136.Want You Bad
136話目です。
よろしくお願いします。
ミュンスターの防衛陣地では、特に被害を受けずにホーラントからの攻撃を防ぎ切り、敵の姿が見えなくなっていた。
兵たちは交代で休憩と防衛のための道具の確認と補修を進めており、イメラリアはビロンと共に後方に下がり、それぞれの為に設置された天幕内で休憩を取っている。
そんな中、現場責任者であるサブナクは、忙しく指示を出していた。
「状況を教えて」
不意に声をかけられたサブナクが振り向くと、一瞬だけ誰もいないのかと思ったが、視線を落とすとアリッサが自分を見上げているのを見つけた。
「ああ、アリッサ……さん」
呼び捨てにしようとすると、彼女の後ろにいるフォカロル兵士たちから謎の圧力を受け、あわててさん付けに変更する。
「フォカロルからの応援か……ありがたい」
内心では想像以上に早い到着に驚き、なるべく戦場をひっかき回さないで欲しいと思っていたが、引きつりながらも笑顔を作った。
「それで、一二三さんたちは……」
「もうすぐ来るよ。オリガさんも一緒」
一縷の期待を込めた質問に、アリッサが即答する。
現実はかくも厳しいのか、と泣きたくなったサブナクだが、肩書きがある以上はこの場を取りまとめなくてはならない。
「一度だけ、ホーラントからこの防衛陣地に攻撃があったけど、跳ね返すことができたよ。向こうの出方がどうなるかは予想できないけれど、国境周辺は完全にホーラントに抑えられてるね」
監視した兵から受けた情報を伝えたサブナクは、とにかく今は状況を見極めたいと話した。
「そうなんだ……陣地の隅を借りてもいい?」
「もちろん構わないよ……一二三さんが来たら、どうする予定だい?」
サブナクの質問に、アリッサは違う、と首を振った。
「今回の件は、僕の部下がホーラントで被害を受けたから、僕が責任者として救出に行く。一二三さんは見てるだけだって」
「……え? あの一二三さんが戦いに参加せずに見てるだけ?」
まさか、とつぶやくサブナクに、アリッサは頬を膨らませて怒った。
「本当だよ! これは僕の復讐だから、僕がやる!」
へらへらと笑っていたサブナクだったが、“復讐”という言葉で顔を曇らせた。
「復讐……なのか」
それは、忘れもしないアロセールでサブナクが初めて一二三と出会った時のこと。その時はまだ奴隷だったオリガとカーシャのため、一二三は自らの武器を貸してまで復讐を果たさせる手伝いをした。
「ということは、君は……いや、フォカロル領の軍はホーラントへ攻め込むということかい?」
「もちろん」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 今はぼくがここで指示を出しているけれど、この陣地も作戦も、イメラリア陛下の指揮でやってるんだ! ただでさえ面倒な状況なのに、ここで許可なく侵攻されたら困るよ!」
「でも、一二三さんが良いって」
「よく考えてくれたまえ!」
背中を丸めてアリッサに懇願するように肩に手を置いて、サブナクは泣きそうな顔をする。
「女王陛下と伯爵と、どっちが偉い人で、そういう重要な事を偉い人の許可なしに勝手に決められるものじゃないだろう?」
「……そう、かな?」
「そうなんだよ。……アリッサさんがあの夫婦みたいに強引で非常識じゃなくて良かった。とりあえずは陛下やビロン伯爵に相談しよう。そうしよう」
半分くらいは納得しているらしい様子のアリッサを見て、サブナクは安堵の溜息をついた。
もしアリッサが無茶な攻勢に出たりしたら、ホーラントから大規模な反撃を受けた時にこの陣地で受けきれなくなる可能性もある。
何とかして落ち着いてもらって、あわよくば国境までの押し戻しだけ協力してもらおうと考えてサブナクが顔を上げる。
「よう。出世してずいぶん偉くなったんだな」
「サブナクさんの私たちに対する評価はそうなのですね」
馬を並べ、笑顔の一二三と無表情でサブナクを睨むオリガがそこにいた。
☺☻☺
「止まってください。ミダスさん」
「……ヴァイヤーか。これはどういう事だ?」
ネルガルたちと共に王都に入る直前だったミダスは、目の前に立ちふさがったのが盗賊や造反貴族の手先ではなく、近衛騎士隊副隊長のヴァイヤーだということに気づき、目を細めた。
「陛下やサブナク隊長が留守の間、私が責任者ということになっております」
「そんなことを聞きたいんじゃない。なぜ私たちの前を塞ぐ必要があるのか、と聞いている」
二人は所属は違えど面識はある。ヴァイヤーの方が貴族の階級としては上だが、ミダスの方が先輩であり、近衛騎士隊と一般の騎士隊の違いはあれど、副隊長としては同格とされている。
