144.Psychosocial
144話目です。
よろしくお願いします。
往々にして、人の行動が他人の想像や願望の通りになることは少ない。成るべきは成らず成らざるべきが成るのは、所詮は誰かの願望が外れたに過ぎない。
多くの物事と同様、イメラリアの指示(あるいは願い)も空しく無駄に終わった。
「何やら騒がしくなりましたね。何かあったのですか、サブナクさん」
「うっ、オリガさん……」
後から到着予定の援軍本隊の受け入れ準備で忙しいヴァイヤーに代わり、サブナクがヴィーネたちの案内役を務めていた。
予備に用意していた来客用の天幕へと先導する途中、ミュンスターで購入した荷物を抱えたオリガとばったり出会ってしまった。
オリガのことを知らないヴィーネたちは、目の前に現れた美少女が誰かわからずに、サブナクに説明を求めるように視線を向ける。だが、サブナクはそれに応えられるような状況にない。
「え、えっと……」
「何か作戦が決まったのでしょうか? それと、そちらの方は……まあ、獣人族に、エルフですか。初めて見ましたけれど、どうしたのですか?」
もしオリガと獣人族たちが接触した場合の説明について、サブナクは少しも考えていなかった。後でゆっくり考えてから、イメラリアとすりあわせをしようとしか決めていない。
青ざめて汗だくになっているサブナクを放って、ヴィーネたちは頭を下げた。
「はじめまして。兎獣人のヴィーネです。荒野の向こう、ソードランテのスラムから来ました」
「まあ、ご丁寧に。私はフォカロル領主トオノ伯爵一二三の妻、オリガです」
「あっ、貴女はご主人様の奥様なのですね! わたし、ご主人様のところへ行きたくて、ここまで来たんです!」
「えっ?」
「えっ?」
見つめあうオリガとヴィーネを見て、サブナクは平騎士の頃だったら、とっくに逃げ出していただろうな、遠い空を見上げた。
右足が、一歩だけ逃げていたことに、本人も気づいていなかった。
「なるほど、荒野で夫に購入されたのですか」
「ええ、それからすぐに解放していただき、しかも学を与えてもらったうえ、安全に生きる環境まで……何か恩返しをしたくて、ご主人様にお会いしようと思ったのです」
ゲストのための天幕の中で、オリガが手ずからいれた紅茶とカイム特性の焼き菓子をお茶うけに、和やかな雰囲気で会話は始まった。
獣人族男性陣は一二三の妻というオリガの美しさに感心し、プーセとヴィーネがこれまでのことを話す。サブナクはイメラリアへ報告に行くべきかとも考えたが、先にこの会談の結果を確認してのこととした。話の流れ次第では、身体を張って獣人たちを守らねばならないかもしれない。
(これも一つの戦場、なのかな? 色恋沙汰に他人が割って入るのも変な話だけれど。ああ、シビュラが居たら相談できるのに。早く帰りたい)
泣きたい気分で紅茶を一口飲む。ミュンスターでよい茶葉を見つけたとオリガが言った通り、爽やかな甘みがある。
「そ、それで、私はヴィーネさんを一二三さんに会わせるのに同行して来たのです。私自身、お話したいこともありましたし」
「できれば、ご主人様の側でお仕えしたいと思っています。頑張って魔法も使えるようになりましたし、万一の時はこの身を盾にしてでもお守りします」
「そうですか」
紅茶の味を確かめるようにゆっくりとカップを傾けたオリガは、ヴィーネが必死に頼み込む姿を見てにっこりとほほ笑んだ。
「主人の、一二三様のお手伝いをしていただけるというのであれば、歓迎します。ですが、一つだけ知っておくべき事と、守ってほしい条件があります」
「な、なんでしょう」
「知っておくべきことは、一二三様が目指すものです。……貴女は、一二三様のために誰かを殺す覚悟はありますか?」
微笑みを絶やすことなく囁かれたそれは、まるで趣味を聞くかのように軽い調子でありながら、最終審問のような重みを持っている。
