルガルである! オーソングランデ国王、イメラリア殿の厚意によってここまでやってきた。私は首都アドラメルクへ戻り、偉大なるスプランゲル陛下を弔わねばならぬ! 何者が軍を指揮しているかは知らぬが、道を開けよ!」

 堂々とした宣言に、ホーラント兵たちはざわめいているが、それもすぐに収まり、首を傾げながらも隊列変更を続けていた。

「どうやら、あちらは陛下を偽物だと判断したようですね」

 さりげなくネルガルの後ろについて来ていたヴァイヤーがつぶやくと、「残念だけれど」とネルガルは首を振る。

「それと、私はまだ戴冠前ですから“陛下”ではありませんよ。……予定通り、お願いいたします」

「ネルガル様……お辛いでしょうが……」

「ヴァイヤー殿」

 振り向いたネルガルは、晴れ晴れとした顔をしている。

「本来であれば、もっと前から私がやらなければならないことだったのです。これだけの助力を受けておきながら、貴国へ恨み言を言うような真似は致しません。それに、ある意味では良かった、と思っているのです」

「よ、良かった、ですか?」

「そう。良い事ですよ。何もなければ私は勉強を終えて城へ戻り、戴冠していたでしょう。……ただ指名されたというだけで、何らの功績も無いままに」

 ヴァイヤーには返す言葉もなかった。

 彼は一応は血縁者ではあるが、前王とはかなり遠縁であるという。当然、不満も多かろうことはヴァイヤーにも簡単に想像できた。国内ではなくフォカロルへの留学を決めた前王スプランゲルも、そのあたりを危惧しての措置だったのかもしれない。

「良い機会です。ここで私は王としての指揮を見せて城へと凱旋し、国民に私の顔と声を知らしめる事といたしましょう。もう少し、貴国にはお手伝いいただきますが、その分、イメラリア陛下のように堂々と戦場を渡って見せますよ」

「それは……」

 イメラリアは単に怯えを隠して、一二三への対抗心によって立っている部分が大きいのだが、それも知っての上で言っているのかもしれない、とヴァイヤーは感じた。

「頼もしいお言葉です。では、予定通りに。ご武運を」

「ありがとう」

 会話が終わり、表情を引き締めたネルガルが正面を向く。

「ホーラントの精鋭たちよ! まだ私の声が聞こえないか!」

 大喝するような声の中、ヴァイヤーはそっとネルガルの後ろから離れた。


☺☻☺


「イメラリア陛下。ホーラントに動きはありません。ネルガル様の声に多少は動揺が見えますが、それ以上は……」

「そうですか……では、予定通りに進めてください」

「かしこまりました」

 馬上で頭を下げたヴァイヤーは、ネルガルが馬上の人となってからも変わらず台車の上にいるイメラリア女王の、後ろに視線を滑らせた。

 そこには、再会した一二三に抱きつかんばかりに近寄り、紅潮させた顔でどれだけ会いたかったかを語り続ける兎獣人と、それを聞き流しながら台車の床に座って紅茶を飲み、王家御用達の菓子類を貪る一二三がいた。

さらにその隣では、オリガが王国の婚姻や貴族の愛妾の扱いや決まりについて、サブナクに向かって根ほり葉ほり聞いているらしい。サブナクは貴族の習慣についての知識は乏しく、町のいざこざレベル以外の法についても詳しくないので、答えに詰まっては睨みつけられ、情けない顔をして汗をかいている。

「あの、あれは……」

「気にしてはいけません。今はネルガル様とホーラントのために、急いでやることがありましょう?」

「ははっ!」

 苛立たしさを前面に出したイメラリアの言葉に、ヴァイヤーは慌てて馬を後方へと走らせていく。

「まったく……サブナクさん!」

「は、はいっ!」

 サブナクは笑顔で立ち上がった。イメラリアからの助け舟だと思ったのだ。

「近衛騎士隊長としてなんですか、その体たらくは! 宮中を守る者としての自覚が足りないとは思いませんか?」

 援軍かと思ったら挟み撃ちだった状況に、サブナクは混乱している。

「え、いや、しかし……」

「あまり良い事ではありませんが、貴族社会では男女の問題は付き物です。時には、貴族どうしのもめ事に割って入り、解決する必要もあるのですよ?」

 イメラリアの視線の先、平身低頭のサブナクの向こうでは、頷くオリガが見える。美しい兎獣人を侍らせ、自分が楽しみにしていたお菓子をパクパクと口に放り込む一二三の姿も。その姿に対して無性に腹が立ったイメラリアは、ふん、と鼻を鳴らした。

「お妾さんが一人や二人増えたくらいで、立場に不安を覚える人もいるようですから、ちゃんと勉強しておいてくださいね」

「……文句があられるのでしたら、真正面でお聞きますよ、陛下」

「あら、オリガさんの事とは言っていません。……それとも、ご不安なのですか?」

 うふふ、とわざとらしく一二三に視線を向けてから、悠々と座りなおしたイメラリアに、オリガは鉄扇をへし折らんばかりに両手で握りしめている。

「ぐぎぎ……」

「お、オリガさん、落ち着いて」

 なだめようとするサブナクを無視して、オリガは一二三の傍らへと座りこみ、そっとその肩に手を置いた。

 一二三は特に反応せず、ゆっくりと紅茶を口に含む。

「奥様、大丈夫ですか……?」

 不安げに声をかけるヴィーネを危うく睨みつけそうになり、オリガは指で眉間をほぐした。

「だ、大丈夫ですよ。せ、正妻としてこの程度のことでは負けませんから……」


 にぎやかで呑気な雰囲気の台車の周りでは、ヴァイヤーの連絡を受けた兵たちが、前線へと進みゆく。

 彼らは、道中でネルガルの説得を受けて合流したホーラント兵であり、今はネルガル直属として編成された舞台である。

 その数、二千名。

 長い行列は、最高指揮官であるネルガルを目指して、整然と進む。本当の王を玉座へと送る。最高の栄誉を実現する機会を得た兵士たちは、心身ともに漲っていた。

お読みいただきましてありがとうございます。

次回もよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 久しぶりにオリガさんの焦る場面を見れて満足です(笑)
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