「そちらの馬車には」
ヴァイヤーが指差したのは、ネルガルが乗っている。
馭者も馬車の周囲を固める兵たちもホーラント所属の者で、突然のことに緊張の面持ちで剣の鞘を掴んでいる。
「ホーラント次期王殿下がおいでですね?」
「だとしたらどうする。お前のやっていることは外交上の重大な非礼にあたるぞ」
「女王陛下からの通達です。ネルガル殿下をお出迎えし、王都にて状況が落ち着くまでお待ちいただくようにとの事です」
状況が変化したのです、とヴァイヤーが取り出した命令書は、確かにイメラリアの署名が入っていた。
言葉を返すこともできずにじっと命令書を睨みながら、ミダスは迷っていた。
ヴァイヤーが造反貴族なりホーラントなりの傀儡になっている可能性もあるが、基本的には信用できる人物であるという評価はしている。
沈黙を破ったのは、ホーラント兵が先だった。
「味方みたいな面して、今になって裏切るのか!」
「い、いや……」
狼狽えるミダスに向かい、激高したホーラント兵がいよいよ剣に手をかけた。
ミダスたちにも、正面に並ぶヴァイヤーたちにも緊張が走る。ここで剣を抜かれたら、問答無用で斬り捨てざるを得ない。
「待ってください」
ホーラント兵たちを止めたのは、馬車を降りてきたネルガルだった。
心労でいささか痩せたように見える彼がそばに来たところで、ミダスが馬を降りる。
「ミダスさん。彼が持っている命令書は本物ですか?」
「……間違いないでしょう」
ミダスの答えを聞いて、ホーラント兵からは悲痛な声が上がるが、ネルガルは落ち着いてヴァイヤーの方へと向き直った。
「そのような命令が出ているということは、我が国で何か起きたという事ですね?」
「左様です。ネルガル殿下」
「殿下はやめてください。跡継ぎに指名されたとはいえ、私はまだ勉強中の身であり、スプランゲル陛下の遠い遠い血縁というだけの若造です」
はにかむネルガルに、こわばった顔で額に汗を浮かべているヴァイヤーは、命令書を丁寧に折りたたむ。
「貴国ホーラントから、オーソングランデへ侵略行為が認められました」
これに、ホーラントの兵たちは絶句したが、ミダスたちも同様だった。
「侵略とは……状況を教えていただけませんか」
青い顔をして質問を続けたネルガルに、ヴァイヤーは頷く。
「我が国からホーラントへの侵入を図った賊どもは、国境に近い町ミュンスター周辺を治めるビロン伯爵の軍と、ホーラントへ駐留していたフォカロル領トオノ伯爵の軍により食い止められ、ホーラントへの侵入は未然に防がれました」
ですが、とヴァイヤーが軽く足を開いて姿勢を正すと、腰に下げた鎖鎌の鎖が音を立てる。
「貴国を守ったフォカロル領軍の兵士たちは貴国の軍に殺され、国境周辺は今やホーラント兵によって占拠された状態にあります」
ホーラント兵の誰かが息をのむ。
その内容の真偽は別としても、今はっきりとオーソングランデ所属の兵がホーラントの兵に殺された、と告げられたのだ。この時点で、敵国どうしに戻ったと同然である。
「だ、だがそれはネルガル様の指示ではない! それはわかるだろう!」
兵の一人が声を上げたが、ネルガルが手をあげて止めた。
「私の指示であろうと無かろうと、国の代表である以上は、その責任から免れることはない……という事ですね」
ネルガルの言葉に、目を閉じて間を置いたヴァイヤーは、息を吸い込む。
「死亡したとされるフォカロルからの教導部隊にいた者は、私と同じ武器を使い。わずかな期間ではありますが、共に汗を流して修練をした者です」
鎖を握りしめたヴァイヤーは、深呼吸を繰り返し、手を放した。
「八つ当たりなのは承知ですが本心を申せば、貴方方ホーラントの勢力を叩きのめしたい」
ヴァイヤーは、また別の羊皮紙を取り出し、ネルガルへと開いて見せた。
「……ですが、ネルガル様は先ほど自ら申されました通り、未だ戴冠を済まされていないうえ、亡くなられたスプランゲル王の子息というわけでもありません」
広げられたのは、先ほどの命令書に対する追記だった。
「王都にいていただくのはどうしようもありませんが、丁重にお迎えし、不自由なくお過ごし頂けるようにとのご命令を受けております。護衛の方も同様です。どうか、我が国の女王からのお願いをお受けいただきたいのですが」
「軽々しく言えることではありませんが、心中お察しします」
頭を下げたヴァイヤーに、ネルガルは沈痛な面持ちで答えた。
「私の身柄を貴国に預けます。護衛の兵たちにも、可能な限り配慮をお願いいたします」
「お約束いたします」
「良かった。あとできれば、イメラリア陛下へお手紙をお送りさせていただきたいのですが」
顔を上げたヴァイヤーは、首をかしげた。