「ころ……」
その雰囲気。飄々として軽妙に、命を奪うことを毛ほども躊躇しない雰囲気。
一二三に感じるそれをオリガに重ねて感じ取ったプーセは絶句した。
だが、ヴィーネの覚悟は固い。
「問題ありません。そのために、訓練してきました」
「そうですか」
オリガからの圧力が幾分か和らいだのを感じて、男性陣も緊張していた肩を落とした。
「その、もう一つの条件というのは、なんでしょうか?」
「簡単なことです。ヴィーネさんは今、身を挺してでも一二三様をお守りすると言いましたね?」
「ええ、もちろんです」
「それは私の役目です。それをするのであれば、私の命が一二三様のために消えてなくなってからにしてください」
オリガは返事を聞く気も無いようで、言い切ってしまうとサブナクに向き直った。
「サブナクさん」
「は、はいっ!」
「それで、この陣地が騒がしくなっている理由について、教えていただけますね?」
「うっ……わかりました……」
その後、アリッサとも顔合わせが済んだ獣人たちは、イメラリアではなくフォカロルでの身柄預かりとなった。
☺☻☺
何よりも重要なことは、敵よりも先に“知る”ことである、と一二三は語る。
聞き入っているのはホーラントの魔法研究者の一人、ガアプという若手の男だ。ホーラント宰相クゼムの部屋に呼ばれ、連れてきた助手と共にそのまま宰相の執務室で話を聞いている。
「相手がどこからどうやって入ってきたか、近づいてきたか、どういう装備をしているか、それが先にわかるだけでも有利なのはわかるだろう」
「はい。ですがそのために番兵や巡回がおり、灯りの魔道具で周囲を確認しながら警備をしています」
「で、そいつがやられたら終わりなわけだ。今の状況みたいにな」
「それは……個人の能力というものです。襲撃者がもっと弱かったり、番兵が強ければ問題ないわけで」
「馬鹿野郎」
ガアプの言葉を遮った一二三の声に、離れてデスクで作業しているクゼムも震えた。
「個人の強いかどうかは、もっと上のレベルになってから考えるもんだ。有象無象なら“馬鹿でもできる”を基本に考えろ」
たとえば、とクゼムのデスクから適当な羊皮紙を抜き取り、裏返しにする。
二つの円を描き、指ではじいた。
「一つが割れたらもう一個も割れる魔道具があったろ? それをもっと脆くして2組用意して、当番の奴が身体の前と後に付けておく。そうすれば、何かで合図を出す前に倒されても、もう一つが割れて建物の中の奴に異常が伝わるだろ」
片方の円に斜線を引き、もう片方に×をつけた。
「な、なるほど」
「物理的な防御もだな。この城の塀くらいなら、俺は素手で登れる」
「普通は無理ですよ」
「だが、魔法を使えば簡単にできるんじゃないか?」
「しかし、破壊するとなると大きな音が……」
「違う。お前たちの中で土魔法を使えるのは?」
一二三の質問に、助手の一人が手を挙げる。
その男に向かって一二三は四十センチほどの幅を手で作って見せた。
「じゃあ、一掴みの石をこれくらいの間隔で塀に作るのにどれくらいかかる?」
「ひ、一つあたり三十秒もあれば」
「なら、ここの塀くらいは数分時間があれば手がかりはできるだろ」
言い切られた言葉に、助手たちはひそひそとお互いに話し合っている。
「ですが、その程度の握りでは、僕にはとても……」
「誰がお前ら自身に登れって言ったよ。そこは兵士がやればいいだろ」
あ、という顔をするガアプに、一二三は真剣に頭を抱えた。
「本気で応用とか用途の拡大とかそういうことに頭が回っていないんだな」
そこから、一二三が水流による掘削や風魔法による遠方への伝達などの魔法応用、果ては伝声管を使った建物内の物理的な連絡方法や、センサーの概念などにまで話は及ぶ。
突然ではあるものの、興味深い技術や理論に対して、ガアプと助手たちは話を聞き取りながら多くの質問をし、一二三がぐりぐりと描く落書きを食い入るように見つめていた。
「あの……今更なんですが、どうしてこのような事を教えていただけるのですか?」
深夜まで続けられた講義が一段落したところで、ガアプは恐る恐る聞いた。
「ああ、もう数日でここまでオーソングランデ軍がくるだろうからな。準備しておかないと、一方的になるだろ。それじゃ面白くないんだよ」
「えっ?」
錆びついた機械のように、ガアプが振り向くと、クゼムは諦めたように頷いた。
それから、数時間後に国境の状況を知らせる伝令が到着し、アドラメルクは夜を徹しての防衛準備へと突入する。
ガアプの指示のもと、多くの人々が準備に追われる中で、いつの間にか一二三の姿は消えていた。
☺☻☺
「ネルガル様。今回の作戦で、わたくしは貴方を盾として使わせていただきます」
軍議の場には、イメラリア、ネルガル、サブナク、ビロン、ヴァイヤー、アリッサ、そしてオリガと獣人たちの姿があった。オリガはもちろん、獣人たちも本来は参加予定にはなかったが、オリガが「私もついていきます」と宣言したので、アリッサよりも上位である以上は、参加させないわけにはいかなくなり、その彼女が連れてきたので、誰も席を外すように言うことが敵わなかった。
イレギュラーなメンバーになったことで、しばらくは挨拶を交えつつの様子見ではあったが、本題に入っていきなりイメラリアがネルガルに言い放った言葉で、誰もが驚いた。
「……イメラリア陛下のお考え、詳しくお聞かせいただきたいのですが」
後ろに立っていた護衛が抗議を言おうとするのを止め、ネルガルはイメラリアに問う。
「此度のホーラント侵入の際、一気に首都アドラメルクまで兵を進めます。最低限の休憩のみを行い、尚且つ今動かせる最大戦力を以て」
「それでは、貴国も我が国も、甚大な被害を受けるのではありませんか? 私がホーラントへ入れば、それで兵たちへの抑えが効きます。たったそれだけで解決するのではありませんか」
ネルガルの意見に、サブナクたちは頷くことで賛成の意を表した。
だが、オリガは沈黙し、アリッサもそれに倣う。
「そうして、王都へ行く途中でネルガル様が行方不明になったとしたら、どうしますか」
「ふむ……」
「今のホーラントを動かしている人物について、わたくしは詳しくはありませんが、ネルガル様が戻って来ない方が、その人物にとっては有益ではないでしょうか。たとえ王城に戻られたとしても、多くの者がそれを知る前に“貴方がいなくなったら”、まだお戻りでないとするだけで、今のまま権力を握っていられますもの」
イメラリアの話を聞いて、ネルガルは参った、とつぶやいた。
「陛下の仰られる通りですね。恥ずかしながら、自国の軍の中でどれだけ今の権力者……おそらくは宰相のクゼムでしょう。彼が紛れ込ませた間者が存在するかはわかりません」
「ですから、これは王城までネルガル様が戻られたことを大衆に広く知らせるための方法でもあります。堂々と、派手に貴方の帰着を知らせることは、耳目を集めることを嫌う暗殺者を阻止する手立てでもあり、多くの防衛戦力を帯同させる事もそのためです」
「戦力としてではなく、目立つために大軍を……ですか。こう言ってはなんですが、お姿に似合わず、大胆な策をお考えになられる」
「……小娘が失点を取り返すのに必死なだけです」
イメラリアの呟きは、誰の耳にも聞こえていたが、それに反応する者はいない。
「しかし、非常に危険な策でもあります」
ビロンが口を開いた。
「敵方……とさせていただきますが、こちらにネルガル様がいることをあえて無視して、実力で潰しにくる可能性も考えられます」
「それに、そこまで急ぐ必要もないのではありませんか?」
ビロンに同調し、サブナクからも慎重論が出たが、イメラリアは頑として首を縦に振らない。