「手紙、ですか? 構いませんが……どのような内容か、確認させていただきますが?」
「構いません。助命嘆願書ですから」
「い、イメラリア陛下は決してネルガル殿を処刑しようなどとは思っておりませんでしょう!」
慌てるミダスに、ネルガルはクスリと笑みをこぼした。
「私のことじゃありませんよ。できるだけ、我が国の兵や城で働く者たちの命を助けてもらいたいと思うだけです。私が怖いのは、故郷で暴走しているらしい者たちが、イメラリア陛下の懐刀。彼の逆鱗に触れないか、それだけです」
一二三のことをよく知らないホーラントの兵たちは顔を見合わせていたが、ミダスやヴァイヤーたちは先ほどまでとは違った種類の冷や汗を流していた。
☺☻☺
「では、本日の議題は彼女たちの扱いについてですが……」
「その前にさ、彼女たちが何者なのかを教えてくれよ。獣人族とエルフなのはわかるぞ。それがどうしてフォカロルに来ているのかが知りたいんだがよ」
フォカロルの領主館の一室。文官たちが会議の為に使っている部屋で、文字通りの会議を始めようとしたカイムに、デュエルガルが疑問を投げた。
カイムが集まった文官たちを見渡すと、フォカロルへやってきたプーセたちの世話役となったパリュ以外、ミュカレとブロクラが同意するように頷いている。
「では、パリュから話してもらいましょう」
さっさと指名すると、カイムは無表情のままで着席し、素早く書き取りの準備を終えた。「えっ、私?」
最年少のパリュは、他四人の視線を浴びて緊張しながらも、多少はプーセたちと話したことを全員に伝えた。
「えっと、エルフの女の人がプーセさん。兎獣人の人がヴィーネさん、犬獣人の人がゲングさん、虎獣人の子がマルファス君です」
荒野に面した町で保護された彼女たちは、大急ぎで台車に乗せられて昨日の時点でフォカロルまで運ばれ、今は館に近い位置にある宿に泊まっている。
宿の手配などはカイムによる指示だったが、女性もいる事と敵意が無いのが確認できた事で、一時的に手が空いていたパリュが世話係となった。
他の職員に任せなかったのは、彼女たちが一二三に会いに来たということを知ったカイムの判断による。
「荒野の向こうにある、ソードランテという国で、獣人と人間、それにエルフが一緒に暮らす町があって、そこからやってきたそうです」
「なるほど」
素直に納得して頷いたのは、カイムのみ。
「荒野の向こうの国か。噂には知ってたが、実在したんだなぁ」
「エルフとか初めて見たわ。それも驚きよ」
「獣人やエルフが同じ町に住んでいるなんて、想像つきませんね」
口々に意見を交わすミュカレたちの話にカイムはしばらく聞き入っていたのだが、特に結論らしいものが出ないと判断すると、パリュに視線を向けた。
「パリュ。彼女たちの目的は、領主様にお会いすることだと聞きましたが、詳しい内容はわかりましたか?」
「あ、はい」
雑談はぴたりと止まり、再び視線にさらされたパリュは、手元のメモを懸命に読み上げる。
「兎獣人のヴィーネさんは、領主様に買われた奴隷だそうです。しばらく勉強をしてから、すぐに自由にしていいと言われたそうですが……私たちと同じですね」
「俺たちはとても自由とは言えないんじゃないか?」
忙しくて死にそうだぜ、とこぼすデュエルガルに、ミュカレが「従軍するよりましでしょ」と睨みつけた。男所帯の軍隊と行動を共にするのは、アリッサと一緒でもかなりストレスだったらしい。
カイムに睨まれて二人が黙ると、パリュが続ける。
「そのヴィーネさんが、その……」
「何か言いにくい内容?」
顔を赤らめたパリュを気遣い、ブロクラがメモを受け取る。
「あら……。ヴィーネさんという兎獣人は、領主様と一緒になりたくて来たみたいですね。他の人たちはその付添い。虎獣人の子だけは、領主様の弟子になる希望もあるみたいです」
「あらあら、可愛らしいわね。恋にまっすぐなのね」
「ミュカレはスレすぎだろ。パリュはもう十六だろが。これくらいで恥ずかしがるなよ」
「だ、だって……」
なんだか恥ずかしくて、と頬を両手で押さえたパリュ。
それら全ての雑談を無視して、カイムはぴしゃりと言った。
「では、本格的に意見をお願いいたします」
全員が首をかしげる。
「とても大きな問題が起きているのがわかりませんか? 領主様とお近づきになるためにやってきた。つまり奥様に恋敵が現れたということなのですが」
さて、どうします? とカイムが一同の顔を順番に見ていったが、誰も視線を合わせようとはしなかった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回はちょっとだけ間があくかもしれませんが、
なにとぞよろしくお願い申し上げます。