「急ぐ必要はあります。一つは、長引けばそれだけホーラントを操る人物に余裕ができること。それと、一二三様の動向です」
ちらり、とオリガを見るが、何ら反応せずに微笑みを浮かべている。
それだけなのが、逆にイメラリアの気になる部分なのだが。
「あの方がホーラント方面にいる可能性は非常に高いようです。あの方が動けば一で済む犠牲が十にも百にもなりかねません」
「……ですがそれは、我がホーラント側の犠牲ではありませんか?」
陛下が気にすることはないのでは、とネルガルが不安げに語る。
「残念ですが」
イメラリアは、ネルガルの不安に首を振った。
「わたくしはそこまで楽観視できませんわ」
そんな馬鹿な、とネルガルは周囲に同意を求めたが、サブナクもヴァイヤーもビロンも、誰もが“一二三によってオーソングランデ側に犠牲がでる可能性”を否定できない。
「と、トオノ伯爵夫人であるオリガ様もおられるのですよ?」
「あら、お気遣いありがとうございます」
ネルガルから水を向けられ、オリガは笑顔で答えた。
「ですが、主人の寛容や助力を初めから期待されるようでは、残念ながら切り捨ての対象としか受け取れません。これは主人も同じ考えだと思います。その点、陛下のお考えは素晴らしいですね。攻守どちらとも有利になる方法。そして勇敢にもその隊列を自ら率いられるのでしょう?」
「ええっ?」
「もちろんです。ネルガル様の命を危険に晒すのに、一人安全な場所で寛いでいるような者が、一二三様の求める相手になれるはずもありません」
反対意見が続出したが、イメラリアは抑え込んだ。
「ネルガル様、いかがですか?」
「……私には反対の仕様がありません。今の私には何もありませんが、此度の件、落着いたしましたら最大級の御礼をお送りいたしましょう」
立ち上がり、恭しく礼をするネルガルに、イメラリアは鷹揚に頷いて見せた。
その姿に正しく王の姿を見たサブナクたちも、自然と立ち上がって礼をする。
「そして、オリガさん、アリッサさん。フォカロルの兵たちにもご協力をいただきたいのです」
「御冗談を。多くの国軍兵がここに集まっておられるではありませんか。寡兵に過ぎない私たちでは、何のお役にも立てないかと思いますが?」
冷笑と言っていい、冷たい視線を送るオリガに、イメラリアは一歩も引かずに微笑みで返す。
「冗談ではありません。これも一二三様から教わったことです。一二三様のことをよく知っているオリガさんやアリッサさん、そして一二三様が兵士に指導をした場合の対応ができるフォカロルの兵士たち。数ではありません。知識をお借りしたいのです。知ること。それがどれだけ大切かをわたくしは一二三様から“直接”教わったのですよ」
「そ、それって一二三さんと敵対するってことですか?」
プーセが震える声で尋ねると、イメラリアは「いいえ」ときっぱり否定した。
「これは命をかけた“宿題”なのです。他人の命を削ってでも証明しなければならない、わたくしの答えなのです」
「わたしも行きます!」
ヴィーネが立ち上がり宣言すると、ゲングやマルファスも同調する。
その言葉に、イメラリアは答えず、オリガを見る。彼らの事についてはフォカロルに判断を任せているからだ。
「そういう事でしたら、獣人の方々もお連れして、陛下に最大限のお手伝いを約束させていただきます。……戦争の素人が、どこまでできるか近くで見せていただきますね」
「ただ殺すだけが戦争の終わらせ方では無いということを、王として逆に教えてさしあげますよ」
ピリピリとした空気のなか、一人だけアリッサが口を尖らせてぶぅぶぅ言っていた。
「僕が軍の責任者なんだけどな」
その後、出発を翌日と定め、オーソングランデ歴史上、初めて女王が直接指揮をする戦いが、女王個人の意地によって始められることとなった